20年
年末の研究会で柏葉に会って以来、社会人になってからの20年間に思いを馳せることが多くなった。
言うまでもなく、ぼくはこういう活動を20年間ずーっと続けてきていまがあるわけだが、柏葉もまた自分の領域で20年間ずーっと目的を遂げるために頑張ってきたのである。ああ、言い遅れたが、柏葉はぼくの大学時代の同期であり、遊び仲間であり、盟友であり、畏友である。年末ブラッシュでの彼の講座で紹介された、彼のやってきたことの規模の大きさ、そして彼のやってきたことの純粋さに胸を打たれた。
実は今回は柏葉について語りたいわけではない。柏葉以外の大学同期の人たちについてである。それも梶くんのようなぼくとずっと付き合ってきた、ときにはぼくの研究会に登壇もしているような友人ではなく、ぼくがもう21世紀になって一度も会ったことがないような、そんな同期の人たちについである。
ぼくの大学同期、ここでいう大学同期とは同じ国語教育研究室に所属していた男性6人、女性8人の14人のことをいうわけだが、この男性6人のうちの3人がぼくと柏葉と梶くんである。残りの男性3人は一人は札幌で、一人は空知で、一人は上川で小学校の教員をしている。この3人とはおそらく21世紀になってから会っていない。しかし、札幌と空知の二人は、ときに電話で話したり、ときに噂を聞いたり、かなり地元では優秀な教員として教員生活を送っているらしいことは間違いない。だから、心配もしないし、気にもならない。
問題は上川である。上川の彼は学生当時、浜頓別に実家があり、大学のそばで自炊していた。大学4年間でぼくは彼の家に100泊以上したのではないか。現代文学ゼミのあと、みんんなで麻雀を打つのも彼の部屋だった。麻雀はいつも、堀と柏葉と札幌と上川の4人で打った。たまに空知が参加したり、ゼミの女の子が参加することもあった。午後9時から朝方まで、毎週毎週、飽きることなく続けられた。金も動いたし、麻雀しながら飲む酒をかけたりもしたが、ひと言いって牌を捨て、その場にいる人たちを大笑いさせることが習わしだった。麻雀以上にそのひと言でだれがウケるかのほうが、ずーっと大切な勝負だった。
最後に上川と飲んだのはたぶん空知の結婚式のことだ。たぶんまだぼくが厚別中にいた頃、95年か96年か、そんなひと昔以上前のことである。結婚式のあと、岩見沢の有名な焼鳥屋に行って、学生時代にいつも行っていたカラオケスナックに行って、そんな感じだったと思う。
それから14年か15年、なんの音沙汰もない。噂も聞かない。上川と仲の良かった梶くんでさえ、音信が途絶えているという。最近、彼に会いたいと思う。ぼくらが過ごしてきた20年間と同じ20年間を過ごしたはずの彼が、どんな20年間を過ごし、どんな成長を遂げ、いま何を生き甲斐に何を大切にして生きているのか、それを知りたいと思う。あの4年間をともに過ごした6人の仲間は、だれ一人日常に埋没する教師にはなっていないはずだという確信がある。いま、彼が何をしているのか、とても気になる。
女性8人のうち、7人についてはいまどうなっているのかを把握している。二人は結婚もせずに悠々自適、あとの5人のうち4人も結婚していまなお教職にある。一人は教職を辞し、子育てに専念している。
気になるのは消息のわからない一人である。そして、結婚して教職にはあるのだが、不幸にも心の病で休職を繰り返している一人である。
前者は学生時代からの不登校、卒論時期に糸が切れ、留年したところまでは覚えている。卒業後に結婚し、子供ができ、離婚したところまでは知っている。梶くんと二人で地下鉄に乗っているとき、一度会ったことがあったが、彼女が一人、優先席で寝ていたので「よほど疲れているのだろう」と声をかけなかったことがある。あれ以来、会うことはもちろん、噂も聞かない。
後者はぼくと同い年で、最も親交のあった女子学生。彼女の結婚式にも出席したが、その後いろいろあって、21世紀になって以降、何度か休職を繰り返している。国語科教育ゼミのゼミ長でもあり、大学四年の8月、浜益合宿恒例の最後の集合写真を撮り終えたとき、「ああ、これで夏が終わったな」とつぶやいた文学少女だった。
20年。ひと言でいうことは簡単だが、かつて確かにあの場に存在していた者たちが、ある者は自分の思いを純粋に成し遂げ、ある者は与えられた場で自分の能力を遺憾なく発揮し、ある者は自らの確かな生活を打ち立て、ある者はこの狭い教員世界で噂も聞かないほどに遠くなり、そしてある者は自らの弱さに立ち向かう勇気もないままに、反面、自らの人間らしさに愛惜しさを感じながら生きている……。
感慨深いものがある。
こんなことを考えさせたのは、間違いなく森田童子である。
※森田童子の「雨のクロール」を聴きながら……。
森田童子/1993
かつて森田童子ばかりをやけに流す深夜のラジオ番組があった。もうDJも忘れてしまったけれど、その番組でなんとなく印象に残っていて、「高校教師」で再ブレイクしたのを機にちゃんと聴くようになって、いまではCD化されたすべてのアルバムをもってるい始末。 「ぼくたちの失敗」も悪くないけれど、そんなレベルではない名曲が彼女にはたくさんある。でも、それを名曲といわせるのは時代なのかもしれない。「団塊の世代」が聴けば、ぼくとは違った感慨をもつに違いなし、いまの若者が聴いたらそれほどでもないのかもしれない。
| 固定リンク
« バランス | トップページ | てんぷら★さんらいず »
「書斎日記」カテゴリの記事
- なぜ、堀先生はそんなに本をたくさん書けるんですか?(2015.11.22)
- 出会い(2015.10.28)
- 神は細部に宿る(2015.08.20)
- スクールカースト(2015.05.05)
- リーダー生徒がいない(2015.05.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント