四十代も半ばになって初めて気がついた
「先生、どうして3年生はずれちゃったの?」という3年生。「時期に慣れるさ」とぼくの応え。
「あたし、国語、堀先生が良かったぁ」という女子生徒の声。「じゃあ、2年生に降りといで」とぼくの応え。
「やっぱり堀先生のほうがいいなあ」という生徒会役員の声。「3ヶ月たってもそう感じたら、また来い」とぼくの応え。
年度が変わって、これまでもっていた生徒が校内にいるのに学年を変わるというのは、複雑な環境に置かれることを意味する。ぼくの次を担当する教師にはちょっと迷惑をかけているなあ……とも感じる。
ところがぼくはといえば、意識は既にすっかり2学年の一員である。スタッフが若いだけに、なんとなく責任が重い。いろんなことをフォローしなくちゃという思いで毎日を動いている。どうやらぼくは若い教師が好きなのだなあ……とも思えてくる。彼らは穴だらけで、不安げで、目を覆いたくなるような失敗もするけれど、総じてひたむきである。小手先の動きをしない。それだけに浮沈も大きいけれど、数ヶ月とか1年とか経ったときには、少しずつそれが生徒たちに伝わっていくに違いない。
失敗してもいいから、思った通りにやればいい。できる限りフォローしてやるし、どうしてもダメになったら担任くらいいつでも変わってやる、最後には骨も拾ってやる、そう思っている。
学校に「月刊生徒指導」5月号が届く。1頁を使ってぼくの本が宣伝されていて驚いた。帰宅すると、amazonから小学館「通知表所見文例集」を勧めるメールが届いていて笑ってしまった。「オレが書いたんだよ……」とPCにつぶやいてもだれも聴いてはくれない。デジタル世界の馬鹿馬鹿しさを表す一例である。
今週は23時に寝ている。おかげで朝はすっきり目覚める。昨日はPTAの呑み会だったからどうかな……と思っていたけれど、今朝もすっきり目覚めることができた。なーんだ、朝がつらかったのは寝不足のせいだったのか、と四十代も半ばになって初めて気がついた。夜型人間の馬鹿さ加減とはこういうものである。
今日ももう寝る。
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