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パンプキン・パイとシナモン・ティー

この曲を聴くと肩の力が抜ける。この曲を聴いて力が抜け目ことによって、肩に力が入っていたのだと気づかされたことも一度や二度ではない。そんなふうに三十年以上にわたってフッと微笑ませてくれている、そんな曲である。

34e1a1909fa06a4a73c20210_lパンプキン・パイとシナモン・ティー」は「夢供養」(1979年)というアルバムに収録されている。「待つわ」のあみんがこの曲に登場する「安眠」という喫茶店名からとられている、というのも有名な話である。「天までとどけ」「関白宣言」「親父の一番長い日」と立て続けにソロヒットを飛ばした年の、レコード大賞ベストアルバム賞を受賞したアルバムでもある。いずれにせよ、さだまさしとしてはおそらく最も売れたオリジナルアルバムなのだろうと思う。ぼくも当時、ご多分に漏れず購入した。

松山千春と長渕剛と並んで、さだまさしは70年代末から80年代初頭にかけて、第二次フォークブームを巻き起こした。千春・長渕がどこか攻撃性を帯びた、自分の世界観に聞き手を〈迎えに行くフォーク〉だったのに対し、さだのそれはさだ流の大和言葉を駆使して、聞き手の中に世界観が形成されるのを〈待つフォーク〉だったという印象を抱いている。そしてぼくはどちらかといえば、千春や長渕のような〈迎えに行くフォーク〉を中心に聴いていた。

こんなことを考えるのは、最近、ぼくの授業観を作り直そうというぼくの試みとリンクしているからだ。

従来の一斉授業で教師が用いる言葉は、すべてが〈迎えに行く言葉〉だった。おいで、こっちにおいで、そう子どもたちを迎えに行くのである。しかも学校という様々な社会的コンセンサスを背負って、子どもたちにもそれをオーラとして実感させつつ。子どもたちが何か言葉を発すれば、教師はすぐに応じる。いわば〈迎え撃つ言葉〉もふんだんに用意されている。必然的に、子どもたちは肩に力が入せざるを得ない。教師が迎え撃とうと肩に力を入れているのだから、当然そうなる。

〈迎えに行く言葉〉は道具言語観に立っている。それは伝える言葉だ。伝達する言葉だ。ぼくのことをわかって、いまこういう気持ちでいるんだよ、こんなふうに考えたんだけどどうかな、千春も長渕もそういう世界を歌い続けている。

しかし、言葉が言葉を発する者の中で機能するのは、決して伝えられ伝達されて理解できたときではない。

例えば、生徒指導場面において、ひと言いっては間、ひと言つぶやいては間、という連続の中で、カール・ロジャースよろしく教師が非指示の〈待ちの姿勢〉で応じていると、ぼそぼそとした言葉の中からふと生徒自身が自らに巣くう某かを発見して饒舌に転化することがある。ぼそとぼそとがつながり、光明らしきものがぼんやりと見え始めるのは、それ以前のぽつりぽつりと雫が落ちるようなつぶやきが数十分、数時間と続いたあとなのである。これを〈したたり落ちる言葉〉と呼ぶとして、〈したたり落ちる言葉〉は教師が〈迎えに行く言葉〉を発しているうちは決して現象しない。そういうものなのである。そこには〈待つ言葉〉が必要なのだ。

例えば、学校行事の企画を生徒といっしょに立てているときに、ああでもないこうでもないと各々が思いつきを語っているうちに、ふとしたある瞬間から思いつきが思いつきを呼び、その場にいる全員が満足するような企画が一気に決まってしまうことがある。こうした場面において、教師はもちろん〈迎えに行く言葉〉を使っていない。かといって〈待つ言葉〉を使っているのでもない。むしろ、アイディアを出す者としては教師も生徒も同列であるという場の状況が教師と生徒との関係をフラットにさせ、長い時間、〈戯れる言葉〉を発し続けているうちに、同時多発的な発見と連鎖の一瞬を迎え、言葉があふれ出すのである。これを〈あふれ出る言葉〉と呼ぶとして、〈あふれ出る言葉〉は教師が〈迎えに行く言葉〉を発しているうちは決して現象しない。そういうものなのである。そこには〈戯れる言葉〉が必要なのだ。

〈待つ言葉〉も〈戯れる言葉〉も、教師が〈迎えに行く言葉〉を使い〈迎え撃つ〉用意をしているうちは決して現象しない。肩に力の入っているうちは決して成り立たない。「パンプキン・パイとシナモン・ティー」を聴いているときのような、精神のリラックスを必要とする。それはきっと、具体的な目標とか目的とかをもたずに、何かわからない何かが産まれるのを〈待つ〉という姿勢で、ただ過ぎていく時間と〈戯れる〉ことを楽しむ姿勢になり切れた、そんなときにのみ現象するものなのである。

教師が子どもに〈したたり落ちる言葉〉と〈あふれ出る言葉〉こそを求め始めたとき、この時代の学校教育が少しだけ変わっていくような気がしている。

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