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強制力が生む当事者意識

ストップモーション授業検討&ライフ・ヒストリー・アブローチという構成の研究会も7回目を迎えた。ある程度、この研究会の構成の仕方にもこなれてきた感じがあり、ほとんどよどみなく進む一日となった。

それでいて、ライフヒストリーのインタビューの仕方について細かな点で新しい手法が開発されたり、シェアリングの仕方としてワールド・カフェとギャラリー・トークをミックスする手法を取り入れてみたりと、研究手法の面でも新たな発見があって有意義な一日となった。

参加者の感想を読むと、まずまず満足度の高い一日になったようで、何よりである。

一日のキーワードは〈バランス〉であったように思う。一斉授業とワークショップ型授業とを対立的に捉えるのをやめよう、教師として授業者として生き残るためには一斉授業ワークショップ型授業なのだ、〈バランス〉に視点を置いた〈観〉の構築・〈手法〉の構築・〈年間計画〉の構築が必要なのだ、こういった論理が飛び交った。

ぼくはぼくなりに、こうした話を当然のことだと感じながらも、この論理を現場の先生方に実感的に伝えることの難しさ、浸透させることの難しさ、更には実践させることの難しさ、難しさばかりに目が向いていた。

いったいどうすれば、この論理構造を実感的に捉えてもらえるのか。

ワークショップ型授業を構成するためには、ワークショップを成立させ、実質的に機能させる〈フレーム〉が必要である。〈フレーム〉がきつすぎるとワークショップの良さを生かし切れないし、ゆるすぎると機能しない。〈フレーム〉の設定をどの程度の基準で行うのか。それも〈環境調整型権力〉の発動として、参加者に意識させないままに、或いは参加者に心地よい緊張感を与えながら〈フレーム〉を設定する。ワークショップ型授業はまさにここは命である。

例えば、昨日のぼくの出番は最後の1時間ほどのファシリテーターだった。ワールド・カフェとギャラリー・トーク、更にはプレゼンテーションの原理をミックスさせて、かなり〈フレーム〉をきつくして臨んだ。

第一に、各4人グループの個々人に1番~4番までの出席番号のようなものを与える。参加者は自分の何番なのかを認識する。そして1番は何をしなさい、4番はこうしないさいと、指示していく。これは明らかに一斉授業で効率的に進めるための技法である。しかし、全体を一度に、一遍に動かしていくためには不可欠な〈しかけ〉である。

第二に、壁に貼った模造紙にウェビングを描かせながら、今日の学びを3点ずつプレゼンさせる。しかもここでは、1番~4番まで順に持ち時間2分程度とフォーマットをつくる。その後5~7分間のフリー・ディスカッションである。これもかなりきついフォーマサットであろう。しかし、順番も時間もプレゼンツールの書き方も設定してかなりきついフレームを与えられているのに、参加者はきつさを感じない。公平性があり、効率性があることを参加者が感じ取れるからである。しかも、最後のフリーディスカッションにはかなり自由度が高い。と同時に、フォーマットのきつさについて考える前に、参加者の思考はプレゼン一人2分という規定があるので、どこまで話せてどこからは話せないかという発表の思考、優先順位の思考へと誘われる。これが計算されている。これも〈しかけ〉である。

第三に、4番の人を残して、1~3番の人は他のグループに移る。これは4番の人だけが強制されているように見えながら、実は4番の人は自分がこれまで話してきたことをもう一度話せばいいだけであり、実は一番楽なのである。その他の3人は別のグループに行って、最初のグループを代表して他グループのプレゼンツールを充実させなければならない。更には後に、元のグループに戻ったときに、責任をもってその交流内容を報告し、自グループの交流を充実させなければならない。この責任感をもつことを強制しているのである。これも〈しかけ〉である。

