かつての原稿を整理していたら、2002年の春に書いた家庭訪問の原稿が見つかった。35歳の原稿である。たぶん、小学館の「中学教育」の原稿だと思う。最近上梓した「学級経営10の原理・100の原則」の家庭訪問の項の元になった原稿でもある。
ちょうど時期なので、掲載しようと思う。
【失敗しない家庭訪問】
1 教師にもそれぞれのキャラがある
私は現在、教職11年目である。この11年間はすべて担任だ。家庭訪問も11年間にわたって、毎年行き続けてきた。現在、私の家庭訪問の実態は、次のようなものだ。
母 どうもいらっしゃいませ。
堀 いやあ、どうも。堀でございます。
母 どうぞ、お入り下さい。
堀 失礼します。
母 どうも息子がお世話になっております。
堀 いえいえこちらこそ。本人は家でなんか言ってます? 新しい学級のこと。
母 ええ、とにかく楽しい、って。なんだかわいわいと……。
堀 おお、そりゃ良かった。なんたって楽しいのが一番だからねぇ。僕の印象は、なんか言ってますか?
母 はあ、なんか面白いけど、変な先生だって……。
堀 ははは……そうでしょう? みんなそういうんですよ。母さんはどうですか? 僕の印象、率直に言って……。
母 ……。
堀 いやあ、正直に言っていいんですよ。率直に言って、悪かったでしょう? ひげ面だわ、でかいやらで……。
終始、軽い調子である。こういった対話の在り方は、多くの若い教師に支持されるはずである。このように、教師と保護者とがざっくばらんに話すことができたら、教育活動もうまく行くことが多いのではないか……。若い教師はそう考えがちである。
しかし一方で、こういった訪問の在り方を失礼だと言う先生方も多い。特に、ベテラン教師の多くはそう考えるに違いない。そしてこうした考え方は、軽い調子の家庭訪問を11年間続けてきた私でさえ、肯定するのである。もしも同僚の新卒教師が、私の真似をしようとしたならば、私はすぐに「やめた方がいい」と助言するだろう。
教師にもそれぞれのキャラクターがある。このような家庭訪問での対話は、私という教師のキャラクター故なのである。つまり、学校でも生徒相手にこのキャラで教育活動を行っているからこそ、家庭訪問でもそれで通しているのだ。いわばこれは「演技」なのである。私は意識的に、こういうキャラを演じているのである。
2 まずは〈自己キャラ〉を分析する
例えば、同僚の女性教師が「こら!」などと大声を張り上げて生徒指導を行っているのを見て、違和感を覚えたことはないだろうか。或いは、どこから見ても強面の男性教師が生徒と和気藹々で談笑しているのを見て違和感を感じたことはないか。優しそうでまじめそうな細面の男性教師が、非行生徒と対面でやりあい、生徒に押し切られたのを見たことはないだろうか。これらはすべて、教師の「自己キャラ」分析ができていないことから生じた違和感なのである。
周知のように、学年の教師集団には、それぞれに役回りがある。
ある者は生活指導教師として、生徒の服装・頭髪・挨拶の仕方などに対して、厳しくチェックすることが役回りである(父性型教師)。ある者は教育相談的な教師として、カウンセリングマインドを旨とした繊細な接し方をする役回りである(母性型教師)。ある若手の教師は生徒たちの兄貴分として友達的な接し方をし、生徒達から教師には見えづらい情報を入手する(友人型教師)。こうした役回りがきちんと意識されており、それぞれが機能的に動き、尚かつチームワークがとれているというのが、理想的な学年集団である。
そして、それぞれの役回りは、学年に所属するそれぞれの教師のキャラクターによって設定されるのである。生徒指導においては、それぞれの教師のキャラクターを最大限に活かした役割分担がなさるべきなのである。また、この三つの役割のどれをも演じられる教師ほど、或いはそれぞれを使い分けられる教師ほど、教師としての実力が高いといえる。
こうした役割分担を意識した上で、私は学年の男性教諭の中では最も若く、生徒達を笑わせることも得意としているので、「友人型教師」の役回りを意識的に演じている。つまり、それが家庭訪問の在り方にも、つながっているわけである。
3 家庭訪問には十箇条がある
本稿のテーマは「失敗しない家庭訪問」である。一般的に家庭訪問が失敗しないためには、次のような十箇条が考えられるだろう。
(1) 明確な目的をもって訪問すべし
家庭訪問の目的が、最低でも、家庭環境を把握することにあるのか、子どもの性行を確認することにあるのか、対応の仕方の話し合いにあるのか、このくらいは明確に意識して臨むべきであろう。
(2) 細かな情報を用意すべし
一年間の行事の見通し、高校入試の情報、学校の基本姿勢といったことは、訊かれたときにすぐに答えられなくてはならない。わからないことを尋ねられた場合には、即答を避け、明日調べてお電話いたしますと答える。
(3) 時間通りに訪問すべし
若い教師にはこれが難しいようである。家庭訪問は保護者がわざわざ時間を割いてくれている。できるだけ時間通りにまわらなくてはならない。また、時間通りにまわれる日程を立てなくてはならない。
(4) できるだけ本人を交えて話すべし
これは家庭訪問の目的によって変わることなので、必ずしも本人がいた方がいいと言えるものではない。しかし、年度初めの家庭訪問であれば、親子の会話の様子から親子関係をはかることもでき、また、教師と生徒との話し方、関わり方を保護者に見せることもできる。
