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2010年12月

本年もお世話になりました

今年も残すところあと8時間となりました。

今年は新たな方々に出逢う機会と、これまで出逢っていた方々との絆を深める機会との多い年となりました。やけに酒を飲んだ年でもありました(笑)。来年も更に人とつながることを、そして更に更に絆を太くする1年にと考えております。

主宰する研究会もこの3年間の地道な活動のすえ、来年は少しずつ新たな展開が見え始める年になりそうです。新たな書を何冊か上梓する年にもなりそうです。ご批判いただければ幸いです。

3月には私にとって大切な子どもたちが高校を卒業し、私にとって断腸の思いで仲間たちに譲り渡した子どもたちが中学校を卒業します。彼ら彼女らに幸多かれと祈りつつ、2010年を振り返る年の瀬といたします。

皆様、今年も本当にお世話になりました。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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とかくこの世は住みにくい

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく職場は住みにくい。住みにくさが高じると、次の職場に越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、一方に心の病が生まれ、他方に民教が出来る。

住みにくい職場を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りちらほらするただの人である。ただの人が作った職場が住みにくいからとて、越す職場もあるまい。あれば人でなしの職場へ行くばかりだ。人でなしの職場はいまの職場よりなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い、とは漱石の言。

住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽である、彫刻である。しかるに職場に詩も画も音楽も彫刻も存するに生徒の長閑ならず、心豊かならぬは何の道理か。理性を信じ自由意志を崇拝す、西洋に学びし英語教師に鬱の多きは何事か。親譲りの臆病で小供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校で同級生の囃しに合い一週間ほど休んだ事がある。なぜそんな気後れしたかと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。いまなお別段の深い理由もなしに、休職の長いトンネルを抜けると、退職であった、腹の底が黒くなった、とメロスならずとも激怒したくなる世の中にあるのは何故か。とかくこの世は住みにくい。

お粗末様でした。

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K教授

今日、森田に線香をあげ、奥様と話し込んでいるうちにたまたまK教授の話になった。その後の消息を聞いた。なんと数年前から、本気で隠遁生活を送っているという。もうだれにも会わず、だれとも連絡をとらないと決意しているともいう。もう北海道にはいらっしゃらないともいう。そういえば僕自身、年賀状が途絶えて数年がたつ。

最後にお会いしたのはいつだったろうか。大学院で直接教えを受けたのは2002年の1年間である。大学時代と同じように自主ゼミを始め、ともに「夢十夜」を読んだ。三夜、六夜、九夜とレジュメを書いた。打ち上げで飲んだのが2003年の2月である。あれが今生の別れということなのだろうか。「もう大学というところにはかかわらない人生を歩む」と言い残して、その3月に退官された。

それは森田が亡くなって1年後のことだった。K教授にとって森田の死は、ぼくらとはまた違った意味で、人生を変えるほどの大きな出来事だったに違いない。まさに片腕を、いや四肢を失ったといって過言ではないはずである。その後、O教授も退官され、S教授も今年度で退官と聞く。まさに岩見沢校の国語の灯が消える。

K教授は私たちが学生の頃、ある種近寄りがたい雰囲気の威厳をもっておられた。現役の学生の頃にはだれもが怖くて近づかなかった。それでも私はその粗暴な振る舞いを認められ、ずいぶんと可愛がってもらった。森田の弟子たる私を「孫弟子は弟子より可愛いものだ」と言ってくださった。10年の時を隔て、森田の死の哀しみを共有し、大学院でもずいぶんと可愛がられたものである。

あれから8年。たった8年である。まだ73歳のはずだ。

きっとK教授のことだから、重大な決意のもと、だれとも会わず、だれとも連絡をとらないとの決意も本気であろう。私にはおそらく、もうお会いする術がない。そしてK教授を捜し当て訪ねることもはばかられる。そういう方だった。

人生は短い。会いに行けばいつでも会えるはずだった先達が、一方で来世に旅立たれ、一方で隠遁に入り、それと知らぬままに今生の別れを振り返ることになる。無常といえば無常。万事生滅流転。有為転変。色即是空。うつろいゆくうたかた。

これが森寛や石川晋ならいつでも逢えると思える。同世代にこの心象は抱かぬ。しかし、私が教えを受けた先達に無沙汰を侘びねばならぬ方のなんと多いことか。90年代、あれほど教えを受けた言語技術教育学会のきら星のごとき先達に21世紀になってほとんどお会いしていない。宇佐美先生はお元気だろうか。大内先生はまだ頑固一徹だろうか。俊三先生の駄洒落はいまなおご健在だろうか。野口先生とあと何度お会いできるだろうか。須貝先生とは。田中先生とは。大森先生とは。野中先生とは。庭野先生とは。あと何度お会いできるだろうか。

南山さんとあと何度飲めるだろう。今年10回程度いっしょに酒を酌み交わしただろうか。ついでつがれる酒宴の席も、もう100回には及ぶまい。そう考えると一つ一つの小宴も愛惜しい時間に思えてこようというものである。年寄り扱いしているのではない。こう言っている私自身、いつ森田のように突如旅立つとも限らない。先日葬儀で聞いた僧侶の話もまさにこの話だったことを想い出す。

すごい時代が始まるなどと浮かれている場合ではない。光陰矢のごとし。時は一切を征服し、我らはそれに従うのみ。時が経つのを早いと感じるのは人生というものがわかってきた証拠とも言う。本当にそうか。

人生は短い。

K教授。もう一度お会いして教えを請いたい。しかし、もうかなわぬだろう。また、取り返しのつかぬことをしてしまった。

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模倣犯

今日は山下くんに電話で起こされる。11時頃だ。例年より1時間ほど早い。

1時半に迎えに来るというので、それまでは原稿の手直し。キリのいいところで、シャワー。出かける準備をして山下くんの運転で、梶くんと3人で森田家へ。もう丸9年である。

書棚に宮部みゆきの「模倣犯」があるのが目につき、「ああ、こんな作品もあったな。映画化もされたな。ずいぶん古い話だ。」と思って本を手に取り、奥付を見るとなんと2001年4月の初版である。森ちゃんが亡くなった年ではないか。それだけ時間がたったのだと改めて実感した出来事だった。

※THE BOOMの「中央線」を聴きながら……。

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1992

見事に名曲ばかり集めた初期ベスト。「釣りに行こう」「中央線」「からたち野道」の3曲が昔から特別に好きである。

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黙祷

真夜中の3時。今年もこの日がやってきた。学生時代の写真を眺めながら、ウイスキーを飲み過ぎた。楽しかった想い出だけが駆けめぐる。そういうものである。

森田茂之は2001年12月30日、午前3時頃に亡くなったという。

黙祷。

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朝の日課

今日は朝寝坊。10時過ぎに目覚める。

歯を磨き、珈琲をいれ、まずはCDを選ぶ。CDをかけ、メールを確認。返信の必要があれば返信。珈琲を飲みながらスパイダー・ソリティアを2ゲーム。平日でも休日でも、これが毎朝の日課である。

この2ゲームで2連勝できるか否かが、今日がいい日になるか、どうということのない日になるか、悪い日になるかを占うような気がしている。何の根拠もないのだが、そんな気がするようになって、もう3年がたつ。

休日の場合、たいていこの2ゲームのあと、再び珈琲をいれにしたに降りていく。珈琲をいれたあと、そのままテレビの前に座るか、すぐに書斎に上がって一太郎を立ち上げるか、これがその日が仕事中心の一日になるか、だらだらと過ごす一日になるかを決める。珈琲をいれているときに妻が見ているテレビ番組に興味をそそられるか否か、躰に疲れを感じているか否か、今日やらなければならない仕事にモチベーションがあるか否か、さきほどかけ、これから数時間聴き続けることになるであろう音楽に惹かれているか否か、この四つの観点のバランスが居間に残るか書斎に上がるかを決めているような気がしている。

書斎に上がったからといって、確実に仕事を始めるかというとそうでもない。いれたばかりの熱い珈琲をすすりながら立ち上げるのが、一太郎の場合とスパイダー・ソリティァの場合とがある。スパイダー・ソリティアを立ち上げてしまうと、もうそれから1時間はやり続けることになる。こうなってしまう場合は累計的に二種類。一つは先の2ゲームか1勝1敗か2連敗をして、納得できていない場合。もう一つは珈琲をいれに下に降りたとき、スパイダー・ソリティアを立ち上がったままにしてしまい、消すのを忘れていた場合である。書斎に上がってもPC画面にこのゲームがある場合には、どうしてももう1ゲームやるか……ということになってしまう。だから、珈琲をいれに降りていくときには、なるべく忘れずにスパイダー・ソリティアを消していくようにしている。

※坂本龍一の「23rd Psalm」を聴きながら……。

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坂本龍一/1982

坂本龍一が日本刀を振り上げたり、デビッド・ボウィが土に埋められていたり、そんなシーンが頭に浮かんできて、どうにも仕事に集中できない。仕事のBGMには最悪だということが今朝わかった。おかげでせっかく一太郎を立ち上げたのに、ブログの更新なんかをしてしまっている(笑)。

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御用納め

御用納め。学校も官公庁の末端だから、まあ、「御用納め」でいいだろう。

明日からは6連休。自由である。煙草が切れれば誰の目をはばかることもなく買いに行けるし、昼間にブログを更新してもいい。昼食は気軽に外食にも行けるし、早急に欲しい本が出てくれば車を飛ばして買いにも行ける。なんとすばらしいことではないか。規制がないということはいいことである。明日からは私的な仕事をどんどん進めていくことにしよう。

今日はこれまでの学級経営の手法を整理する一日。夜に夏目雅子の特集番組を見た以外は、ずーっとPCに向かっていた。ずいぶんとはかどったけれど、終わるところまでは行かなかった。

ネットワーク千歳のこまかな打ち合わせ。道内のある地方の研究団体からオファー。須貝さんから電話が来て5月の日文協に登壇せよとの依頼。あ~あ、春までに脳みそを文学に切り替えて「故郷論」を書かねばならない状況に追い込まれてしまった。しかも田中実の論を批判的に検討せよ、だそうだ。そりゃ荷が重いでしょ(笑)。

門島さんからメールが来て、ぼくのブログを機に齋藤知也さんの本を買ったとのこと。これは嬉しい反応だった。きっと門島さんも驚くだろう。彼は「批評」をやっているらしいから、知也さんのの理論はばっちりである。知也さん、読者を一人増やしましたよ。5月にはビールをおごってください。

そうそう。3/21(月)の由紀さおりと安田祥子のライヴのチケットを買った。とても楽しみである。

※STEELY DANの「JACK OF SPEED」を聴きながら……。

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STEELY DAN/2000年

当時、20年振りの新作と騒がれた。すぐに買った。まさにSTEELY DANらしい、完成度の高い、充実のサウンドが聴けてとても嬉しかったのを覚えている。すべてが新曲なのだが、間違いなく懐かしさを感じさせるアルバムだった。そんな懐かしさの中に彼らの余裕のある心持ちも伝わってきて、聴いていて心地よいアルバムに仕上がっている。

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萌え…

いつものように、いや、いつにもましてどうでもいい話を一つ。

ぼくはブックオフに行くとなんとなく昭和歌謡のオムニバス盤を買う癖があって、そのほとんどが実際には聴くこともなくCDラックに溜まっている。今日は朝からPCに向かって仕事をし続けたのだが、特に聴くものもないので、そんないつ買ったのかもわからずに溜まっているものの中から5枚組のBOX-CDを取り出して1枚目から流し始めた。

順に聴いてきて4枚目を流し始めた昼頃のことである。

聞き覚えのある、なんとなく「ああ、この曲好きだったなあ…」という曲が流れてきた。これなんだっけ……っとインデックスを見てみると、そうそう、あべ静江の「みずいろの手紙」である。クレジットを読むと1973年のヒット曲だったらしい。

と、ここで、一人のおじさんの顔が浮かんできた。誰だったろう……としばし考えて、想い出した。小学校1年生のときの隣の学級の担任である。もう名前も忘れてしまったが、黒縁眼鏡をかけた、さえないおじさんだった。そのおじさんが「しーちゃん、しーちゃん」と小学校1年生のぼくらに語っていたのである。

話は変わる。ぼくは「萌え」という言葉が流行りだしてから、いま一つ「萌え」の心象が理解できないできた。自分に経験がないのである。これはたぶん、ぼくの世代にはわからない、新たな心象なのだろうとさえ感じていた。しかし、この隣の担任のことを想い出して、ああ、あれだ……と合点がいった。あのおじさんは「萌え」の原型であった、と。

その先生がやたらと「しーちゃん」というものだから、ぼくもテレビであべ静江を何度も注意して見るようになった。あの頃のあべ静江は絵に描いたような清純派として売り出され、「お元気ですか?そして、いまでも愛してるって言ってくださいますか。」とテレビの中ではにかみながら微笑みかけていた。あの先生はあの微笑みにやれちまっていたのだ。

たぶんあれが「萌え」の心象なのである。昭和のおじさんたちが、いわゆる「清純派」と呼ばれる女優・女性歌手に抱いていたあのデレェッとした心象。あれが「萌え」なのではないか。

あの頃の「清純派」はある種の記号的価値とセットだった。「みずいろの手紙」は阿久悠の作詞だがその歌詞でいえば、「みずいろは涙色 そんな便箋に 泣きそうな心をたくします」とか「あれこれと楽しげなことを書き並べ さびしさをまぎらす私」とか「逢えなくなって二月 なおさらつのる恋心」とか「誰からも恋をしてるとからかわれ それだけがうれしい私」とか、まあ赤面するような記号的清純が歌い込まれているわけだ。

ちなみに調べてみるとこの年は、一方では夏木マリが「絹の靴下」を、金井克子が「他人の関係」をヒットさせた年であり、もう一方で天地真理全盛の年だったようだ。女性の性意識が解放に向かう時代状況の中で、天地真理とあべ静江とがこの国の正統的な「記号的清純派歌手」として当時の「萌え」の対象を体現していたのだろう。

ここまで考えて、ああ、「萌え」ってのはおそらく昔から、ぼくが生まれるはるか昔からあったものだと感じたわけである。おそらく万葉の相聞歌にも詠われているに違いない。まあ、調べる気なんてさらさらないけれど……。

そういえば、岡田有希子がデビューしたときに、同世代が一気に萌えだしたのを想い出した。死者がいつまでも美しいイメージのまま残り続けることを差し引いても、あの岡田有希子の清純派イメージの引力にはものすごいものがあった。あと3年長く生きていたら、彼女は歴史に残るようなアイドルになっていたのかもしれない。

そう。そういうことなのだ……と、一人「萌え」について合点がいったと感じた一日だった。

※渡辺真知子の「予告篇」を聴きながら……。

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渡辺真知子/1978

最近、AMAZONの中古で購入。このアルバムはリアルタイムでは聴いていなかったと思う。買ったのは中古レコード屋が増え始めた高校時代だった。でも、何度も何度も聴いたらしく、全曲よく覚えていた。 まずまず聴き応えのあるアルバムである。

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求められているうちが華

冬休みに入っていろいろなオファーが舞い込んできている。ちょうどいま頃は、早めに取り組む団体が次年度の計画を立てている頃なのだろう。こう書いているぼく自身がいま現在、企画づくりの真っ最中なのでよくわかる。この時期を逸すると、なかなかこちらの希望どおりに講師を確保することができなくなるのである。

冬休みに入って次年度のオファーが6件。道内のものも道外のものもすべて引き受けた。来年度はずいぶんと忙しくなりそうである。たぶんこれまでで一番に。躰をこわさないように、体調に気を配らなければならない一年になりそうである。来年度は、取り敢えず求められるままに動いてみようと思っている。求められているうちが華。求めてくれる人がいるうちは多少無理をしてでも頑張らねばならないのだ。あと20年もすれば、いくら求められても動けなくなってしまうのだから。

※あべ静江の「みずいろの手紙」を聴きながら……。

51esktsnpl__sl500_aa300_歌ものがたり~時代の歌謡曲~

2006

たぶん何年か前にブックオフで買ったものである。演歌と歌謡曲とニューミュージックがほどよいバランスで収録されている。中条きよしの「うそ」がとても懐かしかった(笑)。

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すごい時代が始まりつつある・3

前のブログで「00年代をともに駆けてきた晋へ」とタイトルをつけてみて、2000年代の10年間にぼくを大きくしてくれた、成長させてくれた筆頭が石川晋であることに思い至った。彼はぼくにそれまで見えていなかった世界を見せてくれる偉大なメッセンジャーであり、触媒であった。ディベート、学習ゲーム、メディアリテラシー、開発教育、ワークショップ、ファシリテーション、ワールド・カフェ……。

90年代の半ばに彼と知り合ったわけだが、90年代のぼくと晋とは互いに合わない者同士との自覚があり、互いに警戒し合いながら、それでも互いに気になるやつ……といった関係であったように思う。そもそもぼくと晋とは教員生活の質が違った。初任の学校で苦労し、いわば劣等感からスタートした晋と、ぼくに失敗はないなどと豪語し、いわば優越感からスタートしたぼく。00年代になっていっしょに仕事をするようになり、互いに互いを理解し合い、互いに互いへと似通ってきていることに危機感を抱く。そんな10年だった。

思えば、1990年の10年間にぼくを大きくしてくれ、成長させてくれた筆頭は、間違いなく森寛だった。彼もぼくにそれまで見えていなかった世界を見せてくれる偉大なメッセンジャーであり触媒であった。教育技術の法則化運動、野口流国語、言語技術教育、ネタ論、実践論文のフォーマット……。彼が見せてくれた世界観なしに2000年代前半に発表したぼくの仕事はあり得なかったし、彼がいなかったらぼくはいまだに井の中の蛙的綴り方教師であり文学に過ぎなかっただろう。91年に出逢っていっしょに仕事をするようになり、互いに互いを理解し合い、互いに互いへと似通ってきていることに危機感を抱く。そんな10年だった。

思えば、1980年代にともに教育を志向して立ち上がったのは梶禎行だった。彼の頑固なまでに子どもの主体性を信じる姿に、ぼくはよく「おまえは現実離れしている」とからんだものである。彼もまたぼくに「おまえはあまりにも教え込みがすぎる」と批判したものだ。しかし、不思議とウマが合い、付き合いはいまだに続いている。

○○年代……という分類に何の意味もないことはよくわかっているけれど、今年が2010年であり、いま2010年代という新しい10年が始まっていることを思うとき、そして石川晋が登壇の封印を宣言して、ぼくらの共同の仕事にある種のブランクが生じることに思いを馳せるとき、なんとも複雑な気分になる。

さて、次の10年はだれといっしょに仕事をし、だれがぼくに新しい世界を見せてくれるのだろうか……というような気分になる。そしておそらくその人に、ぼくはもう既に出会っているはずなのである。

いま、ぼくの中に巣くっているもやもやとしたものが幾つかある。ぼくの知らない世界を見せてくれそうな人がぼくの中で「この人ではないか」と確信めいたものに変わりつつある。

一つは柏葉恭延と岡山洋一さんとがつながることによってできるであろう、「まだ見ぬ世界」である。

柏葉恭延は大学の同期である。彼は卒業後、養護学校畑で20年を過ごし、その間に「にわとりクラブ」という組織の立ち上げに参加し、中心的な活動家になっている。まったくぼくの知らない世界で生きてきた。この20年間、何度かいっしょに飲むことはあったが、互いに互いの仕事に関心を抱き始めたのはごくごく最近のことだ。それが最近、ぼくが彼をブラッシュに誘い、彼もその誘いに乗り、ぼくと柏葉が交わり始めた。

学生時代、実はぼくと柏葉は教育研究の場で交わったことは一度もなかった。彼との付き合いは文学のゼミでのことであり、そのゼミ後の麻雀だった。毎週木曜日、ぼくは柏葉といっしょに麻雀を打って過ごした。基本的に学生時代も、あくまで遊び仲間であって研究仲間ではなかったのである。それが交わり始めた。この遊び仲間の中には山下くんも入っている。たぶんそう遠くないうちに、ぼくらは3人で何かを始めるだろう。いや、おそらく3人が何かを始めるときには、必ず梶くんを巻き込むだろうから、たぶん4人で何かを始めるだろう。何を始めるのかはよくわからない。

もう一人、岡山洋一さんは今後10年のぼくの活動を規定するキーマンの一人であると思う。お互いに「いっしょに何かをやりましょう」「何かができそうですね」と言い合っているが、現時点ではまったく具体像が見えていない。しかし、間違いなくぼくらは何かを始める。それも2011年のうちにそれは始まる。これには確信がある。

