思考の高度
沼澤先生が珍しくブログで怒りを顕わにされている。
私の知る限り、沼澤先生は温厚な人格者である。ブログの内容にも内省が多い。内省の多い方は信用できる。私のなかで既に疑われることのないテーゼになっている。その彼がブログで外に向けて怒りを顕わにしているのだから、言葉はやわらかながらかなり腹に据えかねたのだろうと推測する。
怒りの対象は石原慎太郎都知事の震災に対する発言である。
日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う。(詳しくはこちら)
これを受けて、沼澤先生は短い記事を次のように閉じている。
世の中に言ってはならない言葉は多くないかもしれないが、時と場合を考えることが最低の条件でもある。/そんな自制のない言葉遣いでトップが務まるものなのか。/今は批判などしている時ではない、また「寛容」の精神が大切だという。/それらを承知しながら、私も結局言いたいことを記したのかもしれない。しかし、これは言うべきことという思いも強い。
誤解を怖れずに言えば、被災者の心情の問題は別として、石原都知事のように日本人の現状を評する解釈は「ありえる解釈」である(もちろん、私は賛成しない)。おそらく石原都知事のように考えているタカ派やある種の民族原理主義者はけっこういるのだろうと思う。
これまた誤解を怖れずに言えば、被災者の心情だけを基準にこの度の震災を考えるよりも、石原都知事のような国家的視座、民族的視座からこの度の震災を捉える「解釈」のほうが、メタ認知する〈思考の高度〉としては高いのかもしれない。それを暗に示すかのように、本人としては表現のきつさを緩和するつもりで、「津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。」といった情意表現を駆使しているのだろうと思う。「積年たまった日本人の心アカ」という言い方にも、あくまでも被災者のことを言っているのではなく、歴史的な日本人論としてですよ……、ちゃんとコンテクストまで読み取ってよ、というような配慮が見られなくもない。
この国は思ったり考えたりすることは自由な国であるから、好みの問題はあるにせよ、また軽蔑することもできるにせよ、石原慎太郎という個人が今回の震災にこういう解釈を施すこと自体は、だれも否定できない。しかし、これを口に出して表現してしまうとそうはいかない。公人としては都知事の公式見解ととられかねないし、百歩譲ってたとえ私人としての発言だとしてもデリカシーが欠けていると非難されて然るべきであろう。
石原都知事は政治判断をするときでさえ半分以上自身の美学的見地から判断しているようなところがあって、それが一つの魅力となって都民の支持を得てきたところがある。知事の放言・失言も都知事としての、公人としての発言というよりは、本人のメンタリティとしては作家石原慎太郎が言ってしまったことが非難されてきたという経緯もある。石原都知事が本気でこういう解釈を美学的に信じ込んでいて、たまたまデリカシーを欠いた発言をしてしまったのだとすれば、私もこの発言をデリカシーの問題として片付けてもいい。民族主義的な歴史解釈としては後にそういう解釈も様々な解釈の一つとしてはあり得るかもしれませんね、と……。
しかし、今回の会見での発言はそうではないと思う。石原都知事は自らの持論を展開するために、今回の震災を利用する発言をしたのではないか。そうでなければ、この文脈の中で「津波をうまく利用してだね」という言葉遣いが出てくるのはどうも納得いかない。
本気でこのような〈思考の高度〉から見ることを信条とし、こうした大局的な自然法則による、いわば「いっちゃってる見解」を信じ込んでいる人ならば、それはあくまでデリカシーの問題である。私も決してデリカシーのある方ではないので、というよりもデリカシーというものをそこまで重く見なければならないという価値観をもつ者ではないので、つまり、世の中にはデリカシーを欠いてでも発言しなければならないことはあると考えるタイプなので、そうした表現主体の心的構造はわからないでもない。
しかし、自らの持論を展開するために、日常的に感じている国民への不満を解消するために、つまりは自己主張や自己顕示欲のために、この度の数万もの被害者が出ることのもはや決定的になってしまった国家的災厄を〈利用〉しようとしたのだとすれば、しかもその渦中において〈利用〉しようとしたのだとすれば、それは都知事としてどころか、人としてあさましい行為と言わねばならない。これは〈思考の高度〉の高い人間がよく陥る自己欺瞞構造の代表である。
沼澤先生がお怒りになるのも理解できるというものである。
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