それでもつながっている
いまという瞬間は過去とつながっている。私たちは素直にそう信じている。
見慣れたものが眼前に現れれば「ああ、またか」と思い、前に見た情景と似た情景を見れば「ああ、どこそこと似ている」と思う。以前に成功したのと同じ手法でいままさに取り組んでいるのも、やるべきかやらざるべきかといままさに葛藤しているのもかつての経験から見て成否が五分五分に感じられるからだ。いまという瞬間はこういうふうに過去とつながっている。
いまという瞬間は未来とつながっている。私たちは素直にそう信じることができる。
見慣れたものが眼前で見慣れた展開を見せたとき、「次はこうなってああなってこうまるとまるに違いない」と思い、前に見た情景と似た情景を見て、「こういう景色はよくあるのかもしれない。きっとまた見ることがあるのだろう。」と思う。以前に成功したのと同じ手法でいままさに取り組みながら、結果はこうなるに違いないとかなくなに信じている。やるべきかやらざるべきかと葛藤しながらどちらか一方を選ぶのも、以前に失敗した経験からこちらを選んだほうが失敗したとしても自分が納得できるだろうと信じられるからだ。いまという瞬間はこういうふうに未来とつながっている。
そう。いまという瞬間は過去とも未来ともつながっている。私たちは素朴にそう信じている。
しかし……。痛みに耐えているとき、私たちのなかに過去も未来も不在となる。ずきずきと歯が痛む。どうしようもなく痛む。もう我慢できない。いや、もう少し我慢してみよう。歯医者に行きたい。早く出られないか。やっと出られた。まだ着かない。やっと着いた。なんでこんなに込んでるんだ。まだか。まだなのか。なんでおれだけがこんな目に遭うんだ……。過去にどうだったとか、未来はこうなるだろうとか、そんなことはまるで考えられない。人は痛みに耐えているとき、ただ「いまという瞬間」に縛られ、はりつけられる。
苦しい。つらい。もうダメだ。学級崩壊に遭遇した教師が、保護者の執拗なクレームに遭遇した教師が、その苦しみに耐えているとき、その教師のなかに過去も未来も不在となる。ずきずきと心が痛む。どうしようもなく時間が過ぎるのが遅い。もう我慢できない。いや、もう少し頑張ってみよう。やっぱりダメだ。やっぱりダメだった。なんでおれだけがこんな目に遭うんだ……。なぜ私だけがこんな目に遭うのかしら……。過去にどうだったとか、未来はこうなるだろうとか、そんなことはまるで考えられない。教師は苦しみに耐えているとき、ただ「いまという瞬間」に縛られ、はりつけられる。
でもね、いまという瞬間はちゃんと過去とも未来ともつながっているんだよ。
そう言ってくれる人が近くにいれば耐えられるのだ。
これまでだって失敗なんて何度もしてきたはずだ。そしてその失敗を乗り越えたあとには、「ああ、必要な経験だったな」「これで少し成長したかな」と振り返ってきたはずなのだ。そういう過去の経験を素直に信じてみるといい。今回はちょっとだけ大きな失敗なだけだ。きっと数年後、うん、3年後、「ああ、あれは自分にとって必要な経験だったんだ」「ああ、あれがあったからいまの自分があるんだ」と振り返られる自分がいるはずだ。そう素直に信じてみるといい。
ママに叱られたとき、友達と大げんかしたとき、あの子に振られたとき、希望した進路が潰えたとき、いつだって絶望的に世界は暗かった。でも、みんないい想い出になっているじゃないか。あるものは成長の糧となり、あるものは笑い話になり、あるものはキュンとした青春の一頁となる。いまの絶望的に思える苦しみだって、そういうものなんだよ。
いまという瞬間は過去とも未来ともつながっているのに、人は痛みや苦しみに耐えるしかないとき、ただ「いまという瞬間」に縛られ、はりつけられる。それでも「いまという瞬間」はやっぱり過去とも未来ともつながっているのである。
※BILLY JOELの「JUST THE WAY YOU ARE」を聴きながら……。
BILLY JOEL/1977
「JUST THE WAY YOU ARE」の歌詞を見ながら聴いていたら、こんなことを考えた。苦しんでいる人には「きみのままでいいんだよ」と言ってあげられればいいんだろうと思う。でも、それがなかなか難しいのがいまの世の中なのだ。そうも思う。
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