問いと答え
「失恋してもまだ想い続けている」という女性の心象を歌った次の7つの詩のうち、〈文学的価値〉の高い詩である、つまり文学言語として質が高いと考える順に並べ、その理由を述べなさい。
【A】 あなたに逢いたくて
逢いたくて
眠れぬ夜は…
あなたのぬくもりを
そのぬくもりを思い出し…
そっと瞳 閉じてみる
【B】 ハラハラ舞う雪になって
あなたのホホをそっと撫でて
サヨナラサヨナラ歌って
街を渡ってどこへ行こう 吹かれて行こう
1900年代最後の夏は行って
思い出だけ食べて秋は過ぎて
会えなくなった月日はひそやかに
輪を描いて積もる
【C】 あなたのキスを数えましょう
ひとつひとつを想い出せば
誰よりそばにいたかった
without you but you were mine
【D】 青春の後ろ姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃のわたしに戻って
あなたに会いたい
【E】 一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう
あの日心は震えてた だけど今溢れ出す
一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう
時を超えるこの想いは 愛の他何があるでしょう
【F】 遠いいにしえの恋の想い出に
眠れずに昔の写真をこっそり出して見る
はるか町を見下ろして
木陰に座り風に吹かれた
あの時のあなたの横顔の甘さ
【G】 私には戻る胸もない
戻る 戻る 胸もない
もしも死んだら あなた
あなた泣いてくれますか
寒い こころ 寒い
哀しみ本線 日本海
この問いを16人にアンケートをとったところ、次のような結果になった。ちなみに内訳は男性11名・女性5名。年代は20~60代である。
1.GBEAFDC/2.BEDCGFA/3.FDEABCG/4.ECGDBFA/5.DBFAECG/6.DCEGBAF/7.FGDBAEC/8.ECBFAGD/9.GECBDFA/10.BFDCGAE/11.ECFGADB/12.GBAEFDC/13.FBDEAGC/14.BEGDFAC/15.DGBCEFA/16.DAFGCEB
1位はA・Cがゼロ、Bが3人、Dが4人、Eが3人、Fが3人、Gが3人である。一方最下位はAが4人、Bが2人、Cが5人、Dが1人、Eが1人、Fが1人、Gが2人。
1位が7点、2位が6点……7位が1点としてそれぞれを点数化してみたところ、1位がBで74点、2位がEで73点、3位がDで72点、4位がGで67点、5位がFで65点、6位がCで53点、7位がAで41点である。
目を引くのはAが他を圧倒して点数が低いこと。「文学言語として質が高い」という基準でみたとき、日常語のみで構成され、それぞれの言葉同士においても特殊なつながりが見られない、つまり作者自身の独自の物の見方・捉え方が見られないという点で妥当な結果だと考えられる。これを1位にした人はいなかったわけだが、これも妥当な結果である。もしもこれを1位にしたり高く評価したりした人がいるとすれば、それは文学的センスがない、といえる。言葉がきついが、この詩は女子高生でも書ける詩である。昔、「My詩集」なんかによく出ていた、少女趣味の詩と同質であるという言い方もできる。
では、文学的価値の高い「文学言語としての質」とは何だろうか。
第一に、一般的な人々が日常世界で気づかないようなことを、それでいて具体性の高い形象性(目に浮かぶような表現)として提示しているかどうかという点である。
この観点で考えると、「あなたのキスを数えましょう」という表現は日常的に一般の人々が考えにくい感覚である。かつての恋人を想うとき、公園でのデートの形象や旅行の想い出やレストランでの食事を想い出すことはあっても、「キスの形象」を想い出し、しかもその回数を数えようという発想は生まれない。しかし、一度それを数え始めると、かつての恋人との形象が次々に想い出されるはずである。この表現は文学的に「形象性に優れている」といえる。それを数えることによっていくつもの場面が想い出され、「だれよりそばにいたかった」という嗚咽的な心情が湧いてくる。それによって「キスを数えることによって生まれる心情の深まり、新たな世界観」を謳っている。この詩はそういった詩である。アンケートに答えた人たちはおそらく最後の英語のフレーズに抵抗をもったのであろうが、詩的言語が英語ではいけないということはないので、それは論理の外に置くべきだろう。ぼくはこの詩は基本的に文学言語として質が高いと思う。
また、「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう」というフレーズも同様である。「あの日心は震えてた/だけど今溢れ出す」という表現から処女性として「一番綺麗な私」を捉えた人もいたが、それではいかにもつまらない。これは一般的によくいわれる「恋する女性は美しくなる」という通念をもじって、「最も私を綺麗にしたのはあなただ」と言っているのである。つまり、この女性は何人もの男性と恋愛の経験を重ねてきたのだけれど、自分が最も綺麗になったときはあのときであり、その「あなた」との恋愛こそ「実は愛だったのだと気づいた」と歌っているのである。これも新たな世界観を作り出している。こうした発見を「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう」と歌う在り方は、文学言語として質高く成立していると思う。