柏葉の「にわとりクラブ」の運営の仕方の質と、岡山さんの「NECO塾」の運営の仕方の質とは、とこが似ている。11月に岡山さんに誘われて「ワールド・カフェ」のイベントに参加して感じたものと、先日のブラッシュ特別支援で柏葉の講座を聞いて感じたものとは、ぼくにとって明らかに同質性が感じられた。ブラッシュ特別支援には岡山さんも参加しておられたから、おそらく岡山さんもそれを感じられたはずである。少なくとも柏葉が一生懸命にやっている「いけまぜ」というイベントと、岡山さんが一生懸命にやっている「CO-NECO塾」というイベントとは、目的も企画の仕方も運営の仕方も同質である。

しかも柏葉の後ろにはぼくも岡山さんも知らない「にわとりクラブ」に集う人たちがたくさんいる。岡山さんの後ろにもぼくも柏葉も知らないビジネス業界から研修講師に至るまで、そこに集う人たちがたくさんいる。ぼくが柏葉と岡山さんをつなぐことによって、そのおそらくは数十人が出逢ったとき、そこにブラッシュに集う人たちも巻き込まれて、何か新しいものが生まれてくるはずである。どんなものが生まれるのかはまだまったくわからない。

ただこれもまたまったく根拠のない確信なのだが、そうして生まれた何かが軌道に乗り始めたとき、ちょうど晋の封印が解かれて、晋がその動きで活躍し始める。それが更にその生まれたものを活性化させる。その新しく生まれてものの中では、藤原がかなり重要な役割を果たす。ぼくにはいま、こんなふうに見えている。これが一つ目だ。

二つ目に、来月中旬の新潟ツアーで、ぼくとDNAとが「学び合い」実践を初めて目の当たりにすることに対する期待である。帰り道、そしてその後3ヶ月ほど、ぼくらが「学び合い」を肯定するにしても否定するにしても、今回のツアーで見たものを触媒として何かを産み出すに違いない。これにも確信がある。このツアーに平山くんと三浦くんが参加しているのも、なんとなくわけのわからないおもしろさにつながっていく予感を抱かせる。

三つ目に、来年、DNAと大野睦仁と山田洋一が本格的に「出逢う」年になる、ということである。これもぼくと大野さんが二人で飲んだときに思いつき、その場で山田洋一に電話をして決めてしまった企画である。DNAにもその日のうちにメールをして布陣が固まった。DNA・大野・山田という三者は、互いに見知って既に10年近くになるだろうが、今ひとつ近づくことがなく、お互いに距離感があった三者である。この三者が本格的に出逢い、1年間いっしょに仕事をするのである。何も生まれないはずがない。

四つ目に、柳谷さんと冨樫夫妻という「鍛国研」と、ぼくら「ことのは」とが、再び交わり出していることである。これまで智さんと晋だけが柳谷さんとつながっていたのだが、「ことのは」の研究会に少しずつ柳谷さんと冨樫夫妻が交わり始めている。これは北海道の民間教育レベルの国語界にとっては、けっこう大きなことである。同じ方向を向くにしても、相違点を明らかにして理念的に対立する方向に向かうにしても、ここにも何かが生まれそうである。智さんと大谷さんが研究的にいろいろな意味で潤滑油になってくれるはずである。

五つ目に、怖れを知らぬ若者の出現である。何を求めても引き受ける太田くんとか、わけがわからないけれど何か魅力的な細山くんとか、ストップモーションの女王水戸さんとか、無限の可能性を見せつけてくれる坂本さんとかヨネマとか、なぜか札幌に通い詰めになっている大西くんとか、何を考えているのかよくわからないけれど空恐ろしさを感じさせる、そういう人間たちが登場してきている。きりがないので名前は出さないけれど、空知とか十勝とか留萌とか網走とかには、地道に着々と力量を高めながらそろそろ一気に花開きそうな逸材がたくさんいる。もう少し時間がかかるかもしれないが、ここ数年のうちに彼ら彼女らもぼくが見たこともないような、「えっ?」というものを生み出すに違いない。彼ら彼女らを見ていると5年とか10年とかはおそらくかからない。

六つ目に、ぼく自身の新たな動きである。いま、桃崎さんといっしょに新たな仕事を始めようとしている。始めようとしているというよりも、もう始まっている。来月、京都に行って糸井さんと初めて会い、そこには池田さんと門島さんがいるわけだ。何も生まれないはずがない。野中さんとの約束もあるし、光夫くんや山田くんとの約束もある。そこでも何かが生まれるだろう。新潟で赤坂・桃崎・堀が集う企画もある。実は他にもいっぱいある。個人的には、すべてが何かを生み出す可能性を秘めている、と期待しているところである。

七つ目に、全国的な動きである。京都の「明日の教室」に大阪分校・東京分校ができ、どんどん企画が拡大している。ネットワーク系列の「青年塾」という研究会も全国各地で盛り上がりを見せている。赤坂・土作コンビは絶好調で全国展開しているし、Mini-1出身の戦士たちも着実に力をつけているようだ。菊池省三さんも北海道から見てもわかるくらいに盛んに動き始めているし、「道徳のチカラ」が佐藤幸司さんを代表に何か新たな提案を始めるのもそう遠くないだろう。「学び合い」も賛否両論が少しずつ出てきて、新たな段階を迎えつつあるように見える。そして何より、法則化第一世代が新たな動きを始めているらしいとの情報もある。

つまり、どの団体もどの世代も、みんな「このままじゃいけない。何かをやらなくちゃいけない。何かを始めなくちゃいけない。」と、行動に移し始めているのである。問題はこれらの動きがつながることができるか、という点にある。いっしょに運動体として活動すればいいと言っているのではない。それぞれがそれぞれを認知して、顔見知りになり、なんとなく同じ方向に向かっての、ゆるやかなベクトルができればいい……というような意味である。ぼくは験也さんのさくら社がこれに大きな役割を果たすような気がしている。

かつて法則化第一世代が夢みたような、だれもが自分の興味関心に従って様々な活動をしているのだが、その様々な活動同士が互いに互いを認め合って、学び合って、刺激し合って、どんどん発展していく……そんな時代が再び来るのではないか。そんな気がする。

最後に、ぼくがいま一番いっしょに仕事をしたい人というか、ぼくが気になっている人というか、この人は何を考えているんだろう……という興味を抑えられない人が二人いる。一人は桃崎剛寿であり、先にも書いたようにこの人とはもう仕事を始めている。

もう一人はこのブログを読んでいる人のほとんどが知らないかも知れないが、齋藤知也という日文協の実践家である。ぼくはいま、本格的に日文協にかかわれる状態にないので、ここ2年ほどほとんど顔も合わせていないし連絡もとっていないけれど、ぼくが最終的にいっしょに二人三脚で仕事をするのは齋藤知也だと感じている。ご本人は迷惑かも知れないが、本気でそう思っている。そう思い始めて5~6年がたつ。彼はすごい。「教室でひらかれる“語り”-文学教育の根拠」(教育出版)という書を既に上梓しているが、少なくとも文学教育畑の人間でこの書を読んで齋藤知也をすごいと感じないとしたら、それは偽物である。ぼくなど足下にも及ばない文学的センスと文学的洞察力をもっている。世代もぼくといっしょである。でも、彼と本格的に議論するにはまだ早い。お互いにまだ議論するほどには機が熟していない。そんなふうに感じているところだ。

いま、ぼくが感じているのはこんなところである。いずれにしても、いつ何が起こっても不思議はない、すごい時代が始まりつつある……。

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00年代をともに駆けてきた晋へ

石川晋から「授業づくりネットワーク北海道ファイナル2011千歳に人が集まらない」と題された個人通信が送られてきた。ぼくがブログでたいして考えもしないで書いたものを引用しながら、最後には少々泣きが入っている文面も見られる。

このイベントにはぼくも講師の一人として名を連ねている。人が集まればぼくに持ち出しはなかっただろうが、集まらない以上、ぼくに講師料は出ないから、宿泊費と飲み代を30000円ほど用意した。別に人の集まらない集会において、晋から金をもらおうなどとは思わないし、彼がくれると言っても突き返すだろう。まあ、それはどうでもいい。

問題は彼が今回人が集まらないことを、自身の関心の在処と若手教師の関心の在処との乖離にある……と認識していることである。ぼくは今回人が集まらないことの要因は、もっといえば夏のブラッシュに晋が想定したほどの人が集まらなかったことの要因は、もっと別のところにあると思う。教育現場にもっと大きなことが起こっているのだと思う。

ぼくの考えを端的に言えば、教師を志望する若者たちにとって、「教師」が「職業」として捉えられるようになったのである。

少し前の世代まで、「教師」は確かに「職業」でもあるけれど、それは同時に「教師」という「生き方」をも意味していた。だから価値ある教師になるために、スキルアップとか修業とか技とか志とか、そうしたものにニーズがあった。ぼくらは「生き方」として「向上する者だけが人前に立ち、人を導くことができる」というテーゼを、意識的・無意識的に抱いていた。「教師」が「生き方」であったからこそ、スキルアップに自腹を切ることができたのである。

しかし、「教師」が「職業」ということになると、それは生活の糧であり、生活を保障するための仕事に過ぎなくなる。そうなると、「教師」は「目的」ではなく、生活を保障するための「手段」となる。「手段」と化したとき、民間研修はその存在基盤を失ってしまう。「手段」と化した「教師」のスキルアップに金をかけるのは本末転倒、いくらスキルアップしても給料は変わらないだから(最近は教員評価制度によって若干の差はつくものの、その対象外である若者には実感がないだろう。まあ、ベテランにも実感がないだろうが……。)、金と時間をかけて、休日をつぶしてまで民間研修会に参加することなどという思いに及ぶはずもない。そういうことなのではないか。

晋の関心の在処と若者の関心の在処とが乖離していたとしても、10年前なら人は集まったに違いない。それは10年前なら、「なんかよくわからないけれど、参加すれば何かが得られるかも知れない」と発想する階層がある程度存在したからである。そして、民間教育研修とはあくまでそうした階層を基盤にして成り立ってきたものなのである。

ではなぜ、若者たちがそんなふうに変容してしまったのか。「教師」はどのようにして「生き方」から「職業」へと変容したのか。行政の施策のせいか、はたまた若者の変容のせいか。こんな卵が先か鶏が先かの議論をしても始まらない。答えはその両方だとも言えるし、そのどらでもないとも言えるのだから。この議論を突き詰めてみても、やれ消費社会がどうだとか少子化社会がどうだとか、不景気がどうしたとかマスコミ報道がどうしたとか、そんな社会学的議論に陥るだけである。

ぼくは……というかぼくらは……というか、要するにぼくや森くんや對馬くんは、二十代の頃、ずいぶんと札幌市の国語界の中堅教師達にその資質を買われ、ずいぶんと可愛がってもらった。しかし、ぼくらが野口先生が来道したのを機に、野口先生が北海道にいる5年間だけ、野口先生からがっちり学ぼうと思って、期間限定で「鍛える国語教室札幌支部」を立ち上げた。国語界の中堅教師達はこの発想を理解してくれなかった。そこからぼくらの軋轢人生が始まったと言っていい。

ぼくの目から見た、この件の構造はこうである。ぼくらにとって札教研も国語教育連盟も安藤先生主宰の私的な研究会も「ことのは」も、そしてぼくの場合には学生時代の恩師と続けていた「実践研究水輪」も、自分が高まるためにいかなる研究団体からも学ぼうとする意識で参加した、すべてが同列の研究団体の一つに過ぎなかった。だから、ぼくは「鍛国研」を立ち上げるという発想にもなるし、一時期は「文芸研」にも学んでいた。しかし、「ことのは」や「水輪」や「文芸研」は国語界の中堅教師達の目に触れなかったが、「鍛国研」はそうはいかない。雑誌が出たり、言語技術教育学会と親和性が高かったり、何より明治図書という媒体をもっていた。要するに活動自体がどうしても目立ってしまい、目に触れてしまうのである。ぼくらは当時、ずいぶんとその態度を「裏切りである」と言われたものだった。

でも、当時からぼくらの意識は、「鍛国研」の活動はあくまで期間限定のものだったのだし、そもそも「鍛国研」を担ぎながらもぼくらにとってそれはあくまで「ことのは」や「札教研」や「国語教育連盟」や「文芸研」や「ネットワーク」と同列の〈相対化〉された研究として意識されていたのである。だいたい当時のぼくの心象を正直に言うなら、ぼくにとっては「実践研究水輪」だけが絶対的価値をもつものであり、その他の活動はすべて、水輪的研究の糧にするための研究活動に過ぎなかったのである。当時のぼくにとっては「研究集団ことのは」さえ、「実践研究水輪」の活動を充実させるための下位研究に過ぎなかったのである。ぼくが「研究集団ことのは」に研究の軸足を移したのは、恩師森田茂之が亡くなり、「実践研究水輪」が実質的に解散となってからのことである。しかし、この心象はまったくと言ってよいほど、国語界の中堅教師達には理解されなかった。

ぼくは恨み言としてこれを書いているのではない。ぼくが書きたいのは、このぼくらの世代と当時三十代半ばから後半であった国語界の中堅教師達との間にあった、埋めようのない意識の溝についてである。

ぼくらはいまだに管理職試験を受けることもなく、毎日、ただ研究活動を楽しんでいる。四十代も半ばになるというのに、そのスタンスは二十代の頃とさほど変わっていない。しかし、ここで大切なのは、こういう意識でいるのは何も「研究集団ことのは」に集った我々だけではない、ということなのである。ぼくには学生時代の、ともに実践研究を志した仲間が大勢いる。その仲間のすべてが、ぼくとほぼ同い年でありながら、やはりぼくらと同じように管理職試験や日常実践のみに埋没するのではなく、某かの研究活動を行いながらぼくと同じような教員生活の楽しみ方をしているのである。

ここからは完全に独断と偏見による私見になるけれど、現在の五十歳前後を機に、大きな世代的乖離があるような気がする。

団塊の世代は間違いなく、優秀な人間がいわゆる出世をしている。ぼくが若い頃に可愛がってもらった、当時の国語界の中堅達よりも少しだけ上の世代、つまり現在60歳前後の方々は、いま教育長をやっていたり指導室から教職大学院に移ったり、中央区の伝統校で校長をしていたりする。当時の国語界の中堅達、つまり当時は三十代半ばから後半だった世代も、いまは五十代となって指導室や教育センター、管理職になっている。

しかし、である。どうも現在の四十代後半あたりから、その世代で最も優秀だった世代はいわゆる出世を望む生き方をしていないように見えるのだ。現在のその世代の指導主事や管理職は、ぼくから見ると、どうもその世代で最も優秀だった階層ではなく、第二階層のように見える。その世代でぼくにとって最も優秀に見えた人たちは、定時制高校にこそやり甲斐があるような気がすると中学国語を離れたり、道教大に大学院が設置されると同時に「もっと勉強したい」とあっさりと辞職してしまった。彼らがいまどうなっているのかぼくは知らないけれど、こうしたメンタリティは間違いなく、先ほどから言っている当時の国語界の中堅達とは異なっていた。

そしてこうした新しいメンタリティのある種の世代的完成形がぼくらの世代、つまり、「研究集団ことのは」に集っていたのであり、ぼくの学生時代の仲間たちのような生き方を志向していたのではなかったか。そしてその構造は、当時、国語界の中堅達にもどうすることもできなかったし、ぼくらにもどうすることもできなかったのではなかったか。つまり、世界観が違ったのではなかったか。おそらくだれにも正義はなく、だれも悪くはなかったのである。最近ぼくはそんなふうに考えている。

さて、話を元に戻そう。

かつてのぼくらと国語界の中堅教師達との間にあった、このどうにも「埋めようのない意識の溝」と同じような質のものが、ぼくらの世代と現在の若者世代との間に歴然として現れ始めたのである。それは晋が言うような研究意識、研究的関心の在処に関する溝などではなく、もっと大きな、「世界観の溝」なのだ。

ぼくがこんなことを考えるようになったのは、ぼくが四十になりかけた頃、学年主任として4人の新卒を指導したときだった。ぼくは彼らをとても可愛がったが、しかしどこかで人間としての根幹的差異を感じていて、どこか本気で付き合おう、これからも付き合っていこうという意識にはならない自分を感じながら彼らに接していた。それはかつて、山下くんはもちろん、藤原くんや山寺くんに接した可愛がり方とは現象的には同じでも、本質的には異なった接し方だった。ぼくには間違いなく、その新卒たちと数年後にもいっしょに酒を酌み交わしている自分は想像できなかった。ある種の温かさと同時に、ぼくはそういうある種の冷たさをもって彼らと接していたように思う。

そしていま、晋が感じている世代間ギャップもそういうことなのだと思う。自意識の強い彼には、それが自分の研究的関心の在処に見えているようだが、おそらく本質的な構造はそんなところにはない。晋が「2年間登壇しない」と宣言する理由はいま一つぼくにはわからないけれど、そう宣言しなければならないと自分を追い込もうとする心象の〈質〉はよく理解できる。いかにも月並みな比喩を使うなら、ぼくにも同じ〈質〉の血が流れているからだ。それは同じような時代に生き、同じようなものを見てきたぼくらのコモンセンスのようなものだ。

ぼくは、若者の中にも少数だけ存在する、まだぼくらのような心象を抱いている者たちだけを集めて、小さくて、多様な研究会を多数開催していく道を選んだ。おそらくぼくのようなやり方もあと数年で破綻し、滅びていくだろう。でもそれでもいいのである。ぼくにとって、「教師」も「研究」も「職業」ではなく「生き方」なのであり「存在」それ自体なのだから、ぼく自身が楽しむことのできない活動など、まったくする必要がないのである。

石川晋の個人通信を読んで、ぼくが考えたことはこんなことである。

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いよいよ発信の時期が来たな

取り敢えず、学級経営本のべた打ちが完了した。明日もう一度、すべてを読み直して細かいところを修正して入稿ということになるだろう。

学級経営の基礎的な観点をまとめたものである。「学級経営の10の原理・100の原則」(仮)というタイトルを考えている。かなり基礎的にして一般的な原理・原則をまとめたものである。四六判176頁といったところだろうか。定価は1400円程度になるとのこと。どうやら2月下旬から3月上旬に完成しそうである。

もう一冊、中学校学級経営のワークシート集も既に完成し、入稿している。こちらは「研究集団ことのは」の共著である。こちらもほぼ同時に刊行されることになると思う。

仲間たちとともに学級経営関係の理論・実践をまとめてきたこの3年ほどの仕事が形になるわけだが、不思議と感慨はない。ちょうど10年前、「全員参加を保障する授業技術」を上梓したときにはかなり興奮したものだが、今回はそうした興奮はない。むしろ、この出版不況のなか、これから売らなければならないな……というプレッシャーがあるだけである。

この冬休みはもう1冊、「義務教育で習得させたい国語学力~授業づくり10の原理・120の言語技術」(仮)を書くつもりである。こちらは新年度には間に合わないけれど、この20年間の国語教育研究の一方の側面、「確かな学力」系研究の集大成として、一書をまとめるつもりである。

やっと発信する気になってきた。こういうテンションになったのは6年振りである。いよいよ発信の時期が来たな……という感じである。

こういうのはバイオリズムのように見えてバイオリズムなんかではまったくない。ある程度、自分の頭の中が整理されるのを待っていたのである。つまらない本を数だけ出しても仕方ない……なんていう生意気なことを感じながら、いろいろな話を断ってきた6年間だった。

この3年ほど、皆が驚くほどの数の研究会を主催し、皆が嫌がるほどに研究会を開催してきたが、こうした研究会の連続はぼくにいろいろなものをもたらしてくれた。この研究会の連続がなければ今回間のコンテンツはまとまらなかっただろうし、この研究会の連続がなければ再び本を書こうというモチベーションも生まれなかっただろう。過ぎてみれば有意義な3年間だったように思う。

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丸駒温泉

丸駒温泉に行ってきた。

一度行ったことがあるような、ないような……。いずれにしても、とても良い温泉だった。

丸駒温泉旅館はいわゆる温泉街にあるのではない。支笏湖の温泉街からは一軒だけはなれたところにある。旅館自体は建て代わり、かつての趣はないけれど、支笏湖水面と同水位の有名な露天風呂は最高だった。湖側の部屋もとることができ、朝日を見ることもできた。

ぼくは露天風呂からの景色があまりにも美しいので、生まれて初めて2時間近くも風呂に入り続けるという経験をした。いくら見ていても飽きない景色だった。温泉宿に行って、知らない人と露天風呂につかりながら会話を楽しむというのも初めてのことだった。なにせこれまで、温泉に行っても10分と入っていられたためしがないのだから……。

