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すごい時代が始まりつつある・3

前のブログで「00年代をともに駆けてきた晋へ」とタイトルをつけてみて、2000年代の10年間にぼくを大きくしてくれた、成長させてくれた筆頭が石川晋であることに思い至った。彼はぼくにそれまで見えていなかった世界を見せてくれる偉大なメッセンジャーであり、触媒であった。ディベート、学習ゲーム、メディアリテラシー、開発教育、ワークショップ、ファシリテーション、ワールド・カフェ……。

90年代の半ばに彼と知り合ったわけだが、90年代のぼくと晋とは互いに合わない者同士との自覚があり、互いに警戒し合いながら、それでも互いに気になるやつ……といった関係であったように思う。そもそもぼくと晋とは教員生活の質が違った。初任の学校で苦労し、いわば劣等感からスタートした晋と、ぼくに失敗はないなどと豪語し、いわば優越感からスタートしたぼく。00年代になっていっしょに仕事をするようになり、互いに互いを理解し合い、互いに互いへと似通ってきていることに危機感を抱く。そんな10年だった。

思えば、1990年の10年間にぼくを大きくしてくれ、成長させてくれた筆頭は、間違いなく森寛だった。彼もぼくにそれまで見えていなかった世界を見せてくれる偉大なメッセンジャーであり触媒であった。教育技術の法則化運動、野口流国語、言語技術教育、ネタ論、実践論文のフォーマット……。彼が見せてくれた世界観なしに2000年代前半に発表したぼくの仕事はあり得なかったし、彼がいなかったらぼくはいまだに井の中の蛙的綴り方教師であり文学に過ぎなかっただろう。91年に出逢っていっしょに仕事をするようになり、互いに互いを理解し合い、互いに互いへと似通ってきていることに危機感を抱く。そんな10年だった。

思えば、1980年代にともに教育を志向して立ち上がったのは梶禎行だった。彼の頑固なまでに子どもの主体性を信じる姿に、ぼくはよく「おまえは現実離れしている」とからんだものである。彼もまたぼくに「おまえはあまりにも教え込みがすぎる」と批判したものだ。しかし、不思議とウマが合い、付き合いはいまだに続いている。

○○年代……という分類に何の意味もないことはよくわかっているけれど、今年が2010年であり、いま2010年代という新しい10年が始まっていることを思うとき、そして石川晋が登壇の封印を宣言して、ぼくらの共同の仕事にある種のブランクが生じることに思いを馳せるとき、なんとも複雑な気分になる。

さて、次の10年はだれといっしょに仕事をし、だれがぼくに新しい世界を見せてくれるのだろうか……というような気分になる。そしておそらくその人に、ぼくはもう既に出会っているはずなのである。

いま、ぼくの中に巣くっているもやもやとしたものが幾つかある。ぼくの知らない世界を見せてくれそうな人がぼくの中で「この人ではないか」と確信めいたものに変わりつつある。

一つは柏葉恭延と岡山洋一さんとがつながることによってできるであろう、「まだ見ぬ世界」である。

柏葉恭延は大学の同期である。彼は卒業後、養護学校畑で20年を過ごし、その間に「にわとりクラブ」という組織の立ち上げに参加し、中心的な活動家になっている。まったくぼくの知らない世界で生きてきた。この20年間、何度かいっしょに飲むことはあったが、互いに互いの仕事に関心を抱き始めたのはごくごく最近のことだ。それが最近、ぼくが彼をブラッシュに誘い、彼もその誘いに乗り、ぼくと柏葉が交わり始めた。

学生時代、実はぼくと柏葉は教育研究の場で交わったことは一度もなかった。彼との付き合いは文学のゼミでのことであり、そのゼミ後の麻雀だった。毎週木曜日、ぼくは柏葉といっしょに麻雀を打って過ごした。基本的に学生時代も、あくまで遊び仲間であって研究仲間ではなかったのである。それが交わり始めた。この遊び仲間の中には山下くんも入っている。たぶんそう遠くないうちに、ぼくらは3人で何かを始めるだろう。いや、おそらく3人が何かを始めるときには、必ず梶くんを巻き込むだろうから、たぶん4人で何かを始めるだろう。何を始めるのかはよくわからない。

