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「さっぽろ・秋の陣」終了

「さっぽろ・秋の陣」が終了しました。

同一テーマで25分の模擬授業が3本、プラスその3本に対する3~4人の授業解説が15分、締めて90分。これが一日に4サイクル。このサイクルが二日間連続である。

つまり、二日間で25分の模擬授業が24本、授業解説が2時間ということになる。実際にはすべての解説がすべてのコマで少しずつ延び、おそらく解説時間は二日間で3時間くらいあったに違いない。

二日間で13時間もの時間を「活用とは何か」「活用型の授業とはどういったものなのか」を考えることにつぎ込んだわけである。しかもすべて具体的な授業の形で、解説もあくまで授業から離れない形で。

決してネタ収集するための24本の模擬授業ではない。すべての模擬授業が「活用とは何か」「活用型授業の典型とはどういったものなのか」を考えて提案されていた。模擬授業の形を取りながらも、提案自体は研究的であるとともに実践的であった。

ぼくは珍しく、ほとんど会場から出ることもなく、24本のすべてを見た。そのほとんどに解説も施した。ほとんど退屈する時間はなかった。頭をフル回転させた二日間だった。

これまで、一日日程で模擬授業12連発という企画を何度かやってきた。おそらく過去5回くらいやったはずだ。しかし、12連発と24連発とまったく違った。二日日程で参加された方の中に同じことを感じられた方がおそらくいらっしゃると思うのだが、24本もあると、リンクする授業がかなり出てくる。あの授業で話題になっていたことは、この授業ではこういうふうに克服されている。あの授業で成功した原理は、この授業はかくかくしかじかという理由で成功しなかった。こういったリンクが次々に意識されるようになったのである。

一日目は若手、或いは登壇経験の浅い者、二日目はベテラン、或いは登壇経験の多い者というように日程を組んだこともかなり機能したように思う。おそらく二日目の登壇者は気が気ではなかったはずだ。一日目に話題になっていることは克服したうえでの授業をしなければならない……そんなプレッシャーを感じていた人も多かったと思う。実際にはそんな必要はないとぼくは思っているけれど……。

嬉しかったのは、若手が今年8月のブラッシュ、夏の陣での経験を活かして、かなり作り込んだ提案性の高い模擬授業をもってきたこと。そして、プレゼン力においても夏と比べて格段の進歩を見せていたこと。正直驚いた。ぼくにとって、一日目はこの驚きの連続だったといっても過言ではない。

しかし、二日目はもっと驚いた。さすがにベテラン・中堅というべきか、昨日とは比べものにならないほどの安定感。私はこの領域のここを明らかにする授業をもってきました……という提案者の想定範囲がよく見えるものばかりが並んでいた。総じて、二日目の提案はものすごく「研究的」だった。これも正直驚かされた。

模擬授業12連発……という企画はもともと、登壇者を増やし、若手も含めて研究仲間に登壇経験を積ませることを意図して始めた企画である。しかし、今回の二日間を見ていて、正直、「ああ、この手の企画の役割はそろそろ終えたな」と感じた。登壇者がある程度自立し、研究的提案ができるところまで来ている。もう25分とか30分とかの模擬授業をしてもらって、ぼくらが解説を加えるといった形の提案ではなく、彼らに必要なのは50分とか60分とか90分とかいった講座による研究提案だな、と感じたわけだ。

もちろん個人差はある。しかし、個人差はあるにしても、自分の模擬授業を具体例として、某かの研究的な主張をすることができるレベルに達している。もう、いくらベテランだからといって、彼らの研究提案に対して他人が解説を施すという形は失礼である。そう思うレベルになっては来ている。そう感じたわけである。

そろそろ若手と中堅、中堅とベテランとがそれぞれ本気になって授業づくりの在り方を議論していい時期にはいったのだ、ということである。実感的に、というか直感的にこう思えたということは、おそらくはそういう地点まで来たのだということだ。

ぼくにとって、この二日間はいい二日間だった。同時に、北海道の民間教育における国語……というか、この世界の国語にとって、ぼくの役割もそろそろ終わりに近づいてきたな……というのが実感である。

あとは若手、というか中堅が若手を引っ張りながら、新たな道を模索する時代が来るはずである。我々世代も負けずに我々世代なりの、或いは「研究集団ことのは」としての提案を第一義に考えた研究会づくりにはいっていいな……とも感じた次第である。

冨樫夫妻の非常に気持ちのいい提案、そして初登壇の近藤くんのすがすがしい提案、木下くんや森岡くんといった十勝組の精一杯の提案、浅野くんや平山くんに垣間見られた安定感の萌芽、細山くんに見られたキャラクターを前面に押し出してそれを活かし切るという独自性、前回の反省を活かして見事なパッケージ化を見せてくれた坂本さんの提案、水戸さんが見せてくれた新たな授業観への挑戦、どれもこれも〈実践研究〉というものを体現する姿だった。

見事なものである。

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