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珈琲

初めて一人で喫茶店に入った日のことをよく覚えている。

ブロックくずしとインベーダーを両方置いている喫茶店があって、お年玉のなかから2000円だけ持って、しずしずと入り口のドアを開けた日のことである。小学校6年生の冬休みのことだ。なぜその喫茶店に両方のゲームがあることを知っていたのか、それはもう覚えていない。親といっしょに行ったことがあったのかもしれないし、友達に聞いたのかもしれない。

中学時代は札幌の「ペペ」、高校時代は帯広の「くれよん・はうす」、浪人時代は札幌の「ヌーヴォー」、大学時代は岩見沢の「琥珀」、就職しての独身時代は札幌の「北都館」、それから必ず毎日のように行く喫茶店をもっていたものである。

喫茶店に行かなくなったのはいつ頃からだろうか。入りたいと思うような喫茶店がない。珈琲の味も覚えてしまい、よほどうまい店じゃないと通おうなどとは思わない。その意味では西区の「北都館」はいい喫茶店だった。ストロング・ブレンドが猛烈にうまい。マンデリンも香りがいい。毎日、交互に飲んでいたっけ。

喫茶店に行かなくなった理由ははっきりしている。中学時代から浪人時代まではそこに行けば仲間がいたからだ。珈琲一杯で何時間でもおしゃべりをしている。きっと喫茶店である必要はなかったのである。ただ、目的のないおしゃべりをする場所が必要だった。それだけだ。

大学時代の「琥珀」はマスターの栗さんが好きだった。そこには「三国志」と「あしたのジョー」と「キャプテン」と「プレイボール」があって、同じ漫画を何度も何度も読んでいた。たまにはバーボンも飲んだ。「琥珀」の珈琲はそれほどうまくはなかったから、あそこに通う目的はマスターと漫画とジャズだったように思う。ジャズなんてチェット・ベイカーとジェリー・マリガンしか聴いたことのなかった自分が、栗さんのおかげでずいぶんと詳しくなった。その後、栗さんは医者の誤診で指を亡くし、それから数年後に亡くなった。確か肺癌だったと思う。まるで村上春樹の小説のようだ。

就職して4年間は「北都館」である。ぼくは「北都館」の隣に部屋を借りていた。正確に言うと、「北都館」から「進龍」(字が違うかもしれない)というラーメン屋をはさんで隣の1DKマンションである。夕食は「進龍」で、その後、「北都館」で食後の珈琲、それが4年間続いた。

喫茶店に行かなくなったのは酒の味を覚えたからである。特に日本酒を飲むようになってからはほとんど行かなくなった。白石区に住むようになってからは、近くのどこに喫茶店があるのかさえ知らない。白石区には馴染みの酒屋なら何軒もある。

ぼくはここ2週間ほど、酒を口にしていない。別にやめようと思っているわけじゃない。ここ2週間、研究会がなかったので、飲む機会がなかっただけである。家で酒を飲むということはあまりない。それだけのことである。ちょうど明日は学校の国語科の呑み会だから、またたらふく日本酒を飲むことだろう。

酒を2週間も飲まないでいると、うまい珈琲が飲みたくなる。コーヒーではない。珈琲である(笑)。なぜか珈琲は「珈琲」と書かねば納得できない。

週末にはうまい珈琲屋を探してみようと思う。

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