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2011年8月

今月のお知らせ/2011年8月

いよいよ、10原理・100原則シリーズの第二弾『生徒指導10の原理・100の原則』(堀裕嗣著・学事出版)を上梓します。『学級経営…』もよろしくお願いします。8月から9月にかけて、またいろいろなところに出かけます。読者の皆さんとおあいできれば嬉しいです。お気軽にお声かけください。

【書籍・出版関係】

生徒指導10の原理・100の原則』(堀裕嗣著・学事出版)近刊。今回もイクタケマコトさんの装丁で刊行されます。『生徒指導…』は青い本になります。『学級経営…』とは内容的に重ならないように書きました。また、よろしくお願いします。

第1章 生徒指導を機能させる10の原理/1.スクール・カーストの原理/2.サイレント・マジョリティの原理/3.ヒドゥン・カリキュラムの原理/4.ブロークン・ウィンドウズの原理/5.イニシアティヴの原理/6.インクルージョンの原理/7.マクドナルド化の原理/8.パッチング・ケアの原理/9.FMCチームワークの原理/10.自己キャラクターの原理

第2章 生徒指導で身につけたい100の原則/1.基本として身につけたい10の原則/2.生徒を観察する10の原則/3.生徒との距離を調整する10の原則/4.事実を確認する10の原則/5.生徒を説得する10の原則/6.現場に対応する10の原則/7.保護者に対応する10の原則/8.年度当初に徹底する10の原則/9.自分の現状を知る10の原則/10.自分の身を守る10の原則

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年3月 ご注文はこちら

編集の戸田さんに頑張っていただいて、ぼくの本としてはかなり読みやすいものになっています。イクタケマコトさんのイラストも内容にマッチしていて、表紙カバーの装丁も気に入っています。基本コンセプトは、「学級経営に失敗できない時代になった」という前提のもとに、まずは非凡な実践に憧れる前に平凡なことをしっかりと基盤づくりとして意識しよう、というものです。いま、勤務校でつまずき、ひとたび目に見えた失敗してしまうとなかなか浮上できない現実があります。「成功すること」よりも「失敗しないこと」が大切な時代になってきている……そういう現状認識のもとに書きました。ある程度の構造化を目指していることが売りです。

51v2ygbqk6l__sl500_aa300_CD-Rでアレンジ自在 中学校学級活動ワークシート』堀裕嗣編・研究集団ことのは著・学事出版・2011年7月 ご注文はこちら

「月刊HR」に3年間連載した内容を修正して1冊にまとめたものです。高校版が既に1年前に出ていますが、CD-Rつきでワークシートを自在にアレンジできることが売りの企画です。奇をてらわないオーソドックスなワークシートが多いので、実際に教室で使うには適したものが多いと思います。細かなところの修正がワードでできますので、自分の学校に合った日程に、自分の教室に合った内容につくりかえることが可能です。 CD-Rがついている分、値段が一般のワークシート集よりは500円ほど高めになっていますが、CD-Rにはそれだけの価値はあると感じています。

また、『とっておきの道徳授業・中学校版 Ⅸ』(日本標準)が刊行されました。こちらもよろしくお願いいたします。

14_ihk83e838d83b83v000明日の教室DVDシリーズ14/文学の授業~読む・解く・書く』石川晋・堀裕嗣・門島伸佳・有限会社カヤ・2011年3月中旬発売

1月末に京都で行われた「明日の教室」がDVDになりました。発売開始されました。「オツベルと象」を題材に、〈語り手の自己表出〉の読み解きの基礎的な授業を模擬授業の形で提案しています。後半は石川晋先生と授業づくりの視点について語り合っています。

【研究会関係】

私に関係する8~9月の研究会をご案内させていただきます。お時間が許せばお越しください。

2011年8月1日(月)~2日(火)/第7回教師力BRUSH-UPサマーセミナーin札幌/震災チャリティイベント/講師:大谷和明・太田充紀・大野睦仁・岡山洋一・木下尊徳・桑原賢・兒玉重嘉・小林智・齋藤佳太・坂本奈央美・高橋裕章・藤原友和・堀裕嗣・丸山昌宏・三浦将大・水戸ちひろ・南山潤司・山口淳一・山下幸・山田洋一・山寺潤・山本和彦/終了しました

2011年8月7日(日)/第8回中学校道徳授業改革セミナーin東京/会場:中野サンプラザ第4研修室/参加費:3000円/講師:道徳のチカラ中学代表・御前充司・原口栄一・堀裕嗣・合田淳郎・田中利幸/定員30名/終了しました

2011年8月18日(木)~19日(金)/仕事術関係の会議/東京都内/終了しました

2011年8月20日(土)/中学校国語実践研究会/新宿区立新宿西戸山中学校/講師:平川恒美・堀裕嗣・宮城洋之・吉田和夫・千田洋幸/コーデネーター人見誠/終了しました

2011年8月24日(水)/勤務校の小中連携事業第一弾/校下の小学校6年生に国語の授業をします。/終了しました

2011年9月2日(金)/新潟県十日町市立十日町東小学校公開研究会/庭野三省校長先生の学校です。赤坂真二・野中信行・堀裕嗣の3人が児童相手に授業をします。

2011年9月3日(土)/先生のためのとっておきセミナーin新潟/北海道vs新潟模擬授業対決!国語・算数・社会/上越教育大学新潟サテライト(予定)/講師:赤坂真二・兒玉重嘉・高橋裕章・野中信行・堀裕嗣・南山潤司・山口淳一他交渉中/定員70名

2011年9月23日(金)/第4回学級づくりプログレッシブセミナーin札幌/学級づくりの折り返し地点・チェックリスト&マンネリを打破する手立て/札幌白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:大野睦仁・高橋裕章・堀裕嗣・南山潤司・山口淳一・山下幸・山田洋一/定員30名

2011年9月24日(土)/第1回場づくりフォーラム・BAF/講師:岡山洋一・堀裕嗣・丸山昌宏・他交渉中

その後の予定はこちら

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黒ネコと赤い鈴

ネコが死んでいた。対向車線に。車に轢かれて。腸を出して。ただの黒い塊として。

それがネコだとわかったのは、ちょうどネコくらいの大きさに見えたからであり、真ん中辺に赤いベルトに鈴がついていたからだ。どこかのうちで飼われていた黒ネコが死んでいたのだ。

それを見たのは朝、7時55分頃である。学校までもうほんの2分、というところにある交差点。信号待ちをしていると、なんとなく歩行者の目が一カ所に集まっているのを感じた。当然のようにそちらに目を向けてみると、黒い塊があった。ぼくのすぐ右手前方にネコが死んでいたのだ。

歩道には出勤途中のおじさんが5人、おばさんが3人、自転車に乗った女子高校生が3人、女子中学生が2人。交差点の右手から左折してくる車が次々にそのネコを踏んでいく。「ああ、なんてかわいそうなことを…」とぼくは思った。でもふと歩道を見ると、そのたびに人々は「かわいそう」という表情をする人と、「気持ち悪い」という表情をする人とに真っ二つに分かれた。人間は二通り、善人と悪人とか、ついている人といない人とか言うけれど、この状況で「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うかは、その人間の本質を突くな……なんて感じている変な自分を意識していた。

とにかくそうしてネコが死んでいたのだ。きっと、交通事故とか電車への飛び込みとか飛行機事故とか天災とか戦争とか、この黒ネコみたいに死んだ人たちが世の中にはたくさんいるのだな。そんなことも感じた。

8年前、飼い犬のボウといっしょに夕方の散歩に行った。近くの公園でぼくはボウを放し飼いににして遊ばせていた。いっしょに走って。フリスピーを追いかけて。草をむしって。水飲み場で水を飲んで。

そこにおじさんといっしょに大きなシェパードがやって来た。ボウはミニチュア・ダックスである。ボウは走り出した。ボウ!ボウ!と呼ぶぼくの声を振り切って、ただ一目散に逃げ出した。

ぼくはボウを探しまわった。同じ場所を何度も何度も歩きまわった。すぐ近くに大きな幹線道路がある。ボウはあの道に行ったかもしれない。ぼくはその大きな道を見渡した。頭の中には、今日見たネコのように塊と化したボウの姿が浮かんでいた。ボウ!ボウ!

たぶん、三、四十分は探しまわったと思う。探しまわりながら家まで戻ると、ボウは家の玄関にちょこんと座っていた。ぼくの姿を認めると一目散に走り寄ってきた。

それから8年。ぼくは毎日、ずーっとボウと一緒に、同じベッドで寝ている。8年間、ほとんど一度も想い出すことのなかったこの出来事を、黒い塊が想い出させた。ボウがあのとき、自力で家まで帰ってきたということは、一人であの幹線道路を渡ったことを意味していたのである。

ああ、あの黒ネコの飼い主は、いつ自分の飼いネコがあんなにも惨たらしい姿で逝ってしまったことを知るのだろうか。飼い主と黒ネコにはどんな物語があったのだろうか。

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オープン・スペース・テクノロジー

〈オープン・スペース・テクノロジー〉(略称OST)は、〈ファシリテーション〉の一つの手法であり、〈ワールド・カフェ〉と〈PCS〉の良さをともにもつ画期的な手法といえます。ただし、生徒相手でも大人相手でも様々なレディネスを必要とし、よりよく機能させるのが難しい手法でもあります。機能すると効果は大きいといえますですが、安易に教室に導入するとヤケドをする手法……くらいの慎重な心構えをもつことが必要です。

①学級生徒全員が椅子のみで円形をつくり、向かい合って座ります。

②全員にA4判一枚の用紙を配付し、いま最も交流したい題材について記述してもらいます。例えば、「いま学級で取り組むべきこと」といったテーマで問題意識を書いてもらうというような感じです。

③全員に簡単に「交流したいこと」について、A4判の紙を提示しながら語ってもらいます。一単位時間なら一人30秒、二時間連続なら一人1分程度になります。

④「交流したいこと」のテーマが似通っている者同士で交流する仲間をつくります。四十人学級ですと二人以上八人以内くらいが良いでしょう。もしも十五人とかのグループができた場合には二つのグループに分けます。
※時間がない場合には、③を省略して、紙を胸の前に提示しながら仲間を探すことによってグループ分けするという方法もあります。

⑤グループができたら、各グループごとに話し合い、交流時間をとります。その際、教卓の上に模造紙・8色ペン数セット・養生テープ・A4判用紙百枚程度・付箋紙等を置いておき、  自由に使って良いといいます。時間は一単位時間であれば20分程度、2時間続きなら50分程度を目処とします。③を省略した場合には、それぞれ35分程度、70分程度の時間がとれます。

⑥その後、各グループに発表させたり、立ち歩きながら各グループの記録を見合ったりして交流します。

〈OST〉において交流時間は次のような留意点があります。

第一に、どこで話し合うかについて各グループの判断に委ねること。「私たちは図書室で」とか「私たちはPC室で」と校内どこでも……というのが理想ですが、そこまでは難しいとしても「私たちはテーブルで」とか「私たちは床で」とかいった程度の自由は認めてあげるのが良いでしょう。基本的にはリラックスできる話し合いの場をいかにつくるかということを何よりも重視しましよう。

第二に、話し合いの仕方、使用すべきグッズについても各グループに任せましょう。〈OST〉は様々な話し合い形態を経験した後に行うべき手法ですから、教師が安易に助言することも避けるべきといえます。基本的にすべてを生徒たちに任せる、そういう段階に来て初めて用いて良いアイテムである、そういう心構えを徹底することが必要です。

第三に、話し方については(OSTに限りませんが)、一人が一度に一分以上話し続けないこと、他者の意見を絶対に否定しないこと、二つ以上の意見を組み合わせて新たな意見を創出することを奨励することなど、〈ファシリテーション〉や〈ブレイン・ストーミング〉で奨励される話し方をすることを徹底します。

第四に、当初決めたグループが絶対ではないということを確認すること。具体的にいえば、このグループでの話し合いは自分の想定していた話し合いではないと感じたら、別のグループに言っても良いというルールを確認すること。場合によっては途中からどのグループにも参加せず、様々なグループの話し合いを見て回って自らの視野や知見を広める時間とすることも可とすることさえあり得ます。

第五に、グループが固定してしまい流動性がない場合には、多少時間をとってお互いのグループの交流時間をとるといった工夫もあり得ます。

〈OST〉は学級をよりよくする活動を企画したり、学級に新たな取り組み、新たなルールをつくったり、或いは学校行事の企画を立てたりといった、プロジェクト企画立案型のテーマの話し合いに適したアイテムです。その意味で、私は、〈OST〉にで各グループに企画立案を行わせ、最終的には学級全体にプレゼンすることによって実現していくというプロセスの一段階として機能させるのが良い、と考えています。こうした企画立案から関わった取り組みについては、生徒たちは常によりよく機能させるにはという視点で動き、最後まで責任をもって取り組むものです。

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而して今日も夜は長い。

渡瀬恒彦はやたらと見るのに、渡哲也をまったく見なくなったのはなぜだろう。松方弘樹と目黒祐樹は二人ともほとんど見ることがなくなった。田村高廣は亡くなったから仕方ないとして、田村正和と田村亮を見る頻度もずいぶんと減ったように思う。

意味がなくて、発展性もなくて、役にも立たなくて、そんなことを考えるのが好きだ。意味と発展性があって役にも立つことを考えるのには責任が伴う。仕事で毎日そんなことばかり考えさせられてるんだから、週末くらいは責任感とは無縁のことを考えたい。それだけのことだ。そもそも人間は責任をとれることばかりを考えていては身がもたない。

そもそも兄弟俳優の中で渡瀬恒彦一人勝ちの所以を考えているうちに、仕事に役立つような何かを思いつかないとも限らない。責任をもって考えたことよりも責任感とは無縁のテキトーなことを考えているうちに思いついたアイディアのほうが現実を大きく動かすなんていう事例はたくさんあるじゃないか。

責任を伴った思考ばかりをしていると思考自体が狭くなる。ついでに指向も狭くなって、志向も狭くなる。自らの嗜好にに従って常に試行し続けることが大切だ。ついでにいえば歯垢はとったほうがいいし、至高も求めたほうがいい。而して今日も夜は長い。

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彼はぼくに自然の摂理を教えてくれそうな気がする

二学期最初の日。二学期始業式といってもいい。朝学活のあと廊下に整列して、体育館で少しだけ校歌の練習をして、始業式、夏休み中の部活動大会の表彰式、学活、更に英語と理科の夏休み明けの小テスト、そういう一日である。始業式と表彰式が予定より早く進み、時間が繰り上がった。放課時間はなんと10時55分である。授業時数不足に悩む学校が多い中、信じられないことだが、ぼくの勤務校は二学期初日に授業がない。小テストだけである。計算上授業時数は確保されているらしい。11時30分から25分ほどの職員会議。その後、30分ほどの学年会。夏休みと二学期とを結ぶ、教師にとっても生徒にとっても俗に「リハビリ日」と呼ばれる、簡素だけれど大切な一日である。

「今日は木曜日だから、明日さえ乗り切ればなんとかなる」

隣の教務主任が言ったので、ぼくは即座に、

「オレには乗り切らなければならない明日なんてないな」

と返す。向かいで3つ年下の学年主任がウケていた。

ぼくは暇だ。昨日は小中連携と称して校下の小学校に授業をしに行ったし、明日行われる国語の小テストをつくって印刷もしたし、新しく出す本の校正ゲラが届いてそれを5日間程度で完了しなければならないという予定もあるけれど、どれもぼくにとっては「やれば終わる仕事」でしかない。その日が来さえすれば自然に終わるのが授業だし、ちょっとした集中力でえいやっと仕上げてしまえば終わるのがテストづくりだし、隙間時間で少しずつ進めて二度読み直せば完了するのが校正である。それだけのことだ。どの仕事もぼくの人生を揺るがさない。

いま、ぼくが夢中になっているのは彼である。いや、彼女かもしれないが、ぼくのイメージの中では彼である。ぼくはこの1週間、ずーっと彼に夢中になっているのだが、いまだに彼に逢ったことがないのだ。

話は1週間前に遡る。ぼくは東京に行く用事があって朝早く起きて空港に向かっていた。高速を飛ばしながら煙草を吸おうと窓を開けた。パワーウインドウがヴィーンという音を立ててさがる。ぼくが開いた窓から腕を出すと肘のあたりに違和感を感じた。

うん?

