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ライフワーク

今年の二つ目の大きな仕事、言語技術体系本を書き始めた。

ぼくはこれまでも領域別の言語技術体系をいくつか提案してきているので、これまで書いてきた本の内容と重なる内容もある。でも今回は、安易に前著の内容を確認しながら書いて楽をするのではなく、同じ項目について、いま現在のぼくのことばで書くことにした。つまり、前の本には目を通さずに書くことにしたのである。

前に言語技術の体系化を志したのは2001~2002年にかけてである。それから10年近くが経って、いまのぼくは確実に、当時よりわかりやすく表現することができる。あの頃の本をひもといてあの頃の思いを想い出し、あれも載せたいこれも載せたい、あの観点も必要だこの観点も必要だと話を複雑にしたくない。今回の本はあくまで、国語の指導事項が整理されたものが欲しい、しかも研究者が書いたものではなく現場人が書いた、現実的で、授業に直接的に役立つものが欲しい、そう感じている現場実践者に向けて書くつもりである。執筆にあたっての第一義的な観点は「わかりやすさ」だ。

反面、7年振りに国語教育本を書くとなれば、これを上梓した暁には、これまでお世話になった様々な方々に送らねばならない。野口先生や大内先生はもちろん、鶴田先生、俊三先生、小森先生、河野先生、中村先生、阿部先生、市毛先生、大森先生、そして宇佐美先生にだって送らねばなるまい。彼らは間違いなく、一言一句読み落とすことなく読み通すはずである。論理に矛盾があってはならないし、飛躍があってはならない。緊張する仕事である。

これまで挙げた先生方とは別のベクトルをもつ先生方とのおつきあいもある。田中先生、須貝先生、齋藤先生ら、日本文学協会国語教育部会の先生方である。今回の本には「語り手」論もその体系に含んでいる。彼らに堀の文学教育論はこの程度かと思われるわけにもいかない。これまた緊張する仕事である。

でもいいのだ。必要なことは等身大で書くことである。この本はあくまで中締めであって完成版ではない。不備・不足・不十分を指摘されれば、それを修正して再び世に問う機会をさぐるのみである。だってこの仕事はぼくのライフワークなのだから。

今日は第1章の1割、4頁を書いた。慌ただしい一日の慌ただしい仕事を終えたあとの執筆としては、まずまずのものが書けたのではないかと自負している。あと残り180頁である。たいした量ではない、すぐに書けるさと、自らを励ましている。

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