最近はなんとなく温泉づいている。1月には研究会で琵琶湖畔へ、3月には同僚と岩内に行く予定である。どれもこれも楽しみである。年をとったのか、それともやっと人間的になったのか、近頃は家でも日に何度も風呂につかるようになってきている。

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すごい時代が始まりつつある・2

18日(土)に授業技術、25日(土)に説明文をテーマにした年の瀬二度の国語科授業づくりセミナーが、ともに盛会のうちに幕を閉じた。双方ともに有意義な会になり、とてもおもしろい会になった。両日も定員に近い盛況振りで、年末・学期末にもかかわらず熱心な参加者とともに充実した時間を過ごすことができた。

前回の授業技術に続いて、昨日は説明文。堀の音読・黙読、山下の文章構成、藤原の視覚化、高橋の指示語、山口の要旨・要約、大谷の類比・対比、南山の吟味・評価、そして太田くんを司会にQ&A、すべてのコマが45分。現在の「ことのは」が用意できる最高の講師陣である。参加者も定員を満たし、内容も濃く、大盛会であった。

今回はぼくにとって、DNAのお三方の安定した講座群、藤原くんの最も得意とする内容の講座が光り輝いた一日だった。4人とも「研究集団ことのは」関連の研究会に登壇する機会はゆうに30回はこえるだろう方々ばかりであるが、ここ数年、淀みない講座を展開してくれ、しかも提案性の高さとプレゼンの豊かさとを両立させる、なんというかもう一級の講師だな……という感を強くした。本当に見事なものである。

やってみないとわからないことだが、一つの指導原理を具体的な活動を伴わせながら抽象的に提示してみせるということは、なかなか難しいことである。それを難なく(といっては、彼らは「かなり苦労しているよ……」と憤りそうだが・笑)やってのける彼らを、一級の講師といわずして何と言おう。手前味噌というなかれ。一度体験すれば、だれでも同じ感想を抱くはずである。

講師を入れ替えられるとしたら、あとは大野さん、山田くん、山寺くん、太田くん、智さん、石川晋くらいだろう……と書いてみて、まだこんなにいたかと驚いた(笑)。実はまだまだいる。いま挙げた方々よりも少しばかり安定感が欠けるけれど、個性的な講師陣がたくさんいる。それも登壇する度にめきめき力をつけている。まったく北海道の民間教育関係の人材きら星である。

2010年という年には三つの意味があった。

一つは人材がそれぞれの立場で、それぞれのステップにおいて、急激に力量を高めたこと。自分の考えていることを具現化する力を一気に高めたこと。将来どこまで伸びるのかと思わせる若者が次々に登場した年だった。特に女性にそういう人材が現れ始めている。女性が元気な団体はその団体自体が伸びている証拠である。

一つは道内外のいろいろな団体がつながり始めていること。道内では、ブラッシュとことのはと北フェスが再びつながり始めている。しかも以前と違ってもっと強く。更にことのはと鍛国研が再びつながり始めたことも大きなことだ。道外では、野中・池田・赤坂・土作・菊池・山田・上條・桃崎と来道してもらった今年度だったが、どの講師ともその後、ブラッシュ関連の人たちがつながり始めている。これから大きな動きも出てきそうである。

一つは岡山さんを中心としたファシリテーション系の動きとのコラボが始まっていることである。まだまだこの動きは具体化していないけれど、これからいろいろな企画がかなり高い密度で立てられることは間違いない。楽しくなりそうである。

話を昨日のセミナーに戻すが、昨日、実は大谷さんが研究会案内の「説明文の授業づくり」という会のコンセプトを読み落としていて、物語の講座をつくってきた。ところが彼はその場に配付されていた説明文教材を使って、その場で、それはもう見事な提案を作り上げてしまった。まったく大チョンボを武器に換えてしまう力量の高さには舌を巻いた。山下くんの淡々と進めていく講座スタイルも板についてきた。ぼくは本当は30分ずつ90分講座でやりたい範読・音読・黙読の内容を45分でエッセンスだけを伝えた。どれも及第点を超える内容だったと思う。

講座が7つも並ぶと、一つや二つは講師のやろうとしていることが途中で破綻してしまい、いや~な感じ、くら~い感じになる講座が出るものである。むしろそれが普通だ。しかし、最近のぼくらの研究会にはそういう講座が一つもない、という状態が続いている。もしかしたら、今年度になって一度もないかもしれない。このことは長年やってみないとわからないことだが、猛烈にすごいことなのだ。

本当にすごい時代が始まりつつある。

追1

そうそう。昨日の飲み会は楽しかった。気分よく飲めた。そしてやたらと食った。二次会はすすきのにまで出て、ぼくの教え子の店「いづ屋」にも行った。そこで最初の卒業生にも会った。ぼくが兄弟で担任した兄のほうである。やたらと金を使った一日でもあった(笑)。

追2

今回のセミナーには、またまた愛知の変人石田くんが登場。彼も楽しそうだった。何よりである。かつての大内や山迫くんのように、またまた人見さんとか石田くんとか変人が集い始めている。会に勢いが出てきているときには、こういう変人が現れることも特徴である(笑)。

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第15回・国語科授業づくりセミナーin札幌

12月25日(土)の研究会のご案内です。今回は「来年度こそ 国語授業を充実させる」の第2弾として、説明的文章教材の授業づくりの基礎の基礎です。若手教師のみなさんに少しでも説明的文章の授業づくりの勘所をレクチャーできたら……と考えています。冬休み初日、一休みしたいところだとは思いますが、どうぞ札幌へおいでください。

第15回・国語科授業づくりセミナーin札幌

国語の授業、困ってませんか?

来年度こそ 国語授業を充実させる 第2弾
基礎の基礎から学ぶ説明文の授業づくり
7つの講座

説明文の授業って、どうはじめてどうまとめたらいいの?
要約とか指示語とか構成とかってどう教えたらいいの?
こんな 小さいけれども大事な国語科授業のキモ 指導事項と授業技術の基礎の基礎について、国語を得意とする中堅・ベテランの講師陣から楽しくわかりやすく学べます。

【 日 時 】2010年12月25日(土) 9:15~16:45
【 場 所 】札幌白石区民センター1F多目的室(予定)
【参加費】3,000円

【 講師 】
堀 裕嗣(札幌市・中学校)
南山潤司(札幌市・小学校)
大谷和明(札幌市・小学校)
高橋裕章(札幌市・小学校)
山下 幸(札幌市・中学校)
山口淳一(札幌市・小学校)
藤原友和(函館市・小学校)

【プログラム】

9:10~ 9:15 開会セレモニー
9:15~10:00 講座1 音読・黙読/堀 裕嗣
10:00~10:45 講座2 文章構成/山下 幸
11:00~11:45 講座3 視覚化/藤原友和
11:45~12:30  講座4 指示語/高橋裕章
昼食・休憩
13:30~14:15 講座5 要旨・要約/山口淳一
14:15~15:00  講座6 類比・対比/大谷和明
15:15~16:00  講座7 吟味・評価/南山潤司
16:00~16:45 講座8 説明的文章の授業/なんでもQ&A

【お申し込み方法】

以下の7点をお書きの上,FAXがEメールにて下記まで御連絡ください(24時間OK)。
 1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)/7.メールアドレス(なし場合には「なし」と明記)
小木恵子(こぎ・けいこ) FAX(011)866-6422 E-mail : YFA39060@nifty.com

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研究会案内/12月

私に関係する12月の研究会をご案内させていただきます。例会、札幌市内の研究会が3本です。しかも今年の年末は女性講師による国語科授業づくりセミナー、特別支援教育に特化したブラッシュアップセミナーなど、異色のセミナーが多いのが特徴です。

2010年12月18日(土)/第14回・国語科授業づくりセミナーin札幌来年度こそ 国語授業を充実させる 第一弾!基礎の基礎から学ぶ国語科の授業技術/札幌市白石区民センター/参加費:3000円/講師:水戸ちひろ・坂本奈央美・小木恵子・加藤恭子・冨樫いずみ/指定討論者:堀 裕嗣・大谷和明・大野睦仁・高橋裕章・山下 幸・柳谷直明・南山潤司・山口淳一・石川 晋/定員30名/終了しました。

2010年12月19日(日)/第31回・教師力BRUSH-UPセミナーin札幌特別支援教育の現在~現場から発信する特別支援教育/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:2000円/講師:石川晋・梶倫之・柏葉恭延・桑原賢・湯藤瑞代・平山雅一・水戸ちひろ/定員30名/終了しました。

2010年12月25日(土)/第15回・国語科授業づくりセミナーin札幌来年度こそ 国語授業を充実させる 第二弾!基礎の基礎から学ぶ説明文の授業づくり・7つの講座/札幌市白石区民センター/参加費:3000円/講師:堀 裕嗣・南山潤司・大谷和明・高橋裕章・山下 幸・山口淳一・藤原友和/定員30名終了しました。

【その後の予定】

2011年1月8日(土)~9日(日)/授業づくりネットワーク北海道ファイナルin千歳新しい時代に必要な「学びのしかけ」を考える/1日目:千歳市民文化ホール/2日目:ANAクラウンプラザホテル千歳/両日参加11,000円・1日参加6,000円/講師:青山臣吾・石川晋・大谷和明・岡山洋一・上條晴夫・長瀬拓也・中村健一・堀裕嗣

2011年1月11日(火)~13日(木)/「学び合い」先進校視察/上越教育大学西川潤先生のお招きで、西川先生がかかわっている新潟県内の「学び合い」先進校を見学させていただきに、再び新潟を訪ねます。北海道から総勢8人でのツアーです。/この企画は一般公開されていません。

2011年1月22日(土)/第16回国語科授業づくりセミナーin札幌来年度こそ 国語授業を充実させる 第三弾!基礎の基礎から学ぶ物語の授業づくり・7つの講座/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:堀裕嗣・山口淳一・藤原友和・山下幸・太田充紀・南山潤司/定員30名

2011年1月29日(土)~30日(日)/京都・明日の教室 学級経営・国語スペシャル/講師:石川晋・門島伸佳・堀裕嗣/1月29日(土)13:30開始~1月30日(日)11:00終了/場所:滋賀県大津市苗鹿 旅館「木もれび」/参加費:宿泊費・食費・研修費込みで、15000円/申込受付はこちら

2011年2月5日(土)/第10回教室実践力セミナーin札幌「交流から議論へ」「議論から対話へ」「対話から生産へ」/言語活動を充実させる4つのアイテム/グループ・ディスカッション/ファシリテーション・グラフィック/ファシリテーション/ワールド・カフェ/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:岡山洋一・藤原友和・堀裕嗣・山下 幸/定員20名

2011年2月12日(土)/第27回累積科学国語教育研究会in札幌作文指導で両立できてますか?意欲 と 技能~「書くことがない」「書き方がわからない」そんなセリフ、もう言わせない!/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:鹿内信善・山寺潤・山口淳一・山田洋一・小林智・大野睦仁・高橋裕章・堀裕嗣・南山潤司・山下幸/定員30名

2011年2月19日(土)/第32回・教師力BRUSH-UPセミナーin札幌さあ年度末!サクサク進める年度末の評価・評定のウラ技/子どもに語れる担任にならなくちゃ~修了式後・卒業式後・最終学活で何を語るか/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:大野睦仁・加藤恭子・高橋裕章・水戸ちひろ・細山崇・大谷和明・南山潤司・柏葉恭延・山田洋一・太田充紀・齋藤佳太・小林智・山下幸・堀裕嗣/定員40名

2011年3月26日(土)~27日(日)/第1回・中学校学級づくりセミナーin札幌/中学校・学級経営の極意・決定版/札幌市コンベンションセンター2F207研修室/参加費:両日参加6000円・1日参加4000円/講師:池田修・桑原賢・堀裕嗣・桃崎剛寿・山下幸/定員60名/近日詳細

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2学期終業式

寝不足で眠い目をこすりながら起きる。

朝学活終了後、体育館へ。まずは中体連新人戦その他の表彰。そして2学期終業式。学活時間には3学期の最初に使うプリントを印刷。清掃。最終打ち合わせ。すべてが滞りなく進む。

2学期はずいぶんと短く感じた。やはり行事も研究会も多い2学期。やらなければならないことを一つ一つ片付けているうちに終わってしまった感がある。今年の予定も明日の研究会1本を残すのみとなった。

あとは温泉旅行が一つと恩師のお参り、脱稿した学級経営本の修正を少々行えば、今年も終わりである。おそらく今年も大晦日だけはゆっくり過ごして、元旦の夜からは仕事を始めるに違いない。

おそらく元旦からは国語教育本の執筆にはいることになるだろう。プロットも完成して編集者とも打ち合わせた。ちょっと大規模な本……というか、ぼくがこれまでやってきたことを体系的にまとめる本になるので、少々時間がかかりそうな気配。冬休みでの完成は無理かも知れないが、なんとか2月いっぱいくらいを目処に完成させたいと考えている。

夕方から買い物。きのとやに行ってケーキを買い、スーパーでチキンを買って、犬といっしょに食べる。毎年のことながら、チキンをパクつく犬を見ているのはなんだか楽しい。

冬休みもふだんと同様、やるべきことをやるまでである。

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今日の出来事5つ

今日の出来事……。

その1

桃崎さんから腹を抱えて、ひっくり返って笑うほどのメール。版権の事情がらみで、ぼくの原稿を桃崎さんが改訂してくれたのだが、これがとってもおもしろい。これってありなの?の思うような改訂。桃崎さん、センスあるなあ……(笑)。

その2

晋ちゃんのネットワーク北海道ファイナルが人集めにずいぶん苦しんでいるようだ。そりゃあそうだよなあ。今回の講師陣は対象が少々狭い講師が並んでいる。特別支援とかユーモア教育とか若手教師の仕事術とか……。一人一人にはいろいろな意味でずいぶんと価値があるんだけど、一般参加者を集めるにはちょっと対象が狭い感じがする。でも、それ以上に問題なのは、三連休のうちの二日間という日程なのだと思う。平日に出勤させられ、三連休までつぶそうとは考えないということだね。

その3

病み上がりの南山さんから25日(土)の研究会後に飲みたいとの連絡あり。南山さんが飲みたいというのなら飲みましょう……ということで、屯田屋敷に電話したら、明後日は空いていないとのこと。それも数十分前に埋まったばかりとのこと。ちょっと悔しい。人数が確定しないから他の店も予約できず。まあ、当日、人数が確定してから電話をかけまくることにしよう。

その4

25日(土)の研究会が久し振りに定員を満たしそうな盛況振り。冬休み初日という日程がいいのか、それとも説明文授業の基礎技術という企画がいいのか、いずれにしても嬉しい誤算である。15人程度と見込んでいたのに……。

その5

今日、一歩も外に出ないでいたら、テレビのニュースで北海道大荒れ、大雪と盛んにいうので、厚着をして除雪をしに外に出て肩すかし。なんと5センチ程度。多少水気を含んだ重い雪ではあるものの、凍り付いているわけでもなく車からするする落ちていく。庭の雪も目の前の路面が出ていたのですべて道路に捨てる。ものの10分である。どうやら大荒れは道東だったらしい。

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BiOHAZARD Ⅳ

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ポール・アンダーソン監督/ミラ・ジョヴォヴィッチ主演

くだらない映画だと見る前からわかっているのに、新作がTSUTAYAに並ぶとどうしても手が伸びてしまう。昨日もそうだった。ポール・アンダーソンのつくる原色を活かした映像の美しさはたいしたものだなと思う。彼はどうしてストーリーをつくることにこんなにもこだわりがないだろう(笑)。まあ、娯楽映画なのだから、それはそれでいいのだけれど。ミラ・ジョヴォヴィッチはいつものように魅力的な表情ではなかった。

※八神純子の「Be My Best Friend」を聴きながら……。

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八神純子/1980

このアルバムはリアルタイムで聴いている。アナログ盤でもっていた。中学2年のときだと思う。映画「戦国自衛隊」を見た帰りに玉光堂で買った記憶がある。最近、中古で出ているのを見つけて800円で買った。八神純子の初のベスト盤。ベスト盤といっても、当時は新曲が4曲収録されていて、しかもその4曲がなかなかよくて、お得感のあるアルバムだった。ぼくの青春期は、一方に岩崎宏美と太田裕美がいて、もう一方に八神純子と渡辺真知子がいる。たぶん死ぬまで聴き続けるシンガーである。

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アホかいな……(笑)

「YAHOO!JAPAN」の「教師の不祥事」欄を眺めていたら、相変わらずの猥褻や飲酒運転にまじって、おもしろい記事が載っていた。「『愚か者一覧』廊下に掲示 青森県の中学教諭が不適切指導」というものである。

アホかいな……(笑)。

と思って記事を読んでみると……。

【以下引用】

青森県内の中学校教諭が2009年度、提出物を出さない生徒の名前を「愚か者一覧」などと名付けたリストに記入し、校内に掲示するなど不適切な指導をしていたことが19日、分かった。県教委は教諭を懲戒処分とせず、公表対象外の訓告処分にとどめていた。

河北新報社が県情報公開条例に基づき入手した文書と県教委教職員課によると、教諭は中学2年の学級担任だった09年7~11月、保護者面談の日などに「愚か者一覧」「愚か者ベスト10」などと名付けたリストを廊下に掲示。リストには、提出物をなかなか出さない生徒たちの実名を記入していた。

さらに、教諭は生徒たちと交換していたノートに「病気なのか」「ダメ人間」「問題児」などと生徒をさげすむ言葉を記入。保護者からはたびたび苦情が寄せられていたにもかかわらず、何度も同様の記述を繰り返していた。

教諭はこのほか、生徒の質問を無視したり、生徒に配慮のない発言をしたりして、生徒や保護者とトラブルになっていたという。

県教委は今年1月8日、教諭と校長を訓告処分とした。教諭は「未提出物が多いままだったら、3年生に進級してから願書提出などの際に生徒が損をすると思い、喝を入れなければならないと考えた。配慮に欠けていた。申し訳ない」と謝罪しているという。

県教委教職員課は「あってはならないことだ。保護者への謝罪は済んでおり、処分は妥当だった」としている

【引用終了】

県教委教職員課の「あってはならないことだ」というコメントもおもしろい。どんなに小さな不祥事も「あってはならないことだ」というコメントが寄せられる。

でも、「愚か者一覧」「愚か者ベスト10」といったタイトルは確かに不適切だが、「忘れ物調べ」の結果や「チャイム席調べ」の結果が保護者面談の廊下に掲示されているということは、おそらくいまでもそれほど珍しくはないのではないだろうか。

ぼくはそういう点検活動にも、またその結果を掲示することにも、あまり好ましく感じていないので、こういう不祥事にはもっと大きな処分を与えてもいいのではないかと感じている。この処分は教職員課にもこうした活動に一定の理解があることを示しているように思える。

例えば、校内放送で生徒を呼び出したり、忘れ物の多さをチェックして貼り出したりという行為は、これだけ人権意識、人権感覚が広まった昨今においてもごく普通に行われている。清掃点検をして各クラスの清掃の悪いところばかりを昼の校内放送で発表しているのを聞いて、ぼくは保健常任委員会の顧問教師の感覚を年度末反省で問題視したこともある。保健室利用者リストが職員会議で報告された折、「保健室に用もないのにつるんでくる生徒」なんていう分類項目になっているのを見て、使用している言葉が不適切と養護教諭を吊し上げたこともある。

どうも学校というところには、なんということもない普通の教師の中にさえ、こうした意識がはびこっているようである。「愚か者一覧」などという過激な文言を使ったから今度の件は報道されているけれど、報道されていない人権無視は学校にたくさんある。

教師は自戒したほうがいい。

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サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ

昼過ぎに起きた。朝方まで起きていたので頭が重い。

昨日、学校長から自宅研修に関する話があった。長期休業は勤務日である、自宅で仕事をしなければならない必然性を申告せよ、自宅で研修をしたという成果物を出せ、という動きは札幌でも10年近く前からあったのだが、それがこの冬休みから強化されたらしい。長期休業中の動向を巡る通達の文言が変更になり、「場所を問わない」旨の文言が削除されたという。

自宅での研修を認めない、学校に来て仕事をせよということは、要するに仕事を「質」ではなく「量」で評価する方向へと大きく舵を切ることを意味する。つまり仕事がなくても、学校にいることが仕事である、という見方である。とにかく8時から5時まで職場にいたまえ、そうすればあにたの生活を保障しましょう、そういう施策である。