蜘蛛の巣だった。おそらくは昨夜、窓を開けてすぐのバックミラーから運転席のドアまで、小さな蜘蛛が巣を張ったのである。こりゃ気持ちが悪いやと思い、ぼくは助手席に置いてあるティッシュ・ボックスからティッシュを2枚とって蜘蛛の巣を払った。ティッシュをまるめてギアにかけてあるコンビニの袋に捨てた。ぼくはブレイキさえ踏むことなくその作業を完了した。その日はそれだけのことだった。

3泊4日の仕事から帰ってきて、空港の駐車場に行くと、ミラーからドアにかけて小さな蜘蛛の巣ができていた。「またか…」と思った。ぼくはドアを開け、助手席のティッシュボックスからティッシュを2枚とり、3日振りに蜘蛛の巣を払い、またコンビニの袋に捨てた。ぼくは高速を飛ばして帰途に就いた。桑田佳祐の影響力について考えたりした。

その夜、ベッドに入ってもなかなか寝付けない。1時間くらいうだうだしていたが、どうにも寝付けないでいる。起きて仕事をしようかとも思ったけれど、明日からは仕事である。やはり寝なければならない。妻も、2匹の犬も寝息をたてている。ぼくは東京行きの4日間のことを反復して遊ぶことにした。そのうちに眠れるだろう……。

4日前の朝、ぼくは何時にどのようにして起きたのだったか。シャワーを浴びたのだったか、それとも前日のうちに風呂に入ったのだったか。旅行鞄は準備していたか、それとも当日の朝になってばたばたしたのだったか。そうだ。起きてシャワーを浴びたのだ。シャワーを浴びるんだから、ブラシやシャンプーを鞄に入れるのは明日の朝にしよう、そう思って前日は寝床に入ったのだった。そんなことを考えていた。

朝の出来事を早送りで進める。車に乗って、渋滞もなく意外とスムーズに高速に乗れたことを喜ぶ自分を追体験しているとき、不意にそれは訪れた。そうだ、蜘蛛の巣だ。あの蜘蛛の巣と空港の駐車場の蜘蛛の巣をつくったのは同じ蜘蛛だろうか。それとも別の蜘蛛だろうか。

考えれば考えるほど、その二つの蜘蛛の巣をつくったのは同一人物に思えてきた。両方とも直径十センチくらいの蜘蛛の巣だったし、なんというか、蜘蛛の巣の佇み方が同じだった。蜘蛛にも個性があるとすれば、あそこまでその雰囲気まで一致した蜘蛛の巣をつくる蜘蛛がこの世に二人いるようにはぼくにはどうしても考えられなかった。

では彼はどうやって、札幌から千歳まで移動したのだろうか。ドアにへばりついていたのだろうか。それともボンネットか。でも、100キロを超えるスピードで走っている車が60キロ以上移動する間、ずっとへばりついていられる蜘蛛がこの世にいることをぼくは想像できなかった。

では、彼はどこにいたのか。ぼくが自宅で車に乗ったときに素早く車に乗り、ぼくが空港で車を降りるときに素早く車を降りたのか。いやいや、それも考えにくい。ぼくは車に乗るときも車から降りるときもドアを開けっ放しにするタイプではない。旅行鞄はトランクに載せたから、ドアを開けっ放しにする都合もない。動の開閉はせいぜい15秒といったところではないか。もちろん、ぼく一人が乗ったり降りたりできるわけだから、蜘蛛も乗り降りできる時間ではあるだろう。しかしこの想像にはどうも無理がある気がした。

そんなことを考えているうちに、ぼくは眠りに就いた。この夜、その後もいろいろ考えたような気もするがぼくが覚えているのはここまでである。

次の日の朝、ぼくは休暇をとった。朝から仕事に行こうと思っていたのだが、どうやらぼくは以前に、この日に犬を病院に連れて行くと約束したらしい。先週手術した母の見舞いにも行きたいし、歯医者にも行きたいし、そして何よりぼくはその日、髪を切りたいと思っていた。現実的な現実がすべてぼくに休暇をとることを提案していた。だからぼくはこの日、休暇をとったのだ。

朝の9時半頃だったと思う。動物病院に行こうと犬を連れて車に乗ろうとしたとき、ぼくは三たび、ミラーからドアまで直径10センチの蜘蛛の巣が張られているのを見つけた。

「ああ、彼はまだいるのだ」

懐かしい友人に逢うような、くすぐったい、それでいてちょっと酸っぱいような感情がわいてくる。彼はいる。まだいる。それは確かだ。でもどこに……。当然の疑問が浮かぶ。ぼくはドアの周り、ミラーの周りをじっくりと観察した。どこかに小さな蜘蛛がいないか。この巣の主はいないか。

しばらく探したけれど、彼はどこにもいなかった。でも、それはおかしい。彼は確かにぼくの車が札幌から千歳に移動にしても巣を張ったのだ。車のどこかにいなければおかしいではないか。とこだ。どこにいるのだ。ぼくは諦めて後部座席に犬を乗せ、運転席に座った。

んっ?と思った。もしかしたら、とも思った。ミラーは運転席からスイッチ一つで方向を変えられる。窓を開けてミラーを見ると、動く鏡部分とその外枠との間に1.5ミリほどの隙間がある。

ぼくは合点がいった。そうか。彼はミラーの裏側にいるのだ。この隙間から、暑さを避けて、昼間はこの中に入り込んでじっと動かずにいるのだ。昼の住み処と夜の住み処とを使い分けているのだ。そしておそらく、そこにはぼくには想像もできないような彼の摂理があって、運命ともいえ自然ともいえるようなその摂理に従って、彼は昼の顔と夜の顔とを使い分けているのだ。昨夜のこだわりが溶けていくのを感じる。それは曇った眼鏡が少しずつでも確実に透明感を取り戻し、視界が開けていくような感触だった。

それから3日経った。朝出かけるときに蜘蛛の巣が張られていなかったのは、朝方アメが降った一昨日だけだ。蜘蛛の巣は今朝も存在感を示していた。ぼくは朝の決まり事のように助手席からティッシュを2枚だけとって蜘蛛の巣を払う。ドアを開けて運転席に座るとじっとミラーの隙間を見る。それを見ていると、その隙間に吸い込まれそうな気がしてくる。その感触が浮かぶと、ぼくは、ああ、このへんにしておこうとエンジンをかける。なんとなく仕事がはかどる気がしてくる。

ぼくには乗り切らなければならない明日なんてないけれど、でも、明日こそは逢いたいと思える生き物がいる。もし逢うことができたら、彼はぼくに自然の摂理を教えてくれそうな気がするのだ。

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問題は同じ〈質〉の幸福感を感じさせること、になる

食べ物になんて何のこだわりももたずに生きてきたぼくのような人間でも、四十を過ぎるとそれなりの人と食事をともにする機会が出てくる。出てくるというだけで頻繁にあるわけではないのだが、年に何度かあるその経験がけっこう重くのしかかってくる。要するに困ったことになるのだ。

別に緊張するとか、しきたりがどうとか、そういうことではない。ごくごく簡単に言えば、うまい料理とかうまい酒とかの味を覚えてしまうのだ。いや、実のところをいえば「覚える」というところまで行くわけではない。「あれうまかったなあ……」という印象だけが頭にこびりついて離れなくなる、といった方がいいかもしれない。

ぼくのような素人でも瞬時に理解してしまうほどに、うまいものというのは圧倒的にうまいのである。食べ物の味になどほとんどこだわりをもったことのないぼくのような者でも、ああ、もう一度あれを食べたいな……などと思ってしまうのだ。でももう一度冷静になって食べてみると、その圧倒的なうまさに、自分はこの味を覚えてはいけないなと、自戒を感じてしまうのである。このアンビバレンツとの闘いはけっこうきつい。

このアンビバレンツと闘わずにそうとは意識しないままに敗れてしまうと、もっともっと多くのものを失うことになる。そんな予感がする。例えば自尊心とか、誠実さとか、小説を楽しむこととか、脳味噌を絞りに絞って出てきたアイティアに興奮することとか、犬をだっこして眠りに就くときの幸福感とか、そういうものだ。当たり前のようにうまいものとか当たり前のように綺麗なものとかを選んでしまうと、これまで当たり前だった喜怒哀楽を失ってしまうに違いない。

きっと人生の途中から覚えるのがよくないのだ。生まれたときから知っていたなら、それはそれでちゃんと些細な幸福も得られるに違いない。おそらく家柄とか格差とかの本質とはそういうものなのだろう。ぼくはぼくのもって生まれた家柄と格に見合った生活をし、見合った幸福を感じるほうが良いのだ。そういう幸福の〈質〉についてはおそらく家柄や格によっては変わらないものなのだ。

この論理を学校教育に敷衍すれば、地域による格差とか学校による格差とかはそれほど大きなことではないように思えてくる。問題は同じ〈質〉の幸福感を感じさせること、になる。

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ぼくの気分にまでは届いてはくれないのだ

家の近くのスープカレー屋が気に入っている。具材の種類が多くてあっさりめのスープが、暑いときも寒いときも、暑くも寒くもないときも、雨が降って湿度の高さにうんざりするような日でさえおいしく感じさせるのである。

カウンターには、かつてぼくのクラスにいた教員人生で出逢った最もピンクな女子生徒の5、6年後のようなギャル風の女の子がいて、たった一人でそれほど大きくはない店の注文をとり、厨房の小窓から出てくるスープカレーを運ぶ。見かけに寄らずといっていいのか、彼女の使う敬語はすべて、見事に正しい。厨房にいるおそらくは店長の中年男が正しい敬語を教えたのか、これも想像しにくい彼女の厳格な両親が言葉遣いだけはとしっかりとしつけたのか、そのへんのところはぼくにはわからない。ただ彼女の敬語はその辺の教師よりもずっと正しく、驚いたことに「ら抜き言葉」さえないのだ。

ただしぼくは、このスープカレー屋にこの女の子目当てで通っているわけではない。だいいち4月から8月までぼくはこの店に7,8は通っていて、常に彼女が注文をとりカレーを運んできたにもかかわらず、そしてぼくは今日の昼食もこの店で食べ、同じように彼女と接したというのに、ぼくは彼女の顔をまったく想い出すことができない。確かにギャル風の像は浮かんでくる。少し長めの茶髪を後ろで縛った丸顔の輪郭もなんとなく浮かんではくる。でも、その像はのっぺらぼうで、目も鼻も口もないのだ。ただ客商売特有の口元のアルカイックスマイルの印象だけがある。

この店の唯一の不満は、ホットコーヒーがサーバーに入れっぱなしのセルフサービスであることだ。スープカレーにサービスとしてつく飲み物として、ホットコーヒーを選ぶ者はあまりいない。アイスチャイとかラッシーとかアップルジュースとかジンジャーエールとかそういうものが多い。これらの冷たい飲み物はセルフサービスでもおいしく飲める。でも、ホットコーヒーだけはおいしく飲めない。あまりにもそれを飲む人が少ないために、起きっぱなしのサーバーはコーヒーを少しずつ蒸発させ、煮込んでしまうのである。おそらく店長はコーヒーには興味がないのだろう。スープカレー屋の店長にとって、ギャルに敬語を教えられることとコーヒーの味を知っていることとのどちらが優先順位が高いのか、不明にしてぼくは知らない。

今日もまずいコーヒーをカップに注ぎにドリンクバーまで行くと、携帯電話が鳴った。見ると03から始まる見知らぬ電話番号だ。記憶にない。でも、東京からの電話だから仕事関係だろうと思って仕方なく出た。相手は、いまぼくのこのその出版社からの3冊目の本を担当している編集者だった。25日に着くように校正ゲラを送りたいのだが、何時にどこに送ればいいかとの問い合わせだった。

25日。木曜日である。ちょうど2学期の始業式の日だ。午後からは授業がない。もしかしたらぼくは年休をとって帰宅するかもしれないが、その確証もない。帰宅直後に不在連絡票を見て電話をかけるのも面倒だ。「この後はご自宅にいらっしゃいますか」と尋ねられて、ちょっと煙草を買いに行くということさえ封じられてしまう。ぼくはそれがいやでたまらないのだ。

「午前中に届くように学校に送ってください」とぼくは言った。どんなことがあろうと、病気か事故でない限り、25日の午前中は絶対に学校にいる。それが一番無難なのだ。

やれやれ。

ぼくには生活パターンが二種類ある。学校の仕事を中心にしているパターンと、原稿とか講演とかを中心にしているパターンだ。ぼくは夏休みをばりばりの後者で過ごしてきた。そして25日の始業式からばりばりの公務モードに切り替えようとしていた。それなのに、なんとも言いようがないことに、その始業式の日によりによって校正ゲラが届くというのだ。校正というのは届いてから締切までが1週間程度であることが多い。否が応にもやらなければならない仕事になる。

やれやれ。暑い日にも寒い日にも湿度の高い日にもおいしいスープカレーも、さすがにぼくのこうした気分だけは解消してくれなかった。ギャルの敬語もアルカイックスマイルも結局ぼくの気分にまでは届いてはくれないのだ。サービス業とはまさにそうしたものなのである。

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「資格がないのよ」と彼女は言った

「資格がないのよ!」

やっと12時になったから新聞でも読もうと休憩室に足を踏み入れた途端、彼女が一度口に入れた昼食のおかずを飛ばしながら言った。どうやら若い男の先生をつかまえて、弁当を食べがてら校長の横暴振りを愚痴っているらしいことだけは一瞬で理解できた。

彼女は社会を教えていて、若い男は体育。ちなみにぼくは国語である。夏休みの終わりの中学校の職員室なんて、こんな風なのだ。生徒や保護者とは一ヶ月近くもほとんど逢っていないし、逢っていたとしてもトラブルなんて起こらないから、悪口を言うとしたら管理職か同僚と相場が決まる。

彼女は何先生だったろう……。1ヶ月近くも逢うことのなかった彼女の名前をぼくは忘れかけている。一生懸命思い出そうとするのだが、思い出せない。

朝刊を見つけて彼女の斜め向かいに座ると、ぼくはソファに深く腰掛けて社会面を開いた。彼女がこの場でしゃべっていることは校長の横暴振りに負けないくらいに陰の横暴と言って良いと思うのだが、そんなことを言ったとしても彼女はほんの少しも理解できないだろう。ここでは新聞が読めないと諦めてぼくが立ち上がるまでの3分ほどの間に、彼女は「資格がないのよ」と6回言った。30秒に1回の割合だから、平均すると投手が1球投げ終わる間に3回言う計算になる。

「資格がない」と彼女は言う。おそらく人の上に立つ者としての資格だろう。平教員を何十人も従えて学校を運営するには度量が足りない。それが彼女の言い分なのだ。

しかし……と思う。度量に資格なんてあるのだろうか。どうすればその資格とやらを取ることができるのか。英語や書道やソシアル・ダンスの資格とはわけが違うのだ。あなたは校長としての度量を有する……そんな資格ペーパーなどあり得ない。もしあったとしたら、日本じゅうのすべての校長・教頭がその資格を取ろうと躍起になるはずである。ぼくはいまだに不明にしてそんな資格のあることを知らない。

そもそも、彼女もまた、人の上に立つ者として生徒たちの前に立っているのではなかったか。上か下かは議論になるにしても、おそらく彼女は彼女のクラスの生徒たちに対して、おそらくはぼくらの校長がぼくらに対してもっている影響力以上の影響力を行使しているはずだった。もしもその根拠を教員免許に置くなら、校長だって管理職試験に通っているのだ。そういう意味では他人に対する影響力行使の所以なんて同じようなものである。

そうした資格を問うてみても仕方がない。資格ペーパーの更新なんてものは、現実的にすれば意味をなくすし、実質を伴わせようとすれば誰も受からなくなる。そういうものなのだ。教員免許更新制に実質を伴わせようなんて考えてはいけないし、管理職試験に実質を伴わせようとも考えてはいけない。免許更新を本格的に教壇に立つ資格としてその基準を考え始めたら誰ひとり受からなくなる。それである程度の人たちは受かるようにと基準を下げはじめたら、あれもこれもと下げる理由が見つかって、結局、現行の免許更新に近づかざるを得まい。そういうものなのだ。

