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批判こそ礼儀

帰宅してからゲラの読み直しに取り組んでいる。昨夜、一応ひと通り目を通したのだが、そのときは誤字脱字、不的確な表現のチェックに終始した。今夜は読者を想定しての表現のチェックである。

ああ、これは○○という考え方をしている人からは批判を浴びるだろうなあ……とか、ああ、これは○○派には誤解される表現だなあ……とか、ああ、これは○○的な人たちには通じないだろうなあ……とか、いろいろなことが浮かんでくる。何度か表現を改めようかとも考えたけれど、表現を改めるとぼくの意図が伝わらくなると思い返す。結局、そのまま……ということが多い。

批判を浴びても誤解されても通じなくても、それは仕方ないことなのである。いや、仕方ないというよりも、むしろそれは歓迎すべきことなのである。本を書くということは、いや、もう少し広く某かのことを主張するということは、批判されることと同義である。批判されたくない人間は表現などすべきではないのだ。そんな自分の世界観を主張して褒めてもらおうなどと考える表現者に、実は表現する資格などない。

表現するということは、或いは主張するということは、表現する者同士、主張する者同士で批判・検討し合い、世界を一歩でも二歩でも前に進めるための、世界をひとまわりでもふたまわりでも広く捉えるための、その過程に参加することなのである。

自分の表現に価値があると思い込んでいる人は、自分の主張にこそ真ありと思い込んでいる人は、自分の頑張りを認めてもらいたいために表現している人は、この構造を理解していないことが多い。そういう人間は表現することから降りなければならない。資格がないのだ。

表現し主張することは格闘である。だからぼくも、批判や誤解や誤読が予想されるとしても直さない。かかってくるならかかって来い、である。それも全力でかかって来い、である。ぼくも全力で応対する。そしてそれが新しい何かを生み出す。そこに価値がある。そういうことだ。

いいじゃないか。批判されてこそ意義、批判されてこそ成長、批判されない主張に価値などないのである。

批判こそ礼儀。

師匠森田茂之の言である。

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