エリート教育
久し振りに〈エリート教育〉を始めている。
生徒の教育の話ではない。教師教育の話である。おそらく〈エリート教育〉をするのは5年振り。上篠路の高村くん以来である。
いま、同僚に逸材がいる。意欲的にも技能的にもセンスの良い若者である。要するにハートも脳みそも持ち合わせた若者である。間違いなく「超一流」になれるセンスをもった若者だ。自己主張も強いし、躰も強い。こういう若者とはなかなか出会えない。
先日、この若者を叱りつけた。教師を叱りつけるのもまた5年振りである(笑)。生徒指導で個人で突っ走り過ぎたのをとがめたのである。自己主張が強く、自身をもっている教師にはよくありがちなことである。別に生徒指導においてとった行動自体が間違っていたわけではない。学年教師が残っているにもかかわらず、事実報告会もせず合同打ち合わせも持たずにどんどん一人で進んでしまい、他の教師たちがその後追いをしなければならない状況に陥ったことを指摘したのである。
まあ、本人はそう感じてはいないだろうけれど……(笑)。
この若者は間違いなく、次のひとまわりでは学年主任か副主任になる。しかも学年の生徒指導を司る立場として。とすれば、一人で走ってはいけないこと、自分のステイタスを上げすぎることが周りにマイナスに機能すること、周りの先生方の個別事情や個別のキャラクターに配慮しながら学年を運営していかないと年度後半(多くは11月や2月)に学年のチームワークが乱れていくこと、こうした「目には見えないけれど大切な因果律」について学ぶ必要がある。それへの第一歩といったところ。
いま所属している学年はとてもおもしろい。まずスタッフが若い。学年主任が40歳で副主任が30代半ばの女性。あとは新卒や新卒3年目を含めて担任陣がみな20代前半から30代半ばである。男性4人、女性3人。みなキャラが立っていておもしろい人間ばかりである。それでいて副担任も充実している。20代の期限付き採用一人いるほかは、ぼくも含めた40代男性が二人、50代の大ベテランが男女各一人ずつ、もう一人女性がいれば……とも思うが、かなり理想に近い学年団構成である。ちゃんと機能すればかなり大きな力を発揮するし、ほころびが見え始めれば一気に崩壊もする、そういう編制である。
生徒指導のキーマンは間違いなく、この若者になる。彼が自分の学級、自分のステイタスのことだけを考えて動くのでなく、常に学年教師全員、学年生徒全体のことを考えて指導に当たることができるようになれば、ぼくごときが何もいう必要はなくなる。あとは自分で切り開いていけばいい。
こういう若者に接するのはとても楽しい。
※沢田研二の「TOKIO」を聴きながら……。
沢田研二/1979
ぼくが中学1年のときにリリースされたアルバム。1980年のお年玉で買って、毎日毎日聴いていたアルバム。「Dear」とか「ロンリー・ウルフ」とか「夢を語れる相手がいれば」とか「捨てぜりふ」とか、大人を感じさせるバラードがカッコよく思えたアルバム。いい出来だな……と思うのと同時に、ぼくにとってはノスタルジーにも浸れるアルバムである。あの頃のジュリーはすごかったな、と素直に思う。
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