資格なんて問うものではない。人の親になる資格、結婚する資格、恋愛する資格、友達とこのまま友達であり続けるための資格……。校長の資格や教員の資格はこれらに近い。問われても困るのだ。教員であり続けるために数万円のお金と数十時間の時間をその対価として支払う、そのくらいがちょうど良いのである。そう考えれば、校長は宴会の度に「寸志」と書いて一万円を支払い、部下がトラブルを起こす度に自らの時間を削っていく。それだけで資格ありと言ってあげるのがいい。

結局、今日、ぼくは退勤まで彼女の名前を想い出すことができなかった。

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パネル・チャット

〈パネル・チャット〉は平成10年に全員参加型の交流システムとして、私が研究仲間とともに開発したものです。略称〈PCS〉(パネル・チャット・システム)といい、大まかにいえば次のような流れで行います。

①ある課題に対する生徒たち全員分の意見を色画用紙(=パネル)に書き、教室(できれば、普通教室二つ分程度の広い特別教室がふさわしい)の壁に掲示する。
※この際、一目でわかるように、意見の傾向別に色画用紙を色分けしておくとなお良い。

②20分程度の時間をとり、掲示されたパネルを読み合う。この時、自分が意見を述べたいパネルに対して、付箋に意見と氏名を書き込み、パネルの下に貼付する。この時間をアプローチ・タイムという。
※付箋の色は、賛成・補足意見を青に、疑問・質問を黄色に、反対意見をピンクに書くこととする。
※付箋は一人三枚以書くこととする。
※アプローチ・タイムは個人作業の時間とし、生徒同士の交流は一切禁止とする。
※一枚も付箋の貼られないパネルが出ないように配慮する。

③15分程度の時間をとり、自分のパネルの下に貼付された付箋を読む。その後、付箋によって自分に疑問や意見をくれた生徒のところに行き、疑問に答えたり最反論したりして、自分の意見を深める。これをフリー・ディスカッション・タイムという。

④自席に戻り、アプローチ・タイム、フリー・ディスカッション・タイムで深められた自分の意見を課題に即して記述する。

たったこれだけの交流システムです。次のような利点があります。

第一に、生徒たち全員分のパネルが全員に公開されているため、誰もがどの意見に対しても働きかけることができる、という点です。〈PCS〉は、一度に四十の意見に対して、四十人がスクランブルに働きかけられるシステムになっています。

第二に、アプローチ・タイムやフリー・ディスカッション・タイムにおいて、すべての生徒たちが同時に交流や議論を行える、という点です。これは従来型の授業はもちろん、〈ペア学習〉や〈ファシリテーション〉にもない利点といえます。

第三に、フリー・ディスカッション・タイムにおいて、生徒たち全員が自分のパネルに対する意見について、あくまで自分の問題意識に従って深めることができる、という点です。通常、話し合いや討論、交流活動というものは、ペアであろうと四人であろうと一斉授業であろうと、その瞬間瞬間には一つの論題・一つの意見しか検討の俎上に載せられません。ということは、その瞬間瞬間には俎上に昇っている論題に対して興味を抱いていない生徒がいる可能性がある、ということです。これに対して、〈PCS〉は生徒たちがそれぞれ自分の興味・関心に従って議論することができます。いくら自分に貼られた付箋とはいえ、自分が議論したくない論題である場合には議論しないことが許されるのです。これも〈ペア学習〉や〈ファシリテーション〉にもない利点といえます。

第四に、フリー・ディスカッション・タイムの意見交換は、生徒たち全員が自らの問題意識に基づいて対話しているため、話し合いや討論にありがちな成績上位者のみの意見交換に陥らない、ということです。〈PCS〉は成績上位者は成績上位者なりに、成績下位者は成績下位者なりに誰に臆することもなく発言し交流することができるシステムになっています。

第五に、アプローチ・タイム、フリー・ディスカッション・タイムともに教師の自由がきくため、学習活動に難のある生徒、特別な支援を要する生徒に対して個別指導する時間として使える、ということです。

〈PCS〉は〈ワールド・カフェ〉同様、人数制限がありません。学年集会や全校集会でも応用が可能です。学年集会で一つのテーマについて交流することによって、個々人の意見を深めようという場合に効果的なアイテムです。

また、一単位時間での活用ではなく、パネルを一週間ほど廊下掲示し、情報をもっている生徒・保護者・教員から参考意見をもらうのにも適しています。例えば、「総合的な学習の時間」において個人課題をつくる場合に、全員がその課題をパネルとして廊下掲示します。一週間の間に参考意見を募集します。「その課題ならこういう方法があるよ」「その課題にはこういう書物があるよ」といった情報を様々な人たちからもらえるわけです。

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STEVIE WONDERを聴きながら眠りに就いたら真夜中にこんな夢を見た

ぼくが納豆をかき混ぜていると、ラジオからスティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」が静かに流れ出した。納豆ひとパックにキムチを箸で二つまみ、それをかき混ぜると素敵な食べ物ができあがるのに、広く知られていないのは国民的損失の一つだと思う。夏にはほんのちよっとだけポン酢をたらすのもいい。

それを肴に日本酒を二合呑むのもいいし、イカやマグロの安いお刺身をスーパーで買ってきてソースにしてもいい。醤油もワサビも不要、これ以上ないという完璧なソースに早変わりする。こんなにおいしいのに妻はソースとは認めてくれない。たぶん美空ひばりならあの眉毛をグイと上げて、あら、いけるじゃない、と言ってくれそうなのに。八千草薫なら目を見開いて柔らかい笑顔を向けてくれるかもしれない。そんな確信さえ抱かせるキムチ納豆である。

キムチ納豆をしつこくかき混ぜると、表面にうすーい膜ができる。男性が五十を超えて、その狡猾さや懐の深さに見合ったものを身につけるために必要そうな膜だ。男性は五十を超えて立場をもつと、まるで社会を代表するかのような表情を見せるようになる。四十男はくだらないことでいつも大笑いしているのに、五十男はまるで笑うことが自分を貶めるとでも思っているかのように笑わなくなる。きっと笑わないことが自分の威厳を高めるのだと勘違いするのだろう。でも総じて部下に好かれる五十男は大笑いする人が多い。こんな単純なことにも気づけなくなってしまうほどに、この病気は根が深い。

男性は五十になると、きっと脳にキムチ納豆のようなうすーい膜が少しずつ現れて、脳の笑いを司る働きをする丸い部分を包んでしまい、働きをにぶらせてしまうのだ。そしてその膜ができて地位を得ると、その膜が少しずつ変色してくる。腐った肝臓みたいに紫色になってきくる。五十になっても笑いを捨てない男性がいるのはそのせいだ。膜ができるのに抗うことはできないけれど、変色には抗うことができる。

きっと紫色に変色した膜は脳卒中の危険性を著しく高めるのだろう。喫煙者は非喫煙者より脳卒中になる危険性が1.7倍高いらしいけれど、きっとこの膜の変色者は非変色者より脳卒中になる危険性が5.3倍ほど高いに違いない。

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みんなみんな許せるから不思議だ

トイレに行こうと廊下に出ると飼い犬のミニチュアダックスがまともに歩けないくらいにまとわりついてくる。トリミングをしたばかりだから、耳のつけ根にかんざしのような飾りがついている。ピコには女の子だから赤、ボウには男の子だから緑、かんざしがそんな月並みな主張をしていた。こういう月並みさがウケることくらいぼくだって知っている。

でも、一日の最後に犬がまとわりついてくると、今日トリミングの受付にずいぶんと待たされたことも、母の見舞いに行った病院でエレベーターにずいぶんと待たされたことも、せっかく休暇までとって行った床屋が休みだったことも、歯医者に行き忘れたことも、スーパーの1Fの駐車場が満車だったことも、せっかく借りてきた「相棒 劇場版Ⅱ」が期待はずれだったことも、明日からはさすがに出勤しなければならないことも、一日中ベランダを直す大工さんの金槌の音に閉口したことも、みんなみんな許せるから不思議だ。

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なんだかんだ言ってもこの国はまだまだ豊かなのだ

回転寿司で「こぼれいくら」というのを頼んだら、わっしょいわっしょいと美空ひばりのような大さわぎになった。ホール係と寿司職人全員がわっしょい。女の子にいたっては鳴子までカチカチとやる念の入れようだ。

わっしょいにあわせて目の前に置かれた軍艦にいくらが積まれる。三度目のわっしょいからはこぼれはじめる。四度目で軍艦を載せたゲタからもこぼれてしまう。お客さん全員の注目の中、五度目のわっしょいで騒ぎが終わった。

しゃりの米つぶの数といくらの粒の数はどちらが多いだろう……さわぎに興味のないぼくはそんなことを考えていた。このさわぎにおける無駄を指摘せよという出題に、ぼくは1分間で15個くらいは箇条書きできそうだった。

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東京紀行

18日(木)。仕事術に関する研究会議。野中先生とか、長瀬くんとか、久し振りに逢う人もいれば、つい最近逢ったばかりだというのにまた同じ時間を共有することになった合田さん、Y本くんとかS本くんのようにTWITTERで知り合った人とまみえたということもあり、更にはS山くんのように噂に聞いていた人と会ったりもした。夜は懇親会。かつてお世話になった若手編集者に初めて会うことができ、しかも彼女のノリが激しくて(激しすぎて)楽しかった。なんと彼女はもみじ台中学校出身だという。

19日(金)。昨日に引き続きの会議。14時終了。一度ホテルに戻って読みかけの東野圭吾を読み終えて、夕方から須貝先生、丹藤さん、知也さん、人見さん、そして和夫先生と、メチャクチャ楽しい呑み会。ブログには書けないことばかり。ちょっと経験したことのないタイプの呑み会だった。

20日(土)。東京都の中学国語教員の私的な会に参加。宮城さん、平川さんともこの会で1年振りの再会。千田先生とも初めてお逢いする。これ以上は名前は伏せるけれど、学生さんや指導主事さんなどおもしろい人がたくさんいた。17時過ぎから懇親会。ブログには書けない話題ばかり。宮城さん、人見さんとは23時過ぎまでファシリテーションの効用について議論。

21日(日)。朝から村上春樹の短編を1編。羽田に向かいながらもう1編。機上で更に2編。空港から自宅まで思案。久し振りの普通の夕食。おいしい。胃が疲れているようだ。休肝日。

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あり得ない衝撃

空港から自宅まで高速を飛ばした。ふと思い立ってラジオをつけると、ちょうどサザンの「Hello My Love」が流れている。ついついアクセルを踏む右足にも力が入る。それほど好きな曲というわけでもないのに気持ちが高揚してくるのを感じる。これはまずいと、意識的にメーターを気にし出した。

100キロ前後で安定するように、2000回転で安定するように、そんなことを考え出すと、自分が分解されていくのを感じる。脳味噌はメーターに接続され、末梢神経は「Hello My Love」に接続され、久し振りのアイデンティティ拡散を自覚しながらも、景色は安定的に後ろに流れていく。周りの車もみんな同じ速度で、車線変更もいらない。イライラにまかせて追い越すこともなければ、無理な追い越しをかけられてイラつくこともない。

ぼくという人間が愛車を通じて世界と調和している。

そんなフレーズが頭に浮かび上がった瞬間、ぼくと世界は完全な齟齬を来した。世界の〈完璧な調和〉がガリガリ、ガガガと崩れた。快適に走り続けている高架道路が、50メートル前方(それも100キロで進み続けている50メートル前である)から突如消えてしまったかのような衝撃を受けた。

交通事故にでも遭ったのかと思うかも知れない。でも、そんなことじゃない。ぼくに衝撃を与えた主はラジオである。ラジオのDJである。いや、正確にはラジオというもののあくまでも一般化され普遍化された慣習であり、構成であり、構造である。

「Hello My Love」が軽快にフェイドアウトしたまさに1.5秒後、なんとその番組の女性DJがしゃべりだしだ。いかがでしたか、みなさん、桑田佳祐さんは……。

あり得ない。

ぼくの中に無意識に根を下ろしてしまった感覚。「Hello My Love」のフェイドアウト後は、2.77秒後に激しいピアノ音とともに「My Foreplay Music」が始まらねばならないのだ。それ以外の選択肢はない。おそらくは何百回と聴きづけたサザンの名盤「ステレオ太陽族」がぼくの中にこのプログラムをインストールしてしまっていたのである。きっと生涯アンインストールできない、もはやぼくの一部となってしまっているといって良い感覚……。

「Hello My Love」は、決して「Hello My Love」という1曲ではない。あの、ちょっとメロウな前奏が流れ始めた瞬間、ぼくがそこに聴いているのは「Hello My Love」という1曲ではなく、「ステレオ太陽族」というサザンの名盤であり、あのアルバムの見事な構成であり、おそらくはその間に数百回は聴いたと思われるぼくの中学校後半から高校あたりまでの数年間の形象なのだ。「Hello My Love」の前奏が流れた瞬間、ぼくはかつて自分が「ステレオ太陽族」というアルバムに寄せたすべての想いを同時に体感しているのである。

そういえば、このアルバムをLPからCDへと買い換えたとき、A面からB面へと返す、ぼくがぼくの責任においてつくるはずの間を、勝手に他の曲間と同じ間に矯正されて大きな違和感を覚えたことがあったっけ。いかなるものにおいても、最初の経験、というよりも最初の体感というものは、しかもあまりにも繰り返して強化された体感というものは、数十年の時を隔ててもなんら減退することも減衰することもなく、自分という存在になくなてはならないものとして一体化してしまっているようだ。

思えば、「My Foreplay Music」はぼくにいろんな語彙をもたらしてくれた。その多くは日常生活ではほとんど使うことがないのだが、それでも「刹那」とか「溶ろける」とか「ナイトキャップ」とか「スコッチ」とか「ベーゼ」とか、ぼくは自分にとってこの曲を起源とする語彙をそれなりに具体的に思い起こすことができる。ちょうど、ぼくの世代が最もサザンの影響を受けている世代であるはずだ。

サザンのデビューは1978年。ぼくは小学校6年生だった。一見、サザンと同世代の人たちのほうがその影響を色濃く受けていそうに思われるけれど、実はそうではない。同世代の人たちはそれ以前からさまざまな音楽を聴き、さまざまな語彙をもっていた。それとの比較としてサザンを受け止めたはずである。しかし、ぼくらの世代はそれ以前に聴いていた音楽などピンクレディとキャンディーズくらいのもので、いわばサザンによって無垢をサザン色に染められたのである。その後、いかなる音楽を聴いてもそれは桑田佳祐というフィルターのもとに認識せざるを得なかった。ビリー・ジョエル以降の音楽はすべて桑田との対照で理解された。いや、遡って聴いたボブ・ディランやビートルズさえ桑田との対照で聴くことしかできなかった世代なのだ。これを前世代は不幸なことだというだろうが、他の世代にどう見えようが、それは我々が生まれたときに親を選べなかったことと同様の構図でしかないのであり、ぼくらの責任ではない。

以後、30年余り。この思春期から四十代半ばに至るまで、トップを君臨し続けているのは各界を見回しても、桑田佳祐・村上春樹・ビートたけしの3人だけである。他にはいない。誰一人いない。その候補さえ浮かばない。あの、この国に豊かさが完成して時代に社会との小競り合いからに勝利し、バブルを駆け抜け、失われた十年においても失われず、望まないことを善とする時代に至るまで、トップに君臨し続けているのは、3人だけである。

政治家なんて彼らの足下にも及ばない。中曽根康弘も小泉純一郎もその影響力において彼らには適わない。細川護煕も政権交代も瞬間的には彼ら以上の沸点を示したかもしれないが、彼ら3人とは比べるべくもない。30年間トップであり続けている政治家は強いてあげれば石原慎太郎だが、ここ十数年、その影響力は都知事としてのものであり全国的なものではない。

作家もそうだ。村上春樹以上の瞬間風速を示した作家はいたけれど、森村誠一も赤川次郎も村上春樹の足下にも及ばない。東野圭吾だってきっと30年はもたないだろう。当時はニューアカブームの中、村上龍・島田雅彦・小林恭二・吉本ばななと対抗馬はいっぱいいたけれど、いまとなっては対比しようなどと考えること自体が村上春樹に失礼である。音楽では強いてあげるなら、桑田の対抗馬として候補になるものは阿久悠くらいだが、もう勝負はついてしまった。

