トラブルメイク・グラデーション
ひと昔前、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが、社会を席巻したことがあった。ある報道番組で識者を招いてシンポジウムをしていたところ、それを聞いていたある青年がこの問いを発し、それに対して参加する識者のだれもが説得力ある対応をすることができなかった、その出来事を発端としている。この問いは教育論を語る上で、いまだに潜在的な当惑を私たちに抱かせている。自分はこれにどう応えうるか、と。
私はこの問いに対して、逆に次のような問いから考えるのが有効ではないかと直感的に感じていた。「なぜ、多くの人間は人を殺さないのか」と。
その昔、森村誠一の『悪魔の飽食』(角川文庫)を読んだ折、日本兵が中国人の捕虜になした行為に大きなショックを受けた。四十歳以上の教師なら、この書を手にしたことのある者はかなり多いはずだ。人間とはかくも残酷になれるものなのか、日本人とは形成された集団内の「空気」にここまで支配されるものなのか、どの頁を繰ってもその証左となる記述が見られる。(本誌読者たる若い教師たちにも是非読んで欲しい書のひとつである。)また、戦後派作家と呼ばれる人たちの作品群には、大岡昇平にしても武田泰淳にしても梅崎春生にしても、人間が極限状態の中でいかに残酷になりうるか、日本人がいかに集団内の「空気」に支配されるか、ということが物語られている。武田泰淳にいたっては、人間がいかに醜く、どうしようもないものであるかということを、一代を通じて語り続けたほどである。
学生時代、戦後派作家に大きな感銘を受ける、古いタイプの文学青年であった私は、いまだに自らの中に巣くう悪いもの、醜いもの、どうしようもないものの存在を意識しながら生活している。自分は条件さえそろえば他人を傷つけ、ときには殺してしまうかもしれない存在である、と。自分がもしも戦争に行き、自分が優勢であるとの確信さえ得られれば、嬉々として他国の人々に銃口を向けるかもしれない存在である、と。だからこそ、人間を真正面から信じることなく、現実的な対応をせねばならない、と。生徒や保護者、同僚を観察するときにも、学級集団を運営するときにも、私のこの思いは変わらない。みんな醜く残酷になる可能性を秘めている。それが人間である、と。
これを単純な「性悪説」と捉えられると、私としてもつらい。この構図は、「性善説」か「性悪説」かなどという、形式的でシンプルな議論ではない。読者に伝わるかどうかは正直心許ないが、こうした「限界性」や「境界性」を意識してこそ、人間は社会生活をよりよく営もうとする、現実的な対応を試みられるようになる、私としては、こうした前向きな議論をしているつもりなのである。
最近、内田樹を読んでいて、これと同様の認識に出逢った。
「この人たち(戦後民主主義をつくった人たち=筆者注)は日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度経済成長の時代まで生きたのです。/そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。(中略)それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実的な経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっと分かっているのです。/人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。」(『疲れすぎて眠れぬ夜のために』内田樹・角川文庫・○七年九月・90~92頁)
私たちが自明の前提としている戦後民主主義が、こうした生々しい歴史と地続きの視座であり、私たちが物事を認識しているその視座が、こうした生々しい歴史とまさに地続きの地点で疑われているということを、私たちはもっと意識して然るべきである。
数年前、長崎県佐世保市の小学校で、六年女児が同級女児を刺殺するという、衝撃的な事件があった。各紙は社説において、担任教師が予兆を捉えられなかったのかと批判を展開した。私は当時、そんなものは捉えられるわけがないだろうと、マスコミ批判を展開したものである。しかし、油断がなかったかと問われれば、その批判は甘んじて受けなければなるまい、とは感じていた。担任教師はその子を大それたことをするはずがない程度には思っていたのではないか、と。条件さえそろえば人間が人間を殺しうるなどとは、まったく考えてはいなかったのではないか、と。その理由はおそらく、「子どもだから」「女の子だから」といった、何の根拠もないものであったに違いない、と。
