少なくとも現段階では……
とうとう起こってしまった。いつかこういう日が来るとは予測していたけれど、とうとうその日が来てしまったようだ。
保護者クレームを受けた教諭が、不眠症に陥ったとして保護者に慰謝料500万円を求める訴えを起こしたのである。報道によると昨年9月のことであるらしい。
【毎日新聞】
【朝日新聞】
【産経新聞】
まずいことが起こったものである。
報道によると、この教諭の勤務する学校の校長が市教委に対して、「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」という文書を提出したという。これはまずい。
ネット上には、既に、提訴したこの女性教諭へのエールが数々の現役教師から送られている。この状況もまずい。まずすぎる。
その1
報道によると、事の発端は「提訴したのは昨年9月。訴状などによると、教諭は1991年に教員になり、昨年4月からこの女児の学級を担任。同年6月、女児と他の女子児童とのいさかいを仲裁した際、母親から電話で『相手が悪いのに娘に謝らせようとした』と非難された。」ということにあるらしい。
1991年に教員になったというこの女性教諭。私と同じ経験年数である。どんなに若くてもとも40代。高校浪人することなく、就職浪人することもなくすべてストレートで計算しても昨年6月なら42歳にはなっているはずである。
このことは、20年の経験年数をもつ教諭が子ども同士のいさかいの仲裁において、子どもの納得を得ることなく、子どもを落とすことなく、指導を終わらせたことを意味している。予想でしかないが、家庭連絡を怠った可能性さえある。とすれば、教職20年教諭の対応としては未熟だったと見る見方もありえる。
その2
当事者教諭の勤務校の校長が市教委に対して「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」と意見書を提出したという。
私は教員の一人として、この教諭に教員を代表してほしくないが、百歩譲ってこの教諭が「教員を代表して訴訟を行っている」としよう。しかし、その論理でいけば、この提訴された保護者は全国の「モンスター・ペアレンツ」と呼ばれる保護者を代表して提訴されていることになってしまう。教員側、学校側にはその自覚があるからいいとしても、この保護者にその自覚はあるまい。この校長はこういう構造を考えただろうか。私が思うに、この校長提出文書の論理は根本的に間違っている。
まあ、教諭だけでなく、校長もまた当事者であるから、自らの主張を市教委に提出するのは良い。その権利はあるだろう。しかし、その文書の内容が報道されるのはまずい。どこからリークされたのかはわからないが、これが報道されたことは教員世界にとって大きなマイナスである。ウラをとっていない捏造記事であることを望むけれども、毎日・朝日両紙が同じ文言で報道しているところをみると、その可能性はうすいだろう。
その3
現役教師が報道された内容だけでこの女性教諭にエールを送る動きもまずい。司法の判断はまだ出ていないのである。おそらくまだまだ先だろう。こうしたマスコミ報道によって固定したイメージをつくられた側が最終的に裁判に勝訴する例はいくらでもある。
今回この女性教諭にエールを送った現役教師たちも、事が小沢一郎元幹事長のマスコミ報道に対してなら、まだ判断は早計と冷静に見る者が多いのではないか。鈴木宗男氏の秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカのときはどうだったか。よく考えてみたほうがいい。ましてや、林真須美のごとく、死刑判決が確定したあとでさえ「あれは冤罪ではないか」と疑問視する声が識者の間でさえあがるのが司法の世界なのである。
その4
現在、教師にとって、「保護者クレーム」の問題、「モンスター・ペアレンツ」の問題は解決すべき喫緊の課題として意識されている。当事者意識をもって保護者問題の報道を捉える立場にいるのだから、当然の反応といえなくもない。
しかし、これだけ保護者問題が報道されている現在であっても、保護者による教師に対する抑圧と教師による子ども(含・保護者)に対する抑圧とを比べれば、おそらくは99.99999対0.00001くらいの割合だろう(もちろんいいかげんな数字であり、比喩的な数字に過ぎない)。そもそも学校とはその制度自体が子ども・保護者を抑圧する構造をもつシステムなのだから、この構図は致し方ないのである。
今回の件があまり大きく取り上げられることなく、収束に向かっていくことを切に望む。教師が保護者を提訴する可能性を国中に意識させ、この女性教諭の指導における一言一句が明らかにされ、更に言葉狩りのような機能を果たして教師の物の言い方に足枷をはめる、そんな事態にだけはならないで欲しい。
ぼくは保護者と決定的に決裂したという経験をもたない。もちろん保護者に謝罪したこともあるし、じっくりと話し合ったこともある。しかしどの事例も半年もすればその保護者とかえって良い関係を結べていた……そんな事例ばかりである。しかもそんなことは20年の教員生活の中でほんの数件である。他の圧倒的な数の保護者は、ぼくに好意的であり、学校に協力的であり、そしてある程度の不条理は仕方ないものだと我慢してくれていた。いまなお、それがこの国のかたちなのではないか。
今後、保護者が、ちょっと学校に訊いてみよう、担任の指導にちょっと疑問があるから電話をしてみよう、そう思ったとき、「こじれたら教師に訴えられる可能性がある」とまで想定しなくてならなくなる。そんなことはないと思いながら、普通の保護者なら、普通の人間なら、絶対に頭をよぎる。これが大きく報道され続ければ、間違いなくそういう事件、そういう前例になっていくに違いない。それは多くの教師にとって望むところではないし、多くの学級運営にとって良いことではないし、多くの学校経営にとって正常な状態ではない。
そもそも、事が6月に起こって9月には提訴。たった3ヶ月である。こんな早急な判断をぼくは肯定するわけにはいかない。
少なくとも現段階では……。
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コメント
小沢氏はどこへ行こうとしているのか?
菅さんは小沢降ろしで支持率回復を確信しているようですが・・・
民主党は今後どうなるんでしょう!?
一票投じた自分としては、
とても不安です・・・
投稿: プレゼント | 2011年1月20日 (木) 03時35分