ぼくのように夏休み・冬休みには自宅で一日に15時間平均で、調べ物をしたりPCに向かって資料を作成したりという生活を送る者にしてみれば納得できない施策である。ぼくの書斎には教育関係だけで約3000冊の書籍と20000万点以上の資料がある。これを繙きながら、複数の資料から共通点と相違点を見出し、某かのアイディアを創出して教材や指導法を開発していく、これがぼくの研究である。学校でなどできるわけがない。

いや、ぼくに学校のひと部屋をくれるのなら話は別だ。家にある資料をすべて学校に運び、夏は涼しく、冬は温かい環境を整備し、心地よいベッドを用意してくれるのなら、ぼくは学校に住んでもいい(笑)。そう。住むことが大切なのだ。だって勤務時間などにかかわらず、朝起きてから夜寝るまでずーっと研修しているのだから、勤務時間は学校、夜から朝までは自宅などと通いで取り組むことが成立しない。

しかもぼくの3000冊の書籍は決して公費で購入したのではなく、あくまでぼくの給料から、小遣いから購入したものであって、そもそも学校に置いておくべき理由が何もない。20000点の資料こそ、生徒の作文のコピーや公私にわたる様々な研究会資料の蓄積ではあるが、これをぼくのように20年分ほとんどとってあるという人間も希なはずである。そもそも多くの人たちにとっては必要のないものだから捨てられるのだが、ぼくにとっては必要と感じられたからとってあるのである。これはぼくという人間の個人的な目的のために取り置かれたものに過ぎない。これを蓄積しているのはぼくの個人的資質によるものであって、決して公人としての「堀裕嗣」という札幌市に雇用された教師に起因するのではない。

おそらく長期休業の自宅研修が認められないとすれば、ぼくは年休を取って自宅で研修をするようになるだろう。年休をとって研修した成果は、論理的に公務に還元する必要がなくなる。つまり、ぼくは、ぼくが外部で身に付けたスキルについては学校に還元する必要がないという理屈が成立してしまう。ぼくは普通の先生ができる程度のことしかしなくていいことになる。仕事を「質」ではなく「量」で、「時間」で評価するということは、ウラを返せばそう言うことである。

研修は学校でできるはずだ……行政は言う。嗤わせちゃいけない。それは学習指導要領と日常に埋没した経験則とだけを結びつけて、浅く、思慮の足りない、自己欺瞞的な、自己満足的な、浅はかな結論が称揚されるだけの研修にしかならないのは目に見えている。そういう研修しかしない教師だけで、学校教育が成立すると本気で思っているのだろうか。

確かにかつては、組合派が夏休み・冬休みを自宅研修として遊んでいた現実もあろう。その意味で、行政がこのような施策に打って出る心象もわからないでもない。しかし、そうした現実は21世紀になってかなり払拭されてきているはずである。ぼくは少なくともこの数年、長期休業を年休もとらずに遊び回っている教師がいるという話を聞いたことがない。そろそろもう充分なのではないか。グレーゾーンのすべてに白黒をはっきりつけ、厳密に対処するには、そろそろ弊害のほうが大きくなってきてはいまいか。そろそろ自宅研修中に外で目撃されたという情報が見られた場合には厳正に処分する、その程度でいいのではないか。そういう人間は職務専念義務違反なのだから、法的には本来懲戒免職の対象なのである。免職は行きすぎにしても、戒告くらいを数人に出せば一気に引き締まるはずである。それでいいではないか。

時間だけを職場で過ごせばいい、「質」より「量」で仕事を評価するという慣習が染みついてしまえば、次第に平日にも時間外勤務のモチベーションが下がってしまうはずである。それは勤務時間だけを評価の対象とすることを意味するのだから。

教員評価とも相俟って、「職員室の共同性」をより崩壊させていく方向に向かいはしないか。教員評価でCのついた教師たちにも、同じ論理が働くからである。つまり、「自分はCなのだから、AやBの人よりも働きが悪くてもいいというお墨付きをもらった……」という解釈が充分にあり得るのである。C評価教員たちが本音ではこう思いながらもこれを公言しないのは、教員評価かぜねらっているような「よし!今度はAやBを目指そう」などというモチベーションの高まりなどではなく、「職員室の共同性」がいまでも少しだけ生きているからである。「あの先生に迷惑をかけたくない」「先生方の目がこわい」といった意識が、かろうじてそうした自暴自棄な態度を抑えているのである。

しかし、こうしたギリギリで精神の均衡を保つ在り方は、自らの学級が崩壊したり、職場の人間関係がバランスを欠いたりしたときに、いわゆる「心の病」やいわゆる「不適格教員」的な動向として顕在化していくことになる。この悪循環を止めねばならない。

サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ……。

この世界観に教師を追い込んではいけない。そして間違いなく、このグレーゾーンの払拭という施策は、その方向に舵を切っている。

※岩代太郎の「蝉しぐれ」のサントラを聴きながら……。

51sqpym2fkl__sl500_aa300_蝉しぐれ/Original Motion Pictures Soundtrack

岩代太郎/2005

今年のこのアルバムを勤務校の40周年記念式典ビデオのBGMに使った。たいへん評判が良かった。正直、自分でもとても満足のいく出来だった。音楽の力である。この音楽がなんということもない普通の学校の歴史をなんだか崇高なものに感じさせてくれた。こういう楽曲は希である。映画もとてもいい映画だった。

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「満ち足りる」と書いて「満足」という

いま、夜中のというべきか朝方というべきか、午前3時50分である。25日(土)に予定されている、今年最後の講座の準備を終えた。テーマは説明文の音読と黙読である。

18時過ぎに自分の実践記録を並べ、雑誌の音読特集を本棚から抜き出すところから始めた講座準備は、約10時間を経てPPTのスライド6枚として形になった。成否はやってみないとわからないけれど、取り敢えずこれまでの実践を整理し、意義付け、ちょっとしたスパイスを加えなどして、なんとか形にすることができた。土曜日は45分の講座なのだが、体験型講座としては45分では足りないかもしれない。おそらく当日は、後半を相当端折らないといけないだろう。

しかし、説明文の音読・黙読などという、あまり国語教育界でも取り上げられない題材を、一つのコンテンツとして提示できるところにまでは仕上げたと自負している。いま、完成を見て、珍しく少々興奮しているようなところがある(笑)。

いまのところ、土曜日のセミナーは参加者が24名。明日明後日であと一人か二人増えたとしても、25人前後、この講座の対象としてはちょうどいい人数である。定員を30名に設定しているが、何と言っても日程がクリスマスだから15人くらい集まれば御の字だと思っていた。この人数はできすぎである。

今年も100本近い講座をやってきたけれど、最近は学級経営や生徒指導関係の講座が多く、国語教育関係の新ネタを開発したのは久し振りである。このコンテンツを30分~45分で語れるプレゼン感覚を身に付ければ、今後国語教育関係の講座をもつときに大きな武器になっていくだろう。そういう意味では今後が楽しみでもある。

年末の仕事の一つとして満足である。「満ち足りる」と書いて「満足」という。確かに満ち足りた気分になっている。言葉とはよくできているものである。

※由紀さおりの「手紙」を聴きながら……。

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由紀さおり/2009

由紀さおり名義のデビュー曲「夜明けのスキャット」から「この夜の果てまでそばにいて」まで、そしてボーナス・トラックとして「タ・ヤ・タン」が収録され、全58曲の3枚組。3枚を2回ずつ通して全曲聴いてから、またDisc-1に戻って、「夜明けのスキャット」や「天使のスキャット」「手紙」「故郷」「挽歌」といった名曲たちを再び聴く。リピートにつぐリピートで、結局何回聴いたのかわからない。いずれにせよ、このベスト盤のおかげで、とても気持ちよく仕事をすることができた。これまた満ち足りた気分になった。

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忘年会欠席

今日も2年2組の担任。一日2組の生徒たちと過ごす。

授業は2年生の国語が3時間。自習監督が1時間。1年生には冬休みの書き初めの宿題を配付。午後は避難訓練。空き時間なし。放課後は教育課程検討委員会。次年度の教育課程、主に教科時数と教科人数の配置について。動きが遅いと思われるだろうが、管理職の新入生人数の連絡ミスで学級数が想定と変わり、これまで立ててきた教育課程がすべて最初からやり直しになったのである。まあ、人間だからミスもある(笑)。こういうことを責めてみても始まらない。

16時10分で年休をとって帰宅。週末は土日ともに研究会だったので、疲れも溜まっているし、仕事も進んでいない。今日は勤務校の忘年会なのだが、欠席させてもらって仕事をすることにした。今日の夜と明日とで土曜日の講座の準備、溜まっている原稿をできるだけ進めることに専念しようと思う。すばらしきかな、天皇誕生日!

※渡辺真知子の「MEMORIES」を聴きながら……。

MemoriesMEMORIES

渡辺真知子/1979

たぶん渡辺真知子の初期のアルバムとしては最高傑作と評価されているアルバム。ぼくも昔、このアルバムを買って、しばらくポスターも部屋に貼っていた記憶がある。ジャケットと同じような写真のポスターだった。最近、中古で安く出ていたので買ったのだが、当時、ずいぶんと聴いたアルバムなので、1曲1曲がとても懐かしい。当時、渡辺真知子にバラードは似合わないと思っていたけれど、いま聴くと決してそんなことはない。渡辺真知子らしい、名曲の並んだアルバムである。ピアノの使い方がうまいなあ……と思う。アレンジは全曲、船山基紀である。

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取り敢えず良かった

夜早めに寝た。久し振りに10時間以上寝た。

朝起きると、ずいぶんと体調が戻っていた。確か先月の新潟の初日もこんなふうに早めに寝て、朝起きると、「ああ、今日は大丈夫そうだな」と思ったものだ。

やはり睡眠時間をちゃんと確保するということは、大切なことのようである。今日一日なんとか勤務すれば、あとはなんとでもなる。取り敢えず良かった。

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風邪

昨日から風邪気味。朝出勤すると学年の先生が3人お休み。一日5組の担任。素直な生徒たちで一日中何も苦労はなし。給食・清掃もよく動く。いいクラスである。副担任ではないものの、授業で受け持っている学級なので、気心は知れている。

授業は5時間。2年生の国語が3時間に1年生の書写が1時間、更に学活。国語は「夏の葬列」の読解。書写は図書室読書。学活は担任に頼まれた今年の10大ニュースのアンケートなど。

一日中風邪気味で、午後からは熱も上がってきた。空き時間は横になっていた。放課後、学級事務を処理したところで、早めに帰宅。今日は早めに寝ろ、ということである。なんとか回復させなければならない。ぼくまで休んだら、さすがに学年がまわらなくなる。

学校では今年第1号のインフルエンザも出た。2学期最後の週なのは幸いである。

それにしても、1ヶ月前、新潟に行くときにも風邪をひいたが、今年はやたらとよく風邪をひく。体力が落ちてきているのか、不摂生がたたっているのか、いずれにしても先週土曜日にコートも着ないで飲みに行ったのが災いしたようだ。あの日、ずいぶんと寒かったから。

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チューリップのアップリケ

岡林信康の名曲……というか問題作の一つ、「チューリップのアップリケ」が由紀さおりのアルバム「いきる」(2009)に収録されている。これがとてもいい。

このアルバムでは基本的に、由紀さおりは声色をつくり、幼女を演じている。それが彼女の歌唱力と相俟って、とてもいい仕上がりになっている。いや、これはあくまでぼくの主観であり独断であり偏見であって、岡林信康を古くから聴いている人から見れば、冒涜に聞こえるのかもしれない。

ぼくが小学校から中学校に通っていた頃、「第二次フォークブーム」と呼ばれた時代があった。松山千春、中島みゆき、さだまさし、長渕剛、更にはチャゲ&飛鳥とか雅夢とか岸田智史とか……まあ、それはいいとして、当時のぼくにとって意外だったのは彼らがみな口を揃えて岡林信康の名を口にしたことだった。小中学生が幼いながらも知っているようなかぐや姫とか井上陽水とか吉田拓郎やガロやチューリップやふきのとうではなく、岡林信康とか加川良とか、70年代フォークではなく60年代後半のフォークをオリジンだと主張していたことだった。岡林信康が「フォークの神様」と呼ばれていることも知った。

そしてぼくも、岡林信康を聴いてみた。

「山谷ブルース」も「チューリップのアップリケ」も「手紙」も「くそくらえ節」も、どうも嘘っぽく聞こえて仕方なかった。幼少からのクリスチャンで、大学で神学などを学んだ人間がこんな「山谷」や「被差別部落」のことを本気で歌えるのだろうか。少なくともキリスト者として形成されてきた幼少からの世界観、つまりは日本人離れした世界観でしかこれら日本の現実を捉えられないのではないか……、そんな気がしたのだ。

それから三十数年が経って、由紀さおりにこんな声色で語られると、ぼくがもう四十代になっているという現実と相俟って、妙に納得させられてしまうのである。

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由紀さおり/2009

しあわせ/夜の果てまで/ビールの海/あきらめるのが好き/ひみつの恋/いそしぎ/哀しみのソレアード/かくれんぼ/チューリップのアップリケ/回転木馬/真綿のように

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平和にして退屈な一日

2組の担任が欠勤で、一日担任。授業は2時間。2年生の国語が1時間、1年生の書写が1時間。「夏の葬列」と図書室。6校時に学年集会。空き時間は銀行と郵便局へ外出。

自習監督が一つ。最近、先生方がばたばたと倒れている。風邪がおおはやり。ぼくも午後から鼻がぐすぐす言い出した。

放課後は次年度の年間計画について教務部長と打ち合わせ。

会議もなく、生徒指導もなく、授業もあまりない。何もない、平和にして退屈な一日。

※由紀さおりの「夜の果てまで」を聴きながら……。

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由紀さおり/2009

由紀さおり、61歳の作。熟練のボーカリストらしい、11の楽曲で11通りの演技力を披露している、そんな感じ。アルバムとしての完成度はものすごく高い。さすがである。「あきらめるのが好き 努力しないの 効率の悪さをずっと 抱きしめたいから」というフレーズがちょっと気に入った。

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赤いブーツとつむじ風

また、くだらないものを買ってしまった。昨日飲み会から帰宅すると、amazonから届いていた。べろべろに酔って帰ってきて、中身は何かとわくわくしながら開いてみて、ジャケットを見て自分を嘲笑した。そうだ……これ買ったっけ。

「赤いブーツとつむじ風」という曲がどうしても聴きたかったのである。ぼくが初めて買った榊原郁恵のシングル「いとしのロビン・フッドさま」のB面の曲である。小学校5年生当時のぼくは、A面の「ロビン・フッド」以上にこのB面の曲が好きだった。このアルバムにこの曲がクレジットされているのを見て、もうどんな曲だったかさえ覚えていない、「赤いブーツとつむじ風」がどうしても聴きたくなってしまったのである。まったくボーナスが出ると、どうしても気が大きくなってしまって、しょーもないものまで買ってしまう。悪い癖である。

ところがところが……。

聴いてみると、歌詞を見なくても口ずさめるではないか。自分の脳のどこかにインプットされたまま、三十数年間、保存してあったらしい。最後まで間違うことなく口ずさめる自分に嗤いが止まらなかった。

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榊原郁恵/1978

めざめのカーニバル/アバンチュール大作戦/甘いお話しもう一度 /恋のパッピドゥー /赤いブーツとつむじ風/雨上りのフリー・ウェイ /いとしのロビン・フッドさま /愛よ夜空を飛んで行け/淋しさが消えるまで /あなた悪魔になあれ /ブンブン・ウキウキ/ラブ・ユー・フォーエバー

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週末の研究会2本が終わった

週末の研究会2本が終わった。土曜日が「国語科授業づくりセミナー」、日曜日が「教師力BRUSH-UPセミナー」である。どちらも意義深いセミナーになった。

まず18日(土)は「国語科授業技術の基礎の基礎」と謳ったセミナー。しかも講師は全員女性と謳ったセミナーでもあった。残念ながら、講師5人のうち二人が直前になって体調不良で欠席。代役を立ててのセミナーになった。

まずは水戸ちひろ先生の「おにたのぼうし」。模擬授業30分のあと、それを90分間のストップモーション授業検討にかける。模擬授業が30分で検討時間が90分であるから、かなり広く深く突っ込んだ議論を重ねても、最後まで検討することができた。ぼくや石川晋、DNAのほかにも、今回は大谷和明先生や柳谷直明先生がいらっしゃって、基本的な授業技術を取り上げながらも、かなり質の高い議論が展開された。

その後、小木恵子先生の「話すこと・聞くこと」の授業づくりの45分講座、加藤恭子先生の「読むこと」の授業づくりの60分講座、更に大野先生の絵本を用いての模擬授業のあと、検討とQAを60分間みっちりと……。話題も多岐にわたり、充実のセミナーになった。

その後、忘年会と銘打って屯田屋敷へ。久し振りに痛飲。17時過ぎから24時過ぎまで、一升以上飲んだ。もうべろべろである。

今日19日(日)は「教師力BRUSH-UPセミナー」。もう31回目を迎える。しかし、今回はテーマを「特別支援教育」に絞る初の試み。参加者は20名程度だったが、BRUSHの「特別支援教育」関係の先生方が一堂に会しての講座群は圧巻だった。

専門的に見ればいろいろと難点もあった一日だったのだろうが、ぼくのような門外漢にとってはかなり情報量の多い一日だった。なにせ知らないことが次々に語られる。専門用語がわからなくて困る場面も多かったが、とにかく映像をまじえての実践提案はかなり説得力があった。

この場に、大学時代からの友人柏葉恭延が登壇していることも、ぼくにとっては感慨深いものがあった。彼が取り組んでいる「いけまぜ」イベントに湯藤さんがボランティアとして参加したことがあったり、平山くんの教え子が参加していたりと、意外とつながっているというのも不思議な気分になった。柏葉だけでなく、岡山夫妻がいたり、上篠路時代の保護者がいたりと、いろいろと不思議な気分を抱いた研究会だった。

初の試みとしては、まず大成功といっていいだろう。今後も続けていきたいコンテンツの一つになった。次年度も秋に開催する予定である。

とても疲れた二日間だったし、とても飲み過ぎた週末でもあったけれど、この時期にいろいろなことを、新しいことも含めて考えることができたのは貴重である。次年度の展開に様々な影響を与えるであろう二日間になった気がする。

※浅川マキの「夜が明けたら」を聴きながら……。

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浅川マキ

もちろん昔から知ってはいたけれど、今年になって彼女が亡くなったのをきっかけに聴くようになった。「夜が明けたら」くらいしか知らなかった骨太のボーカリストが、一気に近づいてきた感がある。いま40代になって聴き始めたことが、結果的には良かったのかもしれない。「赤い橋」という曲が気に入っている。

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週末の研究会のために早めに寝る

授業は4時間。2年生の国語が3時間、1年生の書写が1時間。「夏の葬列」の読解と図書室である。空き時間の1時間は郵便局やら銀行やら。もう1時間は生徒会関係の事務仕事。放課後は学年会。

帰宅後、「シャーロック・ホームズ」。これまでのホームズ像を破壊した、なんとも今日的な映画。明日・明後日の研究会のために早めに寝る。

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もっと高い山に登る……?

