全体指導の原理
「生徒指導」という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。生徒たちの服装・頭髪の乱れを注意することでしょうか。それとも、万引きや喫煙、飲酒などの指導でしょうか。いじめや喧嘩の指導を思い浮かべる方も多いでしょう。落書きや器物破損といった公共物の扱いに対する指導も必要です。また、最近は携帯電話をはじめとする、パーソナル・メディアが引き起こす複雑な事件・事故を思い浮かべる方もいるかもしれません。
実はこれらは、どれも突出した生徒個人に対応するタイプの生徒指導なのです。もちろん、事件・事故によっては集団化している場合も多々ありますが、いずれにせよ、これらの生徒指導は当該生徒・関係生徒を別室に呼び、教師が事情を確認したり説諭したり、場合によっては保護者と連絡を取り合いながら個別に指導する、そうしたタイプの生徒指導です。
しかし、生徒指導の基本、基本というより根本は、何といってもこうした個別の生徒指導をしなくても良いような学級集団、学年集団をつくることなのではないでしょうか。つまり、生徒指導の根幹は〈予防〉なのです。
もちろん、一年もの長い間、学級や学年に個別指導事案が一つも起こらないなどということは考えにくいことです。しかし、そうした事案が起こるにしても、教師が日常的に服装・頭髪・いじめ・触法行為等に関して訴えかけている場合とそうでない場合とでは、個別指導事案の頻度が変わってくることはもちろん、仮にそれが起こった場合でも解決への道筋がよりスムーズになるものです。その意味で、教師は事が起こったときは当然ですが、何事も起こらない平時においても、機会を見つけて学級・学年全体に対して「落ち着いた生活」「けじめのある生活」の必要性を語って聞かせなければなりません。私はこれを「全体指導の原理」と呼んでいます。
かつて私はこんな経験をしたことがあります。学年で集団万引きが発覚したのです。事情聴取を進めてみると、各学級に五~八人程度の万引き実行生徒がいることがわかりました。学年の先生方は大慌てです。しかしこのとき、私の学級には対象生徒が一人もいませんでした。その年、私は毎日の帰りの学活で、「それじゃあ今日も、万引き、喫煙、飲酒、援助交際はせずに清く正しく帰宅しましょう」と冗談めかして言っていたのです。おそらく私の学級に万引き実行犯が出なかったのはこのせいだと思われます。全体指導による〈予防〉に力があるという証拠です。
※久保田早紀の「夜の底は柔らかな幻」を聴きながら……。
久保田早紀/1984
久保田早紀名義のアルバムとしては最高傑作だと思う。 ファーストの「夢がたり」の印象が強く過ぎて、幻想的でエスニックなイメージばかりが先行する感のある久保田早紀だが、アイドルホップ路線が鳴かず飛ばず、ファドを前面に出したアルバム構成が失敗、本人が自信を喪失し自己を失った末にカトリックと出逢い、このアルバムあたりからは宗教色が垣間見える。しかし、そうした宗教的な思いと、デビュー当時のエスニックイメージと、更にはその後伴侶となる久米大作のアレンジとが見事にハーモニーを奏でる、完成度の高いアルバムに仕上がっている。もう30年近く聴き続けているというのに、まったく飽きが来ない。いま聴いても、決して古くない。
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