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萌え…

いつものように、いや、いつにもましてどうでもいい話を一つ。

ぼくはブックオフに行くとなんとなく昭和歌謡のオムニバス盤を買う癖があって、そのほとんどが実際には聴くこともなくCDラックに溜まっている。今日は朝からPCに向かって仕事をし続けたのだが、特に聴くものもないので、そんないつ買ったのかもわからずに溜まっているものの中から5枚組のBOX-CDを取り出して1枚目から流し始めた。

順に聴いてきて4枚目を流し始めた昼頃のことである。

聞き覚えのある、なんとなく「ああ、この曲好きだったなあ…」という曲が流れてきた。これなんだっけ……っとインデックスを見てみると、そうそう、あべ静江の「みずいろの手紙」である。クレジットを読むと1973年のヒット曲だったらしい。

と、ここで、一人のおじさんの顔が浮かんできた。誰だったろう……としばし考えて、想い出した。小学校1年生のときの隣の学級の担任である。もう名前も忘れてしまったが、黒縁眼鏡をかけた、さえないおじさんだった。そのおじさんが「しーちゃん、しーちゃん」と小学校1年生のぼくらに語っていたのである。

話は変わる。ぼくは「萌え」という言葉が流行りだしてから、いま一つ「萌え」の心象が理解できないできた。自分に経験がないのである。これはたぶん、ぼくの世代にはわからない、新たな心象なのだろうとさえ感じていた。しかし、この隣の担任のことを想い出して、ああ、あれだ……と合点がいった。あのおじさんは「萌え」の原型であった、と。

その先生がやたらと「しーちゃん」というものだから、ぼくもテレビであべ静江を何度も注意して見るようになった。あの頃のあべ静江は絵に描いたような清純派として売り出され、「お元気ですか?そして、いまでも愛してるって言ってくださいますか。」とテレビの中ではにかみながら微笑みかけていた。あの先生はあの微笑みにやれちまっていたのだ。

たぶんあれが「萌え」の心象なのである。昭和のおじさんたちが、いわゆる「清純派」と呼ばれる女優・女性歌手に抱いていたあのデレェッとした心象。あれが「萌え」なのではないか。

あの頃の「清純派」はある種の記号的価値とセットだった。「みずいろの手紙」は阿久悠の作詞だがその歌詞でいえば、「みずいろは涙色 そんな便箋に 泣きそうな心をたくします」とか「あれこれと楽しげなことを書き並べ さびしさをまぎらす私」とか「逢えなくなって二月 なおさらつのる恋心」とか「誰からも恋をしてるとからかわれ それだけがうれしい私」とか、まあ赤面するような記号的清純が歌い込まれているわけだ。

ちなみに調べてみるとこの年は、一方では夏木マリが「絹の靴下」を、金井克子が「他人の関係」をヒットさせた年であり、もう一方で天地真理全盛の年だったようだ。女性の性意識が解放に向かう時代状況の中で、天地真理とあべ静江とがこの国の正統的な「記号的清純派歌手」として当時の「萌え」の対象を体現していたのだろう。

ここまで考えて、ああ、「萌え」ってのはおそらく昔から、ぼくが生まれるはるか昔からあったものだと感じたわけである。おそらく万葉の相聞歌にも詠われているに違いない。まあ、調べる気なんてさらさらないけれど……。

そういえば、岡田有希子がデビューしたときに、同世代が一気に萌えだしたのを想い出した。死者がいつまでも美しいイメージのまま残り続けることを差し引いても、あの岡田有希子の清純派イメージの引力にはものすごいものがあった。あと3年長く生きていたら、彼女は歴史に残るようなアイドルになっていたのかもしれない。

そう。そういうことなのだ……と、一人「萌え」について合点がいったと感じた一日だった。

※渡辺真知子の「予告篇」を聴きながら……。

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渡辺真知子/1978

最近、AMAZONの中古で購入。このアルバムはリアルタイムでは聴いていなかったと思う。買ったのは中古レコード屋が増え始めた高校時代だった。でも、何度も何度も聴いたらしく、全曲よく覚えていた。 まずまず聴き応えのあるアルバムである。

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