もう一人、岡山洋一さんは今後10年のぼくの活動を規定するキーマンの一人であると思う。お互いに「いっしょに何かをやりましょう」「何かができそうですね」と言い合っているが、現時点ではまったく具体像が見えていない。しかし、間違いなくぼくらは何かを始める。それも2011年のうちにそれは始まる。これには確信がある。

柏葉の「にわとりクラブ」の運営の仕方の質と、岡山さんの「NECO塾」の運営の仕方の質とは、とこが似ている。11月に岡山さんに誘われて「ワールド・カフェ」のイベントに参加して感じたものと、先日のブラッシュ特別支援で柏葉の講座を聞いて感じたものとは、ぼくにとって明らかに同質性が感じられた。ブラッシュ特別支援には岡山さんも参加しておられたから、おそらく岡山さんもそれを感じられたはずである。少なくとも柏葉が一生懸命にやっている「いけまぜ」というイベントと、岡山さんが一生懸命にやっている「CO-NECO塾」というイベントとは、目的も企画の仕方も運営の仕方も同質である。

しかも柏葉の後ろにはぼくも岡山さんも知らない「にわとりクラブ」に集う人たちがたくさんいる。岡山さんの後ろにもぼくも柏葉も知らないビジネス業界から研修講師に至るまで、そこに集う人たちがたくさんいる。ぼくが柏葉と岡山さんをつなぐことによって、そのおそらくは数十人が出逢ったとき、そこにブラッシュに集う人たちも巻き込まれて、何か新しいものが生まれてくるはずである。どんなものが生まれるのかはまだまったくわからない。

ただこれもまたまったく根拠のない確信なのだが、そうして生まれた何かが軌道に乗り始めたとき、ちょうど晋の封印が解かれて、晋がその動きで活躍し始める。それが更にその生まれたものを活性化させる。その新しく生まれてものの中では、藤原がかなり重要な役割を果たす。ぼくにはいま、こんなふうに見えている。これが一つ目だ。

二つ目に、来月中旬の新潟ツアーで、ぼくとDNAとが「学び合い」実践を初めて目の当たりにすることに対する期待である。帰り道、そしてその後3ヶ月ほど、ぼくらが「学び合い」を肯定するにしても否定するにしても、今回のツアーで見たものを触媒として何かを産み出すに違いない。これにも確信がある。このツアーに平山くんと三浦くんが参加しているのも、なんとなくわけのわからないおもしろさにつながっていく予感を抱かせる。

三つ目に、来年、DNAと大野睦仁と山田洋一が本格的に「出逢う」年になる、ということである。これもぼくと大野さんが二人で飲んだときに思いつき、その場で山田洋一に電話をして決めてしまった企画である。DNAにもその日のうちにメールをして布陣が固まった。DNA・大野・山田という三者は、互いに見知って既に10年近くになるだろうが、今ひとつ近づくことがなく、お互いに距離感があった三者である。この三者が本格的に出逢い、1年間いっしょに仕事をするのである。何も生まれないはずがない。

四つ目に、柳谷さんと冨樫夫妻という「鍛国研」と、ぼくら「ことのは」とが、再び交わり出していることである。これまで智さんと晋だけが柳谷さんとつながっていたのだが、「ことのは」の研究会に少しずつ柳谷さんと冨樫夫妻が交わり始めている。これは北海道の民間教育レベルの国語界にとっては、けっこう大きなことである。同じ方向を向くにしても、相違点を明らかにして理念的に対立する方向に向かうにしても、ここにも何かが生まれそうである。智さんと大谷さんが研究的にいろいろな意味で潤滑油になってくれるはずである。