最近、憤っているブログをよく読む。つい先日は野中さんが35人学級の見送りに憤っていたし、一昨日は山田くんがお医者さんに憤っていた。なんとなく羨ましい感じがした。

ぼくはここ2年ほど憤るという経験をしていない。怒りというものを感じない。自分でもなぜだかわからない。年をとって人間が出来てきたから……などではまったくない。そういうベクトルよりも、むしろ自分の中のパワーが落ちてきているせい……といったほうが近いのではないか、そんなふうに感じられるタイプの「憤らなさ」である。

読者の皆さんの中には、つい先日のブログで東京都の漫画規制に憤っていたではないか……と思われる向きもあるかもしれない。でも、ぼくはまったく憤っていない。あれは、こういうデメリットがあるのではないか、と冷静に考えてみたことを書いたまでである。憤っているように見えたとしたら、それはぼくの文体がそういうタイプの文体であるというだけだ。

「構造的な問題」というブログもあった。札幌市の教育課程研究協議会の国語部会での出来事を綴って、現場での国語科の実践研究の在り方に「構造的な問題」があるのではないか……と指摘した文章である。これもぼくは憤っていない。憤っているというよりも、むしろ哀しんで書いたものだ。そしてそこにはどこか、諦観も入っていた。石川晋がこのブログを取り上げてくれたけれど、石川晋の発言こそがぼくよりずっと前向きなのであり、ぼくは彼の書き方に違和感を感じたほどだった。

何度か校長先生への憤りじみたことを書いたが、それも別に校長に対して対立的に対応したわけではない。「それは校長先生のお仕事でしょう(笑)」という感じて、笑いながら申し上げたまでのことのである。つまり、やんわりお断りしたというだけのことであって、まったく憤ったわけではない。

研究会関係のML上のやりとりでも、代表という立場上、憤った振りをしなければならないことがあるが、これもまったく憤っていない。公務でもなんでもない民間の研究会というものは、すべて強制できないものであり、いろいろなことを人間関係とか、お互いの情で進めていかなければならないところがある。うまく行かないことがあるということは、ぼくなりによく知っている。自分にも幾多も経験があるからだ。

ここ数年で最後に憤りを感じたのは、ある若手教師がビデオ編集ソフトに7000円をかけるのはもったいないと感じていることを知ったときではなかったか。もう一年半も前のことである。

ある同僚とこんな話題になったとき、彼は「それは副担病だね」と言った。「生徒に説教するときも、どこか本気になれないでしょ?」というわけだ。

しかし、それも違う。ぼくは担任をやっていたときだって、生徒に本気で怒りを感じたことなどほとんどなかった。記憶をたどっても、少なくとも21世紀になってからは一度もないと思う。本気で怒っている〈振り〉をしているだけだ。起こってしまったことは仕方ないことだという感覚がぼくにはしみついている。それを蒸し返して怒りを覚えるということは、ぼくにはもともとほとんどなかった。これは「人間というものは、もともとどうしようもない悪徳を体現したような存在なのだ」という人間観がぼくの中にあるからだ。たぶん二十代前半の頃に、武田泰淳とか野間宏とか梅崎春生とか、第一次戦後派と呼ばれる作家たちから学んだ人間観である。

こんなことを書いたのは、昨日の通夜で、久し振りにK輔に会ったからである。ぼくが上篠路中時代に学年主任をしていた頃、1年間だけ期限付きでぼくの学年に配属になった教師である。彼の顔を見ながら、ぼくは「ああ、こいつには当時、オレは本気で説教していたな」と感じた。

そう。ぼくは上篠路時代、職員室で常に憤っていた。管理職にも、同僚に対しても。特に自分の学年の教師たちには。副主任の女の先生に対しては次の学年主任ができるように育てなければ……と感じていたし、担任の若者二人は早く一人前に育てなければ……と感じていたし、期限付き採用の若者たちに対しても1年間でこれからの時代を生き抜けるような教職感覚を植え付けなければ……と感じていた。だから、常に本気で、憤って、説教をしていた。

当時、ぼくを憤らせていたのは、間違いなく「責任感」だった。若者たちを育てなければならないという責任感。そして彼らの学級の生徒たちが担任が若者だからという理由で当然受けられるべき教育的利益を受けられないということだけは、学年主任として絶対に避けなければならないという責任感。この学年の生徒たち、そしてその保護者たちが損をする状況だけはつくるまいという責任感から、どちらかといえば利益誘導型政治家みたいな感覚で管理職にも対峙していた。これらの責任感がぼくを憤らせていたのである。

たぶんぼくがビデオ編集ソフトに7000円を払えないと言った若者に憤りを感じたのは、まだ転勤したてで、若者に接するときの上篠路時代の感覚が残っていたせいなのだろう、といまは思う。おそらく、いまのぼくならそんなことでは憤らない。

さて、この現在の傾向は、果たして、良いことなのか悪いことなのか。

これはいろいろ考えてみたけれど微妙である。ただ一つだけ言えることは、ぼくにとって、いまの立場は責任感を感じるほど重くはないというである。生徒会の仕事などというものは、たぶんぼく一人でも回せる程度の仕事なのである。たとえだれかがミスを犯したとしても、ぼく一人で充分にフォローができる。だから、生徒会部の先生や生徒会役員の生徒が失敗したとしても、ごくごく簡単にフォローができてしまう。心に余裕があるから、まったく憤りを感じない。たぶんこういう構造である。

よく、登山家が一つの山を制覇すると、それ以上に高い次の山に登りたくなる、という話を聞く。月並みな例だが、人間の本質を突いていると思う。ぼくはいま、要するに上篠路時代よりも低い山で、いや、もう山とは言えないような丘みたいなところで、のうのうと働いているのである。これが日常になっているものだから、すべて、物事を見る目がそんなふうに余裕のあるものになってきているのである。おそらくこの傾向は、ぼくにとってあまり良くないことなのではないか、という気がする。

ぼくにはいま、職場における自分の仕事の価値が見えすぎるほどに見えている。生徒会では、去年よりちょっといい、そういう、一歩進めはするけれど、決して事を荒立てるほどの大改革はしない、だけど確実に一歩だけは絶対に進める……そんな仕事の仕方をしている。言ってみれば、そんな仕事しかしていない。

開校40周年式典についても、他の学校の式典と比べて見劣りしない程度の、そういう式典をもともともっている演出力でうまくつなげた……そんな仕事の仕方しかしていない。

結局、最近、そういう自分の仕事の仕方がいやになってきているのだ。いやになってきているというよりも、物足りなくなってきているのである。

うーん……来年どうしようかなあ……。

ぼくは、自分が本気で何かをやろうとすると、ものすごい軋轢が起こって、ものすごい闘いの毎日になることをよく知っている。もうそんなことをする年でもないのかなあ、という気もする。腰も悪いしね(笑)。

※Charの「JAY」を聴きながら……。

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Char/2003

Charの21世紀2枚目のアルバム。昔からの盟友Jim Copleyとのセッション。いかにも70年代っぽい、いかにもCharらしい、めちゃくちゃカッコいいアルバム。 もう何度聴いたか知れない。車で聴いていると、特に高速なんかで聴いていると、どうしてもアクセルを踏みたくなる。

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大規模校を活性化させるアイディアはないものか……

授業は3時間。2年生の「夏の葬列」の読解が2時間。1年生の書写が1時間。行書「栄光」の清書。ずいぶんうまくなってびっくりした。自習監督が1時間。2年生の英語。単語を写すだけの自習課題なのだが、ずいぶんと時間がかかるので少々驚く。空き時間は生徒指導。放課後は職員会議。提案は送別集会の予算のみ。特別違和感のある提案もなく、ほとんど意見を言うこともなく、お気楽な職員会議。勤務校には珍しく、1時間強で終わった。

その後、同僚と話し込む。生徒指導のこと。生徒たちの学力のこと。更に、特別支援教育の在り方のこと。総合の校外学習のこと。教育課程のこと。いろんなことが学校規模の大きさがネックになっている部分がある。確かに上篠路では普通にできたことがここではできない、ということが多々ある。何か大規模校を一気に活性化させるアイディアはないものか……と真剣に考えてみようと思った。

同僚を日章中学校まで送ったついでに、きのとやでロールケーキを買ってくる。新製品が出ていたので、それを買う。

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第31回・教師力BRUSH-UPセミナーin札幌

第31回 教師力BRUSH-UPセミナーin札幌
特別支援教育の現在~ 現場から発信する、特別支援教育 ~

教師力ブラッシュアップセミナーが満を持して行う特別支援教育セミナーです。
講座のほとんどに実際に映像資料を活用し、わかりやすく提案します。

○日 時 2010年12月19日(日)9:30~16:00
○場 所 札幌市・白石区民センター 1F会議室
  札幌市白石区本郷通3丁目北1-1
○主 催 教師力BRUSH-UPセミナー
○後 援 北海道教育委員会
○参加費 2000円
○定 員 30名

【日程】

9:00~9:20  受け付け
9:20~9:25 開会セレモニー

9:30~10:20
第一講座「インクルージョン発想で学級・授業を創る」
NPO「授業づくりネットワーク」理事 石川 晋
10:30~11:20
第二講座「インクルージョン発想で支援学級を創る」
留萌市立東光小学校教諭  梶 倫之
11:30~12:20
第三講座「インクルージョン発想で交流の場を創る」
札幌市立中央中学校教諭、NPOにわとりクラブ  柏葉 恭延

昼食

13:20~13:50
第四講座「特別支援教育をめぐる論点を整理する-到達点と課題、方向性-
北海道鷹栖養護学校教諭  桑原 賢
14:00~14:30
第五講座「個別支援とお友達支援‐支援学校の視点から」
北海道紋別養護学校教諭  湯藤 瑞代
14:30~15:00
第六講座「個別支援とお友達支援‐一般校の視点から」
砂川市立砂川中学校教諭  平山 雅一

15:10~16:00 第七講座:講師陣に何でも聴こう Q&A
答える人  講師陣
ファシリテーター:洞爺湖町立とうや小学校教諭  水戸 ちひろ

【お申し込み方法】
以下の7点をお書きの上,石川晋まで下記Eメールにて御連絡ください。
1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/
5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)
7.メールアドレス
石川 晋(いしかわ・しん) E-mail:zvn06113@nifty.com

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第14回・国語科授業づくりセミナーin札幌

今回は「研究集団ことのは」主催研究会初!講座・模擬授業を担当する講師陣のすべてが女性です。こんな企画を立てること自体が逆差別だ……なんて言わないで、どうぞふるってご参加ください。みな、一級の講師です。

次の日には「特別支援教育」をテーマにした教師力BRUSH-UPセミナーも開催されます。

学期末の忙しい時期ではありますが、どうぞ札幌へおいでください。

第14回・国語科授業づくりセミナーin札幌

国語の授業、困ってませんか?

来年度こそ
国語授業を充実させる
第一弾

基礎の基礎から学ぶ国語科の授業技術

説明文の授業って、どうはじめてどうまとめたらいいの?
物語の授業って、結局、なにを教えたらいいの?
こんな 小さいけれども大事な国語科授業のキモ 指導事項と授業技術の基礎の基礎について、国語を得意とする中堅・ベテランの女性講師陣から楽しくわかりやすく学べます。

【 日 時 】2010年12月18日(土) 9:15~16:45

【 場 所 】札幌白石区民センター1F多目的室

【参加費】3,000円/定員30名

【 講師 】

水戸ちひろ(胆振・小学校)
坂本奈央美(檜山・中学校)
小木恵子(札幌・中学校)
加藤恭子(胆振・小学校)
冨樫いずみ(空知・小学校)
その他:堀 裕嗣・大谷和明・大野睦仁・高橋裕章・山下 幸・柳谷直明・南山潤司・山口淳一・石川 晋

【プログラム】

9:10~ 9:15 開会セレモニー

9:15~  9:45 模擬授業1 水戸ちひろ(小学校)

9:45~10:15 模擬授業2 坂本奈央美(中学校)

10:30~11:30 研究協議/司会:山口淳一/指定討論者:高橋裕章大野睦仁石川 晋

11:45~12:30  講座1 小木恵子
「話すこと・聞くこと」領域/学習活動のつくり方

昼食・休憩

13:30~14:45 講座2 加藤恭子
「読むこと」領域/授業づくりの5つの視点

15:00~15:45 模擬授業4 冨樫いずみ(小学校)

15:45~16:45  授業解説/司会:山下 幸
(各10分×4+協議20分)
柳谷直明大谷和明南山潤司堀 裕嗣

【お申し込み方法】

以下の7点をお書きの上,FAXがEメールにて下記まで御連絡ください(24時間OK)。
 1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)/7.メールアドレス(なし場合には「なし」と明記)
小木恵子(こぎ・けいこ) FAX(011)866-6422 E-mail : YFA39060@nifty.com

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故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます

上篠路時代の同僚の御尊父の通夜に参列してきた。胃癌だそうだ。術語に一度は回復。その後再発。あわせて2年余りの闘病生活ののち……ということだった。

54歳。あんまり若すぎて、なんとも言葉にしようがない。御遺族のご心痛もいかばかりか……。いたたまれなかったのは、故人のお母様が孫に手を引かれてうつむいていたこと。見るにしのびなかった。

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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ショックも大きいことだろう

1時間目は空き時間。生徒会関係の事務仕事。2~4時間目は2年生の国語。「夏の葬列」の読解。5時間目は1年生の書写。図書室で読書。今年いっぱいは図書室で読書の予定である。

6時間目は学活で年末大掃除。ぼくの担当は水飲み場。生徒たち6人といっしょに、床・シンクを磨き、石鹸を取り替える。先週いっぱいの期末懇談で昼清掃だったため、先週は水飲み場掃除ができなかった。昼休みの水飲み場は給食ワゴンの片付け作業と重なり、掃除にならないのである。その分、今週は毎日、かなり念入りに掃除をさせている。

放課後は、生徒会役員と送別集会の打ち合わせ。アカペラで歌う曲を決め、3学期にどのように練習していくかといった具体的な取り組み。

少し早めに退勤させてもらい、今日はこれから通夜に行く。上篠路時代、臨時採用でぼくの学年に1年間だけ所属した若者の御尊父が亡くなったのである。あいつはまだ26歳のはず。ということは、御尊父もまだまだ若いはずだ。ショックも大きいことだろう。

※BRUCE SPRINGSTEENの「Candy's Boy」を危機ながら……。

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BRUCE SPRINGSTEEN/2010

先月リリースされた新譜。新譜といっても音源はデビュー当時のもの。要するに70年代のSPRINGSTEENである。未発表音源を集めたものである。2枚組。1984年のシャウト系ももちろんSPRINGSTEENの魅力の一つなのだが、ぼくは昔から「NEBRASKA」や「THE RIVER」が好きで、このアルバムはその路線なので、ぼくにとってはたまらないアルバムに仕上がっている。

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こういうものが世の中にあり得たのか

前にも書いたような気がするが、ぼくは由紀さおりがとても好きである。彼女の歌声も、彼女のルックスも、彼女の独特のユーモアセンスも、昔から大好きである。

若い頃のスラリとした由紀さおりもいいけれど、五十路を過ぎてからのふくよかな、おばさん然とした由紀さおりも抜群に素敵だ。なにせあの仮面のような目がいい。彼女の目は二十代の時も六十代となったいまも、まったく変わっていない。そして何より、あの太い、低い個性的な歌唱力がたまらない。子ども心に、「由紀さおり」なんていう、どちらが苗字なのかどちらが名前なのかわからない芸名に惹かれて好きになったのを、いまでもよく覚えている。

もう何年のことなのかわからなくなってしまったが、安田祥子といっしょに「赤とんぼ」や「ふるさと」を引っ提げて二人で紅白に出場することも定番になった頃、ある年、二人の歌う「トルコ行進曲」に圧倒された。いまでこそ、普通のことのようにも思えるけれど、当時はこういうものがこの世の中にあり得たのか……と驚いたものである。

そういえば、由紀さおりのデビュー曲は「夜明けのスキャット」だったと想い出し、感慨深いものを覚えた記憶がある。

最近、あの歌唱力が衰えてきたのを感じるようになった。「トルコ行進曲」のスピードに口がついていかなくなってきている。より年長の安田祥子にはなおその傾向が見られる。とても淋しいけれど、哀しくはない。ただただ、ありがとうございましたと言いたい。

ぼくは由紀さおりや安田祥子が亡くなったら、本当に悲しむだろうなと感じている。

今日、原稿執筆がひと息ついて、なんとなくYouTubeをサーフィンしていて感じたことである。

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心主義

今日も腰の心配はなし。授業にも盛んに動きながら普通に取り組んだ。書写の時間は1時間いっぱい座りっぱなしだったが、これも大丈夫。コルセットをはずしたくなるくらいである。

授業は3時間。2時間は2年生で「夏の葬列」。1時間は1年生で書写。空き時間2時間は事務仕事。これも座りっぱなしだったのだが、腰が痛くなることもなく、かなり仕事も進んだ。自分としてはほぼ完治と見て良いのではないかと感じている。

放課後は定例の学年会。3月までの行事検討、学活・道徳・総合計画、学年集会関係の話、送別集会関係の話、修学旅行関係の話、生徒指導関係の情報交流、いつものメニューが淡々と進んでいく。18時終了。学年会終了とともに退勤。

若手教師が悩んでいるようである。そうした悩みを経験することで大きくなっていくという側面と、いくら若くてもやってはいけないという側面と、両方のバランスを取りながら判断しなければならない。現実の社会生活、現実の職業生活とはそういうものである。この判断が若者には難しい。

若者はどうしても「心主義」に陥る。いや、若者だけではなく、教員という人種自体が「心主義」に陥りやすい傾向をもっている。しかし、「心主義」は法律に触れやすい。この感覚を直感的に判断できるようになるまで、周りの先輩教師がフォローしなければならないのだが、これが鍋蓋組織を基本とする教員にはなかなか難しい。そういうこの世界の現実について、ちょっと考えさせられる学年会だった。

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最初から破綻している

漫画規制として議論が巻き起こっている東京都青少年保護育成条例の改正問題。とうとう都議会の総務委員会を通り、本会議でも可決する見込みと報道されるに至った。

いやはや、天下の悪法、ここに極まれり……といった趣である。

ぼくは漫画をほとんど読まない。21世紀になって買った漫画は「モリのアサガオ」(全7巻・郷田マモラ・双葉社)だけ。それも一度通して読んでしまえば、二度と読み返すことなどない。いま連ドラ化の真っ最中だが、それも途中で見るのをやめてしまった。ほとんど漫画に対する思い入れはないに等しい。そんなぼくでさえ、今回の条例改正には看過できない問題が巣くっていると強く感じる。

この問題、表現の自由の是非に論点が集中している感があるが、ぼくはこの論点よりも、出版不況の昨今にあって、更に出版業界の首を絞める方向に舵を切ったことのほうに驚いている。いま、ネットの普及に出版業界がこれだけ苦しんでいる状況下にあって、よくもまあ都がこんな政策を策定するものだと、意外にさえ感じてしまうのだ。

再販制度にはあれだけ批判的だった知事・副知事がそろっているというのに、漫画の内容規制があっさりと通ってしまうことにも矛盾を感じる。おそらく知事も副知事も文学作品やノンフィクションに比して漫画は価値の低いもの、あくまでサブカルチャーである、いまだにそう捉えているのだろう。そうした〈上から目線〉をなしにして、今回のこうあっさりとした条例改正はあり得ないだろうという気がするのだ。

しかし、「太陽の季節」になぜ性描写が必要だったのかというある種の〈芸術性〉の問題を考えても、「太陽の季節」がなぜあれほどの爆発的なヒットを飛ばし、石原裕次郎をあれほどまでのスターダムに押し上げたのかというある種の〈大衆性〉の問題を考えても、どちらも現在に移行すれば漫画問題と構造的に相似形を為すのはずだと考えるのは穿っているだろうか。

漫画とネットの闘いは、時代を遡れば文学とテレビの闘いと同質である。ともに前者に勝ち目がないことが共通している。つまり、こと性描写に関して漫画はネットに敗れざるを得ないし、文学はテレビにかなうはずがないのである。前者は有料、後者は無料。前者は能動、後者は受動。こうした月並みな対比もさることながら、こと性描写に限れば、漫画は読者の想像力を発動させられる猶与をもつ「物語性」という一点においてのみ、ネット上の性的な画像・動画に優位な位置にあったのである。

そんな、20世紀を象徴するカルチャーの最後の生き残りである漫画・アニメの世界を規制しようとは、実は文学やノンフィクションに近似したものに規制をかけ、それに対抗する更に有害なメディアを野放しにすることによって、敵に塩を送るようなに政策と言わざるを得ない。

前にも述べたように、ぼくは漫画を読まない。しかし、現在の「萌え」のアイデンティティの萌芽ともいえる時代に青春期を過ごした者の一人として、漫画・アニメに狂ったように耽溺し、生きる価値を漫画・アニメに見出すことを人生観とするような友人なら、小・中・高・大を問わず、数え切れないほどにもっている。彼らは森雪に萌え、メーテルに萌え、ラムちゃんに萌え、セーラームーンに萌え、綾波レイに萌え……。ぼくにはまったく理解できなかったが、一般に好ましいか好ましくないかの価値は別として、彼らが一つの文化を形成し、無視できないほどの市場を形成していることはまぎれもない事実なのである。

こうした「おたく」、そして「オタク」という新たな世代の中から、宮台真司・大塚英志・岡田斗司夫・東弘紀……といった明晰な頭脳が出現したこともまた紛れもない事実だ。いま、文学の代替物として、「新世紀エヴァンゲリオン」や「デス・ノート」が文芸誌上で真正面から取り上げられ、分析・検討されていることも紛れもない事実である。漫画やアニメというメディアが、いわば「新しい芸術」として時代を席巻しているのは確かなのである。そして芸術と性描写とが切り離せないものであるという言説に石原慎太郎は与し、いまもなおまず間違いなく賛同するはずなのではないか……。