私が高校生のときだったから、既に二十五年ほど前のことだと思うのだが、被爆者である教師が自校の非行生徒をナイフで刺傷させるという事件があった。生徒がスチール製マットで殴りかかってきたところ、教師が持っていたナイフで刺傷させたというのである。マスコミも識者も、一斉にこの教師を非難した。しかし、具体的な要因が明らかになるにつれて、その非難が一気に下火となる。この教師は、被爆して躰が弱かったことから、日常的に生徒たちに「原爆病」と馬鹿にされていた。捜査当局に「なぜ、ナイフを持ち歩いていたのか」と問われたとき、この教師は「学校は怖いところだから」と答えたと言う。これで世論は一気に反転した。「学校はそこまで行っているのか」「被爆者を馬鹿にし、恐怖感を与えるまでに、この国の子どもはおかしくなっているのか」といった議論が展開されるようになる。
いま考えると、なんとも嗤ってしまうような現実認識の浅さではあるのだが、ここに見られるのは「戦争被害者=善」という、マスコミに巣くう何の根拠もない前提である。もちろん、この教師は善人であっただろう。しかし、それは「被爆者」だからではない。むしろここで突きつけられていたのは、「子供」であろうと「女の子」であろうと、そして「被爆者」であろうと、条件がそろってしまえば他人を傷つけ、ときには殺してしまうことさえある、という人間観ではなかっただろうか。
これまでわざと話を大きくしてきたが、私たち教師が子どもたちを見るときにも、同じことが言えるのだ。「この子はいい子」「この子は悪い子」「この子はやさしい子」「この子は意地悪な子」「この子はいじめっ子」「この子は絶対にいじめをしない子」などなど、教師は背反するラベルを子どもたちに与えがちである。「いい子」や「やさしい子」や「いじめをしない子」を頼り、「悪い子」や「意地悪な子」や「いじめっ子」を忌避する。そして、教師が「いい子」と捉える子が何かトラブルを起こしたとき、「こんな子じゃなかったはずなのに……私の認識が間違っていたのか」と自らを責め、裏切られた気分に苛(さいな)まれる。しかし、そうではない。どの子も問題傾向をもっていて、それぞれのグラデーションに多少の差異があるだけなのである。「いい子」に見える子は、決して絶対善なのではなく、「悪い子」と見える子よりも問題傾向のグラデーションが薄いだけである。「いい子」だって、条件さえそろえば「悪いこと」をしうるのである。教師の役目は、①そうした条件がそろうのを避けること、そして、②子どもたちに鬱屈したものをできるだけ昇華させてやること、その二つを知恵を絞って展開してやること以外にはないのである。
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コメント
卓見に同感です。
心の中に天国と地獄を混在させている人間の性みたいなものですね。
自分だってそういう芽をもっていることを、自覚するからこそ、違う人格への努力も葛藤も生まれるのでしょう。
孟子や荘子の時代とは違い、また、フロイトのように単純な心理学の時代とも違い、人の心というものも、現象学的・生理学的な科学のアプローチがなされるようになってきました。でも、いつも落とし穴があります。
教育の最先端にいると、年数を重ねれば重ねるほど、この「落とし穴」が恐ろしくなります。
この畏怖を失ったら、ぼくの仕事は終了だとも思います。
わけのわからないことを書いてごめんなさい。堀さんの文学性についシンクロされました。
「悪い子と言われる子どもの中に、そうではない輝きがある。」ということを信じてやっていますが、ぼくは、どこに光を当てるかということだと思うのです。「いい子」も「悪い子」もない。所詮大人達が子どもにしていることは、目の不自由な人たちが像をさわって、おのおの「細長い」とか「幅が広い」とか「牙がある」などと自分の感じたことだけしか言えないようなもので、しっぽだけで全てを見たような錯覚だと思っています。
だからこそ、いいところだけに光を当ててクローズアップすることが、ほかの面を薄くしていくようなものではないでしょうか。
さらに分からないことを書いてしまいました。年寄りのたわごとです。
投稿: 多賀です | 2011年8月13日 (土) 13時14分