(5) できるだけ褒めるべし
年度当初の家庭訪問から、注意や説諭が中心では保護者も警戒してしまう。短い期間で子どもの良いところを見つけ、それを伝えてあげることを忘れてはいけない。
(6) できるだけ具体的な話をすべし
子どもを「いい子ですね」「積極性がありますね」と抽象的に褒めるだけではいけない。具体的なエピソードを交えながら、保護者の目に浮かぶように描写的に語るべきである。
(7) メモは訪問後に取るべし
話をしている目の前でこと細かくメモを取られるのは、あまりいい気がしない。聞いた話をメモするというスタンスではなく、あくまでも「対話」をするつもりで訪問すべきだ。その場でのメモは大切な数字やデータ、健康に関わることのみとし、必要なメモは辞してからするのが礼儀に適う。
(8) プライバシーを口外するべからず
家庭訪問で何軒もまわっていると、先ほど訪問した家で出た話題と同じ話題が出ることがある。つい気がゆるんで、「○○さんでも同じことがあったそうですよ」などとやりがちである。これは厳禁である。
(9) 他人を批判するべからず
保護者が子どもの友達の悪口を言ったり、ある教師を中傷したりする場合がある。いっしょになって非難するのは厳禁である。そういう噂は必ず漏れると心得るべきだ。
(10) 接待を受けるべからず
若く独身の男の先生には、保護者もお菓子や飲み物だけでなく、夕食やビールを振る舞おうとする場合がある。これは絶対にいけない。あの先生は○○さんの家で酒を飲んだということが、次の日の朝には学年中が知っている、ということになる。また、ある家で接待を受け、ある家では受けないという差をつけることにもなるからだ。
以上の十箇条を守るならば、少なくとも「失敗しない家庭訪問」にはなるはずだ。
4 〈自己キャラ〉に応じたメリハリを
しかし、「失敗しない家庭訪問」は、あくまで「失敗しない」というだけのことである。「失敗しない」ことは「成功する」ことと同義ではない。そして、この「家庭訪問十箇条」を応用し、「自己キャラ」に応じて保護者と接し、自分を印象づけるとともに有益な情報を引き出してこそ、家庭訪問は「成功した」と言えるのである。
例えば、私は接待について、毎回生徒達に次のように言う。
「先生はコーヒーが好きです。それも濃~いコーヒーが好きです。薄いのはコーヒーだとは思っていません。家庭訪問に行くと、ケーキとか和菓子とか、いろんなものが出されますが、先生はそれらには一切手をつけません。基本的に気遣いはいらないんですが、もしも何かを出してくれるのなら、濃~いコーヒーをお願いしますと、父さん、母さんに言っといてください。お願いします。」
ここ六年ほど、この言い方で通すことにしている。二つの利点がある。
第一に、各家庭によって受ける接待に差が出ない、ということである。日本は贈答文化の国であるため、家庭訪問で先生が来ているのに、何も出さないというのは保護者も気が引けるようである。私はコーヒー好きなので、すべての訪問家庭でコーヒーをいただくことにしている。もちろん、その他には一切手をつけない。
第二に、教師の言ったことがどの程度ニュアンス通りに保護者に伝わるかをはかることができる、ということである。大抵の家では、保護者の方から「先生は濃~いコーヒーがお好きなんですって?」と、笑いながらコーヒーを出してくれる。これはこれでおいしくいただけばよい。しかし、中にはケーキと紅茶が出てきたりする家もある。こうした家では、間違いなく私の話が家庭の会話の中で出ていないのである。それほど罪のない言い方だからこそ、こうした日常的な会話の在り方をもはかることができるのだ。
もう一つ例を挙げよう。
一般に、家庭訪問ではプライバシーにあまり深く踏み込まない方がいいとされている。しかし、いわゆる母子・父子家庭の家庭環境の実態だけは是非ともつかんでおきたい。子どもに直接聞くにはデリケートな問題だからだ。ラポートがしっかりと取れた後ならともかく、年度当初ならばこれは保護者に聞いた方がよいだろう。ある程度、会話がはずんだところで、私は次のようにストレートに切り出すことにしている。
堀 ところで、失礼なんですけれども、○○さんは家庭環境調査によりますと母子家庭なんですけれども、お父さんは死別なんでしょうか、離婚なんでしょうか。
母 はあ、離婚です。
堀 本人はお父さんに会うことはあるんでしょうか。
母 はい、あります。時々ですけど。
堀 どのくらいの頻度ですか。
母 三ヶ月に一度くらいです。
堀 本人はお父さんのことをどのように言ってますか。お母さんの手前もあるでしょうけど……。
母 はい、ほとんどしゃべらないんですよ。
堀 まあ、その家庭家庭でいろいろでしょうけど、それはよくないかも知れませんね。精神的にも微妙な時期ですから……。お母さんが考えているよりも、中学生というのはずっと大人でいろんなことを考えていますから、機会を見て話してみるのもいいと思いますよ。
こういう話はまじめにする。それまでが軽い調子だっただけに、保護者も大切な話なのだという思いで対応してくれる。こういうメリハリも家庭訪問では大切なことである。こういったメリハリをどうつけるのかも、「自己キャラ」を知って、初めて決まるのである。
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