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周年行事が何のために行われるのか、ぼくにはいまだによくわからないのだが、それでもぼくが実行委員長を務めた40周年記念式典を終えた。概ね好評だったようで何よりである。

かつて、周年行事でおおきな感動を覚えたことがある。向陵中学校の50周年である。確か98年の秋、ぼくは32歳だった。

式典に感動的な演出があったとか、公開授業がうまくいったとか、懇親会が楽しかったとか、そういうことではない。来賓挨拶の最後に初代校長が登壇したのである。確かそのとき99歳だったように記憶している。

足が弱っているということだったので、介助役の女性教諭をひとり用意しておいた。初代校長はその手を振り払い、杖をつきながらゆっくりと一歩一歩登壇していった。元気な、張りのある声で、それでいて目を潤ませながら、挨拶をこう結んだ。

「私はこれで思い残すことは何もありません。もういつ死んでもかまいません。みなさん、ありがとうございました。」

体育館がふるえた。体育館に響き渡るような拍手が、生徒も教師も保護者も来賓も、みな感動に震えていた。向陵中学校がどのような思いのもとに建てられ、どのような歴史が刻まれてきたのか、だれもが思いを馳せたものである。

実は今回の北白石中学校の周年行事にも初代校長がみえられてていた。しかし、登壇の機会はなく、ただしみじみとした表情でステージと子どもたちとを交互に見つめる……そんな感じだった。御年87歳と聞く。

ぼくは式典全体の演出をしたのだが、何といっても力を入れてつくったのは11分ほどの記念映像である。岩代太郎の「蝉しぐれ」のテーマを使って、かなり念入りにつくった。北白石のかつての写真を自宅にもってきて、どれを使うかと検討していた折、初代校長の写真を見つけた。まっすぐに遠くを見つめる、いい目をしていた。

ああ、昭和の校長ってのはこういう目をしていたな……。

自分が小中学生だった頃のことを想い出し、そう感じた。この写真を見るまでは、適当に……といっては語弊があるが、まあ文句を言われない程度に気楽につくろうと思っていたのだが、この初代校長の写真を見るにつけ、また、初代校長が式典に来られるということを聞くにつけ、かなり念入りに時間をかけてつくることにした次第である。

それとともに、向陵中学校の、もう名前も忘れてしまったあの初代校長の姿が浮かんできた。あの方も昭和の校長の目をしていたっけ。

それにしても、平成の校長のなんと軽いことか。自分が年をとったせいだけではない、何かが異なる。おそらく戦時下、占領下、そして復興を見てきた、そうした経験が必然的につくり出す、そういう目なのだろう。

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