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偶然と必然

寝てばかりいた。仕事といえばある担任に頼まれて火曜日の学級懇談会用のDVDを一枚焼いただけ。あとはドラマを見て、ソファにまどろみ、犬と戯れ、本を開き、風呂にはいり……とまあ、要するに何もしない。

ゆったりとした週末もこれが最後になる。来週はとある用件で東京、再来週は学年の打ち上げで温泉、そしてその翌週からは怒濤の新年度研究会の連続に入っていく。

本の執筆は平日に少しずつ進めている。毎日少しずつ進めていると、10日も経つとけっこうな量になる。正直、自分でも驚いてしまうほどに進んでいる。いまは7割といったところ。そろそろ終わりが見えてくる時期である。何事も終わりが見えてくると嬉しいものである。やる気が出てくる。この二日間で一気にやってしまおうかとも思ったが、やめた。休むことを優先した。頭の中が言語技術だけになる週末を送って来週の1週間を過ごすのは、なんとなく得策でない感じがしたからだ。

昨日もちょっと書いたけれど、「通知表所見の10箇条」という2009年7月の記事がこの週末で500アクセス。世の中の先生はこの週末に通知表と格闘しているのだなあと思うと、だらけた二日間を過ごす自分が申し訳ないような気もしてくる。副担は気楽な稼業と来たもんだ、である。でも、自分が担任だったときに休日に通知表をやったということはない。申し訳ないが、週末をあてにする仕事の仕方をしている、その結果という面もあるのだ。

録画しておいた「悪党」を2週分まとめて見た。内山理名出演ドラマだから見ているわけだが、高橋克典色が濃すぎて内山理名がつぶされている。もちろん演技力がないわけではないのだが、たぶん本が内山理名に合っていない。でも、こういうのもちゃんと一つ一つ踏み固めて行くのだろうなと思う。29歳らしいから、まだまだこれからである。

上篠路時代の若手教師から手紙をもらった。新刊を送っての礼状である。ずいぶんと長い手紙で、形式的なものではないのがよくわかる。今年やっと教員採用試験に合格し、不安に感じながらも担任をもってみたい、頑張ってみたいとの心情が綴られている。ぼくが面倒を見ていた頃は、精神的にふらふらとしたやつだったのだが、この4年間でずいぶんと成長したようである。それが文面ににじみ出ている。当時はほんとうに「面倒を見た」という言い方がふさわしいような若者だった(笑)。時は流れているのだ。

野中さんからもメールが来た。これも新刊を送ったことへの礼状である。東京・京都と「明日の教室」は大成功だったようで何よりである。ただ新卒教師を育てるのは「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」が最も効果を発揮するわけで、ぼくも自分の学年で面と向かって指導した若者と比べて、研究会でエッセンスを伝えただけの若者から来る相談からぼくの言っていることの「伝わらなさ」を実感させられたことは一度や二度ではない。研究会で伝えたものはOJTの成果の1割にも満たないというのが実感である。藁にもすがる想いで野中講座に訪れた若者たちが、職場でよき先輩に巡り会い、野中さんから学んだことを一つ一つ噛み締めながら自分のものにしていくことを切に祈る。

今日は書斎で過ごした時間はすべて、松山千春の「偶然と必然」が流れていた。一日、いろいろなことを考えながら、頭に浮かんできたことを「偶然性」と「必然性」とに分けてみる、そんな試行を繰り返した。コンテンツとなっていくのは数年後かもしれないが、その萌芽は今日である。休むべき日に休むようになったのは、こういうタイプの生産が有益であると実感させられることが多くなってきたからでもある。

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