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「資格がないのよ」と彼女は言った

「資格がないのよ!」

やっと12時になったから新聞でも読もうと休憩室に足を踏み入れた途端、彼女が一度口に入れた昼食のおかずを飛ばしながら言った。どうやら若い男の先生をつかまえて、弁当を食べがてら校長の横暴振りを愚痴っているらしいことだけは一瞬で理解できた。

彼女は社会を教えていて、若い男は体育。ちなみにぼくは国語である。夏休みの終わりの中学校の職員室なんて、こんな風なのだ。生徒や保護者とは一ヶ月近くもほとんど逢っていないし、逢っていたとしてもトラブルなんて起こらないから、悪口を言うとしたら管理職か同僚と相場が決まる。

彼女は何先生だったろう……。1ヶ月近くも逢うことのなかった彼女の名前をぼくは忘れかけている。一生懸命思い出そうとするのだが、思い出せない。

朝刊を見つけて彼女の斜め向かいに座ると、ぼくはソファに深く腰掛けて社会面を開いた。彼女がこの場でしゃべっていることは校長の横暴振りに負けないくらいに陰の横暴と言って良いと思うのだが、そんなことを言ったとしても彼女はほんの少しも理解できないだろう。ここでは新聞が読めないと諦めてぼくが立ち上がるまでの3分ほどの間に、彼女は「資格がないのよ」と6回言った。30秒に1回の割合だから、平均すると投手が1球投げ終わる間に3回言う計算になる。

「資格がない」と彼女は言う。おそらく人の上に立つ者としての資格だろう。平教員を何十人も従えて学校を運営するには度量が足りない。それが彼女の言い分なのだ。

しかし……と思う。度量に資格なんてあるのだろうか。どうすればその資格とやらを取ることができるのか。英語や書道やソシアル・ダンスの資格とはわけが違うのだ。あなたは校長としての度量を有する……そんな資格ペーパーなどあり得ない。もしあったとしたら、日本じゅうのすべての校長・教頭がその資格を取ろうと躍起になるはずである。ぼくはいまだに不明にしてそんな資格のあることを知らない。

そもそも、彼女もまた、人の上に立つ者として生徒たちの前に立っているのではなかったか。上か下かは議論になるにしても、おそらく彼女は彼女のクラスの生徒たちに対して、おそらくはぼくらの校長がぼくらに対してもっている影響力以上の影響力を行使しているはずだった。もしもその根拠を教員免許に置くなら、校長だって管理職試験に通っているのだ。そういう意味では他人に対する影響力行使の所以なんて同じようなものである。

そうした資格を問うてみても仕方がない。資格ペーパーの更新なんてものは、現実的にすれば意味をなくすし、実質を伴わせようとすれば誰も受からなくなる。そういうものなのだ。教員免許更新制に実質を伴わせようなんて考えてはいけないし、管理職試験に実質を伴わせようとも考えてはいけない。免許更新を本格的に教壇に立つ資格としてその基準を考え始めたら誰ひとり受からなくなる。それである程度の人たちは受かるようにと基準を下げはじめたら、あれもこれもと下げる理由が見つかって、結局、現行の免許更新に近づかざるを得まい。そういうものなのだ。

資格なんて問うものではない。人の親になる資格、結婚する資格、恋愛する資格、友達とこのまま友達であり続けるための資格……。校長の資格や教員の資格はこれらに近い。問われても困るのだ。教員であり続けるために数万円のお金と数十時間の時間をその対価として支払う、そのくらいがちょうど良いのである。そう考えれば、校長は宴会の度に「寸志」と書いて一万円を支払い、部下がトラブルを起こす度に自らの時間を削っていく。それだけで資格ありと言ってあげるのがいい。

結局、今日、ぼくは退勤まで彼女の名前を想い出すことができなかった。

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