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あり得ない衝撃

空港から自宅まで高速を飛ばした。ふと思い立ってラジオをつけると、ちょうどサザンの「Hello My Love」が流れている。ついついアクセルを踏む右足にも力が入る。それほど好きな曲というわけでもないのに気持ちが高揚してくるのを感じる。これはまずいと、意識的にメーターを気にし出した。

100キロ前後で安定するように、2000回転で安定するように、そんなことを考え出すと、自分が分解されていくのを感じる。脳味噌はメーターに接続され、末梢神経は「Hello My Love」に接続され、久し振りのアイデンティティ拡散を自覚しながらも、景色は安定的に後ろに流れていく。周りの車もみんな同じ速度で、車線変更もいらない。イライラにまかせて追い越すこともなければ、無理な追い越しをかけられてイラつくこともない。

ぼくという人間が愛車を通じて世界と調和している。

そんなフレーズが頭に浮かび上がった瞬間、ぼくと世界は完全な齟齬を来した。世界の〈完璧な調和〉がガリガリ、ガガガと崩れた。快適に走り続けている高架道路が、50メートル前方(それも100キロで進み続けている50メートル前である)から突如消えてしまったかのような衝撃を受けた。

交通事故にでも遭ったのかと思うかも知れない。でも、そんなことじゃない。ぼくに衝撃を与えた主はラジオである。ラジオのDJである。いや、正確にはラジオというもののあくまでも一般化され普遍化された慣習であり、構成であり、構造である。

「Hello My Love」が軽快にフェイドアウトしたまさに1.5秒後、なんとその番組の女性DJがしゃべりだしだ。いかがでしたか、みなさん、桑田佳祐さんは……。

あり得ない。

ぼくの中に無意識に根を下ろしてしまった感覚。「Hello My Love」のフェイドアウト後は、2.77秒後に激しいピアノ音とともに「My Foreplay Music」が始まらねばならないのだ。それ以外の選択肢はない。おそらくは何百回と聴きづけたサザンの名盤「ステレオ太陽族」がぼくの中にこのプログラムをインストールしてしまっていたのである。きっと生涯アンインストールできない、もはやぼくの一部となってしまっているといって良い感覚……。

「Hello My Love」は、決して「Hello My Love」という1曲ではない。あの、ちょっとメロウな前奏が流れ始めた瞬間、ぼくがそこに聴いているのは「Hello My Love」という1曲ではなく、「ステレオ太陽族」というサザンの名盤であり、あのアルバムの見事な構成であり、おそらくはその間に数百回は聴いたと思われるぼくの中学校後半から高校あたりまでの数年間の形象なのだ。「Hello My Love」の前奏が流れた瞬間、ぼくはかつて自分が「ステレオ太陽族」というアルバムに寄せたすべての想いを同時に体感しているのである。

そういえば、このアルバムをLPからCDへと買い換えたとき、A面からB面へと返す、ぼくがぼくの責任においてつくるはずの間を、勝手に他の曲間と同じ間に矯正されて大きな違和感を覚えたことがあったっけ。いかなるものにおいても、最初の経験、というよりも最初の体感というものは、しかもあまりにも繰り返して強化された体感というものは、数十年の時を隔ててもなんら減退することも減衰することもなく、自分という存在になくなてはならないものとして一体化してしまっているようだ。

思えば、「My Foreplay Music」はぼくにいろんな語彙をもたらしてくれた。その多くは日常生活ではほとんど使うことがないのだが、それでも「刹那」とか「溶ろける」とか「ナイトキャップ」とか「スコッチ」とか「ベーゼ」とか、ぼくは自分にとってこの曲を起源とする語彙をそれなりに具体的に思い起こすことができる。ちょうど、ぼくの世代が最もサザンの影響を受けている世代であるはずだ。

サザンのデビューは1978年。ぼくは小学校6年生だった。一見、サザンと同世代の人たちのほうがその影響を色濃く受けていそうに思われるけれど、実はそうではない。同世代の人たちはそれ以前からさまざまな音楽を聴き、さまざまな語彙をもっていた。それとの比較としてサザンを受け止めたはずである。しかし、ぼくらの世代はそれ以前に聴いていた音楽などピンクレディとキャンディーズくらいのもので、いわばサザンによって無垢をサザン色に染められたのである。その後、いかなる音楽を聴いてもそれは桑田佳祐というフィルターのもとに認識せざるを得なかった。ビリー・ジョエル以降の音楽はすべて桑田との対照で理解された。いや、遡って聴いたボブ・ディランやビートルズさえ桑田との対照で聴くことしかできなかった世代なのだ。これを前世代は不幸なことだというだろうが、他の世代にどう見えようが、それは我々が生まれたときに親を選べなかったことと同様の構図でしかないのであり、ぼくらの責任ではない。

以後、30年余り。この思春期から四十代半ばに至るまで、トップを君臨し続けているのは各界を見回しても、桑田佳祐・村上春樹・ビートたけしの3人だけである。他にはいない。誰一人いない。その候補さえ浮かばない。あの、この国に豊かさが完成して時代に社会との小競り合いからに勝利し、バブルを駆け抜け、失われた十年においても失われず、望まないことを善とする時代に至るまで、トップに君臨し続けているのは、3人だけである。

政治家なんて彼らの足下にも及ばない。中曽根康弘も小泉純一郎もその影響力において彼らには適わない。細川護煕も政権交代も瞬間的には彼ら以上の沸点を示したかもしれないが、彼ら3人とは比べるべくもない。30年間トップであり続けている政治家は強いてあげれば石原慎太郎だが、ここ十数年、その影響力は都知事としてのものであり全国的なものではない。

作家もそうだ。村上春樹以上の瞬間風速を示した作家はいたけれど、森村誠一も赤川次郎も村上春樹の足下にも及ばない。東野圭吾だってきっと30年はもたないだろう。当時はニューアカブームの中、村上龍・島田雅彦・小林恭二・吉本ばななと対抗馬はいっぱいいたけれど、いまとなっては対比しようなどと考えること自体が村上春樹に失礼である。音楽では強いてあげるなら、桑田の対抗馬として候補になるものは阿久悠くらいだが、もう勝負はついてしまった。

ぼくらこそがおそらく彼ら3人の純粋培養世代なのだろう。

もちろん、ぼくらの後続世代にも彼らに影響を受けた人はたくさんいるだろう。でも、彼らは決して「われらパープー仲間」と「ラッパとおじさん」の間にある趣を理解できないし、「ワーンダーランド」や「クロニクル」や「1Q84」による青春期は「風の歌を…」や「1973年の…」や「羊男の…」による青春期と同じ影響力を持ち得ない。

高速道路で衝撃を受けてから、自宅に着くまでの25分間ほど、ぼくが考えたのはこんなことだった。

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コメント

>>ぼくの中に無意識に根を下ろしてしまった感覚。「Hello My Love」のフェイドアウト後は、2.77秒後に激しいピアノ音とともに「My Foreplay Music」が始まらねばならないのだ。

me,too!

投稿: 池田修 | 2011年8月22日 (月) 10時01分

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