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もったいない

最近、意外なところからの原稿執筆依頼が舞い込んでくる。ここ2年連続でずいぶんと活動的な年を過ごしてきたために、ずいぶんと人とのつながりが広がってきている。そのせいか、「えっ?こんな依頼がオレに来るの?」という依頼が増えてきているわけだ。

ここ1週間で新たな原稿依頼が4本。すべて1月~2月が締め切り。それも割と分量の多そうな依頼が多くて、我ながら「大丈夫かいな……」と思っている。まあ、雑誌原稿を書くようになってこの15年ほど、原稿依頼をお引き受けして穴をあけてしまったという経験は一度もないので、なんとかなるだろうとお気楽に考えてすべて引き受けてしまった。

仕事というものは、それも生産的な仕事というものは、依頼が来たら絶対に引き受けたほうがよろしい。一度断れば依頼してきた人は二度と依頼してこない。いかなる依頼も自分がそれまてぜ考えていた世界観を広げてくれる。世界観の広がらない知的生産の機会というものはありえない。これが依頼を引き受けたほうがいい第一の理由である。

苦手な分野だから書けないかもしれない、苦手な分野だから書きたくない、そういうこともあるだろう。しかし、苦手分野だからこそ世界観を広げるために引き受ける必要がある。ぼくはずいぶん前からこう考えるようにしている。

第二の理由は、新たな〈人とのつながり〉ができること。あの人が好きとか嫌いとか、依頼の仕方が失礼で憤慨したから断るとか、人間だから感情が先行して断ってしまう……ということになりがちなのだが、それはよくない。人間関係というのはどこでどう転ぶかわからないものである。いま嫌いだからといって、3年後も嫌いとは限らない。失礼な依頼の仕方だと思ったのは、何かの勘違いだったり、メールの送信間違いだったということだってある。そんな小さなことで、〈人とつながり〉をもつチャンスを捨ててしまうのはもったいない。

知的生産にかかわる依頼は引き受けるべきだと書いたが、ぼくも講座や講演の依頼ならば断ることもある。平日開催の研究会で学校をあけなければならない……というタイプの依頼の場合である。

先日、庭野先生に招かれて十日町に行ったことを書いたが、この依頼もぼくは二度断っている。今年断ったのではない。一昨年と昨年とにお断りしたのである。そんなぼくに庭野先生は三度目の依頼をなされた。いくら学校をあけたくないといっても、これは行かねばならないと感じた。庭野先生はいわば「三顧の礼」を尽くされたのである。なんだか諸葛孔明になったような気分だった。

結果、行って良かった。本当に良かった。研究会でいろんな人にお会いすることができた。半年振りに野中さんにお会いすることもできた。ついでだからということで、赤坂さんの研究会にも登壇することができ、ここでも新たな出会いを得ることができた。川端康成の魅力を想い出すこともできた。うまい酒、うまい米の味を堪能することができ、食の味わいについて考えてみるきっかけになった。帰宅後、数年間音信不通だった大森先生とも再び更新が始まった。新潟で出会った若手教師数人からメールで質問も受けた。返信すると、丁寧なお礼のメールがかえってきた。もしも今年も新潟行きを断っていたら、これらすべてを得ることができなかったのである。まさに世界観を広げ、人とつながった新潟紀行だったわけである。

多くの教師はこういう発想で仕事を引き受けるということをしない。面倒だからとか、自分の仕事ではないからとか、一度いやな思いをしたことがあるからとか、そんな小さな理由で、大きな可能性を捨ててしまっている。本当にもったいないと思う。

※SHOGUNの「Bad City」を聴きながら……。

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SHOGUN/1997

松田優作の「探偵物語」、沖雅也の「俺たちは天使だ!」。ともに1979年のドラマだったと思う。もう夢中になって見た。おもしろくて、かっこよくて、惹きつけられた。双方の主題歌を歌っていたのが、SHOGUNというこの国の歴史上もっともお気楽なかっこよさをもったバンドだった。最近、「勝手にしやがれ」が同じようなメンタリティで音楽活動をしているように思えるが、ぼくにとってはなんといってもこのバンドが一番である。

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