ぼくの気分にまでは届いてはくれないのだ
家の近くのスープカレー屋が気に入っている。具材の種類が多くてあっさりめのスープが、暑いときも寒いときも、暑くも寒くもないときも、雨が降って湿度の高さにうんざりするような日でさえおいしく感じさせるのである。
カウンターには、かつてぼくのクラスにいた教員人生で出逢った最もピンクな女子生徒の5、6年後のようなギャル風の女の子がいて、たった一人でそれほど大きくはない店の注文をとり、厨房の小窓から出てくるスープカレーを運ぶ。見かけに寄らずといっていいのか、彼女の使う敬語はすべて、見事に正しい。厨房にいるおそらくは店長の中年男が正しい敬語を教えたのか、これも想像しにくい彼女の厳格な両親が言葉遣いだけはとしっかりとしつけたのか、そのへんのところはぼくにはわからない。ただ彼女の敬語はその辺の教師よりもずっと正しく、驚いたことに「ら抜き言葉」さえないのだ。
ただしぼくは、このスープカレー屋にこの女の子目当てで通っているわけではない。だいいち4月から8月までぼくはこの店に7,8は通っていて、常に彼女が注文をとりカレーを運んできたにもかかわらず、そしてぼくは今日の昼食もこの店で食べ、同じように彼女と接したというのに、ぼくは彼女の顔をまったく想い出すことができない。確かにギャル風の像は浮かんでくる。少し長めの茶髪を後ろで縛った丸顔の輪郭もなんとなく浮かんではくる。でも、その像はのっぺらぼうで、目も鼻も口もないのだ。ただ客商売特有の口元のアルカイックスマイルの印象だけがある。
この店の唯一の不満は、ホットコーヒーがサーバーに入れっぱなしのセルフサービスであることだ。スープカレーにサービスとしてつく飲み物として、ホットコーヒーを選ぶ者はあまりいない。アイスチャイとかラッシーとかアップルジュースとかジンジャーエールとかそういうものが多い。これらの冷たい飲み物はセルフサービスでもおいしく飲める。でも、ホットコーヒーだけはおいしく飲めない。あまりにもそれを飲む人が少ないために、起きっぱなしのサーバーはコーヒーを少しずつ蒸発させ、煮込んでしまうのである。おそらく店長はコーヒーには興味がないのだろう。スープカレー屋の店長にとって、ギャルに敬語を教えられることとコーヒーの味を知っていることとのどちらが優先順位が高いのか、不明にしてぼくは知らない。
今日もまずいコーヒーをカップに注ぎにドリンクバーまで行くと、携帯電話が鳴った。見ると03から始まる見知らぬ電話番号だ。記憶にない。でも、東京からの電話だから仕事関係だろうと思って仕方なく出た。相手は、いまぼくのこのその出版社からの3冊目の本を担当している編集者だった。25日に着くように校正ゲラを送りたいのだが、何時にどこに送ればいいかとの問い合わせだった。
25日。木曜日である。ちょうど2学期の始業式の日だ。午後からは授業がない。もしかしたらぼくは年休をとって帰宅するかもしれないが、その確証もない。帰宅直後に不在連絡票を見て電話をかけるのも面倒だ。「この後はご自宅にいらっしゃいますか」と尋ねられて、ちょっと煙草を買いに行くということさえ封じられてしまう。ぼくはそれがいやでたまらないのだ。
「午前中に届くように学校に送ってください」とぼくは言った。どんなことがあろうと、病気か事故でない限り、25日の午前中は絶対に学校にいる。それが一番無難なのだ。
やれやれ。
ぼくには生活パターンが二種類ある。学校の仕事を中心にしているパターンと、原稿とか講演とかを中心にしているパターンだ。ぼくは夏休みをばりばりの後者で過ごしてきた。そして25日の始業式からばりばりの公務モードに切り替えようとしていた。それなのに、なんとも言いようがないことに、その始業式の日によりによって校正ゲラが届くというのだ。校正というのは届いてから締切までが1週間程度であることが多い。否が応にもやらなければならない仕事になる。
やれやれ。暑い日にも寒い日にも湿度の高い日にもおいしいスープカレーも、さすがにぼくのこうした気分だけは解消してくれなかった。ギャルの敬語もアルカイックスマイルも結局ぼくの気分にまでは届いてはくれないのだ。サービス業とはまさにそうしたものなのである。
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