ナボコフの「ロリータ」が、川端康成の「眠れる美女」が、或いはリュック・ベッソンの「レオン」が、ある種の少女趣味的性描写を指摘され、規制を受けるとしたら、知事・副知事をはじめ、都議たちは反対しないのだろうか。漫画の性描写はその延長線上にありはしないか。

もう一つ、ぼくが懸念するのは、正規のルートで販売される漫画のみに規制をかけて出版不況を後押しするのなら、著作権法違反と行きすぎた性描写の坩堝と化している同人誌市場にも規制をかけなければならないはずだが、それがおそらくは不可能であるという現実に対してである。コミケを中心とする同人誌市場を地下に潜らせるなどという政策は絶対にとるべきではない。そんなことをすれば禁酒法に近い悪法になる。おまけに禁酒法ならカトリックという強い正規の後ろ盾があったが、今回の規制の後ろ盾はあくまで実態のない世の中の右傾化に過ぎない。

更に懸念すべきは、今回の規制を急進的に主張しているのがPTA団体であることだ。性描写で味をしめれば、次は殺人シーン、更に暴力シーン、更にはドラッグシーン……と、次々に規制対象を広げよという主張になっていくだろう。PTAの主張が偏っていると言いたいわけではない。もう少し現実的な共存・共栄の方策は考えられないのかと言いたいのである。

漫画を規制すれば、物語欲求を漫画で満たしていた層の何割かがネットへと移行するだろう。ネット上の画像・動画の中に読者の想像力を発動させられる猶与をもつ「物語性」をもったメディアが誕生し、新たな市場を開発するすもしれない。それはそれでいい。しかし、それは漫画以上に有害表現を規制しにくいメディアであり、そもそも国内法では現実的に規制しきれないメディアであるということもよく理解しておく必要があるだろう。

ぼくにはいかなる方向からこの問題を眺めても、最初から破綻している条例改正であるとしか思えないのである。

※岩崎宏美の「万華鏡」を聴きながら……。

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岩崎宏美/2007

CZECH PHILHARMONIC ORCHESTRA

これも完成度が高い。かつてシングルに幽霊の声が聞こえるなどと騒がれたが(笑)、この曲はよく聴いてみるとだれもが名曲と感じるような厚みと深みをもった曲である。このアレンジを得て、その厚みと深みが更に厚く深くなっている。

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久し振りにまともに勤務した一日

朝、いつもどおりに出勤。車に乗るのが億劫になることもなく、痛みを我慢することもなく、何かにぶつかるのを怖れることもない。いつもどおりに出勤できることは幸せである。

午前中は授業が3時間に自習監督が1時間。授業はすべてが「夏の葬列」の第二節。自習監督は数学のプリント。午後は空き時間が一つと総合が一つ。空き時間は同僚と話し込む。総合は職業体験の発表会。体育館で各クラスの代表16名が発表。正直、もう少し工夫のしようがあるのになあ……という展開。一人一人の発表の室の問題ではなく、発表会の持ち方のことである。もう少し発表人数を増やしたい。できれば、全員に発表させたい。そういうことである。

放課後はお客さんが来て話し込む。なかなか得難い情報を得ることができて、有意義だった。

久し振りにまともに勤務した一日。腰の調子が悪くなることもなく、ひとまず回復と見て良さそうである。この1週間が大丈夫なら、「完治」という自信ももてるのだが……。それにしても普通に動ける勤務。そんなことが楽しいと思えるのも、病み上がり故である。

※岩崎宏美の「ロマンス」を聴きながら……。

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岩崎宏美/2007

CZECH PHILHARMONIC ORCHESTRA

おもしろいもので、岩崎宏美が17歳の岩崎宏美の物真似をしているような歌声。あのデビュー当時の、まだどこか細い声を意識しながら歌っている。しかし、サビに近い高音箇所になると、ファルセットにならざるを得ない。それがまさに四十路後半のファルセット。あの、叫ぶように黄色い、それでいて伸びやかな地声の高音は出ない。だからといって岩崎宏美を批判しているのではない。これはこれで、聞き応えのある、人生の8割をファンであり続けている者からすれば、どこか歴史性を感じさせる歌声である。 

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豊潤な時間が流れている

豊潤な時間が流れている。

PCに向かって、方々とメールをしているだけなのだが、いろいろなものに出逢うことができる。いろいろな志。いろいろな優しさ。いろいろな機転。どれも同様に尊い。この時間を豊かにしているのは、これらのメールのやりとりに岩崎宏美とチェコフィルハーモニー管弦楽団とのコラボが重なっているからでもある。

いま、5つの媒体で次年度の企画を同時進行で打ち合わせている。道内企画もあれば、道外企画もある。次年度は道内でフル回転しようと思っている。登壇もするが、登壇でのフル回転というよりは運営でのフル回転である。

特に、「教師力BRUSH-UPセミナー」は次年度をいろいろな意味で、エポックの年にしようと決めている。次年度いっぱいフル回転して、代表を辞すつもりである。これは近しい人たちには既に言っていることであり、決意は固い。

ぼくにとって「研究集団ことのは」は私的なものだが、「教師力BRUSH-UPセミナー」は私的なものではない。どたらも私的な、民間の研究会じゃないか……と思われるかもしれないが、そういう意味ではない。「研究集団ことのは」はあくまでぼくが立ち上げたものだが、「教師力BRUSH-UPセミナー」は連合体として立ち上げたものであるから、ぼくの「私的な研究会」ではない、という意味である。

連合体としての組織、ネットワーク的な組織というものは、代表が固定しない方がいい。上層部が固定化すると、どうしても政治のにおいがしてくる。組織とはそういうものである。しかし、自分の最後の年にはフル回転しなければならない。それが礼儀でもある。

フル回転は、自分が振るに回転するだけを意味するのではない。次の人たちが困らないように、組織の運営の仕方を公開で行い、可視的に行わねばならない。それを見て、次の人たちはいいところをまね、違和感をもったところは修正すればいい。公開しておかないとこの動きができない。この動きができないと仕事が滞る。仕事が滞ると衰退する。衰退させないためには、常に公開しながら、見える形にしてすべてを決めていくことである。

2011年度はなんとかこういう感じでフル回転し、2012年度は「研究集団ことのは」主催の研究会、イベントだけの運営を中心に、2011年度に生まれるであろう様々な動きに無理なく対応できる体制を組もうと考えている。

いずれにしろ、次年度は楽しいながらも、かなり忙しい1年になりそうである。こういう時間こそが、ぼくには豊潤に感じられるのだ。これは性(さが)なので自分でもどうしようもない(笑)。

※岩崎宏美の「すみれ色の涙」を聴きながら……。

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岩崎宏美/2007

CZECH PHILHARMONIC ORCHESTRA

「すみれ色の涙」も弦楽四重奏。カヴァーのリバイバルヒットでしたが、岩崎宏美の代表曲の一つになっている。万里村ゆき子の作詞。シンプルだが、素敵な歌詞である。

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聖母たちのララバイ/思秋期

316yj1j2gl__sl500_aa300__2PRAHA」を聴いて、久し振りに岩崎宏美のアルバムに感動している。

本当に久し振りに、おそらくは「Never Again~許さない~」(1999年3月)以来、11年振りにこんなにも感動している。チェコフィルハーモニー管弦楽団とのコラボは、想像していた以上に成功している。ファンとしての欲目もあろうが、それを差し引いても完成度の高い作品に仕上がっている。

中でもすごいのがオーケストラ60人の大編制の「聖母たちのララバイ」と、弦楽四重奏の「思秋期」である。

「聖母たちのララバイ」は言うまでもなく、母性をテーマにしたスケールの大きな曲である。詩世界のみならず、大森敏之の曲も。それがこのアレンジで更なる度迫力でスケールアップ。四十代になって岩崎宏美の高音が出なくなり、高音をファルセットで誤魔化す感じがずーっといやだったのだが、オーケストラをバックにすると、それが気にならなくなる。気にならなくなるというよりも、それが相応しく感じられるようになる。

それにしても、今回、このアルバムで「聖母たちのララバイ」を聴きながら、改めてこの曲の詩世界に惹かれた。ぼくがこの曲を聴いていたのは中学3年生から高校1年生にかけてだったが、いま聴くと、山川啓介の歌詞の世界に当時とは異なる感慨深いものを感じる。この曲を23歳の岩崎宏美に歌わせたのには無理があったのではないか……そんな気さえする。

思秋期」も岩崎宏美ファンにとっては、かなりの名曲として認知されている曲である。いや、岩崎宏美ファンでなくても、この曲にだけは思い入れがあるという人を何人も知っている。この曲の詩は阿久悠。これまた、高校を卒業する十代の女性の心情をなぜこれほどまでに美しく描ききるのかと、感じてしまうような素晴らしい感性。19歳の岩崎宏美がこの曲に感動し、何度も涙を流しながらレコーディングを中断させてしまったと、のちに本人自身が回想しているくらいだ。

少々迷ったが、本当に買って良かったアルバムである。

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回復

今日もよく眠れた。腰にだるさはあるが、痛みはない。ということはちょっとした立ち仕事のあとのような状態、にまで回復したということである。今日は原稿にちゃんと取り組もうと思う。

今朝起きると、ブログのアクセス数がものすごい数。なんだ?と驚いて、検索フレーズを調べてみると、あらあら「V6」という検索ワードで辿り着いた人が圧倒的に多い。ジャニーズってすごいんだなあ……(笑)。

※岩崎宏美の「思秋期」を聴きながら……。

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岩崎宏美/2007

CZECH PHILHARMONIC ORCHESTRA

ずっと気になっていたのだが、昨日、意を決して購入。すばらしいアルバム。もっと早く買えばよかった。

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超駄作&駄作

61y5rrssabl__sl500_aa300_Orient/元ちとせ/2010

「超」がつくほどの駄作。信じられないほどの駄作。これが元ちとせか……と思うくらいの駄作。理由は簡単である。ソウルがない。技巧に走っている。こんな元ちとせは聴きたくなかった。2500円返せ!っとまでせはいわないが、たぶんもう聴かないだろう。元ちとせはあの高音が出せなくなりつつあるのだな……というのがわかってしまう一枚。その兆候は数年前からあったのだが。ちょっと淋しい感じのする一枚でもある。

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こちらも「超」はつかないが駄作。インディーズ時代のファースト「Hajime Chitose」を10点とすれば3点くらいのアルバムである。「慕情」に元ちとせらしさがあるといえば、ある。何のためにこんな邦楽・洋楽のカヴァーアルバムをカップリングでリリースする必要があったのだろうか。カヴァー流行りの時流に乗ろうということなのか。それにしてもがっかりさせてくれる二枚である。

それにしても、この、V6よりもダメに聞こえる、この違和感は何だろうか。これじゃあ、たまたま特殊な声と特殊な歌い方を身に付けているだけの、普通のボーカリストに思えちゃうんだよなあ……。元ちとせはこんな程度のボーカリストじゃないだろう……ってのが印象ですかね。

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来週は大丈夫だろう

原稿を一本仕上げ、4時半、プリンタのインクが切れたのを機に出かけることにする。

まずはイオンに行って買い物をし、母の見舞いへ。先週の水曜日に手術をした。ちょうどその日の朝にぼくも腰を痛めたので、見舞うのは今日が初めて。割と元気そうで安心した。間違いなく歩くテンポはぼくより早い(笑)。

次に、コーチャンフォーへ。本は買わずにCDを4枚。久し振りに行ったが、教育書コーナーが更に縮小されていた。いかに教師が本を買わなくなっているかという証拠である。最近、教師はもう知的な職業ではなくなってきているというのをいろいろな場面で感じる。淋しい限りだが、商業的にいえば時代には勝てないということだろうか。しかし、このままの流れで行くと、間違いなく破綻する。活性化していない頭で子どもに接すると、教育の機微が失われ様々なトラブルを招く。人間関係というのはそういうものである。

そしてびっくりドンキーで夕食。たぶん3年前の4月に、上篠路中の同僚と行って以来。びっくりドンキーに行くといつも思うのだが、あのディッシュのサラダは猛烈にうまい。あの大根の細切りもあのドレッシングも上に一つだけのせられたプチトマトも……。

更に電気屋に行ってプリンタのインクを買い、TSUTAYAに行ってDVDを5枚借り、スーパーに行って食材の買い物。腹がふくれているので買いすぎなくていい。

帰宅したときには21時半をまわっていた。いい運動になった。かなり歩けたし動けたので、来週は大丈夫だろう。来週は原稿をたくさん書かねばならない。どのくらいPCの前に座っていられるかが心配といえば心配である。

※V6の「only dreaming」を聴きながら……。

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V6/2010/Maxi

「新・警視庁捜査一課9係」を見ているうちにすっかり気に入ってしまい、それでもすぐに忘れるからと買わないでいたのだが、今日、とうとう買ってしまった。改めて聴いてみると、やっぱりいい曲である。

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今日は少しだけ頑張ってみよう

加藤鍼灸院から帰ってきた。何を言われてもどうせ対応できないので、この3日間、一度もメールを確認することがなかった。ずいぶんと体調が戻ったので、メールを開いた。

3日振りにメールを確認すると、やっぱり雑誌の編集者から原稿請求のメールがはいっている。月曜日の9時までに絶対に送信されていないと間に合わないと、ちょっと厳しい口調(笑)。はいはい。月曜の9時ならなんとかなりますよぉ。それどころかまだ2日間あるとわかって、一気に気持ちが楽になりました。12月は正月休みがあるから、いまひとつ締め切りの感覚がわからない……(笑)。

それにしても、先週末に「とっておき道徳」を仕上げておいて良かったな……と思う。今週にこれを残していたら、かなり苦しかったに違いない。初めて書く形態の原稿というのは、今ひとつ気持ちが乗らないせいか、フォーマットがなじまないせいか、どうしても時間がかかる。

それに比べて、雑誌の連載原稿などというのは、もう3年も続けているだけにフォーマットもよく馴染んでいて、調子のいいときなら1頁あたり15分で書けることさえある。たぶん平均しても30分まではかかっていないのではないか。

昨日あたりから原稿執筆にとりかかれそうな気分になっている。長時間座っていなければ大丈夫だろう……、そんな気分になっている。

加藤鍼灸院では「先生、無理は禁物ですよ。この土日はしっかり休んでくださいね」とは言われているのだが、この社会は無理をする人たちで成り立っているのが現実。先生のほうもそんなことはわかっているのだが……という口振りだった。

今日は少しだけ頑張ってみよう。

まずは雑誌の連載原稿だけは今日中に上げてしまおうっと。

※JITTERIN' JINNの「プレゼント」を聴きながら……。

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JITTERIN' JINN/1990

「あなたが私にくれたもの キリンがさかだちしたピアス」「フラックチェックのハンチング」「ユニオンジャックのランニング」「丸いレンズのサングラス」「オレンジ色のハイヒール」「白い真珠のネックレス」「緑色した細い傘」ときて、「あなたが私にくれたもの シャガールみたいな青い夜」というフレーズに、当時のぼくはシビれた。破矢ジンタは天才だと思った。春川玲子もキュートだった。ただただなつかしい。でも、いいま聴くと、安っぽい歌詞だ……(笑)。でも、大好きです、JITTERIN' JINN!

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寝坊

躰が楽になり、久し振りによく眠れたせいで、すっかり寝坊をしてしまった。目覚めると10時過ぎ。でも、こんなふうに普通に眠れたことが幸せに感じられる。不幸は人に幸福を実感させる(笑)。今日、なんとか7時半に起きて、8時にもう一度加藤鍼灸院に行こうと思っていたのだが……。かなり混んでいるだろうが、これから行くことにしよう。

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加藤鍼灸整骨院

腰を痛めた。いわゆるぎっくり腰だ。立ち上がれないという経験を初めてした。二日間、欠勤した。頭は冴えているのだが、寝ていることしかできない。しかたなく一日中見たくもないテレビを見ていた。たまたま斎藤祐樹の入団発表などもあり、それなりに楽しめたものの、木曜日までといわれていた雑誌の原稿にも手をつけられなかった。とにかく椅子に座れないのだから、PCに迎えるはずもない。

整形に行って痛み止めはもらったものの、痛みはなくならない。それでもなんとか歩ける状態にはなったので、今日は学校に行った。2時間、立つでもなく座るでもなく、内容的にも中途半端な授業をして、同僚の先生に紹介してもらった鍼灸院へ。45分ほどの治療で、つい先ほどまでのつらさが嘘のように躰が楽になった。針の効果というのはすごいものである。平岡の加藤鍼灸整骨院というところだ。かなり有名な鍼灸院であるらしい。

躰に楽になると、こうしてPCに向かってしまうわけだが、まだまだ長時間座っていられるわけではなく、借りてきたDVDを見ながら今夜を過ごしている。いま、木村功と岩下志麻、加賀まりこの「雪国」を見終わったところ。小説にある象徴的な美の世界がすべて捨象され、島村と駒子の関係のみに焦点化された安っぽい映画だった。

長く座ることは厳禁と繰り返し言われたので、今日はここまで。

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基本的にはいい一日

5組・4組・3組と国語の授業。5組は進度をそろえるために図書室で読書。4組・3組は「夏の葬列」の範読と音読練習。4時間目の道徳は担任の代わりに2組にはいる。午後は期末懇談の2日目。生徒会室で「いじめ撲滅キャンペーン」のポスターづくり。指示をしたあとは生徒に任せて、生徒会関係の事務仕事。

そのほかにもう一つ、生徒がらみで嬉しいことがあったのだが、守秘義務に反するので書けない。

昨日一日学校をあけただけで、既に8学級分の評定と観点項目の通知表記入は終わっていた。なんという素晴らしいチーム力。いろいろな意味で、この学年の力を感じた。おかげでぼくにはこの懇談中、学年の仕事が何一つなくなってしまい、心苦しい思いも抱いてしまうのだが……。この時期の担任と副担任の仕事量の違いはなんとかならないものか。担任の代わりに副担任がやってあげられることがないのである。

何をするでもない一日なのだったのだが、基本的にはいい一日だった。学校に行ったのが3日振りだったせいか、或いは昨日がいまひとつ楽しめない一日だったせいか、生徒とのやりとりが妙に愉しく感じられる一日だった。

※MORRIS DAYの「THE CHARACTER」を聴きながら……。

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MORRIS DAY/1985

あのPRINCEの映画「PURPLE RAIN」で、THE REVOLUTIONのライバルとして出演していたTHE TIMEのボーカルを務めていた人物である。はっきり言って音楽的にはTHE TIMEのほうが何倍もいいわけだが、この人のとぼけたFUNKには人を引き込ませるものがある。PRINCEのような天才肌ではないが、何か洗練されない荒削りの芸人のような魅力がある。数年に一度、妙に聴きたくなるアルバムだ。

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構造的な問題

市教委主催の教育課程研究協議会に参加してきた。なんとも複雑な思いを抱いて帰ってきた。朝から順を追って述べていこうと思う。

朝、妻の車に乗って地下鉄駅で降ろしてもらう。7時50分頃である。ちえりあのある宮の沢駅に着いたのが8時25分頃だったろうか。教育課程研が始まるまでは、まだ1時間20分ほどある。宮越屋珈琲に入ってフレンチブレンドを飲みながら本を読む。生徒たちも今頃は読書中だな、などと考えながら。学校もちょうど朝読書の時間である。

9時15分過ぎにちえりあに行くと、ちょうど對馬くんも着いたところ。二人で受付を済ませ、2Fに昇り、いつもの自販機で珈琲を買って談笑。珈琲を飲み終わると同時に会場へ。

開会式のあと、札幌市の教育の課題について指導担当課長が説明。行政の提言であるから原稿を読むのは許されるにしても、30分に満たない提言に読み間違いがぼくが気づいただけでも8箇所。いくら他人の書いた原稿とはいえ、事前に読みの確認もしていないのだろうか。「言語活動の充実」が聴いてあきれる。習得も活用も探究も、雪も環境も読書も、説得力が半減してしまう。こういう見方をするぼくが穿っているのだろうか。

その後、兵庫教育大学の加藤明先生の講演。加藤先生の講演を聴くのは5度目になる。独特の語り口は健在だが、今日はちょっと調子が悪かったよう。後半が時間的に詰まってしまって急ぎ足になり過ぎたのも初めて見た。

