SONGBIRD/OH DADDY
原稿を書かざるを得ない状況に追い込まれる。当然、書斎で過ごす時間が長くなっている。すると、これまた当然のように音楽を聴いている時間も長くなる。「ながら勉強」よろしく、「ながら執筆」である。中学時代からこの習慣は続いている。やめようと思ったことさえなく、これを要因に困ったという経験もないのだから、やめないのも無理はない。
しかし、基本的には原稿を書いていて音楽は心地よく流れている、という状況なのだが、ごくたまに、キーボードを打つ手が止めてしまう、圧倒的な存在感をもってぼくの意識を捉えてしまう曲が流れてくることがある。
今夜でいうなら、しばらく北原ミレイを聴いたあとに聴き始めた、FLEETWOOD MACの「RUMOURS」がそれだ。冒頭の「SECOND HAND NEWS」の前奏が流れたときには「懐かしいな……」という程度だったのだが、6曲目の「SONGBIRD」の前奏が流れ始めたとき、キーボードを打つ手が止まってしまった。CHRISTINE McVIEのボーカルが重なると、もう躰中の力が抜けたようになってしまった。
FLEETWOOD MACの「RUMOURS」といえば、数多くのミュージシャン、音楽評論家が推す、 名盤中の名盤の一つと言って過言ではない。第二期MACの代表作である。1977年の作であるから、もちろんぼくはリアルタイムでは聴いていない。ぼくはSTEVIE NICKSのルックスからはいり、彼女のハスキーボイスに惹かれ、彼女のソロアルバムを聴き、それに満足できなくなって過去に遡ってFLEETWOOD MACを聴き始めた。「RUMOURS」を初めて聴いたのは、もう80年代も半ばを過ぎた頃だったはずだ。それも、当時はSTEVIE NICKSがリードボーカルをとる曲ばかりを繰り返し聴いていたような始末……。ぼくは決してMACのファンなのではなく、あくまでミーハーなSTEVIE NICKSのファンに過ぎなかった。
それから四半世紀が過ぎ、たまたま聴いたこのアルバムの、しかもSTEVIE NICKSがボーカルをとらない、それでいてこのアルバムからの大ヒット曲であり、MACの代表作でもある「SONGBIRD」がぼくのキーボードを打つ手を止めさせたことに、ぼくはある種の感慨を抱くのである。このアルバムからのもう一つの大ヒット曲「OH DADDY」が流れ始めたとき、ぼくは涙があふれそうになった。双方ともCHRISTINE McVIEのあまりにも優しい歌声で大切に、育むように歌われている。いや、歌われているというよりも、もはや語られているといったほうがいいかもしれない。
いまのぼくは、いや10年くらい前だからちょうど21世紀になった頃から、ぼくの中でSTEVIE NICKSとCHRISTINE McVIEの逆転現象が起こっている。いま、復活したFLEETWOOD MACにCHRISTINE McVIEはいない。その事実がぼくを必要以上に感傷的にしている部分も確かにある。2004年にCHRISTINEの20年振りの新作「IN THE MEANTIME」がリリースされたとき、ぼくは歓喜したものである。
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