秋葉原と浅草橋と二人のおばちゃん
19日(土)
上京するため新千歳空港に向かう。自家用車での移動である。ちょうどカーステレオで80年代のオムニバス盤がかかり始め、気分じゃないなと想いながらも懐かしいヒット曲たちを聴いていた。
ジョン・レノンから始まり、デュラン・デュラン、イエス……、どれも聴くともなしに耳に入ってきている……という感じだった。ところが、ちょうど高速に乗って恵庭インターを過ぎるあたり。シーラ・Eの「ザ・グラマラス・ライフ」が流れ始めた。続いてチャカ・カーンの「フィール・フォー・ユー」も。なんとなく気分がというか、身体の奥がというか、躍動の方向に少しだけ移動するのを感じた。音楽の力といおうか、リズムの力のいおうか。いずれにしても、少しだけ元気になった。
両方とも、歌詞をみるとどうということもない曲である。いや、楽曲自体がいかにも80年代的なダンス・ミュージックに過ぎない。それなのに、この二曲はぼくの中に何かを生み出してくれた。この両者、ぼくはかつてライヴに行ったことがある。シーラ・Eは東京で、チャカ・カーンは札幌で。そのときの興奮を躰が覚えていて、それが気分を高揚させてくれたのだと思う。なんとなく、これからいいことあるぞ、という気分にしてくれた。音楽の力だけでなく、記憶の力でもあるのだろう。
空港に着くとチェックインを済ませ、早々に出発ロビーに入り、喫煙所で村上春樹の「雑文集」の頁を繰る。ワンフレーズ読んでは少し考え、少し考えてはまたワンフレーズ読み、遅々として進まないいつもの読書の仕方。特にオウム真理教関連の記述がおもしろく、時の経つのを忘れた。待ち時間も、飛行機の中でも、モノレールでも山手線でも読み続けた。すっかり村上春樹にはまってしまい、羽田で「パン屋再襲撃」の文庫本も買った。かつて読んだことがあるのだけれど、まあよいだろう、そう思って。
ホテルは秋葉原。チェックインと同時にこの3連休でどうしても書かなければならない雑誌原稿を1本書く。夕方になって食事をと思い、秋葉原をぶらぶら。でも、大衆居酒屋ばかりでぼくの好きなこぢんまりした汚い(?)居酒屋がない。カウンターに座って大将やおばちゃんと話ができるようなタイプの居酒屋である。30分ほどぶらついたが、声をかけてくるのは女子大生専門クラブとメイドカフェのビラ配りばかりである。残念ながらそういう趣味はない。
ふと、夏に浅草に演芸を見に行ったあとにふらりと入った、おもしろいおばちゃんの居酒屋を思い出した。そういえば、おばちゃんと話し込みながら5時間くらい日本酒を飲んだっけ。確か浅草橋駅の近くだったはず。しかも秋葉原と浅草橋は駅一つの距離である。タクシーを拾って移動。道路を眺めながら、これが本当に東京かと思うような暗さに驚く。看板にネオンの類がいっさい灯っていないのである。運転手さんに訊くと、節電への協力でどこもネオンを灯すのを控えているのだという。東京中がこんな感じだともいう。
浅草橋に着いて、これまたしばらくぶらぶら。店を探す。たしかこのへん、たしかこのあたり、こんな感じの入り口だったのでは……と探すこと20分ほど。しかし、店は看板はあるものの、営業していなかった。隣にいた客引きに尋ねると、年末に店を閉めたという。そうか。夏も5時間、客はぼく一人だったものな。それにしてもあのおばちゃん……というか、もうおばあちゃんだったけど……に逢いたかったなあ。
結局、浅草橋駅で電車に乗り、秋葉原にとんぼ返り。駅近くのラーメン屋で夕食を済ませ、ホテルの斜向かいにあるバーにはいる。カウンターに座り、マッカランのロックとチーズ。そこで「パン屋再襲撃」を読みながら過ごす。一つ置いて座っているOLとおぼしき二人がうるさい。相手の男のタイプによってメイクの方法を変えねばならないという話を延々としている。
ホテルに戻り、マッサージを呼ぶ。ゴリラみたいなおばちゃんはこれまでで一番というほどの腕。会津若松出身だそうで、今回の震災に胸を痛めていた。いろんな話をしながら、60分間、疲れを癒してもらう。おばちゃんが帰ったあと、PCの麻雀を2ゲームやって就寝。
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