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バランス

この連休に執筆を予定していた原稿をすべて書き上げた。雑誌原稿4本、うち長めのものが1本あったから、「よくやったな…」という感じである。

これまで何度も思ったことだが、この仕事を終えても次の仕事がある、あるいはこの仕事を早く上げてしまわないと、次の仕事に支障が出る、こういう場合、仕事は早く終わるものである。なぜそうなるかといえば、目の前の仕事にすぐに取りかかるからだ。仕事というものは取りかかれば終わる。仕事が滞り締め切りを過ぎてもだらだらと時間を過ごすのは、取り組まないからである。どんなに難しいと思われる仕事も、取り組み始めさえすれば、それなりに終わっていく。そういうものである。

人はこんな簡単なことになかなか気づかない。ぼくも最初にこの構造に気づいたときには愕然としたものである。こんな簡単なことだったのだ、と。それをああでもない、こうでもない、考えたこともないからだとか、やりたいことではないからだ、まだ構想が固まっていないからだと、無駄に過ごした時間がどれだけあったことだろう。それを思うと、これまでの人生で無駄にした時間はどれくらいあるのかとある種の否定的感慨に陥る。

しかし、そういう無駄な時間も含めて、自分の人生のなんと愛惜しいことか。

無駄な時間を削ることだけを考えて生きることは、淡泊な仕事を積み重ねていくことに某かの意味があったとしても、その道を選ぼうとは思わない。ああでもないこうでもないと、時間を無駄にすることこそ人間らしい。

その証拠に、連休で予定していた原稿を仕上げてみると、次の仕事に向かう意欲以上に、仕事以外のおもしろいこと、楽しいことへと思考が向かっていく。生理的といおうか本能的といおうか、人間の思考も人間の嗜好もそういうベクトルへと向かっていく。バランスをとることこそが何より大事なのだ。

『義務教育で〈習熟〉させたい国語学力~授業づくりの10の原則/120の言語技術』(明治図書)を明日から書き始める。プロットは既に完璧に仕上がっている。書く内容も既にもっている。あとは書くだけ。むしろ、読みやすくするためにすべての内容を紙幅におさめる、そう割り切れるか否かが一番の闘いになるだろう。自分の特性から見て、それが最もストレスの溜まるところになるはずだ。

この本にぼくの20年間の国語教育研究、国語教育実践を凝縮させるつもりである。そしてそういうものになるはずである。教員生活の中締めといったところである。

さあ、ゆっくりと風呂にはいり、明日からの5日間の英気を養おう。

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