« 半分終わればまあ満足… | トップページ | ルルル…ラララ… »

床に広がる絹の海

何年振りだろうか。

テレビドラマの再放送で阿木燿子を見た。独特のスローテンポの口調になんともいえない素人っぽさを感じるものの、彼女の演技には見入ってしまう。この人の演技は外面的にはこんなだが、内面にはとてつもない美しい言葉がひしめいている、どうしてもそう思ってしまうからである。

山口百恵や郷ひろみの全盛期を支えた作詞家。あのジュディ・オングの「魅せられて」の作詞家。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「想い出ぼろぼろ」「カリフォルニア・コネクション」「DESIRE-情熱-」といったところが代表曲だろうか。研ナオコの「Tokyo見返り美人」なんていう隠れた名曲もある。

しかし、ぼくが阿木燿子に惚れて惚れて惚れ込んだのは、1978年秋、小学校6年生のときに聴いた、こうせつの「夢一夜」である。

素肌に片袖 通しただけで

色とりどりに 脱ぎ散らかした

床に広がる 絹の海

着ていく服が まだ決まらない

苛立たしさに 口唇かんで

私ほんのり 涙ぐむ

あなたに逢う日のときめきは

あこがれよりも 苦しみめいて

ああ 夢一夜

一夜限りに咲く花のよう 匂い立つ

このワンコーラスは“完璧”である。一つは日本語の美しさとして完璧であり、今ひとつは日本男児を萌えさせる女の形象として完璧であり、更に一つは不倫女性を描いたいかなる文学よりもその心象を描き切った点で完璧である。

当時のぼくはこれが不倫の歌だということもわからずに、ただこの詩の中に理想の女性像を見ていたように思う。ああ、美しい女性の内面とはこういうものであると。まさに「匂い立つ」というひびきが似合う。

かつて梶くんがこれに賛同し、二人で握手したのを覚えている(笑)。

直感だが、池田修も賛同してくれるのではないだろうか(笑)。イメージでしかないが、あのおっさんはこういう世界にじわっと来るタイプだと思う。

いずれにしても、阿木燿子はこの一曲を書いたことだけで、ぼくの中では「天才」である。

ただし、ツーコーラス目はいただけない。和語が美しい連鎖を見せていない。言葉が乱れてしまっている。「天才」にしても同じ質の言葉で二度まで世界観をつくりあげることはできなかったのだろう。まあ、仕方がない。

最後の仕上げに 手鏡見れば

灯の下で 笑ったはずが

影を集める 泣きぼくろ

というフレーズに近い質の高さが見られるけれど、しかし、ワンコーラス目にはかなわない。まあ、仕方がない。

ああ、阿木燿子……。

【参】 夢一夜/南こうせつ/1978

|

« 半分終わればまあ満足… | トップページ | ルルル…ラララ… »

書斎日記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 床に広がる絹の海:

« 半分終わればまあ満足… | トップページ | ルルル…ラララ… »