6ミリと3ミリ
2年振りに煙草のタールを落とそうとしている。2年前に立てた5年間での減煙計画の一環である。正直なところ、実現するとはまったく思っていないのだが、一応、取り組んでみている。
5年計画とはこういうことだ。
【1年目】それまで吸っていた12ミリのLARKを6ミリに落とす。
【2年目】それまで吸っていた一日二箱のペースを一日一箱に落とす。
【3年目】それまで吸っていた6ミリのLARKを3ミリに落とす。
【4年目】それまで吸っていた一日一箱のペースを一日10本に落とす。
【5年目】それまで吸っていた3ミリのLARKを1ミリに落とす。
こういう壮大な減煙計画である。いかにもぼくらしい計画だと自分では思っている。いまこの計画の3年目が始まったのまで、これまでの6ミリを3ミリに落としている、というわけである。
始めて見ると、12ミリを6ミリに落としたときよりも、格段にきつい。タールが6ミリくらいあれば、まあまあ煙草を吸っているという感覚がある。だから、薄いなあ……とは感じながらも、6ミリに落としたときには煙草を吸っているなあ、うまいなあ、と1本1本を味わうことができた。
ところが、である。
3ミリになるとその実感が感じられない。煙は一応出ているものの、ぼくのようなヘビースモーカーには〈空気〉にしか感じられないのである。なにせ味がしない。5時間くらい吸わずにいて、さあやっと1本……というときでさえ、確かに楽にはなるのだが、胸騒ぎを沈めてはくれない。
煙草を吸わない人にはわからないだろうが、ヘビースモーカーが長い時間煙草を吸わないでいると、100匹の小さな小さな沢ガニが胸の中でガサガサゴソゴソとあばれまわっているような落ち着かなさに襲われる。それが6ミリなら完全になくなるのに、3ミリだと完全にはなくならないのである。
これは困った。
まあ、こういうのは慣れだとは思っているが、なにせぼくには禁煙経験も節煙経験もない。もう30年近く(計算が合わないけど、許してね)、ずーっと煙草を相棒に生きてきたのである。最盛期には1日4~6箱吸っていたほどだ。いまでも呑み会や原稿執筆ではチェーン・スモーカーに戻ってしまう。
そんなぼくが12ミリから6ミリに落とせただけでも奇蹟だと思ったものだが、この5年計画の最初の2年間が思いのほか予定通り進んでしまい、今回もやってみるかと思った次第である。
煙草はいいものである。もしもぼくが煙草を吸っていなかったなら、ぼくに生徒指導を教えてくれた多くの先輩教師たちはぼくをあんなには可愛がってはくれなかっただろうし、いまなお研究会の度に喫煙所に集まるいつものメンツにはなんとなく本音で語り合う空気がある。
もう世の中ではまったく通用しないけれど、煙草にはいまなおコミュニケーション促進剤としての作用があるように思う。
ああ、3ミリがまずい……。
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コメント
私の場合、「煙草=セブンスター」です。
最近、セブンスターが店頭から消えて辛い思いをしています。メンソールはあるのですが・・・。仕方がないので、今日はマルボロの12mgです。
計画変更して、6mgを一日10本にしたらどうでしょう? それにしても、煙草話がしにくい世の中になりました。こういうblogを目にすると嬉しくなります。
投稿: 門島 伸佳 | 2011年4月16日 (土) 22時53分
不味いからやめちゃうっていう思考転換はいかがでしょう。禁煙12年目の元赤LARKERより。
投稿: やあまん | 2011年4月17日 (日) 05時39分