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構造的な問題

市教委主催の教育課程研究協議会に参加してきた。なんとも複雑な思いを抱いて帰ってきた。朝から順を追って述べていこうと思う。

朝、妻の車に乗って地下鉄駅で降ろしてもらう。7時50分頃である。ちえりあのある宮の沢駅に着いたのが8時25分頃だったろうか。教育課程研が始まるまでは、まだ1時間20分ほどある。宮越屋珈琲に入ってフレンチブレンドを飲みながら本を読む。生徒たちも今頃は読書中だな、などと考えながら。学校もちょうど朝読書の時間である。

9時15分過ぎにちえりあに行くと、ちょうど對馬くんも着いたところ。二人で受付を済ませ、2Fに昇り、いつもの自販機で珈琲を買って談笑。珈琲を飲み終わると同時に会場へ。

開会式のあと、札幌市の教育の課題について指導担当課長が説明。行政の提言であるから原稿を読むのは許されるにしても、30分に満たない提言に読み間違いがぼくが気づいただけでも8箇所。いくら他人の書いた原稿とはいえ、事前に読みの確認もしていないのだろうか。「言語活動の充実」が聴いてあきれる。習得も活用も探究も、雪も環境も読書も、説得力が半減してしまう。こういう見方をするぼくが穿っているのだろうか。

その後、兵庫教育大学の加藤明先生の講演。加藤先生の講演を聴くのは5度目になる。独特の語り口は健在だが、今日はちょっと調子が悪かったよう。後半が時間的に詰まってしまって急ぎ足になり過ぎたのも初めて見た。

午後は国語科の分科会に参加。提言は4年前までぼくも北区の札教研でいっしょだったN先生。昨年の北海道国語教育連盟の提言発表資料の焼き直しだそうで、実践自体は丁寧なつくり。ぼくも自己紹介がてらに一人ひと言感想を述べるときには、提言を聴いて感じたことを率直に述べた。ちゃんと対応しようと思わせるような提言だった。

問題はそのあとである。協議の進め方がひどい。挙手-指名型で雑談のような協議。発言者は各々が自分のやっている実践、自分の同僚がやっている実践を紹介するのみ。世の中がこれだけ生産的な議論、創造的な会議の在り方を躍起になって追究し、その成果もずいぶんとあがってきているというのに、80年代か90年代のような協議の進め方。

司会者は間を怖れ、発言が途切れると自分の実践を紹介する。発言が途切れた場面が6回あったので、司会者は6つの実践を紹介したわけである。その6つの実践のうち、5つが2003年度~2004年度にかけて、ぼくと森くんがTTをやりながら開発した「話すこと・聞くこと」と「書くこと」の実践だった。そう。司会者はいま、森くんの同僚なのである。2005年3月にぼくがその学校から転勤した後、森くんはその頃に二人で開発した授業を発展させ、体系づけている。それを森くんの名を出すこともなく、学校の共同開発ということさえなく、あたかも自分の実践であるかのように紹介する。しかも、共同開発者のぼくの目の前で。これはどういうことなのだろうか。

ぼくはこの先生を批判したいのではない。もちろん、この先生には何の悪気もない。森くん主導のもと、学校の国語科として自分もその実践に取り組んでいるので、何の疑問もなく紹介しているのである。これは現場の実践研究における構造的な問題なのである。

ついでにいえば、今度は山下くんの同僚という先生が、同僚の先生に教えてもらったとして、樹形図メモの取り方と樹形図メモのみによってスピーチする実践を紹介していた。これも笑ってしまった。この協議において、参加者から紹介された実践は12実践。そのうち、半数の6実践がぼくが開発に携わった実践だったのである。しかも彼ら彼女らはそれを知らずにぼくの前で良い実践として紹介しているのである。彼ら彼女らもそれを知っていたならば臆したはずだろう。

つまり、彼ら彼女らにとって、実践研究とは、或いは先行研究とは、自分の同僚がやった授業、或いは札教研その他でたまたま自分が参観した授業という、ごくごく狭い世界、あまりにも狭い世界でしかないのである。要するに、科学ではないのである。これを構造的な問題と言わずして何と言おう。

今日の会に参加して複雑な気持ちになった理由がもう一つある。それは協議されている内容がぼくらが20代だった頃、つまりは90年代の前半の議論から何も進歩していないのである。関心・意欲・態度の評価はどうとるのか、生徒たちの学力差にどう対応すればよいのか、なかなか取り組もうとしない意欲の低い生徒たちのモチベーションを高める学習活動の例はないか、どれもこれもこの20年で、いやおそらくはそれ以前の数十年をかけて、札幌市だけを見ても、もっと狭く札教研に提案された実践群だけを見ても、数多の実践事例がある。ぼくが札教研の資料で見たものだけを数えても10や20は軽くある。

なぜ、あの膨大な研究実践は、札幌市の中学校国語教師がときにはいやな思いをしながら、時には協働の喜びを感じながら蓄積したあの研究実践は共有化されないのだろうか。現場の研究とはそういうものだ、現場の現実とはそういうものだと片付けるには、あまりにもあの「努力たち」が可愛そうではないか。

こんなふうに感じるのはぼくだけなのか。ぼくだけが穿った見方をしているのだろうか。ひど過ぎはしないか。

もう退職してしまったあの先生の努力は、いまはもう実践研究の場に顔を魅せることもなくなってしまったあの先生の努力は、こんな未来をつくるために夜を徹して行われたのだろうか。また自己主張だと言われるを承知でいえば、札教研で研究を担当していた頃、ぼくだけが平成何年の何区の研究でこういうことが明らかになった、平成何年の何区ではこういうことが明らかになった、だから今年、この区では課題となって残っているこれに取り組んでみようと思う……という書き方をしていた。言い換えれば、札幌市全体の研究を「科学」として進めようとしていたわけである。

しかし、札教研にはそんな意識は毛頭ない、そんなことはだれも必要としていない、そう感じたとき、ぼくは人知れず札教研からも国語教育連盟からも退いた。

かつてぼくにも、地元の研究会を愛した時期があった。今日、教育課程研に足を運ぶまでは、ぼくがここ4年ほど離れている間に、某かの進歩があるのではないかと期待する気持ちがどこかにあった。しかしそれは、予想どおりというべきか、幻影であり妄想に過ぎなかった。

ぼくは複雑な気持ちというよりも、寂しく感じている。いや、寂しく感じているというよりは哀しんでいる。間違いなく、札幌市中学校の国語教育研究は危機的状況にある。あと数年で、こういう場でまともな助言ができる校長もいなくなってしまうだろう。構造的な問題を放っておいたつけだとぼくは感じている。

※安全地帯の「出逢い」を聴きながら……。

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安全地帯/2002

確か「火サス」の最後のエンディング・テーマ曲ではなかったか。安全地帯の復活シングルだったとも記憶している。安全地帯のバラードとしては、歴代でも一、二をあらそう名曲である。

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コメント

先生、違いますよ。火サス最後のエンディング曲は、一青ようの「ハナミズキ」です。

投稿: 厚別中学校卒業元3-6平井 壱武(かず) | 2010年12月 8日 (水) 00時43分

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