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黒ネコと赤い鈴

ネコが死んでいた。対向車線に。車に轢かれて。腸を出して。ただの黒い塊として。

それがネコだとわかったのは、ちょうどネコくらいの大きさに見えたからであり、真ん中辺に赤いベルトに鈴がついていたからだ。どこかのうちで飼われていた黒ネコが死んでいたのだ。

それを見たのは朝、7時55分頃である。学校までもうほんの2分、というところにある交差点。信号待ちをしていると、なんとなく歩行者の目が一カ所に集まっているのを感じた。当然のようにそちらに目を向けてみると、黒い塊があった。ぼくのすぐ右手前方にネコが死んでいたのだ。

歩道には出勤途中のおじさんが5人、おばさんが3人、自転車に乗った女子高校生が3人、女子中学生が2人。交差点の右手から左折してくる車が次々にそのネコを踏んでいく。「ああ、なんてかわいそうなことを…」とぼくは思った。でもふと歩道を見ると、そのたびに人々は「かわいそう」という表情をする人と、「気持ち悪い」という表情をする人とに真っ二つに分かれた。人間は二通り、善人と悪人とか、ついている人といない人とか言うけれど、この状況で「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うかは、その人間の本質を突くな……なんて感じている変な自分を意識していた。

とにかくそうしてネコが死んでいたのだ。きっと、交通事故とか電車への飛び込みとか飛行機事故とか天災とか戦争とか、この黒ネコみたいに死んだ人たちが世の中にはたくさんいるのだな。そんなことも感じた。

8年前、飼い犬のボウといっしょに夕方の散歩に行った。近くの公園でぼくはボウを放し飼いににして遊ばせていた。いっしょに走って。フリスピーを追いかけて。草をむしって。水飲み場で水を飲んで。

そこにおじさんといっしょに大きなシェパードがやって来た。ボウはミニチュア・ダックスである。ボウは走り出した。ボウ!ボウ!と呼ぶぼくの声を振り切って、ただ一目散に逃げ出した。

ぼくはボウを探しまわった。同じ場所を何度も何度も歩きまわった。すぐ近くに大きな幹線道路がある。ボウはあの道に行ったかもしれない。ぼくはその大きな道を見渡した。頭の中には、今日見たネコのように塊と化したボウの姿が浮かんでいた。ボウ!ボウ!

たぶん、三、四十分は探しまわったと思う。探しまわりながら家まで戻ると、ボウは家の玄関にちょこんと座っていた。ぼくの姿を認めると一目散に走り寄ってきた。

それから8年。ぼくは毎日、ずーっとボウと一緒に、同じベッドで寝ている。8年間、ほとんど一度も想い出すことのなかったこの出来事を、黒い塊が想い出させた。ボウがあのとき、自力で家まで帰ってきたということは、一人であの幹線道路を渡ったことを意味していたのである。

ああ、あの黒ネコの飼い主は、いつ自分の飼いネコがあんなにも惨たらしい姿で逝ってしまったことを知るのだろうか。飼い主と黒ネコにはどんな物語があったのだろうか。

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