せめてパラレルワールドを信じたいものである
20日(日)
朝、すっきりと目覚める。久し振りに朝食を食べようと部屋を出る。各部屋の前にプラスティックのボールが転がっている。なんだろう……と不思議に思う。和食を中心にバイキングで朝食を済ませ、珈琲を二杯飲む。
窓から昨夜のバーの入り口が見える。あの二人のOLは今頃何をしているだろうか、なんてことを考える。昨夜はメイク以外のことにも問題意識はもっているだろうに、せっかくバーでうまいカクテルを飲みながら、そんな話題しかないものなのかと思ったものだが、二人の人間関係ではあの話題が一番無難だったのかもしれない、なんてことを考えてみたりもする。いずれにしても読書に集中させてくれない二人の喧噪は迷惑だった。それともバーで本を読もうとするぼくが変なのだろうか。
シャワーを浴びて、部屋を出ると、ドアの前のボールがぼくの部屋の前にしかない。そうか。まだ部屋に人がいるという合図だったのか。しかし、それがプラスティックのボールとは……。軽く見られたものである(笑)。もう少し何かアイディアがないのだろうか。あんなふうに客に見える形ではないアイディアが。
荷物をごろごろ転がしながら10分ほど歩いて目的地へ。実は今回の東京行きは免許更新制度の試験である。二つ目の試験、「行動科学概論」の試験問題が良い問題だった。行動科学のある理論を用いて自己分析し、800字程度で論述せよ、というのである。テキスト持ち込み可というから、すっかり知識を問われる、要するに用語レベルでの試験だと思っていたのだが、論述試験。それも骨のある課題である。とても楽しい60分間だった。
終了と同時に電車に乗り、山手線、モノレールと乗り継いで羽田へ。飛行機は18時50分なのだが、うまくいけば前の便に変更がきくかもしれない。急いだ甲斐あって1本前の便に変更してもらった。飛行機の中で再び「パン屋再襲撃」。
「象の消滅」という短編に泣けた。飛行機の座席で文庫本を読みながら泣いているひげ面の中年男という異様な図である。この度の震災の被災者もこの象と飼育員のように幸福なパラレルワールドに移行したのだったら良いのに……。そう思わずにはいられなかった。きっとぼくらが知らないだけでもう一つの世界はあるに違いない。そう信じたいものである。
千歳に着くと、妻からの着信履歴がある。電話をしてみると、気仙沼の友人から連絡があったという。奥さんもお子さんも無事で、避難所にいるという。ただ、自宅も実家も津波に流され、実家のお母さんは行方不明だともいう。良かったという思いとともに、なんとも言葉にならないざらりとしたものがわいてくる。ついに怖れていたことが……。これまで連絡のついたぼくの友人も、ぼくの友人の関係者もだれ一人亡くなったとか行方不明だとかいう人はいなかった。しかし、これまで連絡のついた人たちはみんな仙台市内だった。しかし、気仙沼ということになると、そうはいかなかったようである。
いよいよ、被害のなかった札幌に住んでいるぼくのところにも、抽象的な哀しみではなく、具体的な哀しみが襲ってきたようである。自分に何ができるか。募金というレベルではない、具体的な手立てを考えるデリケートでもあり、蟻地獄のようでもある喪失感がやってきた。
せめてパラレルワールドを信じたいものである。
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