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無駄もまた楽しむ

教師に必要な資質。無駄とわかっていることに取り組めること。教師は人間相手の商売ですから、常に成果が上がるわけではありません。すぐに効果があらわれることなど皆無です。しかし、それを続けるということでしか、成果が上がることはないのです。「それでもやる…」 教師の仕事はその連続です。

あなたは無駄を楽しめますか?

日曜日にむさぼる惰眠……心地よくてなかなか起き上がれない。

ウィンドウ・ショッピング……買いもしないのになぜかワクワク。

きっとそんなに使わない……わかっていても買ってしまう新製品。

特別見たいわけじゃない……なんとなく見てしまうテレビドラマ。

みんな無駄なのに、あなたの生活になくてはならない。無駄とわかっていてもそれがないと生きていけない。無駄とわかっているけどやめられない。だって楽しいんだもの……。そんな無駄なのではないでしょうか。そして、そんなポジティヴな無駄が、あなたの生活にはいっぱいあるのではないでしょうか。

あるとき私は、ある教師が「あんな子に指導しても無駄だから指導しない」と言っているのを聞いたことがあります。気持ちはわからないでもありませんが、それは仕事を放棄しているのと同じです。だって、教師の仕事は無駄の連続なのですから……。無駄だからしないと言ってしまっては、教師の仕事がほとんどなくなってしまいます。

言うまでもなく、教師は人間相手の商売です。しかも人間一般ではありません。相手は子どもです。

子ども相手の商売ですから、当然、指導してすぐに成果が上がるとは限りません。いいえ、むしろすぐには成果が上がらないのが普通です。

それどころか、一度指導したから、一度注意したからと言って、行動が改まるだろうと考えることさえできません。子どもは指導してもすぐには行動が改まらず、また、改まらないからと言って自己責任に帰すこともできません。そういう存在を相手にしている商売、それが教師なのです。

指導しても行動が改まらないからと言って諦めてしまっては、改まらない行動を認めてしまうことになります。注意しないことによって、指導しないことによって、もっと悪い方向に進んでしまうかもしれません。無駄だからやらないという態度では、もしかしたら子どもたちを現状維持のままでいさせることさえできないかもしれないのです。

このあいだ指導したばかりだというのに、また同じようなことをしでかした……。もうしないって泣いて謝っていたのに、今日もまたあの子の悪口を言った……。また忘れ物、まったくこの子はやる気があるのだろうか……。確かにそういうことは日常茶飯です。

しかし、日常茶飯事だということは、子どもという存在がそういうものだということをも表しているのです。そういう子どもらしさに対して、本気で怒りを感じてしまうということは、実は子どもと同じ目線に立っていることを意味しています。

これも酒席でのことですが、かつて野口芳宏先生が次のようにおっしゃっていたのを印象的に覚えています。

「摩擦っていうのはねえ、両者がぴったりくっついていないと絶対に起こらないんですよ。人間関係の摩擦もそういうものです。教師が生徒や保護者と同じ目線でしゃべると摩擦が起きます。でも、たった1ミリでも高い目線、広い目線をもてば、まったく摩擦は起こらないんですよ。教師が高く広い視座をもたなければならないというのはそういうことなんです。」

もう十年以上も前の記憶ですし、ましてや酒の入った席での会話ですから記憶が覚束ないところもあります。でも、確かこんな内容だったと思います。まだ若かった私は、酔いながらも「なるほどなあ」と深く感動したのをよく覚えています。と同時に、「それは難しいことだな」と感じたことも強く印象に残っているのですが。

それから十数年が経ちました。私はいま、このことも「明後日の思想」の応用だと考えています。

つまり、こういうことです。

一度や二度の指導ではまったく進歩していないように見える子どもも、半年前と比べたらずいぶんと成長しているものです。そしてその半年前からの成長は、あなたが毎日のように指導し、保護者が毎日のように言い聞かせ、そして他ならぬ子ども自身がなんとかしようと頑張った、その結果なのではないでしょうか。

こんなふうに少しだけ、長いスパンで子どもの成長を見つめてみると、いろんなことが見えてくるものです。そういえば半年前にしたお説教は無駄ではなかったのかもしれない……なんて思えてくるものです。

この過去と現在との相関を、いまこの瞬間と未来との相関に当てはめて考えてみてはいかがでしょうか。半年後にはこの子もいまより某かの成長をしているはずだ。その半年後の成長にとって、いま私がしようとしている指導も某かの効果を及ぼすのかもしれない。そんなふうに考えてみるのです。

無駄のように思えることはいっぱいあります。しかし、それでも指導するのです。指導し続けるのです。教師の仕事はその連続なのです。

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