真駒内
ロッテが日本シリーズに進出したというので、お祝いにお湯を沸かしてマグカップに注ぎ、少しだけバーボンをたらしたものを飲む。躰が芯から温まるのを感じる。平日には飲まないことにしているのだが、今日くらいはまあいいだろう。
感情的には嬉しいのだが、頭はどこか納得していない。それは先日書いたとおり。やはり3位チームの日本シリーズ進出というのは、ペナントレースの意味合いを根底から覆してしまう。シーズンオフになったら、そういう批判的な議論が起こるべきだ。
この際、セ・リーグも巨人が勝ってしまえばいい。3位同士の日本シリーズということになれば、さすがに「なんか違うなあ…」と感じる野球ファンが増えるはずである。しかし、6戦ともナゴヤドームで行われるCS2。まあ、ほぼ間違いなく中日ドラゴンズが勝つだろう。今年はどうやら、ぼくが夢にまで見た、昭和49年以来の中日vsロッテが実現する年であるらしい。
日本シリーズが刻一刻と迫る中、どうやら冬も刻一刻と迫ってきているらしい。
学校も書斎も寒いのである。ほんの1ヶ月前、猛暑だ、猛暑だと騒いでいたというのに、既にそんな大騒ぎも遠い過去になってきている。
今夏、校内でただ一つ、エアコンのある部屋として大人気だったコンピュータ室は、いまではパソコンから自然に発する熱でじんわりと温かい故に大人気となっている。
きっとあとひと月もすれば、夜、カーテンを開けると、静まりかえった夜空に粉雪が舞い散る、ぼくの大好きな風景が見られるに違いない。子どもの頃、中学生くらいまでだったろうか、庭の緑が少しずつ雪化粧を施していく様子を飽きもせずに眺めていたものである。
あの夜の闇の中に庭の深緑色が少しずつ少しずつ純白に包まれていくのを見ていた。明日も学校……そんな日でも、夜、2時、3時まで眺めていたのを覚えている。たぶん松山千春の「雪化粧」なんかを聴きながら。懐かしい、真駒内での日々である。
いま、ぼくの家のどの窓を開けても、地面にはただ一点の緑もない。景色はすべて灰色のアスファルトに覆われている。アスファルトを少しずつ覆っていく粉雪にはなんの趣もない。
終の棲家は真駒内がいい。それも真駒内中央公園の近くがいい。あそこには、どんな現実に追われることもなく、どんなしがらみにからめとられることもない、純粋なぼくがいまもいるような気がする。かつてオリンピックの余波にまだ沸いていた頃の活気はいまはもうないけれど、いわゆるふるさとを持たぬぼくにとって、あそこだけがふるさとっぽい感傷を与えてくれる場所だ。
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コメント
いつも楽しく拝見しています。
私も小学生のころ
中央公園の脇に住んでいましたよ。
南町1丁目です。
投稿: shin | 2010年10月21日 (木) 05時40分