ぼくらこそがおそらく彼ら3人の純粋培養世代なのだろう。

もちろん、ぼくらの後続世代にも彼らに影響を受けた人はたくさんいるだろう。でも、彼らは決して「われらパープー仲間」と「ラッパとおじさん」の間にある趣を理解できないし、「ワーンダーランド」や「クロニクル」や「1Q84」による青春期は「風の歌を…」や「1973年の…」や「羊男の…」による青春期と同じ影響力を持ち得ない。

高速道路で衝撃を受けてから、自宅に着くまでの25分間ほど、ぼくが考えたのはこんなことだった。

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ギャラリー・トーク

〈ギャラリー・トーク〉とはもともと、美術館や博物館などで美術的知識や博物学的知識などに囚われず、展示品の前で数人の鑑賞者がああでもないこうでもない解釈し合い鑑賞し合うことによって、展示品から喚起される美意識を共有化するという鑑賞の手法を指します。従って、学校教育でも美術とか図工とか技術・家庭とか、作品のある教科で早くから導入されていました。

しかし、私がここで言う〈ギャラリー・トーク〉はこうした一般的な〈ギャラリー・トーク〉とは一線を画します。小集団で鑑賞しながら話し合いの題材とするのはFG、即ち〈ファシリテーション・グラフィック〉なのです。

基本的に話し合い活動・交流活動の流れ自体は〈ワールド・カフェ〉と同じと考えていただいてけっこうです。ただし、〈ワールド・カフェ〉との最大の違いは、すべての交流を立って行うということです。模造紙もあらかじめグループ分、壁に貼ってあって、すべての話し合い・交流は壁で行われます。時間は二単位時間以上、つまり、中学校ならば100分以上を基本とします。

①テーマが提示され、そのテーマに対するアイディアを生徒個々が三点以上箇条書きする。その際、一切相談をせず、時間は3分程度を目処とする。

②四人で一グループを構成し、壁に貼られた模造紙一枚とペン(8色ワンセット)で四人が自由にいたずら書きをしながら話し合う。この際、最後にその模造紙をプレゼンテーション・ツールとして用いることを基本とする。すべての人が壁に貼った模造紙に書くので、〈ワールド・カフェ〉と違って上下が乱れるということがない。時間は20分程度を目処とする。

③四人のうち一人をホストとしてその模造紙前に残し、あとの三人はそれぞれ別々のグループに移動する。その際、移動した三人は他のグループで得た情報を自分のこれまでのグループに持ち帰ることになるので、責任が重いと告げておく。

④各グループのホストがそのグループでこれまで行われた話し合いを報告する。その後、他の三人が順に自分のテーブルで行われた交流内容のうち、いまのホストの話と重ならない部分についてのみ報告し、更に話し合いを深める。この際、模造紙には自由に書き足して良い。時間は15分程度を目処とする。〈グループ・ディスカッション〉や〈ワールド・カフェ〉に慣れているので、15分あればかなり活発な議論が展開される。

⑤もとのグループに戻り、四人ですべての模造紙前に行って、その内容を見ながら自分たちに足りない議論がないかという視点を中心におしゃべりをする。その際、ホスト以外の三人は自分が④で参加したグループの模造紙について、自分が話し合いに参加したときに感じたことを含めて詳しく説明していく。この時間には、模造紙への書き込みはしない。

※この時間は教師が全体を一斉に動かす。「では右回りで移動します。一つの模造紙前でおしゃべりするのは三分とします。では、スタート!」と始めて、「三分です。移動してください」という指示を一回りするまで繰り返す。つまり、グループが10グループあれば約30分かかるということである。

⑥すべての模造紙の内容を見終えて、自分のもとのグループの場所に戻ってきた時点で、他のグループによって触発された新たな知見、新たな観点で足りないことを補うとともに、内容を再構成して、自分たちのグループの意見をまとめていく。時間は20分程度を目処とする。

⑦時間があれば、各グループがプレゼンをする。時間がなければ、模造紙を一週間程度掲示して、付箋紙で感想のやりとりをする。

※私がよく採る方法は、掲示された模造紙に付箋を貼らせる方法。廊下に掲示すれば他学級の生徒や教科担任の教師、管理職や保護者から感想がもらえる。感想を書く場合には必ず記名するように促す。無責任にさせないためというよりも、感想をもらった側がもっと詳しく聞きたいというときに聞きに行けるように。

以上からおわかりように、私にとって〈ギャラリー・トーク〉は、〈ワールド・カフェ〉の発展型として位置づけられています。〈ギャラリー・トーク型ワールド・カフェ〉といった趣です。

〈ワールド・カフェ〉の途中に〈ギャラリー・トーク〉を入れることには多くの効果があります。グループでの情報収集が常にレコーディングを媒介するために具体的になること、ファシリテーション・グラフィックの機能や技術にも話が及ぶこと、いっしょに移動するという活動が〈ワールド・カフェ〉以上にグループの一体感を醸成すること、などなどです。〈ワールド・カフェ〉以上に生徒たちがノること請け合いのアイテムです。

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学級づくりを学び合う会

学級づくりを学び合う会/特別編/9/3 NOCプラザへ!

新潟初 野中信行/大好評 堀 裕嗣

北海道VS新潟・授業対決!

2学期がスタートしました。新学期を迎えて、様々な思いを胸に教壇に立たれていることと思います。2学期は、学級が変わるときです。1学期が種まきとすると、2学期は勢いよく伸びるときです。そのエネルギーをどのように方向付けたらいいでしょうか。また、思ったようにエンジンがかからない場合もあろうかと思います。そんなときはどうしたらいいのでしょうか。「定常的な学びの場」として、継続的な学びを続けてきたこの会ですが、半年継続記念の意味を込めてスペシャルゲストをお招きして開催します。2学期を実り多い時間にするための情報満載です。

今回は、あの「3・7・30の法則」「味噌汁・ご飯の授業」の野中信行先生、そして毎回の来県で超重量級旋風を巻き起こす、教育改革リーダー堀裕嗣先生の超豪華講師陣。それに加え、堀先生が引き連れる北の強烈教師トリオとそれを迎え撃つ実力派新潟教師トリオの授業対決もあります。これは見逃せません。

1 日 時 9月3日(土)10:00~17:00

2 場 所 協同組合 新潟卸センター(NOCプラザ)〒950-8756 新潟市東区卸新町2-853-3

3 プログラム
9:30~ 受付け
10:00~10:15 ご挨拶・趣旨説明
10:15~11:15 講座1「教育のこれまでを踏まえこれからを見据える」 堀 裕嗣
11:30~12:30 講座2「日常を磨き上げ特別なレベルにする」 野中信行
13:15~13:40 模擬授業1
13:40~14:05 模擬授業2
14:05~14:15 講評
14:30~14:55 模擬授業3
14:55~15:20 模擬授業4
15:20~15:30 講評
15:45~16:10 模擬授業5
16:10~16:35 模擬授業6
16:35~16:45 講評

4 その他
・ 終了後は、講師や授業者を囲んで懇親会を予定しています。よそでは聞けない話のオンパレードの時間になります。ふるってご参加ください。

5 申し込み・お問い合わせ メールでお願いします。(定員50名)
「お名前」「ご所属」「懇親会の参加希望の有無」
akasaka@juen.ac.jp(赤坂真二)

のなかのぶゆき 1947年佐賀県生まれ。 1971年、佐賀大学教育学部卒業後、横浜市で、教師生活を37年間おくる。現在、初任者指導教師として初任者の指導にあたっている。骨太の思想と磨き抜かれた技術を伝える講座は各地で人気。(著書)「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」(学事出版、「野中信行のブログ教師塾~『現場』を生き抜くということ」(学事出版)など多数。

ほりひろつぐ 1992年に国語教育研究サークル「研究集団ことのは」設立。2004年北海道教育大学札幌校・岩見沢校修士課程修了。札幌市立向陵中学校教諭。その膨大な研究量と圧倒的な実践力で各方面から注目を集める。(著書)「学級経営10の原理・100の原則」(学事出版)「生徒・保護者にわかりやすい絶対評価の通知表」(シリーズ)など多数。

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ワールド・カフェ

2010年頃から教育現場にも本格的にファシリテーションの技法が導入され始め、現在、爆発的に流行しつつあります。ファシリテーションの形態には様々ありますが、私は教育現場への導入に最も適しているのは〈ワールド・カフェ〉だと考えています。①数あるファシリテーションのバリエーションにおいて最もシステマティックな形態であること、②45~50分という学校現場の一単位時間、或いは2時間続きの90~100分という単位時間でワンセットを終えられること、この二つの理由によります。

〈ワールド・カフェ〉は、4~5人のグループで組み合わせを変えながら話し合いや交流を行うことによって、あたかもカフェにいるような安心できる雰囲気の中で、ネットワークを築きながら場の一体感を醸成しつつ、主体的で創造的な話し合いをつくるためのファシリテーションの一種です。

私は正直なところ、本格的な〈ワールド・カフェ〉を行おうと思えば3時間を基本とすべきだと考えていますが、ここでは中学校の一単位時間、即ち50分で行える〈ワールド・カフェ〉を紹介しながら、〈ワールド・カフェ〉の機能と魅力について述べていくことにしましょう。私が陰で〈クラスルーム・カフェ〉と呼んでいる形態です。

まずテーマです。教室で行う〈ワールド・カフェ〉のテーマには二つの条件があります。

一つは生徒たちが当事者意識をもって取り組めるテーマであるとともに、ある種の公共性をもつテーマであること。つまり、生徒たちにとって公的な切実感があるということです。私は「いじめをなくすためには」とか「コミュニケーション能力を高めるには」とか「人を楽しませる言動の基本原則」とかいったテーマでよく行います。恋愛とか友情とかも切実なテーマですが、こうしたテーマはわざわざ特別活動で取り上げなくても自分たちで日常的にやっていることなので、また、一部の生徒たちが抵抗を示す場合が多いので避けることにしています。

もう一つは、生徒たち全員がフラットな関係で取り組めるテーマであること。例えば、「短い時間で確実に成果をあげる家庭学習とは」などというテーマは確かに切実感も公共性もありますが、どうしても成績の良い生徒がリードするタイプの交流になってしまい、〈ワールド・カフェ〉にはふさわしくありません。こうしたタイプの交流は〈ブレイン・ストーミング〉から〈KJ法〉へという流れが適しているのではないでしょうか。

さて、私は学級での一単位時間の〈ワールド・カフェ〉を基本的に次のように行います。

①テーマが提示され、そのテーマに対するアイディアを生徒個々が三点以上箇条書きする。その際、一切相談をせず、時間は3分程度を目処とする。

②四人で一グループを構成し、模造紙一枚とペン(8色ワンセット)で四人が自由にいたずら書きをしながら話し合う。この際、最後にその模造紙をプレゼンテーション・ツールとして  用いるか否かを明示しておく。一時間だとプレゼンの時間はないことが多いので、本当にいたずら書きとして使用させることが多い。時間は15分程度を目処とする。

③四人のうち一人をホストとしてそのテーブルに残し、あとの三人はそれぞれ別々のテーブルに移動する。その際、移動した三人は他のテーブルで得た情報を自分のこれまでのテーブルに持ち帰ることになるので、責任が重いと告げておく。

④各テーブルのホストがそのテーブルでこれまで行われた話し合いを報告する。その後、他の三人が順に自分のテーブルで行われた交流内容のうち、いまのホストの話と重ならない部分についてのみ報告し、更に話し合いを深める。この際、模造紙には自由に書き足して良い。時間は10分程度を目処とする。前に述べた〈グループ・ディスカッション〉に慣れていることがこの時間を有効に使うための条件となる。

⑤もとのグループに戻り、まず他グループに行っていた三人、ホストの順で②の時間に出なかった話題、新しい知見・観点について報告する。その後、自分たちのグループの意見をまとめて  いく。時間は15分程度を目処とする。

⑥最後に5分程度、全員が立ち歩きながら、おしゃべり可で模造紙を見合う時間を設定する。

50分の一単位時間で行うのにはこれが限界です。この流れを基本としながら、二時間あるのであれば各グループの発表の時間を設け、三時間あるのであればそれぞれの交流時間を10~15分ずつ延長していくことになります。

二時間続きの「総合的な学習の時間」に学年集会形式で体育館で行ったり、道徳の話し合いに用いることもできます。

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ブレイン・ストーミング

これまでは、どちらかというと〈深める〉タイプの交流活動について述べてきました。しかし、交流活動は〈深める〉ベクトルばかりでなく、〈広める〉というベクトルもあります。話し合いは一般に、最初はアイディアをどんどん出し合うことから始めて、そこから機能性や妥当性、現実性などを検討し、できれば複数のアイディアを融合しながら合意形成を図っていくものです。いわゆる〈拡散〉と〈収束〉です。

〈ブレイン・ストーミング〉は、〈拡散〉の段階における有効なアイテムです。ごくごく簡単に言うと、突飛なアイディアや粗野なアイディアも認めながら集団でアイディアを出し合い、他の人のアイディアに触発されたり参考にしたりしながら、最終的にはアイディアのブレイクスルーを期待する交流活動の一種です。学級活動では、学級目標づくりや学級組織づくり(どんな係が必要かの検討)、文化祭・学校祭の企画など、学級会で普通にアイディアを出し合っていたのではなかなか広い視野からものを考えるのが難しい、そういうタイプの話し合いにおいて、〈拡散〉段階でアイディアをリストアップするのに適しています。

例えば、文化祭のアイディアを出し合う〈ブレイン・ストーミング〉を行うとします。前日のうちに「明日は文化祭のアイディアを出し合うブレイン・ストーミングをするからね」と予告しておくことが大切です。いくら生徒たちが柔軟な発想をもっているからといっても、急に思いついたことを言えと言われたのではなかなか良いアイディアなど浮かびません。むしろおとなしめの生徒たちが引いてしまいます。これは避けなければなりません。

私の場合、①学級全体の出し物企画としておもしろそうだというアイディアを三つ以上、②文化祭で披露したらおもしろそうな、学級内の個人がもっている得意技を三つ以上、思いつきで良いから考えておいで、と言うことにしています。要するに、巨視的な視点で三つ、微視的な視点てぜ三つの計六つを考えておいでと宿題を出すわけです。

こうしておけば、生徒たちは事前に考えることができ、いざ〈ブレイン・ストーミング〉というときに戸惑うことがなくなります。予告せずに行おうとすると、まじめな生徒ほど自分がアイディアを出せないことに戸惑い、焦り始め、最終的には文化祭への意欲が減退してしまう……そんなことになりかねません。使用上の注意として、学級担任にはこうした配慮が必要です。

〈ブレイン・ストーミング〉を行う場合、私はその後の展開を考えて8人で取り組ませることにしています。〈ブレイン・ストーミング〉はあくまでも〈拡散〉思考のアイテムです。非現実的なものから現実的なものまで、或いは粗野なものからじっくり考えたものまで、とにかくリストアップしてみることが目的です。とすれば、その後には必ず〈収束〉の〈ディスカッション〉がもたれるわけです。その〈収束〉の〈ディスカッション〉は、原則として4人で行うことにしています。なぜ4人で行うのかについては、〈グループ・ディスカッション〉の項で詳しく述べたのでここでは省略しますが、この〈収束〉段階の〈ディスカッション〉を行う4人グループへとすぐに移行できるように、〈ブレイン・ストーミング〉を8人で行うことを基本としているわけです。

生徒たちはグルーブができ次第、すぐに活発にアイディアを出し合います。8人が順に一つずつアイディアを言っていき、アイディアが出なくなるまでそれを続けます。

基本的なルールは四つです。

①いかなるアイディアも絶対に否定しないし、馬鹿にもしない。

②アイディアを出し合う上では、質よりも量を求める。

③これまでに出たアイディアをもじったり、これまでに出た二つのアイディアを融合したりすることを奨励する。

④ブレイン・ストーミングの段階では結論を急がず、求めず、より多くのアイディアをリストアップすることに徹する。

この四つのルールを参加者全員が厳守し、楽しい雰囲気で行うのがコツです。

特にルール③が重要です。①②④はルールとして徹底すればできることですが、③のアイディアのもじりや融合はその場の空気が支配するという傾向があります。つまり、楽しい雰囲気で〈ブレイン・ストーミング〉が行われて入れば、新たなもじりアイディアや融合アイディアがたくさん出ます。中には質の高いアイディアさえどんどん出てきます。しかし、ノリの悪い雰囲気で行われる場合には、そうしたアイディアがほとんど出ません。担任として最も気を遣うのがこの雰囲気づくりになります。

