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具体描写の原則

学級担任として理念的なことを語らなくてはならない場合があります。「このようにすればいいのだよ」「○○はこんなふうにやるんだよ」といった作業の説明ではなく、ものの見方・考え方を伝えなくてはならない、そんな場合です。

これから2週間かけて取り組む行事の準備、その一時間目の学活。年度当初に生活や学習のガイダンスを行う学年集会。そんなときを想定すればわかりやすいかもしれません。

作業指示であれば実際にやって見せたりやらせてみたりということが可能ですが、こうした理念的な話はそういうわけにはいきません。多くの場合、教師が自らの経験を語るという場合が多いようです。もちろんそれも悪くはないのですが、私はむしろ、生徒たちに「自分だったらどうするか……」と考えられるような、実際に自分がそうなったときの状況が思い浮かべられるような、そんな話し方をすることをお勧めします。

【例】

例えば、みなさんに弟がいるとします。その弟は小学校2年生。年の離れた弟で、みなさんは目に入れても痛くないほどに可愛がっている弟です。

ある日のことです。その弟がみんなが覚えている九九をなかなか覚えることができず、もういやになってきたというのです。そして弟はあなたに問いかけました。

「ねえお兄ちゃん、九九なんて覚えなくてもいいよね。別に勉強ができなくたって、楽しく、幸せに生きてる人はいっぱいいるもんね。」

さあ、みなさんはこの弟に対して、「そうだね。いいよいいよ九九くらい。勉強だけがすべてじゃない。」 そう言えますか?

では、どう説得しますか? みなさんはいま、中学1年生になって、九九を覚えなければその後の少数も分数も絶対にできなくなるということを知っています。日常生活でおつりの計算をするのにも人数を数えるのにも九九が必要であることを知っています。そういう経験があります。

でも、そんな説明はこの弟には通じませんよ。みなさんが経験を前提に当然のように感じている「あたりまえ」を、この弟は実感できないのですから。

なんていいますか? 将来絶対に役に立つんだから頑張りなさい。そう言いますか? でもそれは、みなさんがいつも親や先生に言われている、一番いやな言い方なのではありませんか? さあ、どうします?

実は、いま、親や先生方とみなさんとの間にも同じ関係があるのです。

勉強というものは、まさにその勉強をしているときには、その勉強が将来どんな風に役立つのかとか、それを学ぶことにどんな価値があるのかとか、そうしたことはわからないものなのです。その勉強の価値がわかるのは、それをしっかりと身につけた後、それが別の勉強に役に立ったとか、日常生活で実際にそれを使う機会があったとか、そういう場面に接して、初めて「ああ、あれを学んでよかった」と思うことができる、そういう性質をもつものなのです。

いま勉強していることがどんな風に役立つのか、いま勉強していることはこんなに努力してまで学ぶ価値なんてあるんだろうか、中学生になって勉強が難しくなって、ときにはそんなことを思うかもしれません。でも、それをなんとか乗り切って、先生方を信じて、学ぶことから逃げないで欲しいのです。(以下略)

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