教師のいらない授業
藤原くんが昨日のぼくの講座を次のように評価してくれている。
このあと,堀さんのワールド・カフェの講座。正確には「ワールド・カフェ+ギャラリートーク」。
これはすごい。学習活動をシステム化させたら堀さんの右に出る者はいないだろう。
完全に「場」がホールドされ,学習が自動化されてしまう。
教師の活動量が0になり,参加者の活動量(思考量)が100になる。
自動化された学習活動の間,堀さんは何をしていたか!? ……それは参加者のみが知る。正確に言うと,参加者以外の講師陣のみが知る。だってみんな100の力で学習しているからね。
ぼくは最近、教師がいらなくなる授業はどんな形だろう……とずーっと考えている。基本的に2011年のぼくのテーマはこれでいこうと思っている。中学校が義務教育の終了時に位置づいており、基本的に「自立」を促すことを目標に据えているとすれば、中学校教育の究極の形は教師がいらない授業へとシフトしていくことだ。
ぼくはいま、そういったシステムをいくつかもっている。
一つは2000年に開発したPCS。「パネル・チャット・システム」の略称である。教師がいくつかのポイントに従って短い指示を出すだけで、生徒たちはずーっと動き続ける。
二つ目にマイクロ・ディベート。教師はタイムキーパーに徹すればいい。要するに、教師は機械でもできるし生徒でもできるようなことしかしない。ゲーム性もあって生徒たちは1時間いっぱい楽しむことができる。
三つ目にギャラリー・トーク型ワールド・カフェ。これもタイムキーパーに徹すればいい。ただ状況を見ながら時間を短くしたり延ばしたりという判断が伴うので、生徒にはできるかもしれないが、機械にはちょっと難しいかもしれない。
あと5つ開発したら本が出せるかなと思っている。あと5つくらいなら、たぶん年内に行けるだろう。教師のいらない全員参加型システムをつくるには、いくつかのコツがある。意見が溢れ出すにはどういう環境が必要か、それ以前にどういう思考経緯があればワッと溢れ出すのか、そのあたりがぼくにはわかる。
そのコツは第一に〈当事者意識〉を醸成すること、第二に事前に〈沈黙思考〉を保障すること、第三に〈喚起された意欲〉を持続させる仕掛けを施すこと、この三つである。第二のコツには〈葛藤〉があるとなおいい。要するにしゃべりたくなるには強制的に黙っている時間をつくっておくことが早道なのである。第三のコツはちょうど飽きが来るような時間帯に別の刺激を与えて触発させることを意味する。
この三つをシステムの中に取り込んでおけば、だいたい例外なく全員参加型の対話システム、創造システムはできあがる。あとは対話するだけの価値があり、創造ベクトルを必然的に生み出すような題材を用意するだけである。まあ、これが難しいのだけれど……。
結局、環境調整型権力の要素分析と、教材研究能力というか教材解釈能力が必要だということに行き着く。
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