五つ目に、怖れを知らぬ若者の出現である。何を求めても引き受ける太田くんとか、わけがわからないけれど何か魅力的な細山くんとか、ストップモーションの女王水戸さんとか、無限の可能性を見せつけてくれる坂本さんとかヨネマとか、なぜか札幌に通い詰めになっている大西くんとか、何を考えているのかよくわからないけれど空恐ろしさを感じさせる、そういう人間たちが登場してきている。きりがないので名前は出さないけれど、空知とか十勝とか留萌とか網走とかには、地道に着々と力量を高めながらそろそろ一気に花開きそうな逸材がたくさんいる。もう少し時間がかかるかもしれないが、ここ数年のうちに彼ら彼女らもぼくが見たこともないような、「えっ?」というものを生み出すに違いない。彼ら彼女らを見ていると5年とか10年とかはおそらくかからない。

六つ目に、ぼく自身の新たな動きである。いま、桃崎さんといっしょに新たな仕事を始めようとしている。始めようとしているというよりも、もう始まっている。来月、京都に行って糸井さんと初めて会い、そこには池田さんと門島さんがいるわけだ。何も生まれないはずがない。野中さんとの約束もあるし、光夫くんや山田くんとの約束もある。そこでも何かが生まれるだろう。新潟で赤坂・桃崎・堀が集う企画もある。実は他にもいっぱいある。個人的には、すべてが何かを生み出す可能性を秘めている、と期待しているところである。

七つ目に、全国的な動きである。京都の「明日の教室」に大阪分校・東京分校ができ、どんどん企画が拡大している。ネットワーク系列の「青年塾」という研究会も全国各地で盛り上がりを見せている。赤坂・土作コンビは絶好調で全国展開しているし、Mini-1出身の戦士たちも着実に力をつけているようだ。菊池省三さんも北海道から見てもわかるくらいに盛んに動き始めているし、「道徳のチカラ」が佐藤幸司さんを代表に何か新たな提案を始めるのもそう遠くないだろう。「学び合い」も賛否両論が少しずつ出てきて、新たな段階を迎えつつあるように見える。そして何より、法則化第一世代が新たな動きを始めているらしいとの情報もある。

つまり、どの団体もどの世代も、みんな「このままじゃいけない。何かをやらなくちゃいけない。何かを始めなくちゃいけない。」と、行動に移し始めているのである。問題はこれらの動きがつながることができるか、という点にある。いっしょに運動体として活動すればいいと言っているのではない。それぞれがそれぞれを認知して、顔見知りになり、なんとなく同じ方向に向かっての、ゆるやかなベクトルができればいい……というような意味である。ぼくは験也さんのさくら社がこれに大きな役割を果たすような気がしている。

かつて法則化第一世代が夢みたような、だれもが自分の興味関心に従って様々な活動をしているのだが、その様々な活動同士が互いに互いを認め合って、学び合って、刺激し合って、どんどん発展していく……そんな時代が再び来るのではないか。そんな気がする。

最後に、ぼくがいま一番いっしょに仕事をしたい人というか、ぼくが気になっている人というか、この人は何を考えているんだろう……という興味を抑えられない人が二人いる。一人は桃崎剛寿であり、先にも書いたようにこの人とはもう仕事を始めている。

もう一人はこのブログを読んでいる人のほとんどが知らないかも知れないが、齋藤知也という日文協の実践家である。ぼくはいま、本格的に日文協にかかわれる状態にないので、ここ2年ほどほとんど顔も合わせていないし連絡もとっていないけれど、ぼくが最終的にいっしょに二人三脚で仕事をするのは齋藤知也だと感じている。ご本人は迷惑かも知れないが、本気でそう思っている。そう思い始めて5~6年がたつ。彼はすごい。「教室でひらかれる“語り”-文学教育の根拠」(教育出版)という書を既に上梓しているが、少なくとも文学教育畑の人間でこの書を読んで齋藤知也をすごいと感じないとしたら、それは偽物である。ぼくなど足下にも及ばない文学的センスと文学的洞察力をもっている。世代もぼくといっしょである。でも、彼と本格的に議論するにはまだ早い。お互いにまだ議論するほどには機が熟していない。そんなふうに感じているところだ。

いま、ぼくが感じているのはこんなところである。いずれにしても、いつ何が起こっても不思議はない、すごい時代が始まりつつある……。

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