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ロールプレイ・ディスカッション

〈マイクロ・ディベート〉によって、生徒たちが二つの視点から物事を捉えることに慣れてきたら、次に必要なのは〈ロールプレイ・ディスカッション〉です。〈ロールプレイ・ディスカッション〉という語は聞き慣れない語だなあとお思いの読者がいらっしゃるかも知れません。聞き慣れないのは当然です。私の造語ですから。意味は文字通り、〈ロールプレイ〉を通して〈ディスカッション〉することです。

みなさんは「模擬裁判」をご存知だろうと思います。裁判官・検察側・弁護側・被告人・証人・被害者遺族等の役割演技をしながら、裁判の在り方について検討したり、事件そのものについて検討したり、或いは思考の枠組みの在り方について検討したりするのに用いられる手法です。 〈ロールプレイ・ディスカッション〉はこの「模擬裁判」に似ています。つまり、様々な役割演技をしながら〈ディスカッション〉することによって、様々な立場による物事に対する捉え方の違いを検討したり、思考の枠組みの在り方について検討したりするための〈ディスカッション〉の一形態ということになります。

私の場合、〈ロールプレイ・ディスカッション〉は二人一組から始めます。最初は例えば、一方が親、もう一方が子どもという役割を担って、子どもの「あれ買って、これ買って」という要求を親が瞬時にあしらい続ける、というような遊び感覚のものから始めます。携帯電話を初めとするパーソナル・メディアをねだるとか、流行りの服を買ってもらおうなどという要求をするわけですね。時間は1分半。終わったら交代します。二人が双方の役割演技を終えたところで、じっくりと〈シェアリング〉をします。どういう受け答えが子どもの反感を買ったか、どうすれば説得力が増したか、そんなことを話し合います。しかし、話し合っているうちに、「うちのお母さんったらねえ……」とか「うちのお父さんはねえ……」とかいった、お互いの両親に対する愛着あふれる品評会になっていきます。これが二人の間に温かい空気を醸成していきます。

次は男女各二人ずつ4人グループ。二人一組で行うのは同じですが、残りの二人が観察者として二人のやりとりを見ています。しかも、同性同士の母と娘の場合と異性同士の父と娘の場合を比較したり、父と息子、母と息子の場合を比較したりということが可能になります。シェアリングは大盛り上がりです。

〈マイクロ・ディベート〉の項でも述べましたが、生徒たちは自ら視座を超えるようなものの見方・考え方があり得るということをなかなか実感することができません。友人同士においては相手を傷つけないような言動を心がけたり、ある種のキャラクターを演じて友人を楽しませたりということを日常的に行っているのですが、公的な場面、公的な課題について議論する場になると途端に独善的な判断で独善的な主張を展開する、ということになりがちです。

〈ロールプレイ・ディスカッション〉はこのような生徒たちの実態に一石を投じる手法です。なんらかの役割を担って演技してみることによって、その立場になって思考してみるという体験を重ねることで視野を広げます。また、〈ロールプレイ〉のあとにじっくりと〈シェアリング〉を行うことによって、ものの見方・考え方の視点を学び合いながら、立場や考え方の違いによる多角的な視点の必要性について自ら気づいていく構造をもっています。いわば、二重に〈メタ認知〉を促す構造をもっているわけです。

例えば、道徳の時間。いじめ自殺が報道されたときに、その記事を複数集めて報道内容を共通理解したうえで、担任教師・被害者の保護者子・加害者の保護者・傍観者の保護者の4つの役割を担って〈ディスカッション〉をします。それも、役割を交代して何度も行う。更にはメンバーを変えてもうワンセット行う。こういう体験が生徒たちの〈メタ認知能力〉を鍛えるとともに、ともに話し合い、理解し合うことが大切であるという雰囲気を醸成していきます。

もちろん現実的には、〈ロールプレイ・ディスカッション〉で議論される内容が、当初は本質的なことに届かない、浅い内容になることも決して少なくありません。しかし、そういう場合、生徒たちも自分たちの議論が浅いということに直感的に気づいていることが多いのです。生徒たちの中に「これではいけない」という雰囲気が生まれます。

実はここがポイントです。いじめ自殺に関する書籍を与えたり、或いはPC室で情報を収集させたりといった活動へと発展させていきます。こうした調べ学習は生徒たちにとって意欲が喚起されているだけに大きく機能します。調べ学習の後に再び行われる〈ロールプレイ・ディスカッション〉は、矛盾をはらんだ解決の難しい問題であるという前提のもと、大人顔負けの議論が展開されるようになります。

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チーム力で信頼関係の構築を

「総合教育技術」5月号の原稿です。

一 学級経営は相対的に評価される

学級経営は相対的に評価される─これは私の持論です。

教師は学級経営において担任である自分と担任している生徒たちとの関係ばかりを気にしています。その関係が保護者の信頼を決めると。しかし、生徒や保護者は決して担任教師ばかりを見ているのではありません。生徒も保護者も常に隣の担任と比べて自分の担任はどうか、お兄ちゃんのときの担任と比べて妹の担任はどうか、こういう目で見ているのです。しかも、隣の芝生が青く見えるのは世の常。中学校では、職員室や学年団が同一歩調をとらねばならないとよくいわれますが、その理由の一番はこれです。

例えば、あなたが学級通信を週に一回、金曜日に発行するとします。あなたとしてはけっこう頑張って発行しているつもりです。しかし、隣の学級の担任が毎日発行しているとしたら、あなたの学級通信は少なくとも発行回数に関する限り、生徒にも保護者にもほとんど評価されることはありません。「うちの担任も毎日発行してくれないかしら……」になります。逆にいうと、自らが良かれと思って日刊で学級通信を発行することが、無意識のうちに隣の学級にマイナスに機能している、ということがあり得るということでもあります。

学級通信を例に挙げましたが、事は学級通信に止まりません。給食指導の仕方、清掃指導の仕方、生徒指導の在り方から保護者懇談会の持ち方、通知表所見の書き方に至るまで、すべてが相対的に評価されているのです。

二 チームで動く時代が到来した

学級担任として頑張ることは大切なことですが、それは他の担任とのバランスを考えて行われなければなりません。言い換えるならば、学級経営を学級経営の視点だけで考えずに、常に学年経営や学校経営と連動させて考えなければならない、ということです。学級経営の手法についてさえ、学年や職員室でよく話し合い、学年・学校として一貫した指導を心がけることが何よりも必要になっているのです。

現在、時代の流れで生徒・保護者の価値観は多様化しています。Aの正義はBの正義でなく、Cの利益がDの不利益になる、ということがよくあります。学級担任一人の価値観によって、何らかのアイディアを採用したとしても、それは生徒・保護者の一部には機能したとしても、全体に機能するということはあり得ません。小さな片々のアイディアよりも、「学年団・職員室の一貫した姿勢が見えること」のほうが、実は生徒・保護者に安心感を与えるのです。いま、こうした姿勢を示すことこそが保護者の信頼を獲得する近道になっているのだと私は認識しています。

こうした現状に対して、私は「教師がチームで動かねばならない時代になった」という言い方をしています。

三 信頼は個人ではなくチームで得る

本誌本特集には、保護者の信頼を得るための様々なアイディアが掲載されるはずです。その一つ一つは、間違いなく私たち個人にとっては有益です。

しかし、少なくても中学校では、自分一人でそれを行うのではなく、「こんなことが雑誌に書いてあってやってみようと思うのですが、みなさんもいかがですか」と、職員室で声かけをすべきです。あなたがそうした姿勢を示すことで、ほかの先生方の中にも「こんなのあるんだけど、先生もどう?」とか「こんなの見つけたんだけど、みんなでやってみない?」という雰囲気が少しずつ出来上がっていくはずです。

そして、こうした雰囲気の醸成こそが、実は生徒にも保護者にも信頼される学年団、職員室の構築へと繋げがっていくものなのです。こうした雰囲気がてきあがると、個人の小さな失敗に対して、保護者から直接に非難を浴びるということもなくなっていきます。信頼は個人で得るものではありません。教師団として、チームとして得るものなのです。

一見遠回りのように聞こえるかもしれませんが、これにまさる道はありません。

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マイクロ・ディベート

認知心理学に〈メタ認知〉という概念があります。「『認知についての認知』という意味であり、自分自身の認知能力を把握したり、認知過程をモニターし制御すること」(『グラフィック認知心理学』サイエンス社)と定義されます。生徒たちの学校生活での動向を観察していて、最近殊に低下しているなと思われるのがこの〈メタ認知〉の能力です。

考えてみてください。学級経営や生徒指導において、私たち教師が手を焼いている一番の原因は、生徒たちが自らの立場や考え方にあまりにも強く固執し続け、独善的な判断による言動を重ねてしまい、なかなか広い視野でものを考えたり捉えたりということができないところにあります。自分とは異なる立場や考え方があること、自分の言動が他人から見てどう見えるのかといったことに配慮できない傾向が強まっているのだといえます。頻発する生徒同士の小さなトラブルも、その多くがこの構造に起因しているように感じます。

昨今の生徒たちに見られるこのような傾向に対して、私が有効な手立てとして強くお勧めしたいのが〈マイクロ・ディベート〉です。概ね、次のように進めます。

①ワークシートを配布し、ある論題(例えば、札幌市立北白石中学校は制服登校を廃止し、私服登校にすべきである)に対して、賛成・反対の根拠を列挙します。双方とも八つ以上、その根拠を列挙することを目指します。

②三人一組になり、Aさん・Bさん・Cさんを決めます。

③第一回戦はAさんが賛成派、Bさんが反対派、Cさんがジャッジを務めて対戦します。対戦が終わってジャッジがなされたら、簡単なシェアリングをします。

④第二回戦はCさんが賛成派、Aさんが反対派、Bさんがジャッジを務めます。

⑤第三回戦はBさんが賛成派、Cさんが反対派、Aさんがジャッジを勤めます。

この①~⑤までの一連の流れでワンセットです。この後、二連勝同士、一勝一敗同士、二連敗同士で組み替えをして、もうワンセット行います。それが終わったらもうワンセット……というふうに、同じ論題で8セットくらい取り組みます。いろんな人たちと対戦している間に、賛成・反対双方ともに根拠がどんどん増えていきます。他の人が用いていた根拠をどんどん学んでいくわけです。

最後に、その論題に対して、自分の考えを一二○○字程度のレポートにまとめて提出します。いろいろ折り方はありますが、私の場合、レポート執筆の際、①根拠を三つ以上挙げること、②反論の想定(「確かに~という考え方もあるかもしれないが、しかし、~という理由から~と考えるのが妥当である」という、いわゆる「イエス・バット構文」)を最も重要と思われる根拠の論述に必ず入れることを課します。

ディベート学習を議論の練習をする場と理解し、口先だけの人間をつくることになると批判する方がいらっしゃいます。また、肯定・否定双方の立場を体験することから、生徒たちに本当に思っていないことを語らせるべきではないと批判される方もいらっしゃいます。しかし、私はどちらも一面的な見方だと感じています。ディベート学習は、ディベートによってディベートを学ぶのではなく、ディベートによって多角的なものの見方を学ぶ学習なのです。様々な立場で議論してみることによって、一面的で独善的になりがちな個人の視野を広げるための学習といえます。議論に関するスキル学習というよりは、むしろ認識の在り方の学習というべきでしょう。

もしもあなたの学級の生徒たちに一面的な捉え方をする傾向が見られるとしたら、もしもあなの学級の生徒たちに独善的に判断する傾向をもつ生徒たちが多く見られるとしたら、そうした実態の打開にディベート学習は大きな効力を発揮するはずです。それも生徒個々人が独自に広い視野をもつようになるのではなく、学級の仲間たちの考え方や述べ方に学びながら、少しずつ広い視野を獲得していき、物事を多角的に見つめ考える力が培われていくのです。

実はこうした多角的なものの見方、考え方が苦手なのは決して生徒たちばかりではありません。教師は含めた大人たちもまた、一面的に物事を捉え、独善的に判断しがちです。そんなとき、自分はいま○○という判断をしようとしているけれど、それは独善に陥ってはいないだろうか、いまの自分には見えていない、もっと違う可能性がないだろうか、こう考えることが必要なのではないでしょうか。まさに〈メタ認知〉です。しかし、多くの人々はこうした思考ができないという現実があります。

今後の社会をつくっていく子どもたちに、こうした思考力や認識力を培うためにも、〈マイクロ・ディベート〉は有効なアイテムなのです。

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トラブルメイク・グラデーション

ひと昔前、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが、社会を席巻したことがあった。ある報道番組で識者を招いてシンポジウムをしていたところ、それを聞いていたある青年がこの問いを発し、それに対して参加する識者のだれもが説得力ある対応をすることができなかった、その出来事を発端としている。この問いは教育論を語る上で、いまだに潜在的な当惑を私たちに抱かせている。自分はこれにどう応えうるか、と。

私はこの問いに対して、逆に次のような問いから考えるのが有効ではないかと直感的に感じていた。「なぜ、多くの人間は人を殺さないのか」と。

その昔、森村誠一の『悪魔の飽食』(角川文庫)を読んだ折、日本兵が中国人の捕虜になした行為に大きなショックを受けた。四十歳以上の教師なら、この書を手にしたことのある者はかなり多いはずだ。人間とはかくも残酷になれるものなのか、日本人とは形成された集団内の「空気」にここまで支配されるものなのか、どの頁を繰ってもその証左となる記述が見られる。(本誌読者たる若い教師たちにも是非読んで欲しい書のひとつである。)また、戦後派作家と呼ばれる人たちの作品群には、大岡昇平にしても武田泰淳にしても梅崎春生にしても、人間が極限状態の中でいかに残酷になりうるか、日本人がいかに集団内の「空気」に支配されるか、ということが物語られている。武田泰淳にいたっては、人間がいかに醜く、どうしようもないものであるかということを、一代を通じて語り続けたほどである。

学生時代、戦後派作家に大きな感銘を受ける、古いタイプの文学青年であった私は、いまだに自らの中に巣くう悪いもの、醜いもの、どうしようもないものの存在を意識しながら生活している。自分は条件さえそろえば他人を傷つけ、ときには殺してしまうかもしれない存在である、と。自分がもしも戦争に行き、自分が優勢であるとの確信さえ得られれば、嬉々として他国の人々に銃口を向けるかもしれない存在である、と。だからこそ、人間を真正面から信じることなく、現実的な対応をせねばならない、と。生徒や保護者、同僚を観察するときにも、学級集団を運営するときにも、私のこの思いは変わらない。みんな醜く残酷になる可能性を秘めている。それが人間である、と。

これを単純な「性悪説」と捉えられると、私としてもつらい。この構図は、「性善説」か「性悪説」かなどという、形式的でシンプルな議論ではない。読者に伝わるかどうかは正直心許ないが、こうした「限界性」や「境界性」を意識してこそ、人間は社会生活をよりよく営もうとする、現実的な対応を試みられるようになる、私としては、こうした前向きな議論をしているつもりなのである。

最近、内田樹を読んでいて、これと同様の認識に出逢った。

「この人たち(戦後民主主義をつくった人たち=筆者注)は日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度経済成長の時代まで生きたのです。/そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。(中略)それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実的な経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっと分かっているのです。/人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。」(『疲れすぎて眠れぬ夜のために』内田樹・角川文庫・○七年九月・90~92頁)

私たちが自明の前提としている戦後民主主義が、こうした生々しい歴史と地続きの視座であり、私たちが物事を認識しているその視座が、こうした生々しい歴史とまさに地続きの地点で疑われているということを、私たちはもっと意識して然るべきである。

