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気の抜けた炭酸のような本

土・日・月の3日間、まるで仕事をしないで寝てばかりいた。さすがに疲れがとれたようで、帰宅後にPCに向かって原稿を書いていても、調子よくキーボードの音が響く。

いま、書いているのは『義務教育で〈習熟〉させたい国語学力~授業づくりの10の原理/120の言語技術』という200頁弱の本である。堀流言語技術体系を示すとともに、現場で指導事項のハンドブックとして機能するようにと構想した本である。自分としては、15年間にわたる言語技術研究の集大成と位置づけている。完成するのが割と楽しみな本だ。

1月中に「第1章 授業づくりの10の原理」という40頁ほどのベタ打ちが終わり、2月に入って「話すこと・聞くこと」領域の44頁分のべた打ちも終わったところである。ほぼ半分の執筆が終わったことになる。あと100頁ほどを残すのみとなった。しかも今後は1項目1頁の原稿を重ねていくだけだから、1日に10項目書けば8日、1日に5項目書けば16日、こんなふうに目処を立てることができる。

「話すこと・聞くこと」領域を書いた感じでは、1項目あたり平均15分程度の執筆時間だから、目標の3月10日脱稿はまず間違いなく達成できそうな感じになってきた。ただし、これからは文字言語の領域に入るので、「話すこと・聞くこと」のように簡単ではない。これからはいかに1項目を1頁におさめるかという闘いになるに違いない。具体例を入れ出すと絶対に1頁におさまらなくなる。しかし、一度例外をつくってしまうと例外の嵐になる。その葛藤との闘いになる。

今回は絶対に1項目1頁の配分をくずさないつもりである。ページ数を減らして、できるだけ本の値段を安くしたい。売れるようにというのではなく、それくらいの価値しかないという自覚があるからである。教育書は高すぎる。もちろん読者層の限られる専門書扱いだから、一般書のように安く提供できないのは確かである。しかし、それにしてもスカスカの内容でページ数を稼ぎ、ものすごい値段がつけられているのを見るとがっかりしてしまう。もうバブル時代とは違うのである。気の抜けた炭酸のような本は出すべきでない。

編集者から連絡があって、『学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』が18日に刷り上がるらしい。

それはいいとして、この本の値段は定価で1400円である。なんとかできるだけ安くしてくれとお願いした。このくらいが妥当だと思う。2000円を超える教育書など本当に研究的に価値がある場合にしか出してはいけないのだ。

※DON FRIEDMAN VIP TRIOの「You'd Be So Nice to Come Home to」を聴きながら……。

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THE DON FRIEDMAN VIP TRIO/2005

肩肘張っていないピアノ演奏が心地よい。21世紀になってからのドン・フリードマンにすっかりはまっている。このアルバムも「スカボロー・フェア」がジャズかぁ……と思って、どんなものかと購入したアルバムだったのだが、いまや「スカボロー・フェア」などどうでもよくなってしまっている。収録されている楽曲自体はスタンダードナンバーばかりなのだが、とにかく軽快に気持ちよく……ということだけ考えて弾かれているピアノという感じがとてもいい。

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