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話すこと・聞くこと

【1日目】

模擬授業1/近藤真司先生

こういう場では初登壇である。詳しくは個人情報の問題もあるので書かないが、苦労人である。年齢も既に30代後半に突入。そういう授業者である。

初登壇とは思えない落ち着き。技能的な段階を踏まえた見事な授業構成。当日の朝5時過ぎまで授業準備をしていたという真摯な姿勢。どれもこれも頭の下がる思いがした。ある種、怖ろしいまでの〈可能性〉を感じさせる、ちょっと変人の混じった好青年である。

模擬授業連発型研究会ではなく、本人も主張できる研究協議の場で、彼の授業づくりの発想について、彼自身の口から聞きたいと本気で思わせてくれる授業提案だった。

授業としては、スピーチ活動から技術を抽出し、その技術を用いて対話型の説明活動をさらる実践。言語技術を明らかにしてその汎用性を実感させようという意図が明確だった。これは「活用型授業」の一つの典型といえる授業モデルである。

模擬授業2/冨樫忠浩先生

5年前に初めて逢って以来、おもしろい若者だという印象をもっていた。これまた個人情報の問題があるので詳しくは書かないが、彼も苦労人である。

インタビューの型を学習用語を明確にしながら教えるという、ある種「典型化」を模索した授業であったが、想定している相手意識・目的意識と方法との間にまだ緻密な検討が施されていない、との感想を抱いた。

音声言語は場所と時間を共有した者同士の言語活動である。場を共有していない電話でさえ、時間だけは共有する。そういう領域である。

ということは、音声言語活動というものは、コミュニケーションを図る者同士の関係性、場の状況性、それらによって形成される空気の支配力、更には高度なコミュニケーション能力としての臨機応変性、こういった諸々の条件に鑑みて言語活動を組まねばならない領域である。そういう言語活動を扱うのに、基本的に「書かれている教材」のみで指導しようとしたことに本質的矛盾がある。

もちろん、初期指導としての〈型〉を教える段階であることは重々承知のうえだが、それにしても「初期指導だから仕方なく書いたもので教材にしている」という意識を強くもっていれば、もう少しそれぞれの指導事項の中に、音声による活動段階に入っても絶対的に必要な指導事項と、将来的には動的な活動にしたいのだが現段階では仕方なく静的・固定的な扱いで……と割り切っている指導事項とのニュアンスの違いが参加している者に感じられて良いはずである。

自らの開発した教材、或いは自らの提案する主張の形を、少々狭い視座で価値付け、評価していることが垣間見られた。

ただし、授業の語りや指導言のブレのなさ等、授業技術の明快性・的確性にはかなりレベルの高いものが見られた。驚くなかれ、彼はこれで今年度、なんと初任者研修を受講しているのである。これまで彼が受からなかったことが不思議でならない。

模擬授業3/浅野克実先生

確か「研究集団ことのは」に属して12年目を迎えるはずである。これまで自信のなさが垣間見られる登壇が多かったのだが、今回は「ことのは」が開発した古典的実践を修正しての模擬授業。初めてといっていい、安定感のある登壇だった。

中学校入学直後の1年生に互いにインタビューをさせ、紹介文を書かせ合わせる実践。これだけを言うとよくある実践のようだが、発信の目的を明確にもたせたうえで対話型の発信を活動として仕組むという二重の発信型授業になっていたこと、インタビューのキモともいえる「事前情報」の収集について配慮がなされていたこと、インタビューが事前情報ネタに基づいて動的に構成されていて「対話」が世つい率するように配慮されていたことなど、授業構成として秀逸なものがあった。

動機付けへの意識、つまり、インタビューをし合うことの必然性をつくる、という配慮がなされていれば、インタビュー授業の「典型」として形づくることができただろうと思う。そこが惜しいところである。

しかし、授業構成としては及第点をはるかに超える。

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