数年前、長崎県佐世保市の小学校で、六年女児が同級女児を刺殺するという、衝撃的な事件があった。各紙は社説において、担任教師が予兆を捉えられなかったのかと批判を展開した。私は当時、そんなものは捉えられるわけがないだろうと、マスコミ批判を展開したものである。しかし、油断がなかったかと問われれば、その批判は甘んじて受けなければなるまい、とは感じていた。担任教師はその子を大それたことをするはずがない程度には思っていたのではないか、と。条件さえそろえば人間が人間を殺しうるなどとは、まったく考えてはいなかったのではないか、と。その理由はおそらく、「子どもだから」「女の子だから」といった、何の根拠もないものであったに違いない、と。

私が高校生のときだったから、既に二十五年ほど前のことだと思うのだが、被爆者である教師が自校の非行生徒をナイフで刺傷させるという事件があった。生徒がスチール製マットで殴りかかってきたところ、教師が持っていたナイフで刺傷させたというのである。マスコミも識者も、一斉にこの教師を非難した。しかし、具体的な要因が明らかになるにつれて、その非難が一気に下火となる。この教師は、被爆して躰が弱かったことから、日常的に生徒たちに「原爆病」と馬鹿にされていた。捜査当局に「なぜ、ナイフを持ち歩いていたのか」と問われたとき、この教師は「学校は怖いところだから」と答えたと言う。これで世論は一気に反転した。「学校はそこまで行っているのか」「被爆者を馬鹿にし、恐怖感を与えるまでに、この国の子どもはおかしくなっているのか」といった議論が展開されるようになる。

いま考えると、なんとも嗤ってしまうような現実認識の浅さではあるのだが、ここに見られるのは「戦争被害者=善」という、マスコミに巣くう何の根拠もない前提である。もちろん、この教師は善人であっただろう。しかし、それは「被爆者」だからではない。むしろここで突きつけられていたのは、「子供」であろうと「女の子」であろうと、そして「被爆者」であろうと、条件がそろってしまえば他人を傷つけ、ときには殺してしまうことさえある、という人間観ではなかっただろうか。

これまでわざと話を大きくしてきたが、私たち教師が子どもたちを見るときにも、同じことが言えるのだ。「この子はいい子」「この子は悪い子」「この子はやさしい子」「この子は意地悪な子」「この子はいじめっ子」「この子は絶対にいじめをしない子」などなど、教師は背反するラベルを子どもたちに与えがちである。「いい子」や「やさしい子」や「いじめをしない子」を頼り、「悪い子」や「意地悪な子」や「いじめっ子」を忌避する。そして、教師が「いい子」と捉える子が何かトラブルを起こしたとき、「こんな子じゃなかったはずなのに……私の認識が間違っていたのか」と自らを責め、裏切られた気分に苛(さいな)まれる。しかし、そうではない。どの子も問題傾向をもっていて、それぞれのグラデーションに多少の差異があるだけなのである。「いい子」に見える子は、決して絶対善なのではなく、「悪い子」と見える子よりも問題傾向のグラデーションが薄いだけである。「いい子」だって、条件さえそろえば「悪いこと」をしうるのである。教師の役目は、①そうした条件がそろうのを避けること、そして、②子どもたちに鬱屈したものをできるだけ昇華させてやること、その二つを知恵を絞って展開してやること以外にはないのである。

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グループ・ディスカッション

学級担任として小集団を使って話し合いをさせることがあります。学活や総合でもよくあることですし、道徳では小集団による話し合いが授業の核となっている場合も少なくないのではないでしょうか。その意味で〈グループ・ディスカッション〉をさせたことのない読者はおそらくいないだろうと思います。

さて、ここでちょっとだけ、ご自身の実践を振り返ってみていただきたいのです。学級で〈グループ・ディスカッション〉をさせるとき、その小集団は何人で構成していますか? そして、その人数で話し合わせているのは何故ですか? いかがでしょうか。

一般には5~7人くらいの小集団で話し合わせることが多いのではないかと思います。現在、多くの学校において、学級は三十人前後から四十人。そうしますと、5~6人の生活班が五つ、6~7人の生活班が六つといった場合が多くなるからです。要するに、小集団の話し合いというと、教職当番や清掃当番の基本単位である生活班をそのまま用いているという場合が多いのです。

しかし、こんなふうに考えてみましょう。5~7人という人数は、確かに給食当番や清掃当番をするのには適切な人数かも知れません。でも、学習のために話し合いをするということを考えたとき、果たして適切な人数なのでしょうか。

結論から言うと、私は多くの場合、小集団は4人を使うことにしています。まず図1(略)をご覧ください。6人班の場合、生徒たちはこのように向かい合うことになるのが一般的です。このような座席配置において、AくんとFさんがよくしゃべる生徒だったとしましょう。すると仮に議論の中心点というものを比喩的に想定するとして、この小集団においてこのときの議論の中心点は●の地点にあることになります。そうすると、CくんやDさんからは議論の中心点がかなり遠く、自分が話し始めて議論の中心点を自分の側にもってくるということに、抵抗感を抱くようになります。もちろんおしゃべり好きの明るい生徒にとってはどうということのないことですが、自分の自信のない、おとなしめの生徒にとっては、たったこれだけの距離がずいぶんと大きな抵抗の所以となってしまうのです。つまり、6人班による話し合いというのは、それだけ傍観者をつくりやすい構成である、といえます。これは6人班という構成が議論の中心の移動範囲が図2(略)の太線の範囲だけ移動し得るということです。

これに対して4人班は議論の中心の移動範囲が小さいのです。図3(略)をご覧ください。たとえAくんとDさんがよくしゃべる生徒だったとしても、そのときの議論の中心点はBくんから見てもCさんから見てもすぐ近くにあります。議論の中心は図4(略)に示された範囲しか移動せず、どの生徒にとっても、それはいつだってちょっとだけ手を伸ばせば届きそうな、すぐ隣にあるのです。つまり、議論の中心点の移動範囲が広いということは、それだけ〈心理的な傍観者〉が生まれやすいという構造をもつ、それが小集団の話し合いによる人数構成であり座席配置なのです。もしもどうしても6人班による交流が必要と担任が判断するのなら、机をはずして図のような配置で椅子に座ることによって、常に議論の中心を中央にもってくることができます。話し合いの人数や座席の配置というものは、このくらい配慮が必要なものなのではないでしょうか。

4人という人数は3人と異なり、2対1で優劣が決まってしまうということのない人数です。3対1に分かれれば75%が一致したことになり、残りの一人が納得しやすい人数でもあります。それでいて、四派に分かれた議論が合意形成されるにはなかなか難しい人数でもあり、話し合うだけの甲斐を感じることのできる人数でもあります。更に、四十人学級だったとしても班は十班にしかならず、すべての班に全体発表をさせることのできる人数でもあります。いろいろな面から見て適切な人数といえます。

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ヒドゥン・カリキュラム

数年前、前々任校に勤めていた頃の話であるから、10年近く前なのかもしれない。年度末に校内研修会が開かれた。そこでは、一年間の研究の成果と課題とが、実践の具体に即して各教科から発表される。司会者からは各教科三分で、との指示がなされた。各教科が三分、九教科で二十七分。多少延びても三十分という計算である。

ところが、この発表が実際には四五分かかることになる。結果、その後に予定されていた次年度計画の提案・質疑・討議の時間が十五分しかなくなってしまったのである。今年度の研究は三年計画の三年目。つまり、次年度計画は来年度だけの計画ではなく、今後三年間の計画が提案される、かなり重要な計画の第一歩になるはずであった。しかし、次年度計画の討議は誰もが時間を気にしながら発言せざるを得なくなり、どこか消化不良のまま終了することになる。結局、次年度計画は、必要事項が共通理解されることもなく、また、課題が明らかにされることもなく、「再提案」とまとめられて先送りされることになったのである。

このような事例は、どこの学校にも見られる光景である。さして珍しいことではない。読者の皆さんもおそらく、こうした事例を一度や二度は経験しているに違いない。しかしこの事例には、実は小さくない問題が内包されている。一般にはあまり意識されていないが、ひどく重要な問題が隠されている。それを明らかにしていくために、各教科の発表の場面をもう少し詳しく検討してみたい。

まず司会者から各教科三分でという指示があった。続いて、授業の具体に即して発表して欲しいとの要望があり、普段は国・社・数・理・音・美・体・技・英と進むところを、研究部長が社会科の発表者をかねているため、最初に社会科の発表を行う旨が示された。つまり、社会科の発表をモデルとして、それに倣って各教科の発表をして欲しい、ということである。こうして各教科の発表が始まった。 まず社会科の発表である。研究部長氏は五十代前半。授業の具体に即して、授業の方法や生徒のレポート作品等を示しながら、具体的に発表した。これが少々伸びて五分ほどかかった。次に国語。発表者は私である。社会科が多少伸びたので、私は時間調整を図ろうと二分ほどで発表を終えた。続いて数学が三分ちょうど。理科が八分。音楽・美術が各三分。保健体育が四分。技術・家庭の若手教師が自分の実践を熱く語り始め十分。最後に英語の若手教師がこれまた自分の実践を熱く語り始めて、七分の発表となった。これで、合計四五分となったわけである。
 さて、読者の皆さんは、発表時間を十八分も延ばしてしまった責任が誰にあると思われるだろうか。

まず、「発表時間」を検討してみよう。発表に最も時間がかかったのは技術・家庭科の若手教師の十分である。次に理科教師の八分。そして、英語の若手教師の七分。この三人で本来九分のところに実に二十五分かかっている。この罪は確かに軽くない。社会科教師の五分、保健体育科教師の四分は、まだ許される範疇かもしれない。

次に、時間が延びた最大の責任は司会者にある、という考え方がある。職員会議、或いは研究協議において、最後に司会者が「司会の不適際で時間が延びてしまいました。不慣れなもので、お許しください」と言う場面が日常よく見られる。この各教科の発表の場面でも、司会者が時間の長くなった発表者に「手短にお願いします」とか「時間をオーバーしています」とか言えば良かったのではないか。

しかし、これら二つの責任論は、もう一つの罪に比べればはるかに小さい。最も罪が大きいのは、実は発表のモデルを示すために最初に発表をした社会科教師、つまり研究部長なのである。
 第一に、この社会科教師が研究部長である、という立場的な責任がある。研究部長が時間を延ばしたのだから、という空気が形成されたとしてもおかしくない。

第二に、研究部長の社会科の発表をモデルとして機能させたにもかかわらず、それがモデルとしてふさわしくなかったという点である。この社会科教師は、確かに授業の具体に即した魅力的な発表をした。授業の方法も具体的に提示したし、生徒のレポート作品を紹介しもした。五分という時間は、発表を聞いている者にとって、決して長い時間とは感じられなかった。一つの実践発表としては、有効なものであった。しかし、魅力的な内容を時間を延長して発表するという行為は、その場にいる教職員、或いはこれから発表を控えている各教科の発表者にとって、「今日の発表は、時間よりも内容重視である」というメッセージとして機能したのではなかったか。つまり、「内容さえ良ければ多少の発表時間の延長は許容される」という、暗黙の空気を形成してしまったのである。時間を大幅に延長して発表した理科や技術・家庭、英語の教師たちは、この空気に従って発表したに過ぎない。特に、技術・家庭科と英語科の若手教師が、自らの実践(への思い)を熱く語り始めたのは明らかに研究部長氏の発表の影響である。「時間」という場のフレームを越境させてしまうほど、(若さ故の)意欲・情熱を喚起してしまったのである。

もちろん、研究部長にはこうした意識はなかった。研究部長の意図は、おそらく各教科が抽象論の発表に終始しないように、授業の具体に即して発表して欲しい、という一点にあったはずである。そしてそれは、一定の効果を示した。技術・家庭科や英語の若手教師をはじめとして、すべての教科に授業の具体に即した、実践的な発表をしようという意識を芽生えさせることに成功した。

しかし、本人の意図しないところで、この研究部長氏の発表モデルは別の意味をもってしまった。つまり、「内容さえ良ければ多少の発表時間の延長は許容される」というメッセージである。人間がある意図をもって言葉を発したり行動をしたりという場合、このように本人の意図から離れて意味をもってしまうことがある。本人が意図も意識もしていない、別の機能をもってしまう場合がある。

私がここで言いたいのは、この事例の研究部長氏のように、本人の意図とその機能とがズレてしまうということは、教室でもよくあることなのだという警鐘である。

教師は一般に、自分が生徒たちのためを思って指導したと考える。また、生徒によかれと思って言葉を発する。そしてそれらの指導が結果としてうまくいかなかったとき、なぜうまくいかなかったのかと悩み、自分には力量がないのだと悩む。しかし違うのだ。指導が失敗するとき、多くの場合、教師が意図も意識もしていないような別の機能が働いているのである。教師の指導言や指導行動が、その意図どおりに働いていないのである。教師が思いも考えもしなかった別の方向に進んでいるのである。

こうした、教師が意図も意識もしないままに、結果的に教えてしまっている内容を、教育用語で「ヒドゥン・カリキュラム」(hidden curriculum)と言う。

実は、この研究部長氏は大変な勉強家で非常に緻密な教材研究をしているにもかかわらず、授業や生徒指導がうまく機能しないことが多かった。もちろん、そうした生徒たちの退屈そうな表情、納得していない表情は本人にも伝わる。うまくいかないことが本人にもわかるので、「自分はまだまだだ。まだ勉強が足りない」と、更に本を読み、教材研究を緻密化していく。しかし、それは実は、氏の勉強不足が原因なのではないのだ。授業中に時間を守らなかったり、熱心に語ることが別のメッセージを発していたりと、様々な「ヒドゥン・カリキュラム」が本人の意識しないところで様々に機能してしまっているのである。そのズレに生徒たちが辟易しているのである。氏がいくら教材研究を重ねても、その現状は打開できないのだ。

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ペア・ディスカッション

年度当初、例えば学級目標をつくるという学活があります。大抵の場合、一人ひとつずつ候補を持ち寄って、それをすべて板書、その中から学級全員で多数決で絞り込んでいく……そんな決め方をしている場合が多いのではないでしょうか。

学校祭・文化祭に向けて、中心的に企画に携わるプロジェクトメンバーを決めるという学活があります。大抵の場合、立候補を募り、それをすべて板書、立候補者の人数が適正なら立候補者全員をプロジェクトメンバーとする、少なければもっと募る、多ければ立候補者全員に意気込みを語らせてプチ選挙のような形で絞り込んでいく……そんな決め方をしている場合が多いのではないでしょうか。

合唱コンクールに向けて、学級で歌う合唱曲を決めるという学活があります。大抵の場合、音楽科から出された候補曲を全員で聴いて、個人個人で一~三番くらいまでを選択、それを集計して候補曲を絞り込み、もう一度それらを聴いて多数決で決めていく……そんな決め方をしている場合が多いのではないでしょうか。

いま三つの例を取り上げましたが、皆さんはこれら三つに共通する悪しき構造が何なのかおわかりでしょうか。それはどれも「決まればいい」という、いわば〈決めること最優先〉の決め方をしているということです。もちろん学級担任はよりよく決まれば良い、生徒たちの思いやアイディアがたくさん出れば良いとは考えています。しかし、これらの決め方にはその「よりよく決まる」ための、或いは「生徒たちの思いやアイディアがたくさん出る」ための手立てがまったく取られていないのです。

こんなふうに考えてみましょう。例えば校内研修会で今年度の研修テーマを決めるために一人ひとつずつ候補を提出することになったとします。どうせ自分のが採用されることはないだろうから、まあ適当に書いて出しておけばいいだろう……そう考える人が職員室全体の何割もいるのではないでしょうか。

例えば公開研究会全体会のアトラクションとして生徒たちに何か出し物をさせることになりました。それを企画するためのプロジェクトチームをつくることなりました。あなたはちょっと興味があるなと感じながらも、自ら立候補するまでもない、そういうのを得意にしている人に任せてしまおう、自分なんかがいても足手まといになるかもしれないし……そんなふうに考えがちなのではないでしょうか。

しかし、これが二人一組で案を一つ提出することとか、二人一組で何かアイディアを一つ出すこととか、二人一組で研究会の日程案の試案をつくってみることとか、こんなふうに提案されていたとしたらどうでしょうか。自分と組むことになったもう一人の先生に対する責任感が生まれて一気に「ちゃんとやらなくちゃ」というものへとならないでしょうか。そして、その先生とああでもないこうでもないと冗談まじりに語り合っているうちにもしかしたら何か良いアイディアが生まれるかも知れない、或いはこの先生とディスカッションすることが勉強になるかも知れない、そんなふうに考えられるようになるのではないでしょうか。そうです。ここにこそ〈ペア・ディスカッション〉の効果があるのです。

