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人間テトリスの想像力

男子生徒15人ほどが、休み時間に「人間テトリス」なるものに興じていた。廊下の突き当たりに一人一人順番に張り付いていって、隙間をなくして重なっていくのだそうだ。そのために、だれもが変な格好をしながら折り重なっていく。なんともくだらないのだが、なんとも難しく、なんとも楽しい遊びである。

他の人間と隙間なくくっつくということは、自分の視点からのみ見ていたのでは認識できない。天井から視点をもたないと認識できない。くだらないといえばくだらないし、レベルが低いと言えばレベルが低いけれど、ある種の〈メタ認知〉の訓練にもなりそうだ。少なくとも〈空間認識〉の訓練にはなりそうである。

テトリスが大流行したのは二十数年前のこと、いや、もう三十年近く前になるのかもしれない。ぼくは大学生だったような気がする。最後のコサックダンスが見たくて、毎日毎日、何度も何度も、寝る間も惜しんでやったのを覚えている。まわりの友人たちも教授も助教授もみんな持っていて、テトリス談義に花の咲くコンパが何度かあった。ぼくの師匠などは、原稿を書いていると原稿用紙がテトリスに見えてくる、なんて言っていたっけ。

口を開けばエロ話ばかりしている友人が、テトリスで一列だけ残して、そこにL字型のテトリスを入れて消すと興奮する、といっていた。「あれは性行為のメタファだ」と。二十歳のぼくはヤツの想像力に感心したものだが、いま考えるとこれは想像力などという代物ではない。あまりにも日常的に考えているものだから、すべてがそう見えたというだけである。そういえば、テトリス以外のことにも同じようなことを言っていた。生徒たちの「人間テトリス」のほうがまだ想像力としてはマシかもしれない。

母親も妹もずいぶんとはまっていた。12時くらいまではぼくらがやっているので、母はぼくらが寝てから3時くらいまでやっていた。朝は目を腫らして何面までクリアしたと喜んでいたのを昨日のことのように想い出すことができる。専業主婦というのは夜更かししても昼間寝ればいいのだな、気楽な立場だ、と当時は感じたものだ。

昨日、父が倒れた。軽い脳梗塞とのこと。ろれつがまわらなくなって、足もふらついて、救急車を呼んだらしい。仕事を終えて病院まで行ってみると、ICUには入っているものの、割と元気そうだった。意識のあるうちに救急車を呼んだので大事には至らなかったらしい。少しずつリハビリさえ開始するという。イメージとはずいぶん違うものである。母はもちろん、妹も見舞いに来ていた。

一時は今日からの新潟行きをキャンセルしなければとも思ったくらいだったが、なんとか行けることになった。お世話になっている人たちに迷惑をおかけしなくて済んで良かった。

久し振りに家族みんなでテトリスに興じたい、と感じた。あの、ファミコンの、シンプルな、初代のテトリスである。10年前に亡くなった師匠も、来世でテトリスに興じているかもしれない。

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コメント

ファミコン版テトリスですか…。僕は母さんの親戚一家に借りてプレイしたことがあります。折りしも、ゲームボ-イ黎明期にゲームボーイ版が大ヒットして、社会現象になっている時期だったので、ゲームボーイ版プレイ経験者の洋平(三浦洋平です)が僕の家でファミコン版をプレイした時は、ブロックの回転操作に(ファミコン版は十字キーの下、ゲームボーイ版はAとBボタンです)結構戸惑っていました。今となっては、懐かしい思い出ですね。

投稿: 厚別中学校卒業元3-6平井 壱武(かず) | 2011年9月 9日 (金) 20時12分

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