この観点で他の5つの詩を見てみよう。Aは日常語のみで新たな世界観はなし。Bも日常語のみで構成され、高い形象性もない。Dもだれでも使えるような日常語のみで構成されている。FもAに近い。だれでも経験しているような出来事をだれでも思いつくような言葉で語られているだけである。Gは日常語であるばかりか、表現が芝居がかっており、大袈裟に構成されている。その分、文学言語としての質は低くなってしまう。
第二に、使われている言葉は日常語でしかないのだが、それが独特のつながり方を示すことによって新たな世界観を創り出してしまうという在り方がある。まど・みちおや北川冬彦、谷川俊太郎によく見られるタイプの詩的言語である。たとえば、「消しゴムの哀しみ」のように、「消しゴム」も「哀しみ」も直接的な日常語だが、これをつなげて「消しゴムの哀しみ」という表現にしてしまうと、どんどんすり減っていく消しゴムは実は哀しんでいるのではないか……という日常的には考えにくい世界観を広げることになる、といった文学性である。
この観点で見ていくと、突出しているのはBである。まず話者が雪になる。しかもかつての恋人のほほをそっと撫でて「さよなら」と伝えるためである。更にその後は「どこへ行こうか」とあてのない自分の心象を歌い込む。「1900年代最後の夏」「想い出だけを食べる秋」という叙述のあと、冬を迎えて風で舞い上がり、輪を描いて積もる、厳冬と自分の心象とを重ねる。しかも「寒い」とか「悲しい」とか「寂しい」とか、そうした手垢のついた日常語を一切使わずに世界観を創り出している。国語教育界では「なりきり作文」とか「変身作文」などといって培おうとしているタイプの創造性を一つの作品として完成させている詩である。これも文学言語としては質が高い。
これに次ぐのは「青春の後ろ姿」と、二つの日常語を連鎖させることで新たな心象を産み出しているEだろうか。この「青春の後ろ姿」という世界観を「人はみな忘れてしまう」と一般化することで、読む者に「自分にも覚えがあるなあ…」と原罪意識を喚起するしかけである。そこにさらに追い打ちをかけて「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」とごく普通の、先の表現でいえば「女子高生でも思いつく表現」を重ねることで、この表現を引き立たせてしまっている。つまり、読む者に原罪意識を喚起していることによって、この表現が「女子高生でも思いつく表現」を超えて受け入れられるようにしている、意図的なしかけなのである。
この観点で他の5つを見ると、こうした特殊な言語連鎖はほとんど見られない。ただ一つ見られるのはGの「哀しみ本線 日本海」だろう。もちろん、日本に「哀しみ本線」なる鉄道はないだろう。しかし、この言葉を造語することによって、しかも「哀しみ」と「本線」という日常語同士を連鎖させることによって、メタファ(比喩的表現)として成立させているのは確かである。しかも最後に「日本海」とつけることによって、裏日本の寒さ、雪、風といった形象をも重ね合わせようとしている。その意図は明確である。ただし、これはこれらの裏日本に対するイメージという既習知識をもたない者には通じない言語連鎖である。コンテクストに寄りかかり過ぎている傾向がある。文学言語の質としては判断の分かれるところである。ただし、恋を失った女性の女心を大袈裟に歌い、最後に「哀しみ本線 日本海」なんていうコンテクスト依存ばりばりの造語にすべてを凝縮させてしまう、この歌詞の在り方は圧巻である。演歌に多い手法であるが、こういうのに日本人のおじさんは弱い……という傾向がある(笑)。
この7つの詩を用いて先の問いを発し、ファシリテーションをおこなったのが昨日のぼくの模擬授業だった。しかし、こうした文学言語の象徴性ではなく、技法ばかりに目がいっていた参加者がいたのは少々残念に感じた。
もう一つ、文学的文章教材を国語科授業で教える目的は、こんな些細な歌の歌詞の中にも、こんなに文学的に感動するような世界観や発見があるのだということに気づけるような認識力をもつことだと考えている。こうした言語感覚をもっているからこそ、書くときにも話すときにも具体例や比喩を効果的に使えるようになるのである。日常的に目にする看板のキャッチコピー、日常的に耳にする歌の歌詞、こういうところに目や耳を傾けていない人たちは、文学的センスに欠けると断じたい。もちろん、Aのような直接的な日常語に感動している人たちにも文学的センスはない。ぼくは本音ではそう思っている。(ただし、これらの詩はあくまで歌詞なので、これらの詩が曲に載せられたときには別の観点が生まれる。だから、松田聖子の「あなたに逢いたくて」という楽曲そのものに価値がないと言っているのではない。あしからず……。)
最後に、ぼくならBECDGFAと並べる。
ちなみに出典は以下のとおり。
A:あなたに逢いたくて/松田聖子/作詞:松田聖子
B:SNOW DANCE/DREAMS COME TRUE/作詞:吉田美和
C:あなたのキスを数えましょう/小柳ゆき/作詞:高柳恋
D:あの日にかえりたい/荒井由美/作詞:荒井由美
E:一番綺麗な私を/中島美嘉/作詞:杉山勝彦
F:い・に・し・え/日暮らし/作詞:武田清一
G:哀しみ本線 日本海/森昌子/作詞:荒木とよひさ
本当に最後に、ぼくが曲として好きな順番は、FDGBEACといった感じでしょうか(笑)。ぼくは日暮らしの杉村尚美の声がなんとも言えないほどに好きなんです。
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