使い途さえわからぬままに流れ去る
今日、こんな言葉と出会った。
「人生の最初の4分の1は、その使い途さえわからぬうちに流れ去り、最後の4分の1はその楽しさを味わえくなってから過ぎていく。しかもこのなんの役にも立たない両端の時期にはさまれた期間さえ、我々に残された時間の4分の3ほどが、睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみに費やされる。人生は短い。」
なるほどいい言葉である。ルソーの言葉であるらしい。
我々はこの「人生の使い途さえわからぬ者たち」を相手に日々仕事をしているわけだ。あいつが今日は元気がないとか、あいつに自分の思いが伝わったのかもしれないとか、あいつはなぜ自分につんけんしてくるのかとか、そんな世迷い事ともおぼしき生徒たちの起伏に葛藤する日常である。
あいつらは「人生の最初の4分の1」をなんとか通り過ぎるために、「その使い途さえわからぬうちに流れ去」ることを本質とする青年期にもがいているのだ。こう考えれば、少しは生徒たちに対して優しくなれようというものである。
教師はの多くは自分が正しいと信じ、生徒たちにその正しさが伝わると信じて教壇に立つ。私にはそれがない。私ごときが正しいはずがない。
「人生でいちばん大事なことは、失敗したらじっと歯を食いしばって我慢し、成功してもすぐに有頂天にならないことだ。」
こうドストエフスキーは言った。おそらくこれに賛同する日本人は多い。しかし、私は失敗しても歯を食いしばることなどできないし、成功すればすぐに有頂天になる。おまけにそのほうが人間らしくていいなどと、都合のよい理屈さえこねまわす。
それこそ、「その使い途さえわからぬままに流れ去る人生」を送っている一人に過ぎない。目の前にいる生徒たちと何が異なるというのか。
だからと言って、そういう態度で生徒たちに接するべき……というのではない。
敢えていうなら、こんなことを考えられること、こんなことを真面目に考えてみる時間をもつこと、それが教職にとって最も大切な資質であると思うのだ。
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