午後は国語科の分科会に参加。提言は4年前までぼくも北区の札教研でいっしょだったN先生。昨年の北海道国語教育連盟の提言発表資料の焼き直しだそうで、実践自体は丁寧なつくり。ぼくも自己紹介がてらに一人ひと言感想を述べるときには、提言を聴いて感じたことを率直に述べた。ちゃんと対応しようと思わせるような提言だった。

問題はそのあとである。協議の進め方がひどい。挙手-指名型で雑談のような協議。発言者は各々が自分のやっている実践、自分の同僚がやっている実践を紹介するのみ。世の中がこれだけ生産的な議論、創造的な会議の在り方を躍起になって追究し、その成果もずいぶんとあがってきているというのに、80年代か90年代のような協議の進め方。

司会者は間を怖れ、発言が途切れると自分の実践を紹介する。発言が途切れた場面が6回あったので、司会者は6つの実践を紹介したわけである。その6つの実践のうち、5つが2003年度~2004年度にかけて、ぼくと森くんがTTをやりながら開発した「話すこと・聞くこと」と「書くこと」の実践だった。そう。司会者はいま、森くんの同僚なのである。2005年3月にぼくがその学校から転勤した後、森くんはその頃に二人で開発した授業を発展させ、体系づけている。それを森くんの名を出すこともなく、学校の共同開発ということさえなく、あたかも自分の実践であるかのように紹介する。しかも、共同開発者のぼくの目の前で。これはどういうことなのだろうか。

ぼくはこの先生を批判したいのではない。もちろん、この先生には何の悪気もない。森くん主導のもと、学校の国語科として自分もその実践に取り組んでいるので、何の疑問もなく紹介しているのである。これは現場の実践研究における構造的な問題なのである。

ついでにいえば、今度は山下くんの同僚という先生が、同僚の先生に教えてもらったとして、樹形図メモの取り方と樹形図メモのみによってスピーチする実践を紹介していた。これも笑ってしまった。この協議において、参加者から紹介された実践は12実践。そのうち、半数の6実践がぼくが開発に携わった実践だったのである。しかも彼ら彼女らはそれを知らずにぼくの前で良い実践として紹介しているのである。彼ら彼女らもそれを知っていたならば臆したはずだろう。

つまり、彼ら彼女らにとって、実践研究とは、或いは先行研究とは、自分の同僚がやった授業、或いは札教研その他でたまたま自分が参観した授業という、ごくごく狭い世界、あまりにも狭い世界でしかないのである。要するに、科学ではないのである。これを構造的な問題と言わずして何と言おう。

今日の会に参加して複雑な気持ちになった理由がもう一つある。それは協議されている内容がぼくらが20代だった頃、つまりは90年代の前半の議論から何も進歩していないのである。関心・意欲・態度の評価はどうとるのか、生徒たちの学力差にどう対応すればよいのか、なかなか取り組もうとしない意欲の低い生徒たちのモチベーションを高める学習活動の例はないか、どれもこれもこの20年で、いやおそらくはそれ以前の数十年をかけて、札幌市だけを見ても、もっと狭く札教研に提案された実践群だけを見ても、数多の実践事例がある。ぼくが札教研の資料で見たものだけを数えても10や20は軽くある。

なぜ、あの膨大な研究実践は、札幌市の中学校国語教師がときにはいやな思いをしながら、時には協働の喜びを感じながら蓄積したあの研究実践は共有化されないのだろうか。現場の研究とはそういうものだ、現場の現実とはそういうものだと片付けるには、あまりにもあの「努力たち」が可愛そうではないか。

こんなふうに感じるのはぼくだけなのか。ぼくだけが穿った見方をしているのだろうか。ひど過ぎはしないか。

もう退職してしまったあの先生の努力は、いまはもう実践研究の場に顔を魅せることもなくなってしまったあの先生の努力は、こんな未来をつくるために夜を徹して行われたのだろうか。また自己主張だと言われるを承知でいえば、札教研で研究を担当していた頃、ぼくだけが平成何年の何区の研究でこういうことが明らかになった、平成何年の何区ではこういうことが明らかになった、だから今年、この区では課題となって残っているこれに取り組んでみようと思う……という書き方をしていた。言い換えれば、札幌市全体の研究を「科学」として進めようとしていたわけである。

しかし、札教研にはそんな意識は毛頭ない、そんなことはだれも必要としていない、そう感じたとき、ぼくは人知れず札教研からも国語教育連盟からも退いた。

かつてぼくにも、地元の研究会を愛した時期があった。今日、教育課程研に足を運ぶまでは、ぼくがここ4年ほど離れている間に、某かの進歩があるのではないかと期待する気持ちがどこかにあった。しかしそれは、予想どおりというべきか、幻影であり妄想に過ぎなかった。

ぼくは複雑な気持ちというよりも、寂しく感じている。いや、寂しく感じているというよりは哀しんでいる。間違いなく、札幌市中学校の国語教育研究は危機的状況にある。あと数年で、こういう場でまともな助言ができる校長もいなくなってしまうだろう。構造的な問題を放っておいたつけだとぼくは感じている。

※安全地帯の「出逢い」を聴きながら……。

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安全地帯/2002

確か「火サス」の最後のエンディング・テーマ曲ではなかったか。安全地帯の復活シングルだったとも記憶している。安全地帯のバラードとしては、歴代でも一、二をあらそう名曲である。

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早起き

早起き。4時半に目覚めた。昨日は原稿を仕上げて、新潟で買ってきた「得月」を飲んで早々に寝てしまった。たぶん20時に寝たのだと思う。

朝起きると大野さんから2/19(土)の「教師力BRUSH-UPセミナーin札幌」のちらしがMLにあがっている。なかなかかっこいいちらしである。彼はちらしづくりのセンスがある。ぼくとは違う(笑)。

山田くんのブログを読むと、留萌の研究会は盛会だったよう。ただ平嶋くんが風邪で倒れたり、山田くん自身も風邪がなかなかよくならないようで、時節柄体調を崩している人が多い感じでもある。そういえば、勤務校でも先週は風邪で倒れている同僚が多かった。気をつけよう。

今日はちえりあで教育課程研究協議会である。学校が今日から期末懇談なので、副担のぼくにまわってきた形。それほど行きたいわけでもないが、まあ、最近の市教委がどんな形で新教育課程を考えているのか、国語科がどんな形で授業モデルを考えているのか、しっかりと見てこようと思っている。

※松山千春の「生きております」を聴きながら……。

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松山千春/2009

久し振りに完成度の高いアルバムに仕上がっている。発売と同時に買ったけれど、けっこうな頻度で聴き続けている。最後の曲「生きております」は何かのCMソングにも使われていて、耳障りのいい曲。そろそろ還暦も見えてきつつある松山千春の新たな詩世界が広がろうとしている、そんな趣のある曲である。ぼくはなんだかんだ言っても、松山千春を聴きながら育った世代である。松山千春の微妙な変化が見えることは、なんとなく嬉しい気持ちになる。

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運命(さだめ)

取り敢えず原稿が1本完成した。

初めて「とっておきの道徳授業」(日本標準)用の原稿を書いた。フォーマットがきつく、正直いってぼくにはあまり向かない原稿である。それでも書こうと思ったのは、桃崎剛寿という類い希なる実践家と出会ってしまったからである(笑)。

実は数年前、やはり桃崎さんから依頼を受けて、「とっておき」用の原稿を1本、途中まで書いたことがある。確か永山則夫の生涯を題材とした刺激的な道徳授業だった。当時のぼくの道徳は、永山則夫とか宮崎勤とか犯罪者ばかりを取り上げていた。生徒たちの評判は上々だったのだが、出版ベースに載るには少々問題点の多い実践群である。そのあたりを編集者から指摘されて、面倒になってやめてしまった経緯がある。

数年前のあのとき、面倒くさがらずに修正に応じていれば、桃崎さんとの出会いは数年前になっていたのかもしれない。事実、石川晋はその同じ年に「とっておき…」の原稿を執筆し、桃崎さんとは数年来の付き合いであるという。彼は熊本に招かれたこともあったのではなかったか……。

しかし、こういうのは、言ってみれば「運命(さだめ)」である。ぼくと桃崎さんとが出会い、意気投合するまでにはあの年から数年を要したのである。きっとこの数年間に桃崎さんにもいろいろな出会いがあり、いろいろな成長があったに違いない。ぼくにもこの数年間にいろいろな出会いがありいろいろな活動がありいろいろな成長があった。昨年度の「中学校・学級経営セミナー」の10回連続講座がなければ、同じように桃崎さんと出会ったとしてもこれほどの衝撃は受けなかったであろうし、平成18~19年の上篠路中学校での文科省指定の道徳授業研究に携わっていなかったとしたら、桃崎さんとの出会いはまた違った意味合いをもっていたかもしれない。人との出会いとはタイミングなのである。「運命」とはそういうものである。

※真璃子の「あなたの海になりたい」を聴きながら……。

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2003

岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」から30年近くが経った。もう「火曜サスペンス劇場」の放映も打ち切られて数年がたつ。再放送を見ていると、このアルバムに収録されている曲を聴くことになる。犯人役の俳優の涙目とともに、主人公のドタバタ笑顔とともに。その雰囲気がとても好きである。「火曜サスペンス劇場」と「土曜ワイド劇場」はぼくの人生のある側面を象徴している。中学時代からミステリーが好きで、松本清張と森村誠一と江戸川乱歩と横溝正史と西村寿行と赤川次郎とエラリー・クイーンとアガサ・クリスティの文庫本を読破したぼくの側面である。

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白石区民センター1F多目的室

朝遅くに起きて、まずは母の手術の保証人文書を書く。郵便局に行って速達で発送。

ついでに白石区民センターに行き、これまで予約が決定している2日分の会場費を支払い、更に今日から予約受付開始のもう一日分を予約してくる。

本当に白石区民センターの1F多目的室という部屋は重宝している。朝、机・椅子を並べなければならないこと以外は、ぼくらの研究会にとってほぼ完璧な環境である。マックス42人の部屋。しかし、ぼくらの研究会は15人程度ということも多いわけで、必要な分だけ机・椅子を出せばいい。スクリーンもついている。広い駐車場も無料である。プロジェクタさえ持ち込めば、すべて完璧である。これで朝9時から夕方17時まで借りて3,700円。ぼくにとっては家からも車で5分の距離。予約や支払いも楽である。大イベントでもない限り、もうこの会場以外を使う気がしない。

今日は原稿DAY。書きかけの原稿3本をなんとしても完成させなければならない。原稿執筆、12時開始。なんとか18時くらいまでに完成するといいのだが……。

※JOHN MELLENCAMPの「RIGHT BEHIND ME」を聴きながら……。

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JOHN MELLENCAMP/2010

80年代から聴き続けているロッカーの一人。最近はフォーク、カントリーに近づいてきている。昔からJOHNのアルバムには必ずそうした曲が3曲くらい収録されていたのだが、ぼくは高校時代からそうしたタイプの曲が好きで聴いていた。最近の傾向は、ぼくにとっては最高の流れである。 前作も良かったが、このアルバムも傑作である。テキサスを車で走る映像のバックに流れていそうな、映画音楽みたいな曲ばかりで構成されている。それでいて、JOHNのボーカルは円熟味を増していて、80年代のあの頃よりも優しい。染みこんでくるようなボーカルになっている。

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えらい人たちよ、勉強せよ。

あまり読んでいて気持ちの良くない、ぼくの性格の悪さが際だつ話を一つ。

先日、校長に呼ばれて教員評価の面談があった。面談があったといっても、賞与を前に教員評価の結果通知があったわけである。その結果を書くのはどうかと思うので書かない。

さて、その後、「40周年記念事業を仕切ってくれて大変ありがとう」とお礼を言われた。ぼくが仕切ったことは間違いないので、ここまではよい。問題はそのあとである。

「いやあ、あの式典はたいへん評判がいいんですよ。ほんとうにありがとう。」とのこと。

もちろん校長が言っているのは来賓クラスの市教委や近隣中学校の校長から聞いた評判のことなのだろう。

しかし、ぼくはここで「んっ?」と思う。外部の人が周年行事をやった学校の校長に「あの式典はいまいちでしたね」などということが、この世の中にあり得るのだろうか。どんな式典だって、その学校の校長には「評判のいいもの」としかなり得ないのではないか。

まあ、校長が機嫌良くそう感じているのであるから、それはそれでいい。

でも、あの式典はぼくに言わせれば「超手抜き」である。新たにつくったものが実は何ひとつない。そりゃあ式典用のビデオこそ新たにつくったけれど、そのほかは勤務校にもともとあるものを並べただけである。吹奏楽のマーチング、合唱コンクール優勝学級の発表、校歌斉唱、そして吹奏楽部の演奏。ビデオや式辞、祝辞を除けばプログラムを構成しているのはそれだけである。これは実はいつでもできるような式典に過ぎなかった。

ぼくの演出力として完成度を高めたのは、いつも言っているように式典に一切の間を排したこと。前の発表が終わると間髪を入れずに次の発表が始まる。教頭が「これより札幌市立北白石中学校、40周年記念式典を執り行います」と言い終わった瞬間、間髪を入れずに指揮をする先生の「ワン・トゥー・スリー・フォー」という合図とともに、吹奏楽部のマーチングが始まる。マーチングが終わった瞬間、これまた間髪を入れずに照明がすべて消え、40周年記念ビデオが始まる。こんな具合だ。それが参加者の中に、一種の驚嘆の連続となり、心のリズムを形成していく。そういうことである。演劇理論の基礎の基礎、イロハのイだ。

しかし、こんなことはちょっとした工夫でいくらでもできることである。一般の式典が間延びしすぎているだけである。口が悪いと叱られそうだが、あんな式典くらい毎年できる。毎年どころか、12ヶ月連続で毎月やれといわれれば決してできなくはない。だって新たに何かをつくるということがないのだから……。

問題は……というか、ぼくが問題にしたいのは、ぼくにはこうとしか見えない代物が、あの式典を良かったと言ってくれる人にはなぜ良いものに映ってしまうのか、ということである。ぼくにはどうしても、「勉強不足」としか思えないのである。何十年も教育界に籍を置いているものであれば当然知っているであろうことを知らない。そんなことで指導主事や管理職をやっていて恥ずかしくないのだろうか。そう言いたいのである。

儀式的行事であろうと生徒会行事であろうと、とにかく演出の核は、一つ一つのアトラクションをどうつなげるか、にある。直前のアトラクションと次のアトラクションとは質的に差異のあるものを配し、雰囲気をがらりと変える。その間に1秒たりとも間をつくらない。式辞・祝辞・祝電披露など入れなければならないものの直前にはそうした雰囲気をつくるアトラクションから一律の流れをつくり、粛々と進める。あたりまえの、オーソドックスな演出なのである。

えらい人たちよ、勉強せよ。この演劇理論の基礎の基礎はぼくに言わせれば、マネジメントと同じ原理なのである。

あたりまえのことをあたりまえに知る人間たれ。

※TOM PETTY and THE HEARTBREAKERSの「candy」を聴きながら……。

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TOM PETTY and THE HEARTBREAKERS/2010

素晴らしくすぎる。かっこよすぎる。「candy」の次の曲、「NO REASON TO CRY」というバラードもたまらない。 久し振りに、本当に買って良かったと思えるアルバムである。

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寝る寝る眠る

寝て起きてまた寝てまた起きまた眠る

疲れが溜まっていたのでしょう。とにかく一日中寝ていました。昼過ぎに起きててご飯を食べ、テレビを見ながらソファに寝転がっていたらいつの間にかまた寝てしまう。そんな一日でした。

この週末はどうしても仕上げなければならない原稿が3本あるのですが、これでなんとかなりそうです。今週は5日間勤務しながら、午後になると目がしょぼしょぼしてくるのを感じていましたが、それも来週は大丈夫そうです。

尊徳くんのメールを読むと、北見ブラッシュはまずまず盛会だったようで何よりでした。ぼくも依頼を受けたのですが、当時は家族の手術日が昨日の予定で、日程的に重なっていてお断りしました。結局、手術は来週の水曜日に移ったのですが、今日一日の自分の体調を考えると、北見に行っていたら体調をくずしていたなと思います。次に北見でブラッシュが行われる際には万難を排してお伺いしますのでお許し下さい。

昼寝から目覚めてからは、次年度に向けての様々な動きを確認するために方々にメール。いよいよこれから原稿執筆です。

※TOM PETTY and THE HEARTBREAKERSの新作にシビれながら……。

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TOM PETTY and THE HEARTBREAKERS/2010

8年振りの新作である。若い頃、といっても高校生から大学生くらいの頃のことだが、ミュージシャンというのはアルバムを毎年発表するものだと思っていた。それまで聴いてきたミュージシャンが年に1枚以上、かっちりと発表し続けていたからだ。松山千春は何年も続けて春秋と年に2枚リリースしていたし、サザンも年に1枚ずつリリースしていた。ユーミンもツアーにからめて年に1枚。それが当然だと思っていた。ただ一人、大瀧詠一があれだけ売れたにもかかわらず、まったくアルバムを発表しなくなっていることだけが不可解だった。いま、四十代も半ばになって、TOM PETTY and THE HEARTBREAKERSが8年振りのアルバムをリリースして、「おっ、意外と早かったな」なんて感じる。しかも、ぼくにとっては大傑作。こういうストレートなブルースロックが流行らなくなってもう20年くらいたつだろうか。いまのところ、ぼくらはこういうのを聴こうとする最後の世代になってきている感がある。それにしてもいいアルバムである。

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機嫌良く、楽しそうにしていること

おかげさまで、なかなか楽しい毎日を送っています。やるときはやる、でも基本的にはゆるゆると生きる、そんな理想的な過ごし方が、学校でも家庭でも、そして研究会関係でもできています。

その要因としていろいろなことが考えられますが、ぼくの場合、いろいろな意味で組織のしがらみを捨てたことが幸いしたようです。基本的に学校と民間の教育研究会の二つだけに仕事をしぼったことによって、これまで地元の公的な研究会に割いていた時間が浮きました。また、片道1時間かかっていた学校から片道6分という学校に転勤したことによって、平日に一日2時間近い時間が生まれたことになります。もう退職までこの学校にいようかと思ってしまうくらい、移動距離の短さは想像以上に精神的にも肉体的にも楽にしてくれました。現在の勤務校が大規模校で、自分に仕事が集中していないということも、精神的に楽になっている大きな要因になっています。

ただ楽しくない毎日を送っている教師も多いようで、どこに行ってもなんとなく愚痴ばかり聞いているような気がします。

愚痴ばかり聞くのですが、児童生徒に対する愚痴を聞くことはほとんどありません。学校がこんなふうに荒れていて困るとか、学級にこんないじめがあって大変だとか、そういう愚痴をかつてはよく聞いたのに、最近はあまり聞きません。モンスターペアレンツなんていう言葉が一時期流行りましたが、保護者に関する愚痴を聞くこともまれなことです。

愚痴の多くは、職場の同僚に関する愚痴が圧倒的に多いような気がしています。こんなふうに学級を荒らす同僚がいる、こんなふうに働かない同僚がいる、こんなふうに企画をつぶす同僚がいる、こんなふうにマネジメント感覚のない校長がいる、こんなふうに反応する若手教師がいる、最近の若手教師のメンタリティがわからない、そんなことばかり耳にしているような気がしています。

私たちは教師です。教師は学校で毎日8時間以上もの長い間、子どもたちと接する仕事です。あの先生とあの先生の関係がよくないとか、あの先生とあの先生はとても仲がいいとか、そういうことはまず間違いなく子どもたちに見えてしまっています。そういう人間関係が子どもたちに見えてしまうということは、子どもたちに目に見えない悪影響を与えてしまいます。

そして何より、同僚の中に嫌いな人、苦手な人、信頼できない人がいるということは、どうしても学校で仕事をするときに教師が不機嫌になってしまう……という大きな要因になってしまうということです。不機嫌な教師に習うほど子どもたちにとって不幸なことはありません。授業が少しくらい下手でも、ちょっとくらい偏った見方をしていても、担任教師が機嫌良く、楽しそうにしていることこそが最も教育効果を高めるものです。

こんな単純なことが、最近、教育現場で忘れられているように感じています。

※高橋幸宏の「The City of Light」を聴きながら……。

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坂本龍一・他/2010

坂本龍一が立ち上げたレーベルのコンピレーションアルバム。実験的な曲が多いような気がしますが、そこは坂本龍一、心地よさだけははずしません。原稿執筆のBGMとしては最適です。α派全開……間違いなし!といったところでしょうか。癒し系のサウンドになっています。

