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ベテランが育っていないのだ

若手が育っていないという声をよく聞きます。

40代のベテランからも、50代の大ベテランからも、管理職からも聞きます。

そういう印象をあまり抱いていないぼくは、敢えて反論する必要もないと思って「そうですね」と応じるのですが、本音では若手は育っていないのではなく、育てられていないというのが事実だと感じています。

そもそも「若手が育つ」ということはどういうことなのでしょうか。これが甚だ曖昧だとぼくは思います。それは「若手が育つ」というとき、その「育つ」の内実は自分をモデルにしているように思えてならないからです。しかも、遠い記憶の中の、本当は育ったのか育たなかったのかさえわからない、あまりにもバイアスのかかった自分自身の遠い記憶をもとに。

ぼくは上篠路中学校で4人の新卒さんと関わりました。学年主任として、おそらくは札幌市内でだれよりも厳しく、そしてだれよりも世話を焼いただろう思います。誤解を怖れずにいえば、生徒を育てること以上に彼らを育てることに心血を注いだ4年間だったとさえいえるでしょう。そして彼らは間違いなく、彼らなりに育ちました。ある者はものすごいスピードで、ある者はゆっくりと、そしてある者はその後の挫折のあとに。

例えば、Aくんがみるみる育っていき、Bくんが失敗を重ねながらもゆっくりと次第に育っていき、Cくんは大失敗と挫折を繰り返した後にぐーんと伸びた、こういう3人がいたとき、Aくんだけが評価されるというのがこの社会です。この評価の仕方にそもそも間違いがあります。

Aくんのように若いときにみるみる育つ人には30代で壁がやってくるはずです。その壁を超えようと努力するか、その壁に諦観を抱いてほどほどの教師になっていくか、真の勝負はそこにあります。Bくんはこのペースで失敗と成功を繰り返しながらのらりくらりと上昇していき、Cくんはぐーんと伸びたあと順調な成長を遂げるかもしれませんしそうでないかもしれません。

要するに、一時期の成長の仕方、成長の在り方を見て、「最近の若者は……」では若者も浮かばれません。評価に晒されながら生きていかなければならないのが社会人だとしても、その評価者が成長の構造をわからないままに評価を下し、それがフィードバックされるのでは悪循環に陥ってしまいます。

長年、民間の教育研究の場に身を置いています。毎年、新たな若者と出会います。新卒からある程度かかわってきて、ある程度花が開くまでの平均的な年数は、早い者で6年、遅い者で10年という実感があります。ぼくが「ああ、こいつの話には傾聴すべきものがある……」と感じるのにこれだけかかるということです。

いろいろなことを教え、いろいろな議論に参加させ、いろいろな研究テーマを与え、いろいろな登壇機会を与え、盛んに飲んで語り、これだけしてもこのくらいの期間はかかるのです。それが若いから、新卒だからとたいした仕事も与えず、自分が勝手に描く思い通りの成長しないことが、まるでその若者に人間的欠陥があるかのように論じるのはあんまりだ……と言えるでしょう。

そもそも職場では若者にたいした仕事が与えられません。言われたことだけをすればいい、授業だけしてればいい、生徒とかかわろうとしさえすればいい、そんな空気があります。ぼくはこれがいけないと思っています。

ぼくは上司として新卒教師とかかわるとき、必ず大きな仕事を与えます。あるときは学年の「総合的な学習の時間」の計画をつくってみろといい、あるときは年度当初の「学活計画」や旅行的行事に至までの「学活計画」をつくってみろといい、今年度は学校祭のステージ係の全体計画をつくらせるとともに、職員会議の提案、実際の運営と、最後まで責任をもたせました。みんな、いろいろな人に訊きながら、ときにはぼくに怒鳴られながら、なんとか形にするものです。

そしてこういう階段を一段昇ったとき、初めて生徒指導にも中心的にかかわらせるようになります。彼らはそれまで「自分一人で生徒指導をするな、必ずオレを呼べ」と言われ続けていただけに、「生徒指導をやってみろ」と初めて言われたときには一様に喜びます。「ああ、堀さんに認められた」という顔をします。

問題はこういうふうに新卒にある程度の規模の仕事をまかせられるということは、彼ら彼女らが失敗したときにフォローをすることができ、他学年・管理職に責められたときにも責任をとる覚悟をもっていなければならない、ということです。ぼくの中にはそれができるという自信があるからこそ、まかせられるわけです。

ぼくは「若者が育っていない」のではなく、ベテランこそがこの覚悟をもつほどには育っていないのだと思えます。

穿った見方でしょうか。

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