読者のみなさんは〈ヒドゥン・カリキュラム〉という語をご存知でしょうか。「教師が意識しないままに教え続けている知識・文化・規範」と定義されます。前著『生徒指導10の原理・100の原則』(学事出版)に書きましたので詳しくはそれちらをお読みいただきたいのですが、私たち教師は意図することも意識することもなく、生徒たちに膨大な知識や規範を教え込んでいます。例えば様々な学級活動において冒頭に挙げたような決め方をしていると、生徒たちは「自分の意見はそうそう採用されることはないから、候補案をまじめに考えなくても良い」とか「できる人やアイディアマンなど、自他共に認めるふさわしい人がリーダーシップをとればいいのだから、自分は立候補する必要がない」などということを学んでしまうのです。それもこれが何度も何度も繰り返されるわけですから、生徒たちに芽生えたこのような思考は回を重ねるごとに強化されていくわけです。

学級担任はこのような構造をよく理解し、それを打開するような手立てを意図的・意識的にとり続けなければならないのです。ちょっとした場面で〈ペア・ディスカッション〉を取り入れて、責任感や当事者意識、更にはモチベーションを高める……教師にしてみれば準備もいらず気軽に取り組めますし、生徒にとっても人数が少なくて抵抗感の少ない話し合い形態ですから、学級の雰囲気づくりには効果の高いアイテムになります。

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2011.08.11

私達は時代の空気を吸って生きています。特に中学生から二十代は​胸一杯に時代の空気を吸い込みます。三十代になると時代の空気を​吸いながらも、それを自らが胸一杯に吸った頃の空気と比べるよう​になり、五十を過ぎると時代の空気に怯えながらかつての空気を延​命させようともがきます。おやすみなさい。

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今夜の北海道も熱帯夜だろう

今日も早起きして仕事。本当に北海道かと思うような暑さ。34度。

昨日まではどちらかというと「深める」タイプの交流アイテムについてまとめていたけれど、今日はどちらかという「広げる」タイプの交流アイテム。明日はいよいよ「創り出す」タイプの交流アイテムに進む。

夕方、母から電話があり、今日入院したという。19時前に見舞いに行く。首にできたしこりを手術でとるのだそう。1日に入院が決まっていたというから、もっと早く連絡をよこせばいいのに。まあ、こっちも忙しかったから気を遣ったのかもしれないけれど。

帰りにファーストフードの牛丼。明日は健康診断。今日は20時までに食事を済ませなければならなかったわけだが、ぎりぎりセーフ。

さて、もう少し仕事でもするか。明日締め切りの雑誌原稿があったっけ。確か1頁原稿だったな。すぐにできるだろう。

もう20時半だというのに、まだ暑い。今夜も熱帯夜かも知れない。

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ヤマアラシ・ジレンマ

ご存知の読者も多いと思うが、心理学に「ヤマアラシ・ジレンマ」という概念がある。

ヤマアラシは外敵から身を守るために、多くのトゲを身にまとっている。ヤマアラシのカップルがある寒い日に二匹で凍えている。互いの躰を寄せ合って暖をとりたいと思うのだが、接近しすぎるとお互いの躰のトゲによって相手の躰を突き刺してしまう。お互いに傷だらけである。すり寄っては離れ、離れてはすり寄りしながら、それを繰り返すうちに、ヤマアラシのカップルはお互いに暖め合える、ちょうど良い距離を見つける。

ショーペンハウアーの寓話をアメリカの精神分析医ベラックが、現代人の人間関係のジレンマに転用して警告している。現代人はヤマアラシのように、人間関係の適切な距離を見つけようとするが、その距離感覚をなかなかつかめずに様々なトラブルを起こしてしまう、と。

顕著な事例を二つ挙げるので、皆さんもご自身の経験を思い起こしていただきたい。

【事例1】

年度当初、転勤者の中に、妙に自分の能力に自信たっぷりの人物が入ってきた。職員会議をはじめ、すべての校内会議において、前任校と比較して「この学校のやり方はおかしい」と何かにつけて文句をつける。確かに一理はあるのだが、もともとこの学校でそのシステムに慣れ親しんでいる自分から見ると、正直、そうまでこだわらなくても……と思うこともしばしば。ひと月もたたないうちに、その新任者が職員室で浮き始める。「ああ、○○さん浮いてきたな……」という空気が読めたところで、職員室でも信頼を集めている教務主任とか、長くその学校に勤めている職員が、「うちはかくかくしかじかでこういうシステムだから」と諭し始める。或いは最初から、この学校は自分が仕切っていると思っている教務主任や古くからいる職員が、「うちはこういうシステムなんだ」と、喧嘩を始める場合もある。どちらにしても、新任者には分が悪い。少なくとも、昨年はこのシステムでやってきたのである。もともといる職員にとってみれば、慣れたシステムの方が対しやすい。積極的に会議で発言まではしないけれども、なんとなく、現状維持でいいじゃん……という空気が支配的になっていく。しかし、三ヶ月がたち、半年がたつうちに、新任者もなんとなくうまく立ち回れるようになり、職員室の雰囲気にも落ち着きが戻ってくる。

まあ、教員を五年やれば二回くらいは、十年やれば五回くらいは経験する事態であろう(笑)。

【事例2】

結婚した当初、ほんの些細なことが大きなトラブルへと発展することがある。電子レンジを「チン」と呼ぶ家庭で育った夫、そして「レンジ」と呼ぶ家庭で育った妻。夫がちょっとだけ冷めかかった料理を妻に渡して、何気なく「ちょっとこれチンして」と頼む。三十年近くの長きにわたって、そういう場合には「ちょっとこれレンジにかけて」と言う家庭で育った妻は、夫の物言いに対して幼児的なかわいらしさを感じ、少しだけ嘲笑の混じった薄笑いを浮かべる。しかし、夫にはそれが許せない。自分は馬鹿にされた。しかも、自分にとっては普通の、そして当然の言葉遣いが嘲笑を受け蔑(さげす)まれた。いたくプライドが傷ついてしまう。「チンして」と言うか「レンジにかけて」と言うかというほんの些細な違いが、○○家と××家のプライドをかけた諍(いさか)いに発展する。端(はた)から見れば、あまりにも小さな、かつあまりにも馬鹿馬鹿しい問題が、本人達も気づかぬうちに、お互いの両親兄弟、一族のプライドをかけた深刻な問題へと発展していく。これはお互いに自分が育った環境が異なるというコンテクストのズレによる些細な指摘が、人格を否定されたかのごとき重みをもって感じられることによって生じた、馬鹿馬鹿しくも深刻な問題である。

しかし、こうした諍いは、結婚生活が一年たち、二年たちするうちに、次第に減っていくものである。三年もたてばほとんどなくなる。お互いに距離感覚がわかってくるからである。夫婦関係が安定してくると言ってもよい。

まあ、この時期になると、こういう小さなコンテクストの違いによる諍いではなく、本格的なトラブルが生じてくる夫婦も、決して少なくないけれど……(笑)。

ある程度の教職経験があり、かつ結婚もしているという読者の皆さんは、事例1・2ともに思い当たるところがあり、ニヤリとほくそ笑むことができただろうと思う。しかし私は、この二つの事例を、そんな「世間話」レベルのエピソードとして並べたわけではない。

あなたの学級においても、事例1はいわゆる「濃いキャラクター」の転入生が入ってきた場合に、事例2は学級編成後の小グループが付いたり離れたりしている場合に、間違いなく同じ質のことが起こっているはずなのだ。

発達心理学に「前思春期」という概念がある。十歳くらいから十二、三歳までの間、つまり、小学校高学年から中学一、二年くらいの間の時期を指している。この時期の子ども達が人間関係をつくる上での特徴は、「擬似恋愛」或いは「恋愛予行演習」としての、一種の同性愛的傾向を示すところにある。つまり、こういうことだ。

いわゆる「思春期」には、異性を異性として意識し、異性との恋愛関係成就のために、相手との一体化を希求し始める。このこと事態はごく一般的なことなので、誰しも理解できるだろう。しかし、それ以前、「前思春期」と呼ばれる一時期、まだ異性と本格的に付き合うと考える以前の一時期に、同性の友人と精神的な同性愛のような感覚に至って、ものすごく深い友情や同族意識、同志意識によって固く結びつくことを求める時期があるのだ。小学校高学年から中学校の前半において、女子の間で小グループメンバーの盛んな入れ替えが行われたり、小グループ同士のかなり深刻な対立が生じたりする理由の一つとして、この「前思春期」の発達段階的な特徴が挙げられる。「そういえば……」と、読者の皆さんにも思い当たるところがあるはずである。大人になった現在もなお、幼なじみとして絶大な信用を与え合っている友人の顔を思い浮かべて欲しい。小学校高学年から中学校にかけて、あなたとその友人との間にどんな人間関係が生じていたかを。

実はこの時期が、その後の人間関係の結び方、或いはその後の恋愛関係の結び方に大きな影響を与えるという。つまり、この時期の在り方が無意識のうちに、その後、他者と付き合っていく上でのスキルを学ぶ場、つまり、「作法」を学ぶ場になっているというのである。

小学校の高学年、或いは中学校一、二年生の特徴として、学級編成後の一、二ヶ月は、学級全体が非常に良好な人間関係に見えるのに、ある時期から同性同士において(相対的には女子の方が活発に見えるのだが)急に小さな人間関係トラブルが頻発するようになる。しかし、学級という共同体が一年数ヶ月を経た時期から、人間関係が固定化するとともに、小さなトラブルは影を潜め、安定した人間関係が形成される。実はこれは、「前思春期」的な特徴をもつ子ども達が、同性他者に対するそれぞれの深い思い入れから関係を結び合おうとし、その距離感覚の違いからヤマアラシ・ジレンマを経験し続けた末に、学級の大多数の間に適切な距離が形成されるまでの期間なのである。この時期が過ぎると、人間関係は固定化し、てこでも動かなくなる。

そこで学んだ人間関係の作法は、大人になっても一つの規範として無意識的に発揮される。職員室での新任者の動きや、新婚当初に見られる小さなトラブルでさえ、実は個々の「作法」の違いによって起こっているのである。

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仕事とエアコン

朝早く起きて、ブログを更新して、2時間ドラマの録画を1本見て……。9時から仕事を始める。北海道も30度超え。暑くて、PCに向かう額から汗が噴き出る。

扇風機程度ではダメだと思い、居間に移動してノートPCで仕事。なにせ居間にはエアコンがある。25度設定では寒い。30度設定では暑い。28度設定がちょうど良い……などといろいろためしながら、快適な空間で仕事。

「ペア・インタビュー」「ペア・ディスカッション」「グループ・ディスカッション」「マイクロ・ディベート」「ロールプレイ・ディスカッション」と、理念と意義をまとめていく。

夜になって日韓戦をテレビ観戦。日本のサッカーは急に強くなったなあと感じながら、ビールも飲まずに昨日の残りの美唄焼き鳥を食す。美味。

その後、仕事の続き。明日には10アイテムの理念と意義がまとまればいいな。そう考えながら、24時をまわったので、これまたエアコンの効いた快適な寝室へ。犬と一緒に寝ても暑くない。おそるべし、エアコン。

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アブストラクト

私は中学校の国語教師である。

このことは、私の妻も、両親も、同僚もサークル仲間も、そして本誌の読者も、誰もが疑問を抱かない私の特徴である。誰もが納得する。そう、堀裕嗣は「中学校の国語教師である」と。

しかし、堀は「力のある実践家である」となると評価が分かれる。

私のサークル仲間やブログの読者ならそれほどの疑問を抱かないかもしれない。だが、同僚は、そういえば先日の飲み会で新卒の女の子に日本酒を飲ませてつぶしていたなとか、そういえば前に仕事を忘れた旅行業者さんを怒鳴りつけていたなとか、いつも空き時間に職員室で馬鹿話をしていて、ほとんど仕事をしているのを見たことがないなとか、一応バドミントン部の顧問だが、部活の時間にはいつも自分がバドミントンをして遊んでいて、指導をしているのを見たことがないなとか、そんな私の日常と「力のある実践家」という言葉との間にある齟齬を的確に指摘するはずである。

堀は太っている。堀は髭を蓄えている。堀は煙草を一日に二箱も吸う。堀はコーヒーを一日に十五杯も飲む。堀は辛口の日本酒が好きである。堀はロッテと中日を贔屓にしている。堀は岩崎宏美と太田裕美と渡辺真知子のファンである。堀はカラオケに行くと、世良公則ばかり歌う。堀はドラムを叩ける。堀は職体野球では一塁手で四番バッターである。堀は片付けが苦手である。堀は数学が苦手である。堀は蜘蛛が嫌いである。堀は……もういいだろう。

私という人間は、こういった種種の特徴の総合として存在している。いや、私が種々の特徴の総合体として存在しているのではなく、私という曖昧模糊とした存在がいて、その存在が種々の特徴を備えているのである。こう考えてくると、例えば、「堀は中学校の国語教師である」という場合、確かに誰もがそのテーゼに納得はするのだが、そのテーゼには堀のその他の特徴が一切加味されていないということに気がつくはずだ。堀は確かに誰から見ても「中学校の国語教師」なのだが、堀は「中学校の国語教師」としてのみ存在しているわけではない。

「アブストラクト」(abstract)という英単語がある。かつて、大学入試の長文問題でよく目にしたはずなので、記憶に残っている読者も多いことと思う。「抽象」と訳されることが多い。
  ところが、頻度は低いのだが、この単語が「捨象」と訳されることがあった。「抽象」とは抽出することであり、その意味は簡単に言えば〈拾うこと〉である。「捨象」とは読んで字のごとく〈捨てること〉である。なぜ、こんな正反対の意味が同じ単語の意味として成立するのだろうか。高校時代、受験勉強をしていたときに、このことに素朴な疑問を感じた読者も多いのではないだろうか。

しかし、いま考えると、この原理は実に簡単である。種々の特徴をもつ堀裕嗣という存在から「中学校の国語教師」という特徴を〈抽象〉する。すると、同時に、堀という人間のもつ太っていることや髭を蓄えていることを初めとして、コーヒーや煙草や酒、だらしなさ、芸能人やスポーツに対する嗜好といった特徴が、すべて〈捨象〉されるのである。つまり、堀という人間を「職業的な特徴」によって〈抽象〉したことによって、「身体的特徴」や「性格的特徴」が〈捨象〉されるわけである。実は、ある「もの・こと」を〈抽象〉的に捉えるということは、そのある「もの・こと」における他の属性を〈捨象〉することを意味する。〈抽象〉と〈捨象〉は表裏一体、実は、同時にしか現象し得ない、同じことなのである。これが「アブストラクト」だったのだ。

しかし、問題は、一般に、ある「もの・こと」を〈抽象〉として捉えたときに、それと同時に〈捨象〉してしまっているものに、私たちが気づいていないということである。このことが様々な場面でおかしなことを引き起こしている。人間を「独善」に陥らせている。

例えば、自分の学級において、もっとも「いい子」と思われる子どもを思い浮かべてみるといい。明るくて、素直で、友達にも優しく、人のいやがる仕事でも率先して引き受ける。先生の言うことを一生懸命に聞いて、勉強にも熱心に取り組む。そんな子がどの学級にも一人か二人いるはずだ。そしてその子の担任であるあなたは、その子を「いい子」と捉えている。しかし、その子をよく観察してみると、その子の家庭の生活レベルは高く、貧しい家の子の前で何の悪気もなく昨夜の外食の様子を話し、貧しい家の子を傷つけていることはないか。正義感が強く、他の子のちょっとした言葉遣いに軽蔑の目を向けていることはないか。図工や美術の時間に作業の遅い子を手伝ってしまって、本人の成長を阻害してしまっているなどということはないか。実はその子が学級に与えている悪影響は、無視できないほど大きいのではないか。担任としては、良い影響ばかりが目に入って、散在する悪影響を見落としてしまってはいないか。

