スーちゃんが亡くなって4日経った
スーちゃんが亡くなって4日経った。
若くして亡くなった人……というか、リアルタイムでその活躍振りを見聞きしてきた芸能人が亡くなったのを見るのは初めてではない。しかし、スーちゃんの癌というありきたりの病と、55歳という微妙な年齢とが、ぼくに何とも言葉に出来ない「死」というものに対する実感のようなものを運んでくる。
ぼくが「ああ、著名人って死ぬんだな」と最初に感じたのは岡田有希子だったように思う。その後、尾崎豊とか本田美奈子とか同世代が亡くなっていったわけだが、彼らはあまりにも若すぎて、どこか「事故死」のような、特異な死にしか感じられていなかった。三人のうち二人が自殺であったことも影響が無くはないだろう。むしろ子どもの頃から親しんできた石原裕次郎や美空ひばりが亡くなったときのほうが「死の実感」には近かったように思う。渡哲也の直腸癌報道のときには、「ああ、手術してくれた本当に良かった」と、心から胸をなで下ろしたものである。
しかし、今回のスーちゃんは違う。キャンディーズをちゃんと認知したのは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」だったような気がするが、「普通の女の子に戻りたい」という衝撃的な解散劇とか、その後の女優転身とか、揖保の糸のCMとか、あまりにも長く、同時代を生き続けすぎているのである。なんとなくあたりまえのようにいつもテレビに出ていて、その姿を見る度に「ああ、スーちゃんだ」と言いながら、小学校6年生の4月4日の解散劇を想い出す……そんな心象が、この三十数年間に幾度も幾度もあったのである。
特に、彼女が40歳を過ぎてから、ぼくの好きなテレビの2時間ミステリーでときどき見せる、平凡な主婦の中に垣間見せる魔性……といったタイプの演技がぼくは大好きだった。いい女優になったなあ、あのスーちゃんが……なんて思ったことも、一度や二度ではない。
こんなことを書くことに何の意味もないことはわかっているし、スーちゃんの熱烈なファンだった人たちはぼくなんかには想像もできないほどにショックを受けているのだろうとは思う。
でも、スーちゃんの死はぼくにとって、なんというか、
「ああ、オレの友達もこれから、一人、また一人と逝ってしまうのだな……。いや、オレだってそろそろ逝くかもしれないと意識しながら生きる時期がそこまで来ているのだな……。」
そう感じてしまうような出来事だったのである。
スーちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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