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孤立無援の唄

森田童子の「孤立無援の唄」を聴いていたら、貸本屋で高橋和巳の「孤立無援の思想」を万引きして、走る自転車の後ろに乗りながら読むなんていう歌詞が出てきた。思わず笑ってしまった。ああ、これが歌になるなんて時代だなって。

ぼくのように学歴も教養も品格もまるでない人間でも、大学生のこの感覚だけはよくわかる。恩師が全共闘世代だったこともあって、高橋和己はぼくも全集を買って読破したほど好きだった。昔ちょっと気に入っていた女の先輩が卒論の題材にしていたので、嫁さんの高橋たか子も好んで読んだものである。

確か5、6年前だったと思うが、「グロテスクな教養」という新書が話題になって、ぼくもおもしろく読んだ記憶があるが、「孤立無援の思想」はこの「グロテスクな教養」を地で行くような本だった。受験エリートが秀才でも優等生でもない自分を証明するために自己否定して見せる……そういう本だ。その行き着くところが「孤立無援」であり、それに気づけばそこに留まり続けなければならない、それを勧める本である。

その後80年代になって、自己証明の手立ては自己否定ではなく、記号化されたバイタリティになって、ぼくらはもろにその影響を受けているわけだけれど、ぼくらが「草食」とか「弁当」とか「おひとりさま」とか言ってる若者の虚無的なメンタリティってのは、森田童子の描くような就職全共闘から葛藤を差し引いたようなものなのかもしれない。

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