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「ストーリーをつくらない」ということ

暴力を使って拷問して相手にストーリーに合うような供述をさせるというのは、下策の下です。暴力など使い、あとで問題となったら大変で、検事をクビになってしまうかもしれない。そんな危ない橋を渡らなくても、もっと楽な方法があるのではないかと。このようなわけで、ストーリーにあった調書を検事が勝手に作文するのです。そして、最後のところに、相手に署名と指印をしてもらう。そうすれば、一件落着。何も拷問など面倒なことをする必要もないのです。/暴力を使って自白を引き出すのは要領の悪い素人のやることだという特捜部の考え方が、説得力をもって理解されると思います。〈『「捏造」する検察-史上最悪の司法スキャンダルを読み解く』井上薫・宝島社新書・2010.12.17〉

大阪地検特捜部の前田恒彦元検事がFD改竄によって証拠を捏造したと報道されたのは、昨年の9月21日である(「朝日新聞」朝刊 「検事、押収資料改ざんか/郵便不正事件 捜査の見立て通りに FDデータ書き換え」)。

前田元検事は検察庁内で「割り屋」と呼ばれていたらしい。「割る」というのは「口を割る」ことで、要するに「取り調べの相手に口を割らせるのがうまい」の意である。

「割り屋」との評価によって出世してきた前田元検事にとって、取り調べ相手から上司の描いたストーリー通りの供述をとり、その検察側が作文した供述調書に署名・指印させねことは何よりも大切なことだった。暴力こそ振るわないまでも、あくまで検察側の作文に対して手を変え品を変えて説得することによって署名・指印させる、それが優先順位の一番であったのだ。そのためには「悪いようにはしないから」といった懐柔や「家宅捜索すれば家族も近隣から色目で見られるぞ」といった威圧も厭わない、そういう人物であったと報道されている。そして、こうした描かれたストーリーを前提としてなされる取り調べの在り方は、特捜部において最も顕著だったとの論評も流れた。前田元検事のFD改竄もこうした空気の中で行われたのだとする論評である。事の真偽は私にはわからない。

こうした報道に接して、多くの人たちが検察はひどいことをするものだと感じたはずである。だからこそこの事件は「史上最悪の司法スキャンダル」と呼ばれたのだから。

しかし、私が言いたいのは、事の重大性に違いはあるはにしても、こうしたストーリー通りの内容を取り調べ相手に認めさせようとする構図は、学校教育においても日常的に行われているのではないか、ということである。検察の取り調べによる自白調書が裁判の重要な証拠になるのに対し、学校において指導の名において行われる供述がせいぜい「ごめんなさい」すれば済まされるという違いがあるからそれほど問題にされないだけである。

「それは違う。でも先生は認めてくれない」

こういう思いを抱きながら、納得できぬままに納得した振りをせざるを得なかった児童生徒は、学校教育史上無限大と言わねばなるまい。先般、モンスター・ペアレンツだと提訴した小学校の女性教諭がいたが、その元となっている女児の喧嘩の仲裁もこの手の問題だった。教諭が最初からストーリーをつくり、それに合うような供述をとろうとして指導が行きすぎたのである。私はこれをかなり大きな問題であると指摘したのだった。

教師が教師のあらかじめ作り上げたストーリーに従って指導するということは、思いの外多い。中学校における生徒指導を得意とする教師たちは、ストーリーを描かないで事情聴取を重ねる。想いを一切捨象して、起こった事実だけを述べよと関係生徒に強く釘を刺して事情聴取に当たる。それも一人の生徒に必ず一人の教師がついてである。それを全員で突き合わせて、まずは起こった事実を明らかにしようとする。これが明らかにならないと指導が始まらないと認識している(もちろん、生徒指導を得意とする教師たちであって、中学校教師全員が……ではない)。それが生徒たちから生徒指導に対するある種の信頼を得るための第一歩なのである。

もちろん、このような中学校的な事情聴取は小学校ではできない。複数の関係児童がいた場合に、事情聴取をする教師が関係児童分の数だけいないからである。しかし、それならばなおさら、思い込みでストーリーをつくらず、とにかくまずは起こった事実を確認するのだというストイックな構えが必要であるはずだ。しかし、小学校においても中学校においても、多くの教師たちにそれができない。

ちょっと厳しい言い方になってしまったが、前田元検事をはじめとする大阪地検特捜部に関する本を読んでいて感じたことを率直に述べさせていただいた。

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