第四に、元のグループに戻ってのギャラリー・トークである。他のグループの交流内容をシェアするという意味合いもあるが、なんと言っても、ここでは他グループで交流をしてきた1~3番の人たちの報告のしやすさを保障している。このギャラリー・トークがなかったとしたら、模造紙に書きながら交流した内容について、音声のみで報告しなければならなくなる。それがギャラリー・トークであることによって、そのシートの前で、つまりプレゼン・ツールを見せながらという形で報告ができるのである。しかも全シートの前でプレゼンが行われるので、ここでも参加者全員が、責任をもって、必ず一回プレゼンをするという機会が与えられる。もちろんこれは、逆に言えば強制されるということだ。これも〈しかけ〉である。

第五に、これらのすべての活動を受けて、元グループのシートを充実させ、そして教師の学びの構造というテーマについて、更に充実した交流を行う。発表者を決めて、最後には全体で交流内容をシェアする。これも1グループ1分という時間の目処を与えててある。これも〈しかけ〉である。

〈環境調整型権力〉はこのように発動されている。しかしこういうことがぼくに見えるのは、ワークショップを学んだからではない。強制と強要によって進んでいく一斉授業の論理の中から、最低限必要な強制だけを残して他の部分はすべてあずける……という発想でつくっているからである。最低限の強制とは、〈責任感〉をもたせることと〈時間意識〉をもたせることの2点である。それも参加者個々人に、しかも一人残らず全員にもたせなければならない。

結局、この原理は処女作『全員参加を保障する授業技術』に書いたことと何も変わっていない。適度な強制力の発動が学習者の当事者意識を生むという原理である。変わったのは強制力の発動のさせ方が〈規律訓練型〉から〈環境調整型〉に移行させているという一点である。

ぼくなりに理解した〈学びのしかけ〉とは、〈環境調整型権力〉を発動させるためのしかけと同義である。

※ちなみに、〈環境調整型権力〉はぼくの造語である。一般には、〈規律訓練型権力〉に対置されるのは〈環境管理型権力〉(東弘紀)と呼ばれている。〈管理〉という言葉が教育界で使うには概念的に重いと感じ、ぼくはここ数年〈調整〉という言葉を使っている。

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コメント

堀さん、こんにちは。佐内です。

最後のファシリテーション、確かに「第一に、第二に、第三に、第四に、第五に」と文章だけで説明されると、「強制力」が発揮されているような印象を受けるかもしれません。けれども、「当事者」としては、そのようなことはありませんでした。確かに、順番や時間は「きつく」設定されているけれども、話す内容は自由です。だから、とても心地よく過ごせました。

今まで、私が体験した限りでは、ワールド・カフェも方法が不明確だったり、テーマが曖昧だったりすると、うまく機能しないような気がしています。その点、今回は、1日かけて話し合う内容が参加者で共有されていたこと、ファシグラやウェビングがよい資料となっていたことなどが大きかったように感じました。

最後に、研修会全体の企画・運営、ありがとうございました。遅れての参加にもかかわらず、温かく迎えてくださって嬉しかったです。会場の片付けもせずに失礼してしまって申し訳ありませんでした。徒歩15分かかるというJR白石駅まで、およそ半分の時間でダッシュして電車に飛び乗りました。次回は、もう少し余裕のある日程を立てて、おいしいおでんを一緒に食べられるといいなと思っています。また、お会いできる日を楽しみにしています。

投稿: 佐内信之 | 2010年9月13日 (月) 08時01分

そうなんですよね。内容を自由にする必要はありますが、形式的にはある程度の縛り(フレーム)があった方が話しやすいし交流しやすいんですよね。問題はワークショップ型授業を志向する若い先生方が、フレームまでほぼ自由にしてしまって、「空白」ができたり「混乱」が起こったりしてしまっていることです。そのためにはキーワードとして〈責任〉と〈時間〉かなと思うわけでして。今後、そのあたりを強調したいと思っています。

投稿: 堀裕嗣 | 2010年9月13日 (月) 18時26分

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