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SONGBIRD/OH DADDY

原稿を書かざるを得ない状況に追い込まれる。当然、書斎で過ごす時間が長くなっている。すると、これまた当然のように音楽を聴いている時間も長くなる。「ながら勉強」よろしく、「ながら執筆」である。中学時代からこの習慣は続いている。やめようと思ったことさえなく、これを要因に困ったという経験もないのだから、やめないのも無理はない。

しかし、基本的には原稿を書いていて音楽は心地よく流れている、という状況なのだが、ごくたまに、キーボードを打つ手が止めてしまう、圧倒的な存在感をもってぼくの意識を捉えてしまう曲が流れてくることがある。

今夜でいうなら、しばらく北原ミレイを聴いたあとに聴き始めた、FLEETWOOD MACの「RUMOURS」がそれだ。冒頭の「SECOND HAND NEWS」の前奏が流れたときには「懐かしいな……」という程度だったのだが、6曲目の「SONGBIRD」の前奏が流れ始めたとき、キーボードを打つ手が止まってしまった。CHRISTINE McVIEのボーカルが重なると、もう躰中の力が抜けたようになってしまった。

FLEETWOOD MACの「RUMOURS」といえば、数多くのミュージシャン、音楽評論家が推す、51h3lfcail__sl500_aa300_ 名盤中の名盤の一つと言って過言ではない。第二期MACの代表作である。1977年の作であるから、もちろんぼくはリアルタイムでは聴いていない。ぼくはSTEVIE NICKSのルックスからはいり、彼女のハスキーボイスに惹かれ、彼女のソロアルバムを聴き、それに満足できなくなって過去に遡ってFLEETWOOD MACを聴き始めた。「RUMOURS」を初めて聴いたのは、もう80年代も半ばを過ぎた頃だったはずだ。それも、当時はSTEVIE NICKSがリードボーカルをとる曲ばかりを繰り返し聴いていたような始末……。ぼくは決してMACのファンなのではなく、あくまでミーハーなSTEVIE NICKSのファンに過ぎなかった。

それから四半世紀が過ぎ、たまたま聴いたこのアルバムの、しかもSTEVIE NICKSがボーカルをとらない、それでいてこのアルバムからの大ヒット曲であり、MACの代表作でもある「SONGBIRD」がぼくのキーボードを打つ手を止めさせたことに、ぼくはある種の感慨を抱くのである。このアルバムからのもう一つの大ヒット曲「OH DADDY」が流れ始めたとき、ぼくは涙があふれそうになった。双方ともCHRISTINE McVIEのあまりにも優しい歌声で大切に、育むように歌われている。いや、歌われているというよりも、もはや語られているといったほうがいいかもしれない。

いまのぼくは、いや10年くらい前だからちょうど21世紀になった頃から、ぼくの中でSTEVIE NICKSとCHRISTINE McVIEの逆転現象が起こっている。いま、復活したFLEETWOOD MACにCHRISTINE McVIEはいない。その事実がぼくを必要以上に感傷的にしている部分も確かにある。2004年にCHRISTINEの20年振りの新作「IN THE MEANTIME」がリリースされたとき、ぼくは歓喜したものである。

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まともに働けてよかった

1時間目に3組で、3時間目に2組で「徒然草」の音読テスト。意外……といってはなんなのだが、2組がよく練習してきていて、満点がたくさん出た。4時間目は5組で「夏の葬列」。こんな時期に「夏の葬列」というのも違和感がある。今回は丁寧に描写を追っていこうと思っている。あの子たちには一度、そういう詳細な読解が必要なのだ。2時間目は評定を打ち込んで期末懇談資料の作成。5時間目は生徒指導案件……というよりは教育相談案件といった感じ。放課後は生徒会役員と打ち合わせをしたあと校務部会。さらに学年会。帰宅は19時近くになった。

帰宅後は水曜日に録画しておいた「相棒」第6話を見ながら夕食。ししゃも焼きと鯖の刺身で新潟の得月を一合ほど。朝日酒造の高級酒の一つ。うまい。

仕事をしようと2Fに上がり、PCに向かったところで庭野先生から電話。どうやら来年も十日町に行くことになりそうである。まだどうなるかはわからないが、庭野先生の頭の中には楽しい企画が思い浮かんでいるらしい。こういう活動をしていて何より嬉しいことは、一度招かれた主催者にもう一度来て欲しいと、再度依頼されたときである。自分が一生懸命につくった講座が、それなりに認められたことを意味するからだ。

今週は久し振りに満度に働いた1週間だった。来週は月曜日に教育課程研でまた1日学校をあけることになるのでちょっと心苦しいのだが、まあ、取り敢えず今週はまともに働けてよかった。

※北原ミレイの「石狩挽歌」を聴きながら……。

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北原ミレイ

庭野さんから電話をもらい、十日町の文化のにおいを想い出して、なんとも北海道のアイデンティティを探したくなった。ふと思いついたのがこの曲で、CDラックを探した。ややしばらく探して見つけると、すぐに聴き始めた。ああ、北海道の原風景が歌い込まれているな、という感慨がある。次は「襟裳岬」でも聴くか(笑)。 

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こういう日もある

雑誌連載の原稿5頁のうち4頁を仕上げる。さあ、5頁目を書こうと思ったところで、学級経営本と大きく関連することがわかって迷ってしまう。矛盾させるわけにもいかないので、いろいろ考えているうちに時間がたつ。24時近くなったので、明日まわしにして寝ることにする。

なんとも自分らしくない仕事の仕方なのだが、まあ、こういう日もある。

※復活SPEEDの「ALL MY TRUE LOVE」を聴きながら……。

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SPEED/2009

「えっ?こんなものまで聴くの?」というなかれ。さすがに定価では買いません。でも、BOOK OFFで500円まで値段が落ちたら迷わず買います。かつてぼくは仁絵ちゃんの躍動するダンスが大好きでした。 そんなこんなで、結局、SPEEDのアルバムをぼくはすべてもっています。まあ、90年代のアルバムを聴くことはいまではまったくありませんが……。最近、このアルバムを250円で見つけて、やはり迷わず買いました。聴くのは今日が初めてです。いやあ、驚きました。20代半ばになっているというのに、島袋寛子のキンキン声は健在。おいおい、そこでブレスじゃプロじゃないだろ……という、ばればれのごまかしブレスも健在。やっぱり十代の癖というのは10年くらいじゃとれないようです。アルバムとしては、アレンジか昔と似通っていて、わざわざこのアルバムをリリースする必然性がないように感じました。もうひと工夫なかったのでしょうか。

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もったいない

最近、意外なところからの原稿執筆依頼が舞い込んでくる。ここ2年連続でずいぶんと活動的な年を過ごしてきたために、ずいぶんと人とのつながりが広がってきている。そのせいか、「えっ?こんな依頼がオレに来るの?」という依頼が増えてきているわけだ。

ここ1週間で新たな原稿依頼が4本。すべて1月~2月が締め切り。それも割と分量の多そうな依頼が多くて、我ながら「大丈夫かいな……」と思っている。まあ、雑誌原稿を書くようになってこの15年ほど、原稿依頼をお引き受けして穴をあけてしまったという経験は一度もないので、なんとかなるだろうとお気楽に考えてすべて引き受けてしまった。

仕事というものは、それも生産的な仕事というものは、依頼が来たら絶対に引き受けたほうがよろしい。一度断れば依頼してきた人は二度と依頼してこない。いかなる依頼も自分がそれまてぜ考えていた世界観を広げてくれる。世界観の広がらない知的生産の機会というものはありえない。これが依頼を引き受けたほうがいい第一の理由である。

苦手な分野だから書けないかもしれない、苦手な分野だから書きたくない、そういうこともあるだろう。しかし、苦手分野だからこそ世界観を広げるために引き受ける必要がある。ぼくはずいぶん前からこう考えるようにしている。

第二の理由は、新たな〈人とのつながり〉ができること。あの人が好きとか嫌いとか、依頼の仕方が失礼で憤慨したから断るとか、人間だから感情が先行して断ってしまう……ということになりがちなのだが、それはよくない。人間関係というのはどこでどう転ぶかわからないものである。いま嫌いだからといって、3年後も嫌いとは限らない。失礼な依頼の仕方だと思ったのは、何かの勘違いだったり、メールの送信間違いだったということだってある。そんな小さなことで、〈人とつながり〉をもつチャンスを捨ててしまうのはもったいない。

知的生産にかかわる依頼は引き受けるべきだと書いたが、ぼくも講座や講演の依頼ならば断ることもある。平日開催の研究会で学校をあけなければならない……というタイプの依頼の場合である。

先日、庭野先生に招かれて十日町に行ったことを書いたが、この依頼もぼくは二度断っている。今年断ったのではない。一昨年と昨年とにお断りしたのである。そんなぼくに庭野先生は三度目の依頼をなされた。いくら学校をあけたくないといっても、これは行かねばならないと感じた。庭野先生はいわば「三顧の礼」を尽くされたのである。なんだか諸葛孔明になったような気分だった。

結果、行って良かった。本当に良かった。研究会でいろんな人にお会いすることができた。半年振りに野中さんにお会いすることもできた。ついでだからということで、赤坂さんの研究会にも登壇することができ、ここでも新たな出会いを得ることができた。川端康成の魅力を想い出すこともできた。うまい酒、うまい米の味を堪能することができ、食の味わいについて考えてみるきっかけになった。帰宅後、数年間音信不通だった大森先生とも再び更新が始まった。新潟で出会った若手教師数人からメールで質問も受けた。返信すると、丁寧なお礼のメールがかえってきた。もしも今年も新潟行きを断っていたら、これらすべてを得ることができなかったのである。まさに世界観を広げ、人とつながった新潟紀行だったわけである。

多くの教師はこういう発想で仕事を引き受けるということをしない。面倒だからとか、自分の仕事ではないからとか、一度いやな思いをしたことがあるからとか、そんな小さな理由で、大きな可能性を捨ててしまっている。本当にもったいないと思う。

※SHOGUNの「Bad City」を聴きながら……。

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SHOGUN/1997

松田優作の「探偵物語」、沖雅也の「俺たちは天使だ!」。ともに1979年のドラマだったと思う。もう夢中になって見た。おもしろくて、かっこよくて、惹きつけられた。双方の主題歌を歌っていたのが、SHOGUNというこの国の歴史上もっともお気楽なかっこよさをもったバンドだった。最近、「勝手にしやがれ」が同じようなメンタリティで音楽活動をしているように思えるが、ぼくにとってはなんといってもこのバンドが一番である。

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こまごまと考えさせられる

1時間目は空き時間。何をするでもなく、事務仕事を少々と机上のプリント類をシュレッダー。4組は「徒然草」の音読テスト、5組は「夏の葬列」の範読と音読練習。1年生の書写が二つ。一つは行書「栄光」の清書、もう一つは図書室で読書。6時間目終了後、校長に呼ばれて教員評価関係の面談、生徒会活動の3学期の打ち合わせ。放課後は全校協議会のあと、生徒会役員の生徒会誌原稿のチェック。それほどまずい文章はなく、簡単に終わる。校長の希望を生徒たちに伝える。生徒会長はすぐに取りかかるとのこと。職員室に戻り、一覧表をつくりたかったのだが、成績小票の管理職点検が上がってこない。評定の打ち込みは明日に回して、17時過ぎに退勤。

帰宅後は雑誌の連載原稿の仕上げ。学級経営本の執筆。順調に進んでいる。ゆるゆると取り組んでいるのだが、来週には完成しそうである。これが終わったら、国語の本を書こうと考えている。義務教育で培うべき言語技術に関するぼくなりの体系を示す。1997年以来、13年の歳月をかけて取り組んでいた言語技術の体系が一応の完成をみた。中締めといった感じである。ここで一度、提案しておく必要がある。160頁くらいのハンドブック的なものになればいいのだが……。こちらは冬休み中に完成させたい。

今日は教員評価の校長面接があり、2回目の学校評価のプリントが配付された。どちらも2000年代の前半、学校批判が喧しい頃に制度化されたものである。前者は指導力不足教員の排除を目的として、後者は学校選択制の導入を視野に入れながら。いまとなってはどちらも文句が出ない程度には定着してきたけれど、どちらも教員に焦りを感じさせない程度には形骸化している。ぼくは前者には反対、後者には賛成の立場だが、双方ともに、もっともっと機能させることができるのに……と感じずにはいられない。

授業では「夏の葬列」の範読に水を打ったような静けさ。教師は範読力、要するに朗読力を身につけなければならない。いわゆる「読み聞かせ」が従来以上に効力を発揮する時代が来ているということに、多くの国語教師が気づいていない。

今日は何があったというわけでもないが、こまごまと考えさせられることの多い一日だった。

※MADONNAの「HOLIDAY」を聴きながら……。

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1983

こういう超ピックになってしまった人間のファーストアルバムを聴くのが好きだ。特にMADONNAのファーストには、人間の業ともいうべきものが感じられて格別である。全曲、なんというか、MADONNAらしからぬひたむきさが感じられてとてもいい。セカンドの「LIKE A VIRGIN」は既にキャラクターを決定させてしまった、これまたなんというべきか、「つくられた感」がむんむんするアルバムだった。「TRUE BLUE」にいたっては、もう売るためにつくられたとしか言いようのないアルバムだった。その点、このファーストはいい。「ベスト・ヒットUSA」で初めてMADONNAの「HOLIDAY」のビデオを見たのが、つい昨日のように思い出される。彼女は当時25歳だったはずである。

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忘れかけた子守唄

タイガースのベスト盤を聴いているうちに、懐かしい瞬間を想い出した。

それは「忘れかけた子守唄」が流れ始めた瞬間である。沢田研二と加橋かつみが初めてボーカルを分け合った、タイガースにとっては記念碑的作品である。

忘れかけた子守唄歌詞はこちら

「岸壁の母」のような歌詞である。でも、この歌詞が好きで何度も何度もリピートして聴いた。そうしているうちに、この曲を初めて聴いた小学生のとき、同じようにこの曲が気に入って何度も何度もリピートして聴いたことがあったのを想い出したのである。

真駒内の官舎の自分の部屋。夜。外は雪。

「母は毎日稽古をしてるよ」という加橋かつみの声が胸に響いて、何度も何度も繰り返しレコードに針を落とした。

数十年の時を隔て、同じことをしている自分に気づいたとき、時を越えて、自分というものが確かに存在するのだなあ……と感じさせてくれた、そんな出来事だった。

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知的生産にもシステムを

昨日の空き時間に一つ、そして今日はいまさっき原稿を書いていてまた一つ、企画を思いついた。双方とも、すぐにその場でささっと文書化して「企画候補一覧」というフォルダに突っ込んだ。こういう動きはすぐにおらなければ忘れてしまう。それを怠ったがために忘却の彼方へと旅立ってしまった企画がどれだけあったことか……。

ここ5年くらいだろうか、本を読んで気になったところ、研究会に参加していて印象的な言葉、何かをしていてふと思いついた企画案、使うか使わないかもわからない、実現するかしないかもわからない、そんなちょっとした違和感や思いつきを細かくメモするようになった。

自分でも驚くくらいに生産性が上がった。強靱な精神力をもっている人ならばいざ知らず、ぼくのような基本がのんべんだらりという人種は、知的生産にも何かシステムをつくらなければ生産性が向上しない。知的生産生活が安定感をもたない。安定感を失うと躰を壊したり公務に支障を来したりということになりがちなので、日常生活の安定感だけはなんとしても維持しなければならない。

そう。システムを構築することによる一番の利点は、日常生活が安定することなのである。学級経営においても授業運営においても、ぼくがシステム、システムと繰り返す理由はここにある。生徒の日常生活を安定させるだけでなく、自分の日常生活を安定させることにも役立つ。そういうことなのである。

さて、昨日今日と思いついた二つの企画。まあ、両方ともまず間違いなく次年度に実現の運びとなりそうな企画である。

一つは単発企画。これは新しいタイプの研究会の立て方だが、勉強にはなるがおもしろさは今ひとつ。それでも勉強になることは間違いないので、ぼくの性行からいってまず間違いなく実現させるだろう。

もう一つは連続企画。これはおもしろい。徹底的におもしろい。たぶん人も集まるだろうと思う。ただ目的と方法がなかなかつながらない。発想はとてつもなく良いのだが、研究会のフォーマットがなかなか決まらない。さっきから原稿を書く手を止めて基本フォーマットをつくろうとしているのだが、これがなかなか定まらない。まあ、四、五日温めることにしよう。最悪でも次の例会でメンバーに諮ってみれば、なんらかの形が定まるだろう。

後者の研究会スタイルは、間違いなくこれまでなかった、新しいタイプの研究会である。考えてみれば当然のこと、あっておかしくない研究会スタイルなのに、だれも思いつかなかった、そんな研究会である。来年度が少し楽しみになってきた。

※ザ・タイガースの「花の首飾り」を聴きながら……。

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THE TIGERS/2003

ザ・タイガースが同窓会再結成と題して「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」の2曲をヒットさせたのは1981年のことである。確かぼくは中学3年生だったと思う。もともとお袋がタイガースのファンで、 その影響で沢田研二を聴いていたぼくにとって、タイガースは既にベスト盤をもっているという状態で、小学校時代からよく聴いていた。「モナリザの微笑み」と「花の首飾り」が好きだった。特に加橋かつみがリードボーカルをとる「花の首飾り」の美しさに魅せられた。いまでも1981年の加橋かつみの姿が目に浮かぶ。決して歌はうまくないが、なんとも透き通ったボーカルが心地よかった。いま、何をしているのだろうか。

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若者は遅れてはならない

今日から10分早く家を出るのをやめ、いつもどおりの出勤。勤務時間始まりの5分前に職員室着。コーヒーを入れてゆっくりと飲む。朝打ち終了とともに3階へ。廊下巡視及び仮遅刻生徒の指導。ぼくの学年では本来の遅刻とされる時間の5分前に来た者を「仮遅刻」として指導している。登校時間は8:35までなのだが、8:30以降に来た者は指導されるわけである。その担当がなんとなくぼくになっている。このシステムは入学以来崩れていない。そのおかげで、ぼくの所属する学年は出席簿につく遅刻をする生徒がほとんどいない。

1時間目は自習監督。ワークに取り組ませながら、PCに向かう。2時間目は国語。「徒然草」の音読テスト。3時間目は1年3組の書写。行書「栄光」の練習。4時間目は空き時間で事務仕事。5組で給食を食べ、昼休みは生徒たちと談笑。5時間目は3組で「徒然草」二編の音読練習と解説。6時間目は担任がいなかったので、2組に入って学活。2学期の反省、職業体験の発表の振り返りなどなど。放課後は生徒会室で生徒会役員と談笑しながら、生徒会誌に掲載される生徒会役員の原稿をチェック。更にPC準備室にこもって事務仕事。17時10分、勤務時間終了とともにきっちり退勤。

今日は小票提出日。ぼくは既に月曜日に提出してしまっていたのでどうということもなかったのだが、今回も提出が遅れたという教師が数人いたようである。もちろん、朝提出となっていたものが2時間目に出されたとかいうその程度のことではあるのだが、社会人としていかがなものかと思う。ぼくが教務なら絶対に許さない。満座の前で怒鳴りつけるだろう。そういう人間は恥をかかせたり、いやな思いをしない限り、絶対に直そうとしない。そういう人間といっしょに仕事をするのはいやである。最近、若い教師にそういう人間が増えてきているような気がする。先輩教師の影響という考え方もあるだろうが、そればかりではない。先輩が遅れたとしても、若者は遅れてはならない。それがこの国の常識である。

ぼくは新卒以来、小票や一覧表、通知表を遅れて提出したことなど、ただの一度もない。1週間前に出して管理職に「早すぎる」と言われたことならある。「いつなら早すぎないんですか」と訊くと「3日前なら」というので、完成しても3日前まで温めておくことにしている。馬鹿げた慣習である。

※元ちとせの「竜宮の使い」を聴きながら。

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元ちとせ/2001

元ちとせの2001年のミニアルバム。「コトノハ」「約束」「竜宮の使い」「精霊」「三八月」の5曲収録。いまだにぼくは元ちとせの最高傑作だと思っている。上田現のプロデュース。見事なものである。元ちとせというシンガーのメリットを完璧に表出させ切っている。「ワダツミの木」以前にこんなにも素晴らしいアルバムをリリースしていたということを全国民に知って欲しいとさえ思えてくる。元ちとせのアルバムにはそれほどはずれがないという印象は抱いているが、このアルバムだけは別格の、とてつもなく完成度の高いアルバムである。このアルバムがフルアルバムではなく、5曲で完成とした点に敬意を表したい。

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