逆説的アイロニー
「さっぽろ・秋の陣」の疲れが抜けていない。研究会の疲れというよりも、9日夜の飲み会の疲れというべきか。あそこで気分よく遅くまでやたらと飲んでしまったことがいまだに影響を与えている感じ。人間は同じ失敗を繰り返す生き物である(笑)。
それでも今日は札教研で午前授業。いいリハビリの機会。
授業が1時間、生徒指導案件が一つ、40周年記念式典のシナリオ作成、総合の職業体験先に電話連絡、吹奏楽部と40周年式典の打ち合わせ、という午前中を過ごした。その後は年休をいただいて失礼した。
札教研に思い入れを失って3~4年経つだろうか。
新卒から15~16年はいわゆる「札教研の日」はもちろん、ほとんどすべての札教研国語関係の会議を欠席することなく取り組んでいた。新卒2年目から区の中学国語の研究担当として多くの文書を作り続けてきた。公開授業だって何度したことだろうか。
思い入れを失ったのは、例の札教研事務局問題である。札幌市は札教研を公務と位置づけ、予算を出し、勤務時間内の会議を認めていた。そればかりか札教研事務局をセンターや公立学校の一室に独立して設け、専門にその業務に従事する者を置いていた。札教研事務局はある種の出世コースでさえあり、そこから指導主事になった者も多くいる。
しかし、これがあるとき、文科省から組合の専従と同じような批判を受け、札幌市はそれに抗ったものの、結果的に押し切られ、組織の位置づけを変え、官製研的な意味合いをもたせることとなった。
当時のぼくはこの動きに期待していた。これによって市教委は札教研への全員加入を強制するようになるはずだ、これで札教研は名実ともに公務として位置づけられるようになる、そういう期待である。
しかし、実際にはそうならなかった。札教研は次第に活力を失い、参加者も減った。何より中心的に担っている人たちの時間外労働が増え、モチベーションのキーになっていた「札幌の教育研究をみんなで……」という思想も薄れていった。ぼくはこれを市教委が「大人の対応をしたために、大人でない教員たちからそっぽを向かれた」と解釈している。研究は政治的な「大人の対応」でなんとかなるものではない。
ちょうど時代は現行の指導要領が施行されて数年の時期。様々な教育改革の波が押し寄せ、学校現場は戦争状態。普通の先生方にとって、これまでのように札教研に勤務時間外を割いてまでモチベーション高く活動しようという者はいなかった。札教研改革は教職員を二分することになった。管理職を目指して研究を手段とする者と、管理職志向をもたず従来以上に札教研に距離を置く者と。
これで決まった。
札教研の方向が決まった。
そう感じた。「札教研の日」は一日減らされ、研究紀要も出されなくなった。おそらく「札教研の日」自体の存続が危ぶまれる日がそう遠くない日に来るに違いない。
ぼくにとって研究は〈手段〉ではない。〈目的〉であり〈生き甲斐〉である。とすれば、こういう札教研には力を貸したくはない。ぼくは札教研中学国語を退くことにした。もちろん、一部急進的な組合員のように札教研自体から抜けるということはしていない。ただぼくが新卒以来中心的な研究の場の一つとして機能させてきた中学国語研究部からは退いたのである。
かつてぼくが区の研究担当として盛んに札教研に取り組んでいた頃、3つの区で研究テーマをつくり、研究解説及び実践化の視点をつくった。ぼくが札教研を退いた3~4年前、調べてみるとそれらの区ではいまだにぼくのつくった研究テーマでそのまま研究活動が行われていた。
ある区の研究テーマは十数年前につくったものである。十数年前に20代の教師がつくった研究テーマ。それをいまだに改変することもなく研究活動を続けている研究団体は、果たして「研究団体」といえるのだろうか。そう感じたものである。学習指導要領改訂を前に、いくらなんでも研究テーマが更新されていることと信じたい。
かつて「札教研日和」という言葉があった。札教研の日は快晴になる、というのである。せっかく午後カットだというのに、今日あたり支笏湖にドライヴにでも行けばどんなに気持ちがいいだろうか、それなのにぼくらは研究会である……そんな心象をアイロニカルに表現した言葉である。確かに「札教研の日」は快晴が多かった……、ドライヴなどには一切興味がなく、そんなことをするくらいなら研究活動をしたほうがいいと感じていたぼくでさえ、そんな印象がある。
最近はほとんどこの言葉が聞かれなくなった。「札教研日和」というアイロニーは、札教研に思い入れがある人たちだからこそ言えた、逆説的アイロニーだったのである。
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