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とかくこの世は住みにくい

今日は本当に久し振りに、我が家で「研究集団ことのは」の例会。堀・對馬・山下・小木・浅野・高橋といったいつものメンバーに加えて、小林・米田が初参加。次週のセミナーのプレを軸に、定期テストの検討や日本シリーズ観戦など、議論あり笑いありの6時間弱。

米田さんには驚かされた。まだ2年目だというのに、指導言に的確さ……というか、安定感があるのである。自分が2年目のときにはこういう安定感はなかったなあ……などと反省する。彼女はどういう経歴の持ち主なのだろうか。天性のものなのか、学んだものなのか、そうしたことが気になるくらいに安定感があった。

もともと、ここ1年ほどのぼくらの研究会の常連ではあったのだが、ぼくらの研究会からあの安定感を学んだとはとても思えない。おそらく天性のものなのだろう。

2010年という年がそろそろ終わろうとしている。

今年はいろいろなことがあった。1月にはブラッシュにぼくにとって懐かしい人たち、大切な人たちが名を連ねた。4月には一人仲間を失い、もう一人の仲間は登壇できなくなった。これをきっかけにもともと懇意にしていたグループと一段と懇意になった。と同時に、もともと立てていた企画は是が非でもやり続けた。そして、夏の大イベント2本を乗り切った。ここでも新たな、しかも強烈な出会いがあった。夏の東京でもかなり大きな収穫を得た。たくさんの人とも出会えた。秋にはこれまでいっしょにやってきた若手がぐーんと成長していることを実感することができ、また、ぼくが今後いっしょに活動していくであろう人と出会うこともできた。更には、懐かしい人に再びまみえると同時に、これまで名前だけは知っていたけれど交差することがなかった人との新たな出会いもあった。そしてぼくはこれから、新潟に行き、京都に行き、更に東京にも行く予定がある。そこでもまた、新たな出会いが待ち受けているはずである。

少なくともいまのところ、今年度はマイナスも大きかったが、プラスがマイナスを凌駕しているという状況である。なんとなく、ぼくが真にいっしょに仕事をすべき人間と出会えているのかもしれない、という予感さえする。少なくとも今後の10年はこの流れの延長上にあるのではないか、という気がしている。

おそらく何かが変わっている。今年度は、これまで喉から手が出るほど望んでもかなわなかった「ことのは」の新メンバーが3人も増えた。今日の例会は明らかに、なんの遜色もない例会だった。「研究集団ことのは」らしい例会だった。

今年度のエポックは、5月8日の国語科授業塾なのだろうと思う。ちょうどぼくが模擬授業をして、ストップモーション授業検討をしてもらい、ライフヒストリーアプローチをしてもらった会である。しかし、そうした対象となったことがエポックとなったのではない。あの研究会の午後は、すべて岡山さんにお願いして仕切ってもらったのである。ファシリテーションの手法を具体的に、しかも熟知しているネタで体験したために、ファシリテーションの機能度というものをぼくははっきりと理解したのだった。あれで世界観が倍に広がったという実感がある。あの経験はとてつもなく大きかった。

年末が近づいてきて、こんなふうに振り返っている今日この頃である。

「平らな道でも、つまずくことがある。人間の運命もそうしたものである。」(チエホフ)

「人間には、それぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない」(カミュ)

「多くの人々が運命に過度の要求をすることで自ら不満の種をまいている。」(フンボルト)

「運命は偶然よりも必然である。運命は性格のなかにあるという言葉はけっして等閑に生まれたものではない。」(芥川龍之介)

「人間は自分の一生は自分自身が導いてゆくものだと考えている。しかし心の奥底には、運命の導くままにこれに抗いがたいものをもっている。」(ゲーテ)

どれも真だが、どれも響かないということがある。どれも響くが、どれも偽に過ぎないということもある。とかくこの世は住みにくい(笑)。

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