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グループ・ディスカッション

学級担任として小集団を使って話し合いをさせることがあります。学活や総合でもよくあることですし、道徳では小集団による話し合いが授業の核となっている場合も少なくないのではないでしょうか。その意味で〈グループ・ディスカッション〉をさせたことのない読者はおそらくいないだろうと思います。

さて、ここでちょっとだけ、ご自身の実践を振り返ってみていただきたいのです。学級で〈グループ・ディスカッション〉をさせるとき、その小集団は何人で構成していますか? そして、その人数で話し合わせているのは何故ですか? いかがでしょうか。

一般には5~7人くらいの小集団で話し合わせることが多いのではないかと思います。現在、多くの学校において、学級は三十人前後から四十人。そうしますと、5~6人の生活班が五つ、6~7人の生活班が六つといった場合が多くなるからです。要するに、小集団の話し合いというと、教職当番や清掃当番の基本単位である生活班をそのまま用いているという場合が多いのです。

しかし、こんなふうに考えてみましょう。5~7人という人数は、確かに給食当番や清掃当番をするのには適切な人数かも知れません。でも、学習のために話し合いをするということを考えたとき、果たして適切な人数なのでしょうか。

結論から言うと、私は多くの場合、小集団は4人を使うことにしています。まず図1(略)をご覧ください。6人班の場合、生徒たちはこのように向かい合うことになるのが一般的です。このような座席配置において、AくんとFさんがよくしゃべる生徒だったとしましょう。すると仮に議論の中心点というものを比喩的に想定するとして、この小集団においてこのときの議論の中心点は●の地点にあることになります。そうすると、CくんやDさんからは議論の中心点がかなり遠く、自分が話し始めて議論の中心点を自分の側にもってくるということに、抵抗感を抱くようになります。もちろんおしゃべり好きの明るい生徒にとってはどうということのないことですが、自分の自信のない、おとなしめの生徒にとっては、たったこれだけの距離がずいぶんと大きな抵抗の所以となってしまうのです。つまり、6人班による話し合いというのは、それだけ傍観者をつくりやすい構成である、といえます。これは6人班という構成が議論の中心の移動範囲が図2(略)の太線の範囲だけ移動し得るということです。

これに対して4人班は議論の中心の移動範囲が小さいのです。図3(略)をご覧ください。たとえAくんとDさんがよくしゃべる生徒だったとしても、そのときの議論の中心点はBくんから見てもCさんから見てもすぐ近くにあります。議論の中心は図4(略)に示された範囲しか移動せず、どの生徒にとっても、それはいつだってちょっとだけ手を伸ばせば届きそうな、すぐ隣にあるのです。つまり、議論の中心点の移動範囲が広いということは、それだけ〈心理的な傍観者〉が生まれやすいという構造をもつ、それが小集団の話し合いによる人数構成であり座席配置なのです。もしもどうしても6人班による交流が必要と担任が判断するのなら、机をはずして図のような配置で椅子に座ることによって、常に議論の中心を中央にもってくることができます。話し合いの人数や座席の配置というものは、このくらい配慮が必要なものなのではないでしょうか。

4人という人数は3人と異なり、2対1で優劣が決まってしまうということのない人数です。3対1に分かれれば75%が一致したことになり、残りの一人が納得しやすい人数でもあります。それでいて、四派に分かれた議論が合意形成されるにはなかなか難しい人数でもあり、話し合うだけの甲斐を感じることのできる人数でもあります。更に、四十人学級だったとしても班は十班にしかならず、すべての班に全体発表をさせることのできる人数でもあります。いろいろな面から見て適切な人数といえます。

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