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K教授

今日、森田に線香をあげ、奥様と話し込んでいるうちにたまたまK教授の話になった。その後の消息を聞いた。なんと数年前から、本気で隠遁生活を送っているという。もうだれにも会わず、だれとも連絡をとらないと決意しているともいう。もう北海道にはいらっしゃらないともいう。そういえば僕自身、年賀状が途絶えて数年がたつ。

最後にお会いしたのはいつだったろうか。大学院で直接教えを受けたのは2002年の1年間である。大学時代と同じように自主ゼミを始め、ともに「夢十夜」を読んだ。三夜、六夜、九夜とレジュメを書いた。打ち上げで飲んだのが2003年の2月である。あれが今生の別れということなのだろうか。「もう大学というところにはかかわらない人生を歩む」と言い残して、その3月に退官された。

それは森田が亡くなって1年後のことだった。K教授にとって森田の死は、ぼくらとはまた違った意味で、人生を変えるほどの大きな出来事だったに違いない。まさに片腕を、いや四肢を失ったといって過言ではないはずである。その後、O教授も退官され、S教授も今年度で退官と聞く。まさに岩見沢校の国語の灯が消える。

K教授は私たちが学生の頃、ある種近寄りがたい雰囲気の威厳をもっておられた。現役の学生の頃にはだれもが怖くて近づかなかった。それでも私はその粗暴な振る舞いを認められ、ずいぶんと可愛がってもらった。森田の弟子たる私を「孫弟子は弟子より可愛いものだ」と言ってくださった。10年の時を隔て、森田の死の哀しみを共有し、大学院でもずいぶんと可愛がられたものである。

あれから8年。たった8年である。まだ73歳のはずだ。

きっとK教授のことだから、重大な決意のもと、だれとも会わず、だれとも連絡をとらないとの決意も本気であろう。私にはおそらく、もうお会いする術がない。そしてK教授を捜し当て訪ねることもはばかられる。そういう方だった。

人生は短い。会いに行けばいつでも会えるはずだった先達が、一方で来世に旅立たれ、一方で隠遁に入り、それと知らぬままに今生の別れを振り返ることになる。無常といえば無常。万事生滅流転。有為転変。色即是空。うつろいゆくうたかた。

これが森寛や石川晋ならいつでも逢えると思える。同世代にこの心象は抱かぬ。しかし、私が教えを受けた先達に無沙汰を侘びねばならぬ方のなんと多いことか。90年代、あれほど教えを受けた言語技術教育学会のきら星のごとき先達に21世紀になってほとんどお会いしていない。宇佐美先生はお元気だろうか。大内先生はまだ頑固一徹だろうか。俊三先生の駄洒落はいまなおご健在だろうか。野口先生とあと何度お会いできるだろうか。須貝先生とは。田中先生とは。大森先生とは。野中先生とは。庭野先生とは。あと何度お会いできるだろうか。

南山さんとあと何度飲めるだろう。今年10回程度いっしょに酒を酌み交わしただろうか。ついでつがれる酒宴の席も、もう100回には及ぶまい。そう考えると一つ一つの小宴も愛惜しい時間に思えてこようというものである。年寄り扱いしているのではない。こう言っている私自身、いつ森田のように突如旅立つとも限らない。先日葬儀で聞いた僧侶の話もまさにこの話だったことを想い出す。

すごい時代が始まるなどと浮かれている場合ではない。光陰矢のごとし。時は一切を征服し、我らはそれに従うのみ。時が経つのを早いと感じるのは人生というものがわかってきた証拠とも言う。本当にそうか。

人生は短い。

K教授。もう一度お会いして教えを請いたい。しかし、もうかなわぬだろう。また、取り返しのつかぬことをしてしまった。

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