例えば、学級の子ども達の保護者の中で、もっとも「口うるさい保護者」を思い浮かべてみるといい。学級懇談会では、みんなの前で担任の小さな落ち度を指摘する。何かにつけて要求ばかりする。他の保護者からも、どうやら避けられているようだ。期末懇談でその保護者と会わねばならない日は、なんとなく朝から憂鬱である。そしてその保護者の子どもの担任であるあなたは、その保護者を「口うるさい保護者」と捉えている。しかし、よく考えてみると、手紙や懇談で知らされた学級の問題点は、自分では気がつかなかったものである。確かにその保護者はクレームをつけてきたが、その子が家でそんなふうに学級のことを言っているなどとは、まったく想定すらしていなかった。自分を信用してくれ、うまく人間関係を築けている保護者が他に何人もいるのだが、実はその保護者たちは「口うるさい保護者」に先生がいじめられていて可哀想だと思って、自分を気遣ってくれている。つまり、同情がその保護者達の目を曇らせ、必要以上にあなたに対して共感的(同情的)な視線を向けさせている。そんなことはないだろうか。

例えば、あなたが最も頻繁に使う授業技術を思い浮かべてみるといい。本で読んで学んだ、セミナーで直接に講師から教えを受けて学んだ、その授業技術を導入してから、なんとなく授業が流れるようになった。本誌の読者なら、そんな授業技術を一つや二つはもっているだろう。そしてあなたは、その授業技術を「優れた授業技術」と捉えている。しかし、よく考えてみると、教材との関わりでその授業技術を使うことがふさわしくないという場面はないか。ごんが兵十に撃たれて悲劇的な結末を迎える授業なのに、「さあ、音読します。全員起立!」とやることは、その授業にとって本当に効果的なのか。「よし、じゃあ、その理由を『~から』の形で一文でノートに書きなさい」と指示したとき、理由を二つ考えていて、どっちを書こうか困ってしまっている子どもがいる可能性に配慮しているか。その授業技術を提案している先達本人がもしもあなたの授業を見たら、あなたのことを「授業技術に使われている」と評価してしまうような要素を、あなたの授業はもってはいないか。

あなたが日常的に「良い教育」として意識的に実践していることが、あなたに他の可能性を〈捨象〉させてはいないだろうか。学級の子どもに「いい子」「明るい子」「素直な子」「元気な子」というラベルを貼っていることによって、かえってその子のネガティヴな部分を〈捨象〉してしまってはいないか。

自分が世界を「アブストラクト」して認識していることを意識するだけで、いろいろなことが見えてくる。大袈裟に言うなら、「世界」が変わるほどの大転換が起こる。

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ペア・インタビュー

新年度、新しい学級を担任します。まず、何はともあれ生徒たちに自己紹介をさせたいと考えます。しかし、これがけっこう難関。おもしろい自己紹介になかなかならないのです。

生徒たちが一人一人、次々に前に出ます。どの生徒もどの生徒も、言うことといえば氏名・趣味・特技・得意教科・苦手教科、最後に「よろしくお願いします」の一言で話をまとめる……その連続です。しかも、中学校では教科担任の中にも自己紹介させる先生がいます。生徒は最初の一週間で自己紹介に飽きてしまいます。そもそもよほどの大規模校でない限り、生徒たちは誰が誰でどんな人なのか、お互いに知っているということも少なくありません。実は生徒たちの自己紹介を必要としているのは、あくまで教師であって生徒ではない、それが現実なのです。

学級開きでどんな活動がなされたかということは、生徒たちにとって非常に大きなインパクトを与えます。新しい学級、新しい担任に対する第一印象を決める活動となるわけですから、そこで「つまんないことをさせられる」ということは、新しい学級、新しい担任との出逢いが「つまんないこと」から始まったというファースト・インパクトを与えることになります。この経験が意識的・無意識的にその後の一年間に影響を与えると言っても過言ではありません。

あなたがもしも、生徒たちが様々な問題を自分たちで解決できるような学級に育てたいとか、或いは学級活動や学校行事に積極的に取り組む生徒たちになって欲しいとか、要するに学級に協同的な雰囲気をつくりたいと願っているならば、学級開きで何気なく行われている自己紹介や学級目標づくり、学級組織づくりといった〈学級システム〉を確立していく段階から協同への布石を打ち始めなくてはなりません。これを明確に意識する必要があります。

もちろん、いきなりダイナミックな活動をさせるのは無理がありますから、①ちょっとした工夫でちょっとした楽しさを共有して学級の空気を温める活動であること、②学級システムや交流システムに裏打ちされた今後に生きるソーシャル・スキルが指向されていること、という二つの方向性を明確に意識する必要があります。

キーワードは「ちょっとした」と「指向されている」です。今後に生きるソーシャル・スキルへの「指向性」を明確にもちながらも、手立てとしては「ちょっとした工夫」であり「ちょっとした楽しさ」であるというところにミソがあるのです。

教師の準備にやたらと時間をかかるのでは長続きしません。準備に時間をかけるというのは、年度当初、教師が張り切っている時期だからこそできることに過ぎません。でもそれは早々に息切れしてしまいます。教師ならだれしも経験のあることです。

また、生徒たちが高いハードルを越えなければならないような活動を年度当初に仕組むのも得策ではありません。どうせ数ヶ月もすれは、様々な教科の授業で高いハードルを越えなければならない毎日が訪れるのです。できるだけ抵抗感の少ない活動にすかるのが良いでしょう。

そしてもう一つ、大事な観点として意識して欲しいことは、年度当初に楽しさの大爆発を経験させることも良くない、ということです。これは意外に思われるかもしれません。しかし、年度当初の生徒たちの期待感も大きな時期にあまりにも大きな楽しさを味わってしまうと、その後、学級に慣れ期待感の薄れてきた時期の活動の一つ一つが見劣りするようになります。もしも担任教師が生徒たちを大爆発するような楽しい活動ネタをもっているのなら、それは6月とか12月とか2月とか、大きな行事がなく、一年間のに中でなんとなく停滞してしまいがちな時期にとっておくべきです。学級づくりというものはこういうことまで計算して行うものなのです。

〈ペア・インタビュー〉はこうした様々な観点から考えて、年度当初に取り組むのにふさわしい、有効なアイテムといえます。隣同士でインタビューをし合い、いわゆる「他己紹介」をし合うという活動ですが、①ペアでのコミュニケーション体験、②他人を紹介する楽しさと緊張感、③他人に紹介される楽しさと照れくささ、④イラスト入りレポートづくりの楽しさ、⑤インタビュー・スキルの基礎・基本、⑥体言止めを交えた文体と、様々な要素を複合させた質の高い活動です。それでいて教師の準備は簡単で、生徒の活動としてはハズレのない、いわゆる「鉄板性」のある活動でもあります。みなさんが学級経営の武器、授業運営の武器の一つとして身につけたとしたら、様々な場面で機能する汎用性の高いアイテムとなるはずです。

また、年度当初の「他己紹介」のみならず、年度当初には分担を決めて教科担任を紹介するグループ・インタビューをしたり、旅行的行事や「総合的な学習の時間」での体験活動ではお世話になった方々へのグループ・インタビューをするなど、発展性のある活動でもあります。

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痛飲と深謝

東京の疲れが思いの外少なく、9日は仕事が進む。

学校には自宅研修願いを提出して、生徒たちに協同学習をさせるための手立てを全職員が共有化できるように、追試可能なシステムとして文書をまとめるとした。「ペア・インタビュー」「ペア・ディスカッション」「グループ・ディスカッション」「ロールプレイ・ディスカッション」「マイクロ・ディベート」「パネル・チャット」「ブレイン・ストーミング」「ギャラリー・トーク」「ワールド・カフェ」「オープン・スペース・テクノロジー」の10のシステムについて、追試可能なようにインストラクションからシェアリング、場合によってはレポート作成に至るまで、一連の流れとしてまとめることにした。

ついでなので、『学級活動10のアイテム・100のステップ』という本にしてみてはどうか、と思い至ったので、編集者に連絡した。まだ回答はないけれど、おそらく通だろうと思う。夏休みはこれを書こうと決めた。いま一番一生懸命に取り組んでいる内容なので、執筆するにもモチベーションが高い。割と早くまとまるだろうと思う。

ただ紹介するのではなく、学級活動の目的や学級の生徒たちの実態によって、どのような時期にどのようなアイテムやシステムを用いることがふさわしいのか、その考え方について色濃く打ち出せるような本にしようと思う。対話や協同を主張する提案の多くが、対話や協同を絶対善とする前提に立ち、ただアイテムやシステムの紹介に終始しているのに対して、目的や実態によって用いるべきアイテムやシステムをこのようにな判断するんだよ……ということに重きを置く、ぼくらしい本にできたらと思う。

夜は妻の兄夫婦が来て呑み会。秋田刈り穂の「気魄の辛口」とか、富山の銘酒「勝駒」とか、秋田「まんさくの花」の限定品とか、四合瓶が3本あく。気づいたときには兄夫婦は帰ったあと、ソファで寝ていたのを妻に起こされる。きっと8時とか9時とかにつぶれて寝込んでしまったのに違いない。朝は6時前に目が覚めた。

富山の「勝駒」は噂に違わぬ銘酒だった。これはうまい。先日の東京のイベントで、寺崎さんや門島さんといっしょに活動しているミクちゃんがくれたものだ。岡山さんが富山に来たときに褒めちぎっていたので、堀先生にも飲んでもらおうと思って持ってきました……とのこと。素晴らしい酒と出逢わせてくれたものである。深謝!

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教師力BRISH-UPサマーセミナー講座感想

藤原くんがぼくの講座の感想をまとめてくれたので転載します。感想を書いていただいた参加者の皆さん、そして藤原くん、ありがとうござまいした。

講座「全員参加から協同学習へ」堀 裕嗣
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・時間が足りなく残念。もう少しじっくり受講したかった。まだファシリテーションについてわかってはいないが、楽しい。きっと限られた条件の中でうまく情報を伝え合うことが必須条件なのだろう。みなさんはきっとそれを少しずつ手にしている。私にとっては永遠の課題だ。言葉数多く、優先順位の低いことから始めてしまうことを改善できない教師の風上にも置けぬやつ……。

・他の参加されている先生方と意見を交流することで、自分の考えが整理されたり、改めて考えたりする機会となりました。

・実際の社会において、人との関わりが大切であること、答えのない課題が多いことは実感しています。今回の協同学習を積み重ねていった子どもたちはどんな活動の様子になっていくのか知りたいです。

・2学期からどのように授業づくりをしていけばよいか、たくさんの考えを聞くことができました。交流できたことがとても有効だったと思います。昨日のファシリテーションを使った話し合いもよかったです。

・具体的に目の前にいる子どもを想像し合うことでイメージしやすかったと思う。みんながわかりやすく考えを持ちやすい課題の設定、交流では肯定し合うことをルールにしてふり返りの時間を保障することなどを確認し合うことができた。

・課題の設定について、大切なことを学べた。また、「全員参加」と「協同学習」の違い、それぞれをこれからの指導で生かしていきたいと思えた。

・あっという間の時間でしたが、講師の先生から出されたテーマをいろいろな先生とフラットに話ができ、とてもよかったです。

・二日目から参加しました。ファシリテーション・グラフィックを少し体験できました。堀先生のお話は明確でわかりやすかったです。異年齢(年代)・異校種の先生と話す機会が減ってきたのでよい経験でした。

・協同学習がどのような背景で問題をBrake throghするために使われようとしているのか考える機会になりました。堀先生、他の方々、スタッフの方、ありがとうございました。

・途中から参加ですみません。別の人の考え、たくさんの考えを聞けてよかった。広げ方として有効でした。ありがとうございました!!

・「人とつながる力」そうだなぁと思いました。これがあれば、子どもたちは(自分自身も)より楽しく、気楽に生きていけるなぁ。

・実際に自分も。協同学習を体験して、子どもの気持ちが少しわかった気がしました。話を聞くよりも、活動している方が楽しいし、よくわかります。個人で考えるよりも、誰かと一緒に考える方が安心して考えられる。ということが身を持って理解できたので、大変よかった。

・クラスの中の「しんどい子」に焦点をあて、全員参加の学びをつくるのはとても大切なことだと考えます。

・ワールド・カフェはよかったと思う。協同学習の話はもっと聞きたかったので-1。

・協同学習の方法がわからなかったので、参考になりました。小学校の先生はまとめるのが上手でわかりやすい表ができました。

・ファシリテーションの技法を用いることで、話し合いは活性化されることを実感しました。また、目の前の子どもたちが全員参加できる授業を日々、目指している中で、全員がフラットな立場で切実感のある課題……

・全員参加型学習と協同学習の違いの説明、課題設定のポイントが非常にわかりやすかった。切実感のある課題によって、グループでの話し合いがスムーズに進んだ。

・“今、最も手を焼いている児童を思い浮かべながら……”という課題提示がよかったです。一人で手立てを考えているより具体的に道が見えました。授業でファシリテーションを取り入れる時の課題、種類をもっと知りたい。

・昨日の活動、学びと合わせ、ファシリテーションの有用性を教えていただきました。特に「指導事項はもちろん、社会性やスキルが生きていく上で重要」ということに大変共感しました。

・最初に、お互いが打ち解けあえる何かを一つ入れておくことの重要性を感じました。複数人で考えることで、自分にはない意見を聞くことができ、話し合うことで深く賛同できたりしました。ファシリテーションを行う際の意義や注意点を知ることができたので、今後に生かしたいと思いました。

・子どもへの課題の与え方として①フラットな②切実な、よくわかりました。

・堀先生の最後のお話が特によかったです。〈数学の微分・積分を理解することよりも、仲間とのコミュニケーションを上手にとって、現実的な課題を知恵を合わせながら解決する方が重要である〉ということ、そこに協同学習を進める意味がある。納得しました。いつもネットワーク関連のワールドカフェではやるべきこと(自分の意見を考える・人の話を聞く・再び元のグループに伝えるために情報を整理する)が多すぎて、苦痛だったのですが前向きに取り組めそうです。なるほど。

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新潟・東京紀行

新潟に行って一番の収穫は「自殺」について深く考えたこと。詳しくは書けないけれど、ある人と出会って話をしているうちに、自殺者の心象についてずいぶんと考えさせられた。中学校教師のみの登壇という初の新潟イベントも好評だったとのこと。定例になりそうな気配もある。嬉しいことである。ぼくらの「環境調整」の思想がなんとなく伝わったのだと思う。

東京に行っての一番の出来事は佐藤幸司さんに出逢えたこと。これまでなぜかすれ違いばかり。せっかく授業づくりネットワーク北海道に幸司さんが来ていたのにぼくが名古屋で学会発表が当たっていたり、ぼくも行こうと思っていた幸司さんの研究会が流れてしまったり、ある研究会でご一緒できる機会がありそうだったのに日程が合わなかったり、逢いたいなあと思いながら10年近くすれ違ってばかりいた。それがやっとお逢いすることができた。

合田さん、田中さん、原口さん、御前さん、みんな魅力的な方々だった。宇佐美先生、土作さん、深澤さん、験也さん、神藤さん……といった懐かしい方々にもお会いすることができた。もちろん、赤坂・桃崎の二人にも。

もう一つ、大きかったのは『学級経営10の原理・100の原則』のイラストや装丁を担当していただいたイクタケマコトさんにお逢いできたこと。予想通り楽しく、個性的な方だった。ひとかどの人物でもあると感じた。

なんか、意識的に種をいっぱい蒔いてきた、それでいて自分でも気づかないうちに種がいっぱい蒔かれているであろう、そんな新潟・東京だった。

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唖然とした

2学期から3学期にかけての研究会予定を整理して唖然とした。

週末がないのだ。躰がもつのだろうか。敗因はブラッシュの連続である。来年度からは地方学習会を月1回ペースで行うことにして、一時期に集まらないようにしなくちゃだめだな。一人の講師に負担が集まらないように、分担することも必要だな。まあ、いずれにしても地方の学習会にこんなに呼ばれることも今年限りだろうから、来年度からはもう少し現実的な日程が組まれるようになるに違いない。

それにしてもこれだけ重なると、同じネタでしゃべらざるを得なくなるなあ。一つ一つの講座をじっくりつくるという話にはならなくなる。まあ、客層はかぶらないだろうから、いいといえばいいんだけど。

明日から東京である。隙間時間がちょこちょこあって、ホテルで仕